第2話 握手会の恋
読者の皆様ごきげんよう。いかがお過ごしだろうか。私はこの王都フルマティにある七番町学園の高等部2年生にしてアイドルグループ“イセカイ☆ベリーキュート”の2期生メンバー、ジャコ・ギブン。今日も私の優雅なアイドル生活についてお話ししたい。
私は私立高校の芸能クラスにいるので芸事の優先が許されているが、それでもやはり普段は高校生として学校に通わなければならない。放課後は週の半分くらいは夜まで仕事。学校が休みの氷曜と光曜、闇曜日はまるまる仕事に当てられる。つまり休日なんてほとんど無いのだ。望んでなったアイドルだが、やはりたまには休みが欲しくなる。今日も遅くまで魔法配信の仕事があって、帰ってきたらすっかり夜が更けていた。
リンコ「なにひとりでぶつぶつ言ってんの」
横からツッ込んできたのはルームメイトのリンコ先輩だ。この寮はシェアハウス型で、寝るだけの二人部屋がいくつかあって大きいリビングルームに繋がっている。普段の生活空間はリビングルームだが、私は一人の方が楽なのでだいたい部屋にいる。食事は寮母のおばちゃんが作ってくれる。
ジャコ「あ、日記書いてて」
リンコ「日記すごい書くじゃんw 明日はヴァンディー市でライブだよ、体力つけといた方がいいよ」
私はこのグループではボーカリストとして扱われており、歌のパートは多いが振り付けは最小限でいいことになっている。歌は得意なのでライブは他のメンバーよりは苦労しないのだが、その後の握手会が憂鬱なのだ。ライブに来てくれたお客さんは物販でシャツやタオルなどのグッズを買うと握手会に参加できることになっており、これが人気メンにも不人気メンにも苦痛なのである。理由については後述する。
ジャコ「体力ですか」
リンコ「そ。だから一緒にこれ食べよ。ミキオPから貰ったんだ」
リンコ先輩がそう言いながら出してきたのはビニールとかいう異世界のつるつるした素材でできた袋だ。
ジャコ「なんですかこれ」
リンコ「確か“ブルボンのガトーレーズン”って言ってたかな」
つまり異世界ニホンのお菓子か。1個1個をこんなに丁寧に包装して、ニホンてのは基本的に過剰包装だな。私はそんなことを思いながら個包装のひとつをつまんで開封し、ひと口齧ってみた。
ジャコ「あっ、美味しい。濃厚な甘みでクリーミーなのに爽やか!」
リンコ「なんだこれ、ブドウの干したやつが入ってる。意外! でも美味しいね!」
ミキオPやヒッシーPがくれるニホンのお菓子には異世界文明の先進性というものをまざまざと見せつけられる。何でもそうだが特にお菓子に顕著だ。こんなにも精魂込めてお菓子を作る文明が他にあるだろうか。いつか私もニホンに行ってお菓子やスイーツを吐くほど食べてみたい。
リンコ「うちら貧乳シスターズは夜中におやつ食って体にお肉付けないとさ!」
ジャコ「ハハハ」
付き合いで笑ってあげたが、あんたはそこそこ乳あるじゃんか。私は胸か背中かわからんレベルだぞ。なめんなよ。
翌日、ライブは無事に終わり、30分間の休憩ののち握手会が行われることとなった。握手会の形式についてはニホンのものをそのまま流用したとのことで、私たちメンバー8人が横に並んでいるところにグッズを買ってくれたファンが歩きながら全員と握手していく流れだ。かつてニホンのレジェンドアイドルである柏木由紀という人が「握手会とは10秒間の公演である」と言ったそうだが、なるほど名言だ。それくらいハイカロリーな仕事なのは間違いない。
