運
今年の健康診断で、運が悪く再検査という結果を出されてしまった。
再検査という文字は、産まれてから今まで自分とは縁の無いものだったので、最初にその3文字を目にした時は大層驚き、心臓に要らない負荷がかかってしまった。
運は悪ければ最悪死に至る。テレビや本で何度も聞いた言葉が不安を煽り、運を悪くして死んでいった有名人達の顔が浮かんで未来の自分と重なってしまう。
こうなったらいてもたってもいられない。私は次の休日に再検査を受けに近くの運科の病院に駆け込んだ。
受付で予約した事と名前を告げると、問診票を手渡され、愛想のいい笑顔でしばらく待つように言われた。私は待合室のソファーに腰を下ろし、問診票を書き始める。
問一
今日はどうされましたか?
検査の項目にチェックを入れる。
問二
最近不幸事は起こりましたか?
事故病気もしておらず、嘆くようなことも無かった。身内に不幸も無し。いいえの項目にチェックを入れる。
問三
運科は初めてですか?
はいの項目にチェックを入れる。
問四
今行っている祈祷などはありますか?
運科に来る事すら初めての私だ。そういった情報には疎い方だし、あまり興味もない。いいえだ。
問五
呪われたことがありますか?もしくは先祖に罪人はいますか?
勿論いいえだ。優しい人だと良く言われるし、先祖については詳しくないが、悪人がいたという話を聞いたことはない。
問六
当院を知ったきっかけに○を付けてください
自宅から近いに丸をつけた。
書き終えた問診票を受け付けに渡し、同じ場所に腰を下ろす。運科に来るのが初めてで、物珍しさで周りを鑑賞してみる。私以外に客はおらず、内装は一見よくある病院だ。内科や歯医者などと大差は見当たらない。違いと言えばポスターやチラシくらいだ。『運も体の一部』その言葉を売り文句にしているのは、定期的な運の診断を促すチラシ。『危ないよ 運が悪いと ボロボロだ』俳句と一緒に色々な不幸にあってボロボロになっている人が描かれたポスターもある。おそらく小学生が描いたものだろう。運気が上がる方法が描かれたポスター、偽開運グッズにご用心と書かれたチラシ。流石運科、運の事ばかりである。
一通り観察を終えると同時に、診察室から看護師が顔を出し、私の名前を呼んだ。他に客がいない分早いな。そんなに混まない時間帯なのだろうかと思いながら、診察室へと入って行った。
診察室の中も内科と大差はなく、診察台に、先生が使う机の上にはカルテ、先生の後ろには笑顔を絶やさない看護師が1人、椅子の上には運科の先生が座っていた。
「はいどうぞー座ってください」
恵比寿顔で縁起の良さそうな先生が患者用の椅子に座るよう勧めてくる。それに従って椅子に座ると、いよいよ診察が始まった。
「えーっと、今日は再検査で来て頂いてるんですねぇ。それじゃあまずは、水晶とから見ていきましょうか」
先生がそう言うと、先生の後ろに居た看護師がテレビで見るような水晶玉と紫の置物用座布団を持ってきた。先生の前にまずは座布団、その上に水晶玉を置くと、先生は水晶玉に両手をかざし、眉間にシワを寄せ、じっと水晶玉を見つめ出した。完璧に本に描かれるような占い師の姿である。
「あー確かにちょっと悪い未来が見えちゃってるねぇ。じゃあ次は手相も見ておきましょう」
机の引き出しの中から虫眼鏡を取り出し、私の手のひらを見始める先生。少し緊張して手汗が滲んでしまう。
「んー手相もあんまり良くないねぇ。一応御籤もやっときましょうか」
今度は神社で見る御籤の箱と御籤の束を看護師が抱えてやって来て、私に御籤の箱を手渡した。因みにこの御籤の箱はみくじ筒と言うらしい。
私はみくじ筒を振ってみた。ガラガラと音が診察室に響き、1本の棒が穴から出てきた。
「36番です」
棒に書かれている番号を読み上げると「36番ですね」と看護師が復唱し、束の中から同じ番号を探し出して先生に手渡した。
「あららぁ、末吉ですね。やぁっぱり良くないねぇ」
