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転生したら神絵師の猫でした

作者: 紫 和春

 その日は、憂鬱になっていた。

 ある男は雨の中、傘も差さずに歩いていた。


「今日もミスでお説教……。残業しても失敗だから残業代は出ないなんて、どんなブラック企業だ……」


 ぶつくさと呟く男は、日頃の疲れからか、意識が朦朧となりながら帰路についていた。

 そして、とある信号を渡る。

 それが全ての原因であった。

 信号は既に赤に変わっていた上、他に歩行者はいなかった。

 そこにやってくる、前方不注意のトラック。

 お互い、気が付いた時には遅かった。

 トラックは急ブレーキをかけ、クラクションを鳴らす。

 男は、トラックに気が付くも、足がすくんで動けなくなっていた。


(あぁ……。俺の人生、こんなところで終わるんだな……)


 走馬灯が流れる前に、男の意識はトラックの衝突と共に消え去った。

 かと思われた。

 次に意識が戻った時には、薄暗い場所のようだった。


(なんだここは?)


 しばらくすると、匂いや音が聞こえてくる。


(なんだ?ものすごく獣臭いし、うるせぇ……)


 目を開けようにも、光を感じる程度にしか分からない。

 それに、本能的な何かが、彼に告げていた。


(腹が減った……)


 モゾモゾ動き回る。すると、何か粘着性のあるブヨッとしたものが、頭から全身にかけてふき取るように接触する。


(うわっ、気持ち悪ぃ……。何なんだこれは?)


 必死に目を開けようにも、まったく開かない。

 それでも、本能的な何かに影響されて、彼はあるものを求めて移動を続ける。


(何か……飲み物でもいいから……)


 そしてある場所にたどり着く。

 それは、おしゃぶりのようであった。

 しかし、彼の考えているようなおしゃぶりではなく、生々しかった。


(でも、止められねぇ……)


 彼は目一杯、それを吸う。すると、そこから少しだけ甘い液体が出てきた。


(あぁ、俺はこれが欲しかったんだな……)


 彼は、そのまま液体を飲む。しかし、ものの数回で液体は出て来なくなった。


(あぁ、もっと欲しいのに……)


 そうして意識を失うように、眠りにつくのであった。

 それから数日ほど経っただろうか。

 いまだに彼は、今の現状を理解しきれていない。

 認識しているのは、ひどい臭みと耳を塞ぎたくなるような雑音。

 最近分かってきた事なのだが、この雑音は動物の鳴き声であることが分かった。

 特に猫の鳴き声である。


(なんで猫の鳴き声なんか聞こえるんだ?)


 彼は混乱していた。

 そこで記憶を掘り返すことにした。

 彼が覚えているのは、トラックに轢かれそうになったこと。

 あのじょうきょうでは、普通助からないだろう。

 だが、奇跡的に生きていた。どうやって助かったのかは分からない。

 しかし現状は、この薄暗く騒音がひどい部屋の中で、まともに目も開けられないような状態になっている。


(結局助かっているのかいないのか分からないな……)


 手足は動いている。顔も動く。しかし目は見えない。


(どうやら植物人間にはなってないようだな)


 それだけなら、まだ希望はある。動けるなら、回復に向かうことが出来るからだ。

 しかし彼は、自分が匍匐前進のようになっていることについて疑問を持っている。


(普通仰向けだよな?なんでうつ伏せになっているんだ?)


 しかし、そちらの方が姿勢的には楽であるから、そうしている。

 それからまた数日が経過した。

 それまでは、とにかく寝て起きて、謎の液体を飲んで、また寝るという生活を繰り返していた。

 しかし、その液体も、日をまたぐにつれ、だんだん出なくなってくる。


(いつか、これも出なくなるのだろうか?)


 そういった不安は沸々と湧いて出てくるようになっていた。

 そういう生活を過ごしているうちに、だんだんと目が開けられるようになってくる。


(よし、目が開けられるようになったぞ)


 その眼で、彼は周囲を見渡す。

 するとそこには、大量のケージが並べられていた。

 しかもそのケージの中には、大量の猫がいるではないか。


(な、何だこれ!?)


 彼は動揺する。

 そしてよく見ると、自分もケージの中にいることに気が付いた。


(おいおいおい、人間扱いしてねーじゃねーか)


 そんなことを思いつつ、ふと視線を落とす。

 すると、自分の手がおかしなことになっていることに気が付く。

 そこには5本の指はなく、灰色の毛に覆われた獣の腕があった。


(は!?人間の手じゃない!?)


