黒猫
今回は、金縛りの話です。
久良木和成と最初に会ったのは、会社の面接会場だった。
この時は、少し言葉を交わした程度だったが、入社式で、たまたま久良木と、隣の席になった事を切っ掛けに仲良くなり、二人とも同じ社員寮だった事もあり、行動を共にする事が多くなった。
趣味や趣向に、共通点は少なかったが、何故か馬が合ったのは、あの金縛りが、猫の金縛りが、大きな要因だったのだろうと推測する。
私は、金縛り体質と言うのだろうか?主に深夜が多いのだが、昼夜問わず、金縛りに罹るのだ。
罹り始めたのは、中学生くらいからなので、関係ないとは思うのだが、私の社員寮の部屋から見える景色は、墓地と、その墓地に並ぶ大量の墓石だった。
入社して、半月程しか経っていないのに、見知らぬ老婆は、腹の上に正座しているし、落武者は歩くし、小学校低学年くらいの女の子は、部屋の隅に体育座りして泣いているしで、三日に一回は、金縛り状態となっていた。
そんな金縛りお祭り状態から、一ヶ月程経ったある深夜の事、キーンと耳鳴りがしたかと思うと、金縛り状態になった。
金縛りに罹ると息苦しいし、体は動かないし、不快な事この上ない。
出来るだけ自力で解こうと、藻掻くのだが、この夜の金縛りは、全く解ける気がしなかった。
右側の壁から、何かの気配を感じ取ったので、唯一動かせる目で、視線を右側へと移して、壁を見ると黒い靄の様な物が見えた。
その黒い靄の中に、金色の光が二つ輝いている。
「何だ?あの光は」
そう思った時『ニャー』と猫らしき声が聞こえた。
「猫?」と、その時は思ったが、黒い靄はかき消され金縛りも解けた。
猫の声は、気にはなったが、残業で遅くなり眠かった事も゙あり、その夜は深く考える事も゙無く、次に目覚めた時は、朝になっていた。
二日目の夜
「ニャー」
耳鳴りからの、猫の鳴き声、そして、連夜の金縛りだった。
「また、来たかぁ」
いくら、金縛りに慣れているとは言え、連続での金縛りは、勘弁して欲しい。
今夜も黒い靄から、二つの金色が輝いていたが、今度は、はっきりと猫と分かる姿に、変化しながら現れた。
猫は嫌いじゃないし、どちらかと言えば猫好きだ。
ただし、金縛りの時に出現れる猫は別だ。
「お前、どうしたんだ?何故、俺の前に出現れる」
喋れる訳ではないので、頭の中で念じる様に、念話で問うのだが、その質問に答えた者も、ましてや動物もいない。
取り敢えず訊いてはみるが、所詮は猫『ニャー』と鳴くだけで、答える事はなかった。
猫の形に、九割程が形取られ、こちらに近づいて来るのが見えた。
しかし、この夜も、黒い靄と共に掻き消え、金縛りも解けた。
社員食堂で、夕食を済ませ、社員寮に帰り着いた時には、夜十時を過ぎていた。
定時で帰れたのは、入社して最初の一週間だけ、私の配属された部署は、兎に角、忙しかった。
そして、三日目の夜、金縛りと同時に、また、あの黒猫が現れる。
いい加減にして欲しいと思うが、こっちの都合で、どうにか出来る訳ではない。
『来るもの拒まず』では無く、こっちの都合何てお構い無しに、勝手に来るので拒めないのだ。
「お前なぁ、いい加減にしろよ。毎晩、毎晩何で俺の前に出現れる?」
実際には、喋れないので、黒猫に通じているかは不明だが、少し怒りに似た感情を、出したのがいけなかったのか、黒猫が私の右腕に噛み付いて来た。
「痛たたっ、何すんだこの野郎」
本当に痛みがあり、噛み付いたまま、こちらを睨みつけると、ゆっくりと黒い靄を纏うように、消えて行った。
黒猫が、消えると同時に、金縛りが解け、目覚めると、右腕に痛みが残っていた。
「くそっ、あの黒猫、本気で嚙み付きやがった」
外傷性の痛みでは無かったが、黒猫に噛み付かれた前腕部に、痺れる様な痛みが残っていた。
四日目の昼、この日は土曜日で休みだった事もあり、黒猫の事を考えているうちに、明け方近くまで眠れなくなって、次に目が覚めた時は、既に昼の十二時を過ぎていた。
外に出たところで、久良木が一階の階段下にいるのが見えた。
「おう、久良木飯食った?」
「いや、まだだ。食いに行くか」
二人で近くの定食屋に、歩いて向かう事にした。
「眠そうだな」
「残業続きで遅かったからなぁ。それと、三夜連続で金縛り罹って、余計に寝不足気味って感じかな」
「だから、目の下にクマ出来ているのか」
「まぁ、そう言う事、ただでさえ、残業で寝る時間削られているのに、金縛り罹ると、更に寝不足になるって」
「それは、大変だな。俺は霊感とか無いから全く罹らないけどな。やっぱり大変なのか?」