まず、ハッキリ言ってメンバーの人気には格差がある。うちのグループで言えば圧倒的にユキノ様、それにカレンが猛追してる感じ。その次がチズルリーダー、コマチパイセン、ちょっと落ちてリンコ先輩、モッチー、もっと落ちて私、ノリって感じだ。下層の方はファン層が分かれていてリンコ先輩は女子一般、モッチーはガチ恋勢、ノリはヤンキー、私には病んでる系女子が推してくれている。つまりファン層が全然カブってない。というとどうなるか、メンバー8人が並ぶ中で私やノリはスルーされることが多いのだ。これが結構メンタルに来る。スルーされないまでも熱量の差は歴然で、推しじゃないメンバーと握手する時は無言で流れ作業のごとくやっていくのに推しの前に立つと急に饒舌になって剥がしに剥がされるまで時間いっぱい話し込む。こんな感じだ。
ファンA「ユキノちゃん、いつも応援してるよ! こないだの配信番組の髪型マジ可愛かった! 今日もスゲー可愛い! おれのこと覚えてくれると嬉しいな!」
ユキノ「あっハイ、ありがとうございます。また来てくださいね〜」
ファンA「また来るね! 絶対来るから顔覚えて!」
剥がし「ハイハイ時間ですよ。次に行って」
次は私の番だ。名残惜しそうに推しメンに手を振るファンに私は手を差し出す。
ジャコ「ありがとうございます」
ファンA「あっ握手は大丈夫です」
…こんな感じだ。推しの手の感触を他のやつの手で上書きされたくないのか全然握手してくれない。剥がしの人も動く挙動すら見せない。心病むよこれは。ノリは元ヤンでメンタル強いからいいだろうけど、私はメンタルくそ弱のナイーヴサブカル女なんだから。
ジャコヲタA「いや〰️ジャコちゃんキタ━━━━━━! ヤバいマジ本物出たマジ推せる私の神私の御本尊死にそう死ぬマジ死ぬ死なないまでも吐く」
ジャコ「あっ、ありがとうございます」
私のヲタはこんなのばっかだ。だいたいみんな地味目の女の子でゴス服を着ていて異様に早口だ。私は推してくれるだけで嬉しいがこんな子たちに推されてる私が他メン推しと噛み合うわけがない。システム自体がおかしい。この熱量で来られると圧が凄くて非常に疲れるのだが、人気メンはこの百倍大変だろう。
メンタルやられながら握手会の苦行を続けていると、珍しく若い男の子がやってきた。私と同年代くらいだろうか。茶髪で清潔感のある服装をしている。アイドルの握手会にこのタイプは珍しいな。
ジャコ「ありがとうございまーす」
私が手を差し出すとオレンジ色のシャツの裾で手をゴシゴシ拭いて顔を赤らめて私の手を握ってきた。可愛い。よく見ると女の子みたいな顔してる。端正。美形。えっなんでこんな美少年がアイドルの握手会にいるの。
美少年「あの…おれ、ジャコちゃんのこと好きで」
ヤバい! 何これ、私の方がドキドキしてる。背は高いのに指が細くて綺麗。私の手を優しく握ってくれる。前髪がサラサラしてる。石鹸のいい匂いがする。ていうか首に掛けてるイセキューのタオル、黒じゃん! 私推しじゃん!
