(7/14)第7夜 見える人
私の友人Оが言うには「見える」といわれる人には3種類いるそうだ。
一つはすぐに連想するであろう「幽霊が見える」という人だ。死んだ人間の残滓、人の死後の姿が見えるというタイプだ。
これも割と聞くかもしれないが「死期が見える」という人だ。死相が見えるぞ、というやつだ。死期が近い人間を見分けることができるというタイプだ。
「死の瞬間が見える」という人だ。これは見える、というより見てしまうと言った方がいいだろう。死体を見てしまったり人の死に居合わせる、そういうタイプだ。
それらの説明をした友人Оはその三つすべてに当てはまる珍しい人間だ。彼曰く元々は「幽霊が見える」だけの人間だったそうであとの二つは後天的に身に着けた、というか獲得してしまった性質らしい。
友人Оは子どもの頃から幽霊が見えていて生者と死者の区別もついていなかったそうだ。そのせいで気味悪がられて避けられ、小さい頃はほとんど友達もおらず、幽霊とばかり遊んでいたそうだ。
友人Оが最初に人の死期を見たのは祖父だったそうだ。見たときはそれが何かわからなかったそうで何度か体験することではじめてわかったそうだ。友人Оは死期が近い人にあるものが見えるそうだ。死神のようなものだそうで人によってその見え方が違うそうだ。
死期が近い人間が見えるようになった頃には彼も死者と生者の区別がつくようになり、このままじゃやばいとなんとなくわかったそうだ。親も友人Оが異質であるとわかっていたそうで相談するとすぐに有名な神社に連れて行ってくれたそうだ。そこで神主に友人Оに死に近づきすぎていると言われたそうだ。人の死期が見えるようになったのはそのせいで死者との関りを断つように言われ、一通りのお祓いを受けてお守りをもらったそうだ。
それから友人Оは霊を見ても見ないふりをするように努めたそうだが死期の近い人間を見ると気分は悪くなった。それでも無視することに努めて高校生のときには生者の友人を多く持って遊んでいたそうで死者と関わることはほとんどなくなったそうでそのまま無事に終わる、なんてことはならなかったらしい。
そのきっかけはというのは肝試しだったそうだ。普段ならそういった場所の誘いは断っていたそうだが友人との人間関係上どうしても断り切れなかったそうだ。
肝試し会場となったのは有名な廃病院で出るという噂だったし友人Оはその廃病院を見ただけでここはいるな、とわかったそうだ。どうにか危険な場所を避けるよう誘導してもそういうことは起こるそうで一緒に行った友達が憑かれたりして大変だったそうだが解決することができたそうだ。
ただその所為で霊的問題の相談が持ち込まれるようになったそうだ。それによってまた霊と関わるようになり、今では人の死に目に遭うようになってしまったらしい。
さて皆さまも死者との関り方は考えた方がいいだろう。見たくないものを見ることになりたくないのならね。
友人Оはそういう話を多く知っているそうなのでまた登場してもらうかもしれない。それではまた次回。
次回の投稿は7/15 00:00となります