二話、“悪い”魔女
⎯⎯お母さんはもう二度と薬を飲めない。
それが何を意味するのか、幼いターニャにもすぐにわかりました。
でも、ターニャは信じませんでした。
⎯⎯嘘よ。お母さんが死んだなんて魔女の嘘に決まってる。
ターニャはよく知っていました。
この魔女が小さな子供たちをわざと怖がらせ、泣くのを見て喜ぶような悪い魔女だということを⎯⎯。
⎯⎯そうよっ。嘘に決まってる。
今度もきっと私が泣くのを見て笑おうと思っているんだわ。
ターニャは怒りに燃える目でエイラをにらむと、部屋から飛び出して行こうとしました。
「待ちな!」
ターニャを呼び止めたエイラは、ターニャを毛布と予備のローブでくるんで自分の背中にひもで背負い、都に向かって箒で飛びました。
ターニャは魔女に送ってもらうことを、とても悔しく感じていましたが、空を飛んで行ったほうがお母さんのところに早く着けるのはたしかです。
⎯⎯そうよ、悪い魔女を私が利用してやっているだけよ。
ターニャもエイラも箒に乗っているあいだ、都の方角をじっと見つめて、一言もしゃべりませんでした。
◆◇◆◇◆
じつは、エイラが都に飛ぶのは、今日はこれで二度目です。
ターニャを助け、ベッドに寝かせた後すぐに、昨夜作ったありったけの魔法の薬を都に持って行き、そこでちょっとした用事を片づけたあと、ターニャの様子をみるために大急ぎで帰ってきたのです。
忙しいエイラとしては、作った薬を運ぶだけで、あとは薬屋たちに任せてしまいたかったのですが、それだけでは終わりませんでした。
エイラはおかしいと思っていました。
流行り風邪が国の外から入って来る前に、エイラは国中に行き渡るだけの薬を作り、薬屋に渡しておいたのです。
この国の魔女はエイラ一人です。でも小さな国なので、一人でもなんとか充分な数の薬を作ることができたのです。
国中の町や村に薬を届ける仕事は薬屋たちに任せていましたが、それも、そろそろ終わっているはずでした。
なのになぜ、都の薬屋の店員が薬を飲めなかったのでしょうか?
いつもの薬屋を訪ねて、すぐにエイラの疑問は解けました。
原因は三人の王子様たちが、そろって熱を出して倒れてしまったことでした。
三人とも留学先の外国から帰って来ていたのです。
王様は、三人のうちの誰を次の国王にするか、まだ決めていませんでした。
貴族たちはそれぞれに、次の国王に相応しいと思う王子様を助けようと必死になりました。
そうして、一部の“真面目”な“忠義”の貴族たちが魔法の薬を買い集めようとして、争いになってしまったのです。
⎯⎯薬は第一王子様に真っ先に届けるべきだ。
⎯⎯待て、優秀な第二王子様に届けるために確保した薬だぞ。横取りするなっ。
⎯⎯お前たち、第三王子様の分の薬をよこさないつもりだな!?
貴族たちはそれぞれの陣営で、魔法の薬を抱え込みだしました。
薬屋たちはそれを拒みましたが、怒った貴族たちに捕らえられ、全員牢屋に入れられてしまいました。
これでは平民の病人たちに魔法の薬が手に入らないのも当たり前です。
ましてや、都から離れた町や村はどうなっているのでしょうか。
この薬は、お金が無い人でも飲めるようにと、エイラが材料代しか受け取らずに作ったものだというのに……。
エイラは怒りました。
こう見えて、エイラはめったなことでは怒りません。
そのエイラが激怒しました。
エイラは前の前の王様⎯⎯現在の王様のお祖父さんの時に、王様の仕事をお手伝いしていたことがありました。
そのため、いつでもお城に行って王様や大臣たちに会うことができます。
貴族たちの横暴な振る舞いについて、知らなかったという王様たちの言葉に、さらに怒ったエイラは大きな雷を落としました。
お城の庭のバラ園に稲妻が走り、ものすごい音と振動が都を揺らしました。
美しいと評判だったバラ園のバラは跡形も無く、そこには焼け焦げた大きな穴だけが残りました。
真冬のバラ園に花は咲いていません。
当然ながら、花を愛でる人の姿も無く、早朝だったので庭師もいませんでした。
ですから、被害は王妃様が愛したご自慢のバラ園だけだったのですが……。
お城の人々も貴族たちも、魔女の恐ろしさに震え上がりました。
この小さな国のただ一人の魔女エイラは、見た目によらず心優しい魔女でした。
そのため、王様たちも貴族たちも魔女の恐ろしさを忘れて甘く見ていたのです。
薬を買い占めた貴族たちには、ただちに持っている薬をすべてお城に提出するようにと、王様が命令を出しました。
牢屋に入れられた薬屋たちも、すぐに釈放されました。
薬屋たちは家に帰る間も惜しんで、兵士たちと一緒に、お城に集められた薬を都の人々や地方の町や村に送り出す仕事に取りかかりました。
その後、エイラが追加で持ってきた薬もあったので、旅人の分もふくめ、なんとか国中に魔法の薬を配ることができました。
そして多くの命が救われたのです。
もちろん、全員を助けられたわけではありません。
薬を配るのが遅れたこともあって、間に合わなかった人も、薬を飲んでも