 それに気が付いた彼は、周囲を見渡す。

 すると、自分のいるケージのすぐそばに、鏡の破片が落ちている事に気が付く。

 急いで鏡のほうに向かうと、真っ先に自分の顔を確認する。

 そして気が付いてしまった。

 いや、本当は気が付いていたのかもしれないが、結論を出せずにいたのかもしれない。

 そこに映っていたのは、まぎれもなく猫であった。


(ま、まさか、俺って……。猫になってるー!?)

「ニャー!」


 彼は初めて鳴き声を上げる。その声も完全に猫であった。

 その後はただひたすらに、状況確認をすることになる。

 その結果、分かった事があった。

 彼が入れられている場所は、多頭飼育によって崩壊した家であることだ。

 この家の住人らしい人が、このケージが山積みになっている部屋に入ってきては、雑に餌や水を置いていく。

 その時にうるさくしていると、飼い主が怒鳴って暴力を振るってくる。典型的な駄目飼い主のパターンだ。

 また、飼い主の言葉が日本語であることも分かった。


(ここは日本か。となると、これは動物愛護団体が黙っちゃいないな)


 しばらく辛抱していれば、必ず助けが来るはずと考える。

 しかし、その辛抱がいつまで続くのか、それまで耐えきれるのかは定かではない。

 とにかく今は、耐えるしかないのだ。


(その前に腹ごしらえをしよう)


 そういって、猫となった彼を産んでくれた母親の元に行く。

 母乳はほとんど出ていなかったが、ないよりはマシだ。

 彼の他に兄弟と呼べるような存在はいなかったため、母乳は独占出来る。


(こんな所まで競争されたら、俺の神経が持たないぜ)


 そう言って食後の休憩ばりに、惰眠をむさぼるのだった。

 それから数ヶ月が経過した。

 彼の体も少しばかり大きくなってきている。

 それに比例するように、彼はだんだんと動き回りたくなっていた。


(ものすげー運動したい……。しかし、こんな狭い場所で暴れまわるのもなぁ……)


 彼には、人間の時の理性が残っている。そのため、こうして自分を律することが出来た。

 しかしその他の猫は、そのことが出来ないのか、ずっと暴れまわったり、鳴き声を上げ続けていた。

 それに、彼には心配なことがある。


(確かこういう時期に運動とかさせないと、将来骨が弱くなったりするはずなんだよなぁ……)


 人間でもそうであるが、運動をまったくしないという事は、それだけ体が脆弱になるということである。もし、このままの生活を余儀なくされる場合、彼の寿命はそれだけ縮む事になるだろう。


(先に、ここから脱出するほうがいいのか?)


 そんな事を考えながら、彼はケージ内をうろちょろと歩き回る。

 少しでも運動になればと考えたのだ。

 それからさらに数ヶ月が過ぎる。

 彼の体は順調に大きく成長、しているわけではなかった。

 食料不足に運動不足、その他の要因が絡んで、彼はほとんど動かなくなっていた。


(やべー……。このままじゃ俺はまた死んじまう……)


 飼い主は時々やってくるものの、それでもいつまでも酷い対応を取り続けている。

 そんなある日。

 急にケージが置かれている部屋の扉が開いたと思うと、次々と人が入ってくる。

 そして、部屋の惨劇を確認すると、ケージを一つずつ外へ運び出していった。


(これはまさか、動物愛護団体が介入に来たのか?)


 そう思っていると、彼の入っているケージも外に運び出される。

 その時、彼は猫に生まれ変わって初めて日光を浴びる事になった。


(あぁ、太陽の光ってこんなにまぶしかったんだなぁ……)


 そんな事を考えながら、彼は眠りにつくように気絶する。

 次に目が覚めた時には、診察台の上だった。

 体が思うように動かせない。おそらく、麻酔か何かを打たれたのだろう。

 そこでは、彼の事を見つめる獣医がいた。


(俺は、助かったのか……?)