美少年「だから推していいっすか?」
ジャコ「え、あの…お、お願いします」
何を言ってるんだ私。もっと気の利いたこと言えよ。あんな美少年が私推しなの? 信じられない。ていうか私が推したい。
美少年「ありがと。会えて良かった」
くしゃっと笑ってシンプルだけど言われて一番嬉しい言葉を言ってくれる美少年。えっもう行っちゃうの。この手離したくない。もう一周してきてよ、グッズのお金私が出すから! 気持ち的には私が剥がされそうな勢いだったがグッと堪えて手を離した。私のブースを去るまで手を振ってくれる。次の人がやってきたけどもう心はそこにない。あの子なんて名前なんだろう…。
リンコ「お疲れ〜」
握手会が終わり、チズルリーダーが私のぶんのジュースを持ってきてくれた。1刻間(注※地球の2時間)ほどだったがとても心を揺さぶられた握手会で、私は疲れていたがまだ胸がドキドキしていた。
ジャコ「あっあの、凄い美少年いませんでした? 前髪サラサラの」
チズル「いたね〜。あのタイプはうちらの握手会じゃ珍しいね」
ジャコ「なんかありがたいことに私推しみたいで…」
チズル「だね。タオルがジャコ色だったし、わたしには全然食いついてなかったもん」
やっぱりそうなのか。みんなに同じこと言ってるんなら一瞬で冷めたけど、私推しっていうのは本当みたいだ。あんな美少年がこんな病んでる腐れ女のどこを気に入ってくれたんだろ。
ジャコ「…あの、うちのグループって恋愛禁止でしたっけ?!」
チズル「ちょっと、ジャコ、やめときなよ。恋愛禁止ではないけどそういう報道が出たら一気にファン減るよ。グループにも迷惑かかるからやめな」
はやる私を制するリーダー。さすがに冷静だなこの人。まあ私推しの人にはそこまでのガチ恋勢はいないと思うけど。
ジャコ「ですよね。冗談です」
異世界ニホンのアイドル、AKB48にはかつて恋愛禁止というルールがあったと聞く。契約書にきっちり書いてあり破った場合は契約解除とされていたとか。峯岸みなみという人が恋愛スキャンダルを起こした時は丸坊主にして泣きながら動画配信で許しを乞うたらしい。指原莉乃という人に恋愛スキャンダルが発覚した時は遥か遠方に島流しにされ、その地で何年もアイドルをやり続けたとか。アイドルとはそこまで執念を燃やすものなのか。私はその話を聞いたときに全身が戦慄したのを覚えている。
それからの一週間は彼のことばかり考えていた。オレンジ色のシャツを着ていたからオレンジボーイと心の中で呼ぶことにした。記憶が薄れるといけないのでイラストに描いてORANGE BOYと書いたりもしてみたが、あまりにも自分がキモくなって速攻で捨てた。オレンジボーイ、歳はいくつなんだろうか。なんて名前なのかな。次の握手会は来てくれるかな。そんなことを毎日考えていたらとうとう幻覚を見るようになってしまった。放課後帰宅したら寮の入り口にオレンジボーイが立っている。そんな馬鹿な。あのオレンジボーイが寮に押しかけてくるわけがない。さすがに幻覚だろう…しかしよく目を凝らしてみても間違いなく実在するオレンジボーイだ。エントランスの前でメンバーのノリと何か言い合っている。なんでだよ。
ノリ「ここには来んなっつったろ! 他のメンバーもいるんだから!」
オレンジボーイ「母さんが野菜持ってけって言うから…」
??? 状況が呑み込めない。でも彼らの前に飛び出る勇気なんか私にはない。私は隠れて様子を見守った。
ノリ「わかったよ。オカンによろしく言っといて。でももうここには直接来んなよ!」
ノリに強く言われて不満げに退出するオレンジボーイ。私には気付いてないようだ。完全に出ていったのを見計らって私はノリに近付き声をかけた。
ジャコ「ノリ、今のは…」
ノリ「弟だよ。ここには来んなって言っといたから安心しな」
え、オレンジボーイってノリの弟なの?! そっか、じゃああのオレンジ色のシャツは姉の推しTシャツなんだ。そういや顔立ちも少し似ているような…ノリの弟と聞いて恋愛レベルは20%くらい冷めたが、別にメンバーの弟だからって恋愛対象にならないことはない。
ノリ「こないだも握手会来やがったんだぜ! カワイイ彼女がいるくせにアイドルに会いに来やがってさ!」
ガーーーーーーーン。聞きたくなかった…私のアイドル生活の中で唯一の癒やしが…いやあの顔面じゃそりゃ彼女いるよな。そう自分に言い聞かせてみたが何の慰めにもならない。私はもうその場に倒れ込みたかったが堪えて部屋まで戻った。もう腹が立った。オレンジボーイ主人公にして1本BL漫画描いてやる。ざまあみろ。お前なんか私の妄想の餌食じゃ。燃えてきた。一気に描くぞ。
こうして私のほのかな恋は終わりを告げ、どこに発表しようもない新作のBL漫画が完成した。