桜並木に誘われて
以前、夏のホラーで書いた、内容が1000~2000文字の短編集の一つとなります。
あんま、推理要素ないんですけど、ご一読お願いします。
一
元治の頃の話である。
さて、江戸の生活用水という物は、西の多摩。今の東京都羽村市から多摩川を新宿区の四谷まで曳き、これにて行っていたのである。
そう、「玉川上水」というやつである。
この玉川上水、何とも面白いのは、水路に沿って、見事な桜の木を植え、春には人々の目を楽しませていたのだ。
一説には、桜の木が水を清浄にするとも、春に満開の桜が咲くと、人々が花見に赴き、地場が固まり、水路の安定を図っていたとか。
話は戻って、元治の頃。ある数百石の旗本の屋敷が、今の四谷辺りに合った。
大層な広さで、庭には桜の木が数本植えてあり、春ともなれば、見事に満開の花弁を見せる。
この何某なる旗本には、妻と娘がいて、ちょうど娘は当時五歳位だった。
二
桃の節句。つまりひな祭りだが、周知の通り、三月三日だ。
そして、これも周知の通り、江戸の時代は陰暦で、三月三日は、今の三月三日では無い。
大体、桜の花が咲き始める三月の後半だ。
この何某の旗本の家でも、娘の為に豪勢な雛人形を飾り、家中は大いに祝った。
そして、雛人形は節句が終ったら、片づけなければならない。
家の女中たちが片付けようとしたが、何とお雛様が無いではないか。
「お雛様は何処に行ってしまったの?」
そう、娘は家中の者共に問うた。
旗本の父親に至っては、家中の誰かが、お雛様を盗み出し、質屋に売ったと疑った。
だが、誰に問うても、お雛様の所在は知らない。
処で、この屋敷の庭の桜の木々は、この年は何故かまだぽつりぽつりとしか、咲いていなかった。
一家は残念に思い、件の玉川上水の桜並木を見に行くことにした。
「お雛様は、お庭の桜が満開じゃなかったから、きっと満開なお外の道に行ったんだよ」
娘がそう言うと、母親は笑い、父親は武家の立場から、その様な奇天烈な話を一蹴したが、一家は玉川上水の桜を愛でに行った。
三
上水に沿って植えられた桜並木に、旗本一家は着いた。
人だかりができている。
だが、彼らは桜を愛でているのではなく、木の枝に置かれていた、「ある物」を指差してガヤガヤと騒いでいる。
お雛様が置かれているではないか!
見上げてもはっきりと判るので、旗本は我が家のお雛様なので、取ってくることを家中の者に頼む。
見事戻り、見た限り損傷はしていない様だ。
一体誰がこんな悪戯をしたのか…、と旗本は訝しる。お雛様に傷がついていないので、流石に怒りまでは出てこない。一安心、と言った風情である。
「だから、言ったでしょ。お雛様は桜を見に行ったって」
そう娘は自分の推理を強く主張するが、父親の旗本は考える。
もし、娘が十を超える歳なら、この様な悪戯をするかもしれないが、まだ五歳だ。
或いは娘が家中の者に、お雛様を上水の桜並木の枝の上に置くように指示したと考え、家中の者全員に問い質したが、皆「その様な事はしていませんし、お嬢様からも頼まれていません」、としか回答を得られなかった。
一件落着ではあるが、何とも薄気味の悪いこの推理は、未だ以って反駁の推論が出ていないそうな。
現在も玉川上水の上流の方は、往時の部分を多く残し、実際に水源としても使われていて、更に春ともなれば水路の両側に植えられた桜が咲きほこるので、ご興味のある方は、当地を訪れ、桜を愛でながら、この奇妙な出来事の推理をするのも一興かもしれない。
了
桜は種類や地域によって、満開になるのが異なりますね。
私の住んでいるところは、(これを投稿時)もうほぼ散っています。
実はもう「夏のホラー」も書き上げています。
テーマが「ラジオ」なので、この短編集には入りませんが。
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