 麻酔の影響なのか、少し覚醒すると、再び眠りにつく。

 また目が覚めると、そこはケージの中だった。しかし、これまでとは異なって、ふかふかの毛布が敷かれ、そばにはドライフードと水が用意されている。


(水……)


 極端に発生した喉の渇きを潤すため、彼は水をチロチロと飲む。

 こうして喉の渇きが解消すると、今度はドライフードにありつく。

 まだ歯が生えそろっていないためか、ドライフードは柔らかくしてあった。

 ありがたい事に、それが今の彼に合っている。彼はドライフードを食べ、猫になって初めての満腹感に浸っていた。


(なんかメシ食ったら眠くなってきたな……)


 そして、そのまま眠りへと落ちていくのであった。

 それから数日後。

 彼が今いる場所について判明した。

 キャットハウス石島。愛護団体によって保護された猫を専門に活動を行う家だ。

 そこの職員が会話しているのを聞いて判明したことである。

 今回の飼い主は、猫を90匹ほど屋内で飼っていたにも関わらず、飼育を放棄していたとして動物愛護法違反の容疑で逮捕されたらしい。

 そのおかげで、彼は命を救われたのだ。

 そんな経緯もあって、特に彼は、生後まもなくの間十分な栄養を取ることが出来てなかったために栄養失調状態であった事、そして現在は引き取り手先を探している事を、職員が話しかけるように説明してくれたのだ。


「どうしてあんな人たちがいるんでしょうねー」


 そう言って、職員はケージの隙間から猫じゃらしを入れてくる。


(まったくだな。人の心がないものなのか……)


 そう思っている彼は、本能に逆らえないのか、猫じゃらしに夢中であったのだった。

 それから数ヶ月が過ぎた。

 猫になって1年が過ぎ、だいぶ体つきも良くなっていった。

 そんなある日の事。

 キャットハウス石島に、一人の男性がやってくる。


(見たこともない人だ。おそらく、里親候補にでもなりに来たのだろう)


 キャットハウス石島では、常時里親を探している。

 現状、ペットとして飼っている人は多いものの、捨てられているというのも一般的だ。

 ペットを捨てることは、動物愛護法違反となる。

 ここキャットハウス石島では、定期的に猫のお披露目会を行っており、今回の男性もその一環で来たのだろう。

 男性は施設の中をグルリと見た後、興味の沸いた猫を触れ合っている。


(ま、俺みたいな素っ気ない猫なんぞに興味を持つ奴なんかいないだろう)


 そんな事を思いつつ、設置されているキャットタワーに登る。

 すると、男性は彼のいる方向に歩み寄ってくる。

 そして彼の事をジーッと見つめてきた。


(おいおい、俺みたいなのでいいのかよ)


 そっぽを向いて、興味なさそうにする。しかし何を興味持ったのか、職員に話しかけた後、彼の事を抱きかかえた。


(俺に興味あるの?やめてくれよ。せめて綺麗なネーチャンの所行かせてくれ)


 彼は、完全無視を決め込んだ。何をされても興味なさそうにしていることにする。

 しかし、何が原因なのか、男性はどうやら彼の事をお気に召したようだ。


「僕、この子にします」

(え?あっさり決めちゃったんだけど?)


 その後はスムーズに展開が進み、結果として施設を出所することになった。


(マジで決まっちゃったよ。どうすんだこれ……)


 ケージに入れられ、帰路につく男性。

 途中、電車に乗って移動していく。目的地は、この男性の自宅だろう。

 そういうと一気に不安が押し寄せてきた。


(俺、猫として上手くやっていけるのかな……)


 そんなこんなで電車を降り、そして住宅街を歩いていく。

 着いた先はどこかのアパートのようだ。


「さ、着いたよー」


 男性が玄関でケージの扉を開ける。

 彼は恐る恐るケージの外に出た。

 そこは、一人暮らしの男性の部屋として紹介しても問題ないくらい、平凡な部屋だ。所々に、猫が使うような既製品が置いてある以外は、と注釈を置いておく。


(前に飼ってた猫が亡くなったから、新しい猫を保護したって所か)


 そんな変な推理をする。


「ここが君の新しいおうちだよー」


 そう男性は言う。

 男性は彼を持ち上げると、満面の笑みを浮かべる。


「そうだ、名前付けてあげないと」

(今更名前?いらないよ。適当に猫ちゃんにしとけって)

「なんて名前がいいかなぁ」


 そう言って男性は、彼を抱えたまま部屋をグルグルする。

 それによって、部屋の中を一望することが出来た。

 男性のメインスペースである机の上には、いくつものパソコンモニターが設置されており、キーボードの前には板が置いてあった。


(何か絵でも書いているんだろうか?)