久良木には、以前、自分が金縛り体質だと話した時、笑ったり、馬鹿にしたりしないで訊いてくれた事もあり、連夜の黒猫の金縛りを、話しても良いんじゃないかと思っていた。
「そうだなぁ、まず大体、耳鳴りから始まる事が多いし、体は動かせないし、何より息が苦しいのが一番困るかなぁ」
「結構、大変そうだな。でも一回くらいなら俺も、金縛り罹らないかなぁ。って言うか罹ってみたいわ。どんなもんか経験してみるのも悪くない」
「嫌々、止めておけ。碌なもんじゃないから、まぁ着いたら話すけど、実はな金縛り中に猫が出て来て、昨夜噛まれた」
「え、マジで、金縛りの猫って噛むのか?」
「嫌、俺も初めて噛まれたから、良く分からないんだ」
「うちの実家も、猫飼っていたけど、噛み癖ある猫で、良く噛まれていた」
笑いながら久良木が、飼い猫とのエピソードを、話しているところで、定食屋に到着した。
休日は、この定食屋で食べる事が多いので、通い始めて一ヶ月あまりで、常連さん扱いになっていた。
「こんにちは」
「久良木君、朔田君、いらっしゃい」
二人は、店の一番奥のテーブル席に座ると、それぞれ、親子丼うどんセットと、カツ丼そばセットを注文する。
大盛りは自動で追加されるように、いつしかなっていた。
注文した品が来るまでに、例の黒猫の、詳細を話そうとした時、久良木の方が先に話し掛けてきた。
「実はな朔田、家で飼っていた猫が五日前に死んだんだ。二十年以上生きていたから、老猫だっだし、仕方ない事だけど、俺が産まれた時から、ずっと一緒だったから、さっきの猫の話訊いたら、何だか急に、死んだ猫の事を、朔田に話したくなった」
久良木は、話ながら涙目になっていたが、久良木の猫が、五日前に死んだ事が、妙に引っかかった。
猫…五日前、金縛り…三日前、もしかしてと思い久良木に訊いてみる。
「あのさぁ久良木、その猫の目って、金目?」
「そうだけど、何で?」
「もしかして黒猫?」
「そうそう、黒猫」
「尻尾が長いよね?」
「えっ、何で知ってる?」
「俺んとこ来たし」
久良木が、疑問に思うのは、無理も無いと思ったので、正直に、ここ三日間の金縛りの様子を話してみた。
「まぁ、こんな感じて、この三日間、俺の前に出で来た」
黙ったまま話を訊いていた久良木と、私の間に、数秒間の静寂が流れた。
正直、こんな話をして、気味悪るがられるのではと、多少は覚悟したが、そんな事はなかった。
「俺のところには、来なかったくせに、何で朔田のところに行くんだよ」
指摘するべきところは、そこでは無い気はしたが、久良木にしてみれば、そう言いたくもなるくらいに、あの黒猫は、家族同然の存在だったのだろうと言う考えに、即座に至った。
「きっと、久良木のところに行ったけど、気付いて貰らえ無かったから、俺んとこ来たんじゃない?自分の存在を、久良木に知って貰う為に」
当て推量だが、的は外して無いと思う。
久良木は、自分を納得させるかの様に、何度も呟いている。
「そうか、そうだよな…。俺、金縛りに罹らないないし、来たけど、分かんなかったから、気付けなかったから、朔田のところに行ったんだよな」
久良木は、死んだ飼い猫を捜すかの様に、天井を見上げた。
そんな久良木の様子に、何を話せば良いか戸惑った私は、黒猫の名前を訊いてみた。
「なぁ久良木、その猫なんて名前だ」
「シロって言うんだ。黒猫だけど」
再度、二人の間に静寂が流れた。
黒猫にシロと、名前を付けるなとは言わないが、ややこしくないかと、つい思ってしまった。
「そ、そうか、黒猫のシロか。これで久良木に気付いて貰えて、きっと、シロも喜んでいるかもな」
久良木も同様に思ったのか、何度か頷いた後、私に「ありがとう、教えてくれて」そう言って、ついさっき届いたカツ丼そばセット(大盛り自動追加)を、少し腫れぼったい目で、無言で平らげていた。
「よし!今夜は、ゆっくり眠れるぞ」
そう思って、床に着いたが、とても残念な事に、黒猫のシロは、今夜も私の前に出現れた。
これはどうしようもない事、拒めないのだから、そして、もちろん金縛り状態だ。
「シロ、お前の想いは成就したはずだろ?久良木のところ行ってやれ」
そして、事もあろうに、またしても黒猫のシロは、右腕に噛み付いて来た。
「あっ、馬鹿、こら、噛む、な、痛っ、…くない」
甘噛みだった。
そして、擦り寄るように体を擦り付けて「ニャー」と、一鳴きすると、静かに靄の中に、消えて行った。
シロにしてみれば、感謝の気持ちを伝えに来たのかも知れないが、今日くらいは穏やかな朝を迎えたかった。
そんな事を考えながら、朝方に眠りに就き、目覚めのは、またしても昼過ぎだった。