白昼夢
お盆休みに、実家に帰省するか迷っていると、同じ工場で働く湯上から、お盆休みに諏訪方面へツーリングに行く計画があり、メンバー募集中なので、一緒に行かないかと誘いを受けた。
十日程の休みの最初の二日位ならと、ツーリング参加を了承する事にした。
しかし、このツーリングで三途の川を渡りかける体験をすると、この時は思ってもいなかった。
そして当日は、雲一つ無い絶好のツーリング日和となった。
集合場所の、会社西門横の駐車場に到着すると、既に数台のバイクが集まっていた。
「おはようございます。みんな早いですね」
「あぁ、おはよう。この日が待ち遠しくて、集合時間の一時間前に来た奴も、いたらしいからね」
そう笑いながら教えてくれたのが、今回のツーリング主催者の村上だった。
「それは言わない約束でしょう村上さん、そう言う村上さんだって、俺の五分後には来てましたよ」
同期の鷹島が、笑いながら反論しているが、どっちもどっち、五十歩百歩を地で行く二人だった。
「あとは女性二人と湯上だな」
一人は、村上の奥さんらしいが、もう一人の女性はバイクの免許を取得して六ヶ月程の初心者と訊いている。
前々から機会があれば、何処か一緒にツーリングに行きたいと、懇願されていたらしく、今回、初の高速を使ってのツーリングに参加となった。
続いて、私を今回のツーリングに誘ってくれた湯上が到着した。
それから程なくして、村上博子さんと一緒にやって来たのは、北村聡美と言う二十歳の女性だった。
身長はおそらく170cm程か、もう少し高いくらい、スラリと伸びる長い足とスレンダーな体型が相まって、バイクに跨がる姿が、免許取得六ヶ月とは思えない程、様になっている。
後ろで一本に束ねた黒髪に、二重の瞳、右頬にだけ出来るエクボが印象的な、八頭身美人の女性だった。
二人がバイクから降りると、博子さんが北村の紹介をする。
「皆さん、お待たせしました。この子が免許取って6ヶ月の聡美ちゃんです。今日、聡美ちゃんは初めてのツーリングです。みんなお願いしますね」
拍手で出迎えられた北村聡美は、少し恥ずかしそうにしながらも「北村聡美です。今日は足で纏にならない様に、頑張って着いて行きます」と簡単に自己紹介を済ませた。
こうして、総勢十三名が諏訪湖に向けてのツーリングが始まった。
「よし、揃ったな。まずは、相模原から高速に乗って談合坂サービスエリアで休憩ね。では出発」
基本、全員一緒に走行するが、信号等で分断されたり、高速走行時は個々の速度差で、離れてしまう事もある為、携帯電話の無かったこの時代、次の集合場所を指定するのは、逸れない為の有効的な手段だった。
一般道では順調に走っていた北村だったが、初めての高速ツーリングに慣れない為か少しずつ遅れ始めていた。
談合坂サービスエリアまで、あと10kmを過ぎたところで、博子さんが『先に行って』と合図を送って来た。
流石にペースが遅くて、悪いと思ったのかもしれないが、遅くなるのは想定内、しかし予想以上離された為、気を使ったのだろう。
談合坂まで、あと数分と言う事もあり、後方の5人のうち、私と鷹島と湯上の三人は『先に行って待つ』と左手で前方を指差しバイクを加速た。
村上達の姿が見えなかった事と、今まで速度を抑えて走っていた事もあってか三人とも、いつも以上に速度を上げて走っていた。
次々と車を追い越し、風を切りながら颯爽とバイクを走らせるのは、実に爽快だった。
そして、村上のバイクを視界に捕らえた時、ある思いが頭を過ぎる。
「よし、このまま村上さんを抜き去ろう」
更に加速し、もう少しで抜けると思った時、村上が左ウインカーを点灯させた。
村上と一瞬、視線を合わせた時には、もはや談合坂サービスエリアに進入出来る距離と速度では無かった。