 そんな事をしているうちに、男性は名前を決めたようだ。


「よし、今日から君はスグルだ!よろしくな、スグル」


 そういって男性は彼、もといスグルを床に下ろす。


(スグルね……。まぁいいんじゃないの?)


 とりあえず、その名前に満足するスグルであった。

 男性の家に来て、早数週間。外はすっかり夏めいている。

 男性の素性については、いくつか分かったことが分かった。

 まず男性はイラストレーターであることだ。名義も把握した。男性はヒイラギというそうだ。

 そして、イラストでそれなりに稼いでいることも分かった。わざわざヒイラギが作業している机によじ登って、メールのやり取りを確認することまでした。どうやら有名どころのソシャゲのイラストを担当していたり、キャラクター原案をやっていたりしているそうだ。

 そして、ヒイラギの部屋には、山のように本が収納されており、イラストの参考書から自身のイラスト本まであった。


(俺とは違う世界に生きてる人間か……)


 そう。かつて社畜であり、生きることに絶望までしていたスグルとは大違いの人間だ。

 そんなヒイラギは、想像しているより平凡な日常を過ごしていた。朝は7時頃に目覚め、昼まで作業。昼食後は日が落ちるまで作業をし、その後はゆったりと自分の時間を過ごしていた。


(イラストレーターって、もっと不規則な生活をしているものじゃないのか)


 社畜であったスグルにとっては、少々衝撃的であった。

 パワハラ上等の職場環境。プライベート無視の仕事。家に帰ってもシャワーを浴びたらすぐに出社。


(今思えば、クソッたれな職場だったな)


 それに比べれば、ヒイラギはなんと人間的な生活をしていることだろう。

 規則正しく生活し、成果に見合った報酬を貰い、そしてそれによって質の高い生活を送っている。

 スグルにとってみれば、手の届かない人間だろう。


(こういうのもうらやましいな……)


 そんな事を考えながら、スグルはキャットタワーの上からヒイラギの様子を眺めているのだった。

 それから数ヶ月。いよいよ秋も深まってくる頃。

 スグルは立派な成猫になっていた。

 それに伴い、動物病院に行く頻度も多くなっていく。

 それは去勢手術を行うためだ。スグルの産まれた家では、適切な去勢手術を行わなかったことが主な原因として、多頭飼育になってしまった。

 それを繰り返さないためには、ペットに対してある程度干渉を行わないといけない。

 それが、飼い主としての心構えというものだろう。

 それはそれとして、スグルは去勢手術をこれから受ける事になる。

 もちろん全身麻酔で手術を受けるのだ。


(そういえば、麻酔受けるのって歯医者に行ったとき以来だな)


 そんな事を考えながら、スグルは麻酔を受ける。

 抵抗なく麻酔を受けると、次に気が付いた時は持ち運び用のケージの中だった。


「スグル君って素直な子ですねー」

「いつもおとなしいんですよ。もうちょっと元気のある猫かと思ってたんですけど」


 そんな会話が聞こえてくる。

 スグルは麻酔の影響なのか、すぐに眠くなり、そのまま寝てしまう。

 次に目が覚めると、スグルはエリザベスカラーを付けた状態でヒイラギの家に帰ってきていた。

 去勢した場所を見ようとしたが、エリザベスカラーのせいで、見ることが出来ない。


(まぁ、そのためのヤツなんだろうけど)


 そういって楽な姿勢を取る。

 その様子を、ヒイラギが心配そうに見てきた。


(たまには猫らしい所見せてやるか)

「……にゃーん」


 ヒイラギに見せつけるように、鳴いてみせる。

 その様子に少し安堵したのか、顔をほころばせた。


(安直だな、こいつ)


 少し心配になりそうな程に、猫に対して無防備なヒイラギであった。

 その後も動物病院に通いつつ、去勢後のケアを行う。

 大体2週間もすれば、去勢は完了だ。

 そのほか、ワクチンの接種など、飼育するうえで終わってない事をすれば、大方完了である。


「これで終わりだな、スグル」


 ヒイラギは嬉しそうに、スグルを持ち上げる。


(そうだな。俺もしばらく病院は勘弁だ)

