四話、お引っ越し
エイラは急いでいました。
今回の騒動で問題をおこした貴族たちに、王様は重い罰を与えることができませんでした。
彼らはきっとエイラに仕返しをしようとするでしょう。
エイラならば何があっても大丈夫ですが、今はターニャがいます。
⎯⎯あんなやつらの面倒をみるのはごめんだね。やれ忠義だ、正義だって話が全然通じやしない。
⎯⎯そんなことよりターニャの訓練のための環境を整えなくちゃね。
ターニャには、『師匠なんて呼ばない』と言われてしまいましたが、師匠のほうは大変です。
もしもターニャが魔女になることを選ばなかったら、魔法の種を枯らしたあと、本当に二度と会わないようにするつもりでした。
でも、ターニャは魔女になることを選びました。
彼女の勇気がエイラに新しい弟子を与えてくれたのです。
まあ、勇気というよりも、意地と言ったほうが良いかもしれませんが……。
⎯⎯まったく。めったにお目にかかれない、きわめつけの意地っ張りだねえ。
エイラはなんだかワクワクしていました。
エイラにとっては、初めての弟子です。これまでに、魔法の種を芽吹かせることのできる者が、一人も現れなかったからです。
エイラはあの時の、ターニャの怒りに燃えた黒い瞳を思い出していました。
⎯⎯それで良いのさ。
エイラはそう思います。
小さな子供が悲しみに沈む姿など見たくはありません。
それぐらいなら、エイラを憎んで、怒って、悪態をついているほうがずっとましです。
雪の降る寒い時期、悲しみにうずくまっていたら、それだけで死んでしまうことだってあるのですから。
エイラはこれからも、ターニャの怒りの炎に薪をくべ続けるつもりです。
⎯⎯次はどんな反応をしてくるかね?
けっこう楽しみだったりもします。
家に戻ると、エイラは自分が魔女見習いだった頃のローブを引っ張り出して、ターニャに着せました。
エイラにもちゃんと子供時代があったという証拠の品です。
小さなターニャには、その子供用のローブでさえブカブカで、すそを地面に引きずってしまいそうでした。
それでも、袖を何回かまくれば着られないこともないでしょう。
ターニャのローブはあとで仕立てるとして、今はこれで充分。
このローブを着ていれば、真冬の空の上でも全然寒くないのです。
エイラは魔女の森を離れ、引っ越すことにしました。
ここはゆっくり弟子を育てるには都に近すぎるのです。
◆◇◆◇◆
⎯⎯うわあ、魔法だわ。
家というよりも屋敷と言ったほうが良いような大きな魔女の家がみるみる縮んでいきます。
家の下になっていた地面には、あっという間に草や木が芽を出しました。
それが見る間にぐんぐん伸びて、気がつけばそこは鬱蒼とした森の一部になってしまいました。
もう、そこに屋敷が建っていたという痕跡など、どこにもありません。
エイラは目の前の地面に刺さっていた杖を、よっこらしょと抜きました。
ターニャが見上げると、エイラは少し得意げに胸をそらしていました。
「家は引っ越し先に持って行けるように杖にしたんだよ。この杖を刺せば、すぐに元のとおりの家になるのさ」
エイラは目の前の大きな木のほうに、行儀悪くあごをしゃくりました。
「仲間に挨拶しておきな」
見ると、大きな木の一番下の枝に、一羽のフクロウがとまっています。
「普通のフクロウに見えるが、魔法で作った生き物さ。魔女の相棒みたいなものだね。
こいつは、朝昼晩いつでもお日様の位置を正確に教えてくれるから時計鳥と名前をつけたんだよ」
時計鳥はターニャを見下ろしてまばたきをすると、ホウホウッと鳴きました。
「一人前の魔女になれば、こういう魔法の生き物は誰でも作れるようになるけどね。師匠が弟子に作ってやることも多いんだよ」
エイラはターニャを見下ろしてニヤリと笑いました。
「『お師匠様お願いします。作ってください』なんて言われたら、優しい師匠としては可愛い誰かさんのために作ってやらないこともないんだけどねえ……」
「けっこうよ!」
ターニャはツンと顔をそらして、即座にことわりました。
「すぐに一人前になって。自分で作って見せるわ」
ギロッとにらまれた時計鳥は、「ホウホウ、とばっちりだホウッ」と、楽しそうに鳴いていました。
さて、魔女はどうして箒に乗って空を飛ぶのでしょうか?
