拾われた幼女
気長に投稿していくつもりです。
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ペテルブルクの冬は寒い。
それが早朝で屋外ならば、なおさらのことだ。
そんな中を出歩く者など、休日となれば滅多にはいなかった。
………ひとりの幼女を除いて。
赤みがかった茶髪に、大きな緑色の目をもつ愛らしい幼女だ。
だが、寒さのせいで手足は真っ赤にかじかんで、体はほとんど痙攣するように震えていた。
無理もないだろう。
幼女は長袖の黒いニット1枚に、薄いズボンしか着ておらず、凍傷寸前だったのだから。
幼女は帽子の代わりに手を頭にやって暖を取ろうとしながら、どこかを目指して歩いていた。
ペテルブルクの、軍基地前の大きな広場である。
あそこなら、軍人たちが早朝から雪かきに勤しんでいるため、少しは寒さをしのげる場所があるかと思ったのだ。
♢
広場につくなり、幼女は絶望した。
そこに、雪かきがされた後であらわになった、凍った地面があったからだ。
これじゃあ、雪の上に座ったほうがまだあたたかいかもしれない。
幼女は鼻をすすった。
それから、諦めてその場を立ち去ろうとした___そのときだった。
「君!そこの茶髪の君!どうしてひとりでいるんだ!」
ひとりの軍人が駆け寄ってきたのだ。
若い軍人は自分の被っていた帽子と外套を幼女に被せてやると、ひどく焦った様子で幼女の手をとった。
「どうして帽子を被っていないんだ!それに、こんな薄着で……お母さんはどこ?どうしてこんな早朝にひとりで出歩いてるの?君、手が氷みたいじゃないか!」
「い、家がなくて、お母さんもいないんです。1コペイカもなくて、帽子も服も買えなくて……ごめんなさい」
怒られているのかと思った幼女は、しどろもどろにそう言った。
若い軍人は幼女が怯えているのを見てとって「ごめん、大きな声を出して」と謝った。
彼は幼女が浮浪児だということも、すでにわかってしまったらしい。
気まずそうにうつむくと、しばらくの沈黙が流れた。
幼女は不安になって、何か話そうとした。そのとき、後ろから怒声にも似た低い声が聞こえてきた。
「なんで帽子を被っていないんだ、馬鹿!脳が凍るんだぞ、わからないのか!それに、軍外套をどこへやった?鼻が真っ赤だぞ!」
そう言って、怒声を発した軍人は、自分の外套を若い軍人に被せてやった。
やっていることは親切なのに、目つきが非常に悪く、常に眉を寄せているせいで、えもいわれぬ威圧感があった。
若い軍人は悪びれたようすもなく、淡々とした声音で言った。
「帽子と軍外套はこの子にあげたんだ。お金が無くて買えないって言うから」
「なんだと?」
そこで、目つきの悪いほうの軍人がはじめて幼女を見た。
あまりの気迫に幼女は足がすくんだが、なんとか持ち直した。
「やあ、マリィシュカ。名前を教えてくれるか?」
「マ、マーシャ」
「はじめまして、マーシャ。俺はコンスタンチン。コースチャとでも呼んでくれ。寒かっただろう。ここじゃなんだから、一旦、近場のカフェにでも行こう。あたたかい飲み物をおごってやる」
目つきの悪い軍人__もといコースチャは、見かけによらず、本当に親切な人だった。
ただ、軍人が幼い子供に「おごってあげるからカフェに行こう」ということの危険さは自覚していないようだ。
マーシャは迷ったものの、この人たちは大丈夫だろうという直感で、コースチャについてカフェに行くことにした。
それに、もし誘拐犯などならば、もっとうまい口を利くだろうし。
「なにをぐずぐずしてるんだ、イワン。置いて行くぞ」
イワンと呼ばれた若い軍人は、でも雪かきが、と迷っているようだった。
雪かきとはいえ、職務を放り出すことへの躊躇があったのだ。
だが、マーシャのことを真っ先に心配していろいろ聞いてしまったのは自分だし、ここでさよならなんて無責任は彼の良心が許さない。
結局、イワンはコースチャたちのあとを走ってついてきた。
♢
カフェに着くと、コースチャはマーシャに橙色の飲み物をおごってくれた。
表面には泡が浮かんでいて、まるでビールのような見た目だとマーシャは疑った。
だが、湯気が出ていてあたたかそうだ。
目の前の誘惑に耐え切れず、マーシャは思い切って、その飲み物をごくりと飲んでみた。
「…甘くてあったかい」
「スビテン、っていう飲み物だよ。知らない?あたたかいだろ?この店のスビテンは甘いんだ」
イワンの説明を聞いているうちにも、マーシャはスビテンを夢中ですすっていた。
蜂蜜の甘い味がする。
あたたかくて甘いスビテンを飲んだことで、マーシャの顔の血色もよくなってきた。
それを見たコースチャとイワンは一安心して、本題にきりだそうとした。
ぐううううううううう。
だが、マーシャのおなかがそれを阻止した。
「おなかがすいたのか」
とコースチャが言うと、マーシャは顔を赤くして頷いた。
イワンはいそいで店員さんにメニューをもらいにいって、マーシャにも見えるようにメニュー表を広げてあげた。
「どれでも好きなものを注文していいからね。遠慮しないで、しっかりとあたたまって、おなかがいっぱいになってから話をしよう」
マーシャはなぜか、はにかみながら、こくこくと頷いていた。
コースチャが「どうした?」と尋ねる。
すると、マーシャは消え入りそうな声で言った。
「…字が……文字が読めないんです…」
イワンはしまったという顔をした。
もちろん、自分の判断ミスや気の遣えなさを責める気持ちもあったが、それ以上に、こんな小さな幼女にこんな顔をさせるなんて、申し訳ないと思った。