「にゃーお」


 適当に返事を返しておくスグルであった。

 やがて季節は、秋から冬へと移り変わっていく。

 ヒイラギのいる部屋は、スグルがいる影響か、1日中エアコンが動いている。

 そのため、スグルは快適に過ごすことが出来るのだ。


「そろそろ寒くなってきたねー」


 そういって、スグルの匂いを嗅ぐ。


(猫を吸うって表現があったのは聞いていたが、こうも体験すしてみると変な気分だな)

「はぁー……。落ち着くー……」


 寒くなってきたのか、最近は触れ合う機会が多くなってきた。

 これも、ヒイラギのコミュニケーションというものなのだろう。

 ヒイラギがスグルの事を撫で終わると、自分の仕事に入る。

 その時、スグルはなんとなくヒイラギの仕事の様子を見てみたいと思った。

 そこで、ひょいと作業机に登る。


「おっ?どうしたスグル?作業の邪魔しに来たのか?」

(そうじゃねーっての)

「にゃー」


 適当に返事を返しておく。

 そのまま、板タブの上をうろちょろして、ヒイラギの作業の様子を見る。

 ヒイラギの絵は、商業用のイラストを中心に書いているようだ。

 メールの送受信を確認すると、大手出版社から声がかかっているようである。

 その他、秋葉原で展覧会を開催していたりと、どうやらヒイラギは神絵師と呼べる存在とも言えるだろう。


(しかし若いな。一体何歳なんだ?)


 そう、確実に前世のスグルより若い。20代前半だろうか。

 この歳ならば、まだまだ成長するだろう。


(まだまだ夢の途中ってことか……)

「どうしたスグル?構ってほしいのか?」


 ヒイラギはにやけながら、猫じゃらしをスグルの前に持ってくる。


(しかし、こうおもちゃを持って来られると、逆らえないんだよなぁ……。これも本能の一つか)


 そんな事を思いながら、スグルは猫じゃらしに夢中になっているのであった。

 しばらく机の上で遊んでいると、メールを受信する音が聞こえる。


「お、飯塚出版さんからのメールだ」


 ヒイラギはスグルを床に降ろし、仕事モードに切り替わる。

 スグルは、その作業を間近で見たいと思い、また机の上にひょいと登った。


「スグル、今お仕事してるから邪魔しちゃダメだよー」


 ヒイラギはそんな注意をしつつも、キッチリメールを返している。


(俺は最初から邪魔する気はないよ)

「にゃー」


 そんな事を示すために、返事を返す。

 その様子を見て、ヒイラギは小さい籠を机の上に置く。

 それを見たスグルは、無性にその籠に入りたくなった。


(これも本能って奴か?我慢出来ん!)


 そういって、籠の中に入る。

 なんとも言えない幸福感が、スグルに襲い掛かってきた。


「やっぱり、この作戦は有効なんだな。チュイッター有能だな」

(おっと?これはハメられたな?)


 そんな事を思いつつも、そのまま眠くなってしまい、最終的には寝たスグルであった。

 季節は流れ、冬真っ盛りである。外は雪が降り、寒さを強調していた。

 そんな中、スグルはいつものように、キャットタワーでくつろいでいる。

 その時、スマホを持ったヒイラギが近づいてきた。


(なんだ?シャッターチャンスでも狙おうとしているのか?)


 そんな事を思いつつ、姿勢を崩さないスグル。

 その時、ヒイラギがスグルの背中を撫で始める。

 その撫で方は、なんだか落ち着きくことが出来るような、優しい撫で方だった。


(あぁー……。そこ気持ちいいなぁ……)


 そんな事を考えつつ、その身に任せて体をくねらせる。

 しばらくそんな事をしていると、撫でる場所が背中から腹に変わってくる。

 そしてそのまま数分が経過した。

 急にヒイラギがなでるのをやめる。


(え、急にやめた?どうしたん?)


 そう思って、ふいとそちらを向く。

 しかし、ヒイラギはその様子をスマホを見てニヤニヤしていた。


(なんだその顔?ニヤニヤしよってからに……)


 そういって、自分の体をなめる。

 それからしばらくして、ヒイラギの様子が少し変だ。

 スグルは、その様子を見て不思議に思い、机に登る。


「おっ、スグル。これ見てくれよ。お前の動画バズってるぜ」


 そう言われてチュイッターの反応を見ていると、かなりの反応を貰っているようだ。


(わざわざ俺の反応をチュイッターに乗せたのか……。しかし、こりゃ相当バズってるな)


 現在も拡散されているようで、その数は5万いいねを超えようとしている。


「いやぁー、やっぱ猫は可愛いからなぁ。いい感じに可愛い所を抑えたからなぁ」


 そういってニマニマしている。


(俺がそんなに可愛いか?鏡で見たこと一回しかないんだけど、そこまでじゃなかったぞ?)