どう考えても乗り心地が良いとは思えません。
ちょっと体が傾いただけでずり落ちてしまいそうです。
⎯⎯お尻も痛そうよね。
「さあ、魔女のローブも着たし、箒に乗ってごらん。
一人で飛ぶのはまだ無理だから、私の箒の前に乗せてやるよ」
エイラにそう言われ、ターニャは顔をしかめながらも覚悟を決めて、目の前に浮いている箒に近づきました。
箒は地面から離れて浮いているのに、ピタリと停まって動きません。
⎯⎯前に乗るってことはこの辺で良いのかしら。あらっ?
箒のほうに伸ばしたターニャの手が、何かに触れました。
ターニャがペタペタと探ってみると、箒の柄に、目には見えない何かが取り付けられているようです。
エイラはニヤニヤ笑いながら自慢げに説明しました。
「見えない鞍を付けてあるんだよ。馬の鞍と同じように鐙も付けてあるよ」
なるほど、それならお尻も痛くならないかもしれません。
⎯⎯でも、なんで見えないようにしてあるのかしら?
ターニャが首をかしげた様子に、何を不思議に思っているのかわかったエイラは、苦い顔をしました。
「箒の乗り心地が良くなったことがばれると、変な連中が増えるのさ」
今でも、乗せて欲しいと言ってくる大金持ちの商人や研究者がいるのです。
エイラはそれらをすべて断っています。
⎯⎯がめつい爺さんやわけのわからないことしか言わない爺さんと二人乗りなんて、冗談じゃない。
「それに、子供の夢を壊すのは罪って物だからね」
たしかに、子供の絵本に出てくる魔女の箒に、乗りやすそうな鞍はついていませんね。
そもそも鞍のついた箒は、箒とは言えません。
エイラとターニャと時計鳥は箒に乗って、魔女の森から飛び立ちました。
目指すは隣の国との国境に横たわる、険しい山の中腹です。
大きな森と深い谷を越えなければ、たどり着けない場所なのです。
そこなら、ターニャを守ることができます。
おもいっきりターニャを鍛えることもできるでしょう。
エイラは自分の腕でしっかりと、前に乗ったターニャを抱きかかえるようにして飛んでいます。
そして、そのターニャの前には時計鳥が横向きにとまって、気持ち良さそうに風に羽根をそよがせています。
冬の寒空を飛んでいるのに、そよ風ぐらいしか感じないのが、とても不思議です。
寒さもあまり感じません。
ターニャが「鳥なのに飛ばないのね」とつぶやくと、時計鳥の顔だけがグリンッとターニャのほうを向き、目を細めて「ホウホウッ」と鳴きました。
「そいつはけっこうな年寄りなんだよ。労ってやんな」と言うエイラに、ターニャが
「自分も労って欲しいと言いたいのかしら」と返せば、
エイラは「なかなか言うじゃないか?」と楽しげに笑いました。
エイラがとても楽しそうに笑うので、ターニャもつられて笑ってしまいました。
そして、自分が笑ったことに気づいて、なんだか胸が痛くなって、涙がポロッとこぼれたのです。
⎯⎯大丈夫よ。エイラは後ろだし、時計鳥も向こうを向いてる。それに、泣いたんじゃないわ。風が目に入っただけよ。
ターニャはすぐに手で涙を拭って前を向きました。
三人は、誰も訪ねて来る者のいない、険しい山の中に降り立ち、そこに新しく魔女の家を建てました。
山の中の生活は思ったよりも快適でした。
都の貴族や兵士たちは、なかなかここまでは来られませんが、魔女は箒でひとっ飛びですからね。
こうして、厳しくもにぎやかな、ターニャの修行生活が始まりました。
そして、瞬く間に五年が過ぎたのです。