先生の言葉に私は小さく「はあ」とだけ返事をした。3度連続であまり良くない結果を出されると、自分の運が悪くなっているのだなとしみじみ実感させられてしまう。
「ご存知だと思いますけど、運を悪いまま放置しちゃうと最悪の場合、死に至るんですね。ですので、運を回復させる為のお薬を1週間分処方するので様子を見てください。あと、運を回復させる為に祈祷を行っておきましょうか。祈祷室へどうぞ」
私は聞き慣れぬ祈祷室とやらに移動しようと席を立つと、看護師が私の前にサッと立ち「こちらです」とドアを開け案内をしてくれた。
看護師に誘導され、隣の祈祷室と書かれた部屋へ入ると、中は十字架やお経の書かれた紙、有名所から見知らぬ神様の絵、仏像、見たことの無い民族工芸品などが飾られていた。
「ここにおかけ下さい」
部屋の中心にはパイプ椅子がドアに背を向ける形で置いてあり、看護師に促されるまま腰をかけた。
「当院の祈祷は様々な宗派を取り入れたミックス祈祷となります。ですのでどのような宗派に属されていましても、安心して祈りを捧げて頂けますのでね。祈祷の最中は効果があると心から信じ、運の回復を祈られてください。もう少しで始まりますので、このまま掛けてお待ちくださいね」
説明を終えた看護師はにっこりと笑って、私を残して部屋を出ていってしまった。
しかし、いくら縁起が良いと言えど、様々な神に囲まれると不気味で威圧感を感じる。そわそわと落ち着かない様子で祈祷が始まるのを待っていると、背後からドアの開く音が聞こえた。
先生が入って来たんだなと悟った瞬間、部屋の照明が落とされ、私は突如暗闇に包まれてしまったのだ。
何事かと思い辺りを見渡すと、背後にぼぅっと5つの火の玉が浮かんでいるのが目に飛び込んできた。
「ひぃっ」
私は小さい悲鳴をあげてしまう。
火の玉はそこに留まらず、1列に列をなして私に近寄り、私から歩幅1歩分程距離を開けて、円になり、ゆらゆらと揺らめき始めた。
火の玉に囲まれてから正体を突き止めることができた。蝋燭を持った先生と、受け付けにいた看護師、診察室にいた看護師、その他の看護師2名の計4名の看護師だった。
私の前に立っている先生は一礼すると、相変わらずの恵比寿顔でゆっくりと話し始める。
「それでは、祈祷を始めさせて頂きます。祈祷の最中は席を立たぬようお願いします」
口を閉じた後にもう一度ゆっくり私に向かって一礼すると、今まで見せていた恵比寿顔とは全く真逆の般若のような顔で「キエエェェェエエエ!!!」と奇声をあげた。
今度は悲鳴すら出なかった。暗闇の中蝋燭に照らされた先生の般若顔と、耳をつんざく奇声に心臓が縮あがり、これまでの人生で観てきた恐怖体験の番組の内容が走馬燈のように駆け巡った。人間本気で怖いと声が出ないのは仕方の無いという事を、今この瞬間身をもって体験している。
恐怖と驚きに震える私を気にすること無く、先生の奇声で祈祷は始まりを迎えた。
先生と4人の看護師は般若の形相で私の周りをぐるぐると円を描いて時計回りに行進しだす。腕を上げたり下げたり、お経を唱え始めたかと思うと賛美歌に切り替わったり、息のあった舞を披露した次は、ハチャメチャな何処かの民族の舞踊のようなものを披露したり。
『カオス』この1文字が私の頭に浮かんで消えることは無かった。今までの人生の中で1番混沌とした時間だ。この経験を人に話したら果たして信じてもらえるのだろうか。
祈祷が開始して時計では5分、体感的には30分くらいが経った頃、カオスの輪は息を切らしながら動きを止めた。
「以上で、はぁ、祈祷は終了になります……。待合室でしばらく、お待ちください」
先生がそう私に指示すると部屋の電気が付けられ、診察室にいた看護師が恵比寿顔でドアを開けて待っていてくれていた。