 しかし、現状でこの動画がバズっているのは事実であるため、その可愛さは折り紙付きだろう。


(しかし猫動画って伸びるんだなぁ)


 そういや生前のスグルも、猫動画が流れてくれば、少しだけ和んだ記憶があるのは間違いない。

 そういった意味では、猫動画は人間にとって必要な何かを取り込める方法の一つなのだろう。

 その後も、さまざまな動画を撮影していく。

 そして、それを投稿すれば反応をスグルに見せる。

 その度に、猫動画はバズっているのだった。


「いやぁ、こうしてスグルの可愛さが世界に広まっていくのはいいもんだなぁ」


 そういって顔面が崩壊するほどニヤニヤしている。

 それだけ自分の猫が素晴らしい事を物語っているのだろう。


(まったく、猫好きはこういう所があるんだな)

「にゃーん」


 そのような偏見をヒイラギに向ける。

 しかし、それが愛であるというのも、また事実だろう。

 その後もヒイラギは、適度にスグルの動画をチュイッターにアップして、猫作家として有名になっていくのであった。

 季節は流れ、冬が終わろうとしている。

 そんなある日、ヒイラギの元にある段ボールが届く。


「やっと来たか。これを待ってたんだよなぁ」


 そういって、ヒイラギは喜々として段ボールを開ける。

 その中に入っていたのは、猫缶であった。


(新しいメシか?メシで釣られる程甘くはないぜ)

「なぁーん」


 そういって、少し笑うように鳴く。

 しかし、そんなことに気が付かず、ヒイラギは昼食の準備をする。

 そして、スグルの目の前に、猫缶の中身が入ったエサ入れが置かれた。

 そこから放たれる香りは、スグルの鼻孔をくすぐる。


(なんだこの香りは……。ものすごく食欲をそそられる……)


 その香りに負けて、スグルはエサ入れに近づく。

 そして、その香りを嗅ぐと、食欲が抑えられなかった。

 一口食べる。ほのかな甘みと旨味、そしてわずかに感じる塩味。ツナの食感と香りが突き抜けていく。


(美味い……)


 それが分かった後は、もう止まることを知らない。

 スグルは、夢中になって猫缶を食らう。

 ものの数分で、空っぽにした。


「スグルー。美味かったか?」

(そうだな。確かに美味かった)

「なぁん」


 珍しく、スグルは返事をしてみせた。


「そうかー美味かったかー。高かったんだぞー」


 どうやら、これは高級品のようだった。

 しかしたまにはこんな食事も悪くないだろう。

 その日からは、数日に一回程度、この猫缶が出るようになった。

 それに反比例するように、ヒイラギの食事はカップラーメンや即席で作れるようなものになっていた。


(まさかヒイラギの野郎、俺の飯代が高くついたから、自分の食事を抑えようって考えているのか?)

「にゃーん……」


 スグルはヒイラギの事を心配して、ヒイラギの膝に登る。


「なんだスグルー?ごはんならあげないぞ?」

(お前の心配をしているんだ。察しろ)


 そのまま、スグルはヒイラギの膝の上で丸くなる。

 スグルはこの時初めて、なんとなくヒイラギと心を通わせることができたように思えた。

 それから、いくつもの季節が流れる。

 その間も、ヒイラギとスグルの関係は続いていた。

 月日が過ぎれば、なんとなく家族同然のようにも思えてくる。

 そんなある日の事。

 ヒイラギは30代に突入し、いよいよ今後の事を考えないといけない歳になってきた。

 そのためヒイラギは、真面目な顔をしてパソコンに向き合っていたのだ。


(一体何を見ているのだか……)


 興味本位で、机に飛び移ると、そのまま画面を覗き込む。

 するとそこには、婚活に関連するサイトが開かれていた。


(ヒイラギも結婚を意識する歳か。俺は相手なんていなかったからなぁ。こういう環境を作れるのは正直うらやましいぜ)


 そんな事を思いつつ、スグルはケージの中に戻っていくのであった。

 いくらか時間が経過したある日。

 ヒイラギの様子が少し変である。


(なんていうか、ウキウキしているんだか、オロオロしているんだか分からない感じだな)


そんなヒイラギを心配して、スグルは彼の足元にすり寄る。


「なぁん」

「……スグル。お前だったら、こういう時どうするんだろうな」

(一体何の話だ?)


