(7/19)第12夜 おじさんの時計
諸君は「大きな古時計」という曲をご存じだろうか。ヘンリー・クレイ・ワークが生み出したアメリカ生まれの曲で日本でもほとんどの者が知っているであろう有名な曲だ。
この歌詞の中でおじいさんが死に時計が止まるという描写がある。この歌詞はとある実話をもとに書かれたそうだが私の知人からそれに近い話を聞いたので今回はその話をしようと思う。
Aさんの父は早くに亡くなり母と二人暮らしだそうで母は仕事で忙しくてほとんど家を開けていたそうだ。
そんなAさんの面倒をよく見てくれたのが父方の叔父さんだったそうで小さい頃は一緒に遊んでくれたり夕飯を作ってくれたりとかなりお世話になったそうだ。
その叔父さんの訃報を聞いたのはAさんが高校生になったばかりの頃だったそうでその葬儀に忙しい母の代わりに出席したそうだ。そこで久しぶりに祖父母に会い、いろいろと叔父さんの話を聞いたそうだ。どうやら叔父さんは車に轢かれそうになった子どもを助けようとしてそのまま亡くなってしまったようでそれを聞いたAさんは叔父さんらしいと思ったそうだ。
しかし、叔父さんについていい話ばかりではなく、叔父さんは定職に就かずにふらふらとした生活をしていたそうでAさんの面倒を見れたのはそういう理由があったそうで母がここに来たがらなかった理由を何となくわかったそうだ。
告別式が終わり、Aさんがまだ高校生だからとそこで帰してもらうことになったそうで帰宅の準備をしていると祖父に声をかけられ、叔父の遺品を渡されたそうだ。それはAさんが昔からよく見ていた叔父さん愛用の懐中時計だった。しかしそれは針が止まっていてゼンマイを回しても動かなかったそうだ。
祖父は昔その時計をAさんが欲しがっていたのを覚えていたそうで、叔父さんもその方が喜ぶのではということで棺桶に入れるのはやめたそうだ。Aさんも叔父さんのことは好きだったので使うかはともかく形見として受け取ることにいたそうだ。
Aさんはどうせならと帰りに時計屋に行って懐中時計を直してもらったそうだが次の日には時計はまた止まってしまったそうで、何度直しても決まった時間に止まってしまうそうだ。なので直すのは諦めてお守り代わりにしばらく持ち歩いていたそうだ。
そんなある夜ふと目が覚めてしまったそうで時間が気になって時計に目を向けたがその時計は止まっていたそうだ。仕方なくスマホで確認しようと枕元を探したが見つからない。そこでふと異変に気づいたそうだ。時計が止まっているのにAさんの耳には秒針が刻を刻む音が聞こえていたそうで、気づけば枕元に叔父さんの懐中時計が置かており、壊れていたはずの懐中時計が動いていたそうだ。
それを理解した瞬間急に体が重くなって動かせなくなり、それと同時に部屋の中に気配を感じたそうだ。その気配はAさんの眠るベットの横にあってじっと見下ろされているふうにかんじたそうだ。
「~~~~~~~~~~」
ぼそぼそ、ぼそぼそ、と何かをささやいているように感じたが全く聞き取れなかったらしい。そうしていつの間に意識を失っていたのか気づいたら朝になっており、枕元には懐中時計ではなくちゃんとスマホがあり、止まっていた時計もちゃんと動いていたそうだ。かばんにしまっていた懐中時計を確認して見たが止まったままだった。
その日からAさんは何度も同じような目に遭ったそうでベッドの横に立っているのは叔父さんだとなんとなくわかったそうだ。そして遭うたびに囁きごえが鮮明になっている気がするそうだ。
そしてそれから1か月ほどしてやっとその声を聞き取れたそうだがAさんは叔父さんが何を言ってるのか知らない方がよかったそうだ。
「そのとけいはおれのだ」
Aさんは祖父に事情を話して懐中時計を返したそうでそれからは叔父さんが枕元に立つことは亡くなったそうだ。
その懐中時計は元々は叔父さんの祖父、Aさんの曾祖父の物だったそうで叔父さんはとても懐いていたそうでそれだけ執着が強かったということらしい。
ちなみに時計の止まっていた時間は叔父さんが亡くなった時間、だけではなく曾祖父が亡くなった時間とも一緒だったそう。
それでは今日はここまでとしよう。それではまた。
次回の投稿は7/20 00:00 となります。