私は言われるがまま未だ理解が追い付いていない頭で、5つの恵比寿顔に見守られながら祈祷室を出る。出た先には普通の病院の景色が広がっていて、私はようやく夢から覚めたかのように頭がハッキリとしだした。待合室のソファーに腰を降ろして一息した瞬間、祈祷の最中は祈りを捧げるよう看護師に言われていた事を今思い出してしまった。そのせいでさっきの時間は無駄になったりしないだろうかと心配していると、受け付けから名前を呼ばれ、返事をしてソファーから立ち上がった。
受け付けのカウンターの上には処方される薬が並べられていた。受け付けの看護師がそれの説明を始める。
「ええっと、まずはこちら清めの塩となります。1日1回、体に振りかけてください。で、こちらが聖水ですね。毎食時キャップ1杯分飲むか食べ物にかけてください。どちらも1週間となっております」
清めの塩は半透明の小さな袋に1回分ずつ分けられていて、聖水はメモリが着いているプラスチックの容器に入っていた。パッと見、粉薬とシロップ剤に見える。
「で、最後に台詞となります。何か不幸事があった際には肩を落として『とほほ〜』と言ってください」
「と、とほほ?」
「そうです、とほほ〜です。嫌な気分を和らげ、気持ちを軽くする効果があります。こちら道具の説明書になります」
説明書には確かに『とほほ〜』の説明が書かれた欄があった。ここまで来て思ったが、運科と言う所は変わった場所なのだな。まさか台詞まで処方されるとは、凄い時代が来たもんだ。
「それでは、今回の料金は1万75円になります」
私が心の中で運科と時代に関心をしていると、看護師が衝撃の言葉を放った。
「え? 1万……?」
「はい。1万75円です」
何かの間違いかと思ったが、差し出された領収書には検査費やら初診料やら道具費やらで確かに1万75円と書かれていた。客が少ないのにも納得してしまった。これだけ高いと気軽に来れる場所でもない。運科は富裕層だけが容易に来られる場所なのか、勉強になったな。と肩を落として財布から1万円と75円を取り出した。もうこの時点でとほほ〜と言いたい気分だった。
翌日、会社の同僚と社員食堂で昼食をとっていた時、私は処方された聖水を飲もうと鞄の中から取り出し、机の上に置くと、同僚が興味を示し私に問いかけてきた。
「なあ、それ何?」
「ああこれ? 俺健康診断で運悪かったって言ったじゃん? だから昨日再検査して来たんだ。その時処方して貰った聖水」
「はぁ? 聖水? 病院で聖水なんて貰えないでしょ。協会行かないと」
同僚の言葉に私は嫌な予感がして、顔を引き攣らせながら言葉の真意を聞いた。
「え? そうなの?」
「当たり前じゃん。運科なんてちょっと占いして貰って、必要だったら神社か協会か紹介してくれる場所だろ」
「嘘、清めの塩も貰ったしなんなら祈祷もして貰ったんだけど……」
「はあ!? マジで!? 病院で祈祷したの!? 何それ超おもしれえじゃん!」
同僚は何人か振り返る程の大声を出して、腹を抱えて笑いだした。私は彼とは真逆にどんどん顔を引き攣らせていく。
「因みにどんなだったの? 祈祷」
「なんか、どんな宗派でも大丈夫なミックス祈祷とか言ってた……。十字架とかお経とか色んな神様が描かれた絵とかが飾ってある部屋で、蝋燭持った先生と看護師に周りをぐるぐる回られながら、お経と賛美歌聞かされて、謎の舞を見せられた」
「めちゃくちゃじゃん! そんなの有り得ねえだろ! 大丈夫どころか罰当たりだわ! めっちゃ見てみてえ!!」
同僚はますます腹を抱えて笑い出し、ちょっと苦しそうになっていた。
「あーマジおもしれえ。俺も次はそこにしようかな。なんて名前の病院行ったの?」
「スピリチュアル運科医院」
「あーらら、そこヤブ医者とぼったくりで有名なところじゃん。やっぱ行くのやめとこ」
ヤブ医者とぼったくり。嫌な予感は見事大当たり。知りたくなかった真実が今解き明かされてしまった。
「知ってたなら教えてよ! うわあ家から近いからってろくに調べずに行くんじゃなかった!」
悔しそうに嘆く私に、同僚は知ったこっちゃないと首をふり、微笑みながら
「まあ、運が悪かったって事だな」
と言った。
その言葉に私は、つい肩を落として
「とほほ〜」
と言ってしまった。