 すると、玄関のインターホンが鳴る。

 ヒイラギが慌てて玄関の方へ向かう。

 そして戻ってきたときには、一人の女性を伴っていた。


(お、お前誰や……?)


 思わず真顔になって、その女性を見つめるスグル。

 女性は、スグルの事を見つけると、スグルの方に寄ってきた。


「この子が言ってたスグル君?可愛いね」

(ちょ、急に来るな!)


 思わずスグルはキャットタワーに引きこもる。


「嫌われちゃったかな……?」

「大丈夫だよ。そのうち慣れてくれるさ」


 そう言ってヒイラギと女性はリビングで世間話をする。


(……あの女、一体ヒイラギの何なんだ?)


 スグルは考えを張り巡らせる。

 そして、一つの答えを得た。


(まさか、彼女じゃないだろうな!?)


 しかし、そう考えると、ヒイラギの行動には説明がつく。

 ヒイラギにとって初めての女性。先日も婚活サイトを覗いていた。

 となると、そこでマッチングした結婚相手となるだろう。


(はぁ、最近の若者はそんな所まで進んでいるんだなぁ……)


 そういって、一つあくびをして寝に入ったスグルであった。

 それから数年後。

 結局、ヒイラギはその女性と結婚する事になった。

 スグルとしては、同居人が増えるだけで、これまでの生活とは特段変わりはない。

 ヒイラギはイラストレーターとして収入を得て、妻がそれを支える。


(よく見られる一般家庭そのものじゃないか)


 キャットタワーの上から、ヒイラギたちの生活の様子を眺めえているスグルであった。

 それからまた数年が経つ。

 ヒイラギの妻は妊娠し、そして子供が産まれる。

 子供はすくすくと成長し、ハイハイをするようになった。

 スグルはそれを、机の上や椅子の上から眺める。


(子供の成長は早いってよく聞くしな。こうやって見守ってるのも悪くないだろう)


 たまには、自分が先に住んでいる事を示すように、子供に対して優位に立つような事もする。しかし基本的には、その成長を見守る事を重視していた。

 子供が一人で立てるようになると、その活動量も活発になる。

 時にはスグルのことを追いかけまわしたりすることもあった。

 そんな時には、スグルは子供の安全を確保しながら、遊びに付き合ってやるのだった。

 子供が幼稚園に入る頃から、スグルの体調面に問題が発生し始める。

 ヒイラギが動物病院に連れていくと、腎不全と診断された。


(俺ももう歳か。そりゃ十数年生きたんだ。猫にとっては長いほうだろ)


 そのことが発覚してからは、だんだんとスグルの運動量は減っていった。

 ケージから出ることも無くなってきて、例え出たとしても、窓際で日向ぼっこをしているくらいしかやることがなくなった。


(自分の事は自分がよく分かっている、なんて聞くが、そんなのは迷信に過ぎないんだな)


 定期的な通院で、スグルの症状は、だんだんと悪くなっていく一方であった。

 それに伴い、運動量や食事の量が減り、体は細くなっていく。

 子供が小学校に上がる時には、既に寝たきりの状態であった。

 既に老体になっており、おむつを履かれるようになる。


「ねぇお父さん、スグルの元気ないよ?」

「スグルはね、お前が産まれてくる前から家にいるんだ。もうおじいちゃんなんだよ」


 そんな親子の会話も聞こえてくる。


(そうだな。俺はもうここまでのようだ。2度目の人生……、いや、猫の一生は、案外悪くなかったな)


 人間の頃の記憶はとうの昔に忘れ、猫としての記憶が強く残っている。

 思えば、産まれたばかりの頃は大変な時だった。多頭飼育によって崩壊した家に産まれてしまったのだから。

 しかし、その後の生活はどうか。神絵師の猫として飼われ、充実した日々を送っていたことだろう。


(俺が死んでも、また猫を飼えばいい。俺は彼らの幸せを望むだけだ)


 スグルの意識が次第に遠くなる。

 スグルは悟った。ここが限界であると。


(最後に、別れの挨拶でもしておくか……)

「にゃあん……」


 こうして、十数年に及ぶ、彼の猫としての一生は幕を閉じるのであった。

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