呆然と考えこんでいるイワンをちらちら気にしながら、コースチャは白紙になにかを書いているようだった。
「コースチャさん、それ、なに?」
マーシャが紙に興味を示した。
コースチャは無言で席から立ち上がると、イワンを真ん中にはさんで、マーシャに紙を渡した。
紙には、蜂蜜やチョコレートなどが書かれたものや、野菜と肉がたっぷり書かれたもの、それを入れる皿などが、分別されて書かれていた。
不思議そうに、マーシャはコースチャを見る。
コースチャはイワンを仰け反らせて、マーシャの頭を撫でた。
「ここに書いてあるのは、この店のメニューだ、マーシャ。わかるか?こっちの蜂蜜とチョコレートが書いてあるやつは、メドヴィクっていうケーキで…こっちの野菜と肉が書いてある料理はシチーというあたたかい食べ物だ。つまり、原材料が書いてあるんだよ。気になったものを頼むといい」
「うん。…ありがとう、コースチャさん」
マーシャはさっそく、注文をし始めた。
店の娘にも手伝ってもらって、最終的には、シチーとストリーチヌイ、デザートにパスチラを注文することができた。
「まだかな…まだかな…?」
マーシャは小さな声でつぶやきながら、料理が来るのをワクワクしながら待っていた。
しばらくして、娘が料理を運んできた。
娘は料理をていねいに机に置くと、マーシャに向かってウィンクをした。
「お待たせしました。お嬢ちゃん、うちの料理は絶品なのよ。ぜひ、味わって食べて言ってね。」
「ありがとう。匂いだけで、おいしいって分かります。はやく食べたい!」
マーシャはさっそく、料理を食べ始めた。
まずはシチーの肉をスプーンですくって、その次にストリーチヌイをシチーにつけて食べて、ほんとうに味わって食べていた。
早くも主食を食べ終わったマーシャが、パスチラを食べにかかっている間に、イワンはコースチャにいろいろ質問をしていた。
「ねえ、コースチャ。どうやったらお前みたいに、気の利いたことができるかな?さっきからマーシャを助けるどころか、困らせてばっかりだから…自分が情けないんだ」
うつむいたイワンの肩を掴んで、コースチャは顔を顰めた。
硬直する二人の軍人。
コースチャはすぐにイワンの肩から手を離して、イワンと目も合わせずに言った。
「俺は別に気が利くわけじゃない。お前がいろいろ、率先してマーシャに聞いてくれるから、俺がカバーしやすいだけだ、ワーニャ。自分を卑下するのはやめろ、みっともないぞ。」
イワンは、なぐさめられて、はっと顔を上げた。
それからコースチャの肩を掴みかえして、怪訝そうにするコースチャを見て大笑いした。
「コースチャ、いま、僕のことワーニャって言った!はははっ、あはははは!!お前が僕のことをワーニャって?基地のみんなが聞いたら大騒ぎするよ!!」
笑い転げるイワンを見て、コースチャは(なんて恩知らずなやつなんだ)と思った。
だが、怒りや軽蔑はまったくないどころか、彼がいつもの明るさを取り戻したことに安堵してさえいた。
それでも肩に置かれた手はどうにも邪魔で、振り払おうかと力を込めたとき。
「おいしかった!ごちそうさまでした!」
デザートを食べ終わったマーシャが元気よく言った。
イワンが見てみる限り、顔色ももう良いし、おどおどした様子もないから、緊張もほぐれてきているようだ。
よかったね、とイワンが言いかけたとき、コースチャがひとつ咳払いをした。
ふたりが彼の方を向くと、コースチャは真面目な顔で話し始めた。
「さて、マーシャ、君のことだけど。これからどうしたい?希望がすべて叶うわけじゃないが、浮浪児のままというのは避けたいだろう。児童養護施設なんかは……あまり、いい環境ではないし」
「なんだったら、どうしようもない場合、基地に預けられるよう頼んでみるよ。新しいお母さんなんかを探してもいいけど……君はどうしたいかな、マーシャ?ゆっくりでいいから、希望を聞かせて」
マーシャは黙り込んでしまった。
これは、自分の今後の運命を決めるといっても過言ではない、大きな選択だ。
新しいお母さんは、正直、いらない。
こんな大変な時期に、今までルールも作法も習ってこなかった子供なんかを預けられるのはかわいそうだからだ。
かといって、イワンとコースチャがいい人だというのはなんとなくわかったが、軍基地に行くとなると話は別だ。
このご時世、兵士たちはかなり忙しいのではないだろうか。
そんなときに、小さな子供の世話まで任せてしまってもいいのだろうか―――――。
悩みぬいた末、マーシャは遠慮がちに上を向いた。
「…ついていってもいい?ワ―ニャさんたちといっしょに行きたい。」
それを聞いて、ふたりの兵士はほっと息をついた。
実のところ、母親のあてなんて無かったし、営外に出る機会もさほどないので、マーシャのようすを伺うことも難しかったのだ。
イワンはすっかり張り切って、明るい声でマーシャに声をかけた。
「じゃあ、さっそく、班長に相談しに行こう!こっちだよ、マーシャ。基地は…いや、僕らの家はすぐそこだ!」
「うん!早くいこう、ワ―ニャさん!」
「地面が凍ってるから、間違っても走るんじゃないぞ、ふたりとも!」
コースチャの忠告をよそに、ふたりは何度も転びそうになりながら、さっさと基地の中へ入って行ってしまった。
危ないなあと額を抑えて呆れながらも、コースチャもふたりの後を追った。
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