かなりの速度で、しかも加速した状態で村上に合図を送ろうと、無意識に左手を離した時だった。
次の瞬間、空気の壁を身を持って知る事となる。
物凄い衝撃と風圧に、左腕を体ごと持って行かれ一瞬意識が飛んだ。
辛うじて、右手はハンドルに掛かったていたが、談合坂PA付近は、緩い左カーブになっている為、操縦不能のバイクは、中央分離帯へ進路を取っていた。
「やばい…衝突かる 死ぬのか…俺」
朦朧とする意識の中、死が頭を過ぎる。
そして、時が静止した様な感覚に襲われる。
「死ぬのか?こんな事なら、実家に帰れば良かった」
父や母、友人に昔の思い出等が、次々と脳裏に浮かんできた。
『これが、走馬灯なのだろうか…?』そう思った時、声がした。
否、そんな気がしただけかも知れない。
「諦めるな!」
聞き覚えのある声だった。
しかし、思い出せない。
今度は幼い私の声がした。
「死にたくない。死にたくない」
幼い私が叫んでいる。
「死にたくない。死にたくない」
幼い私は泣き叫ぶ。
「こんなところで死ねない。俺は生きたい」
生きたいと思う強い意志が、朦朧とする意識を覚醒めさせた。
それと同時に、時がゆっくりと進み始める。
時が止まったと感じたのは、ほんの数秒だろう。
その間にも、中央分離帯は確実に迫っている。
まだ、死のカウントダウンは終わっていなかったが、スローモーションな世界の私は、至って冷静だった。
飛ばされた左手を、ハンドルに引き戻し、アクセルを完全に閉じる。
今度は、しっかりとハンドルを握り締め、敢えて空気の壁に、上半身をぶつけて減速させ、同時に、リアブレーキを半分だけ踏み込む。
フロントブレーキを一瞬だけ強く握り、バイクを左に傾けながら、ギアを素早く二速落とす。
かなり減速したが、中央分離帯を回避するには、まだ足りない。
横目に近づくガードレールを視界に捉えると、中央分離帯はバイクの真横、およそ十センチまで迫っていた。
更にバイクを傾けながら、徐々にアクセルを開け、リヤタイヤをわずかに、右にスライドさせる。
視線を左へ向けると、中央分離帯と並走していたバイクが、徐々に中央分離帯から離れて行くのが判った。
けたたましいエンジン音と同時に、スローモーションな世界が終わりを告げた事で、危機を回避したと確信した。
「良かった。助かった。生きてる」
死の淵からの生還、助かった安堵感からか、体が小刻みに震えている。
あと、一秒でも判断が遅れていたら、助からなかったかも知れないと考えたら、更に手足まで震え始めた。
もう二度と味わいたく無いと、そう強く思う体験だった。
たまたま運が良かったノだろう。
色んなラッキーが重なって、こうして生きている。
喜びを噛み締めながらも、どうやって談合坂のサービスエリアに、戻ろうか考えた結果、逆走は流石に無理と判断して、出口からバイクを押して合流する事にした。
「朔田君、凄いスピードで通過したけど大丈夫だった」
村上が笑いながら話し掛けてきた。
「ははは、実は中央分離帯に衝突しそうになって、死にかけました」
笑っていた村上の顔が、引き攣っていくのが分かった。
湯上と高島には、生きてて良かったと揶揄われ、その様子を近くで見ていた免許を取得して、六ヶ月の北村にも知られ「死ななくて良かったですね」と慰められた。
恥ずかしさからからなのか?それとも別の感情からなのか?出来る事なら、初心者の北村には聞かれたく無かったと思ってしまった。
「穴があったら入りたい」
そんな事を思った気がする。
あの時「諦めるな!」の声がなけば、きっと私はこの世に、いなかったに違いないと今でも思っている。
そんな恐怖の、九死に一生を得た不思議な一日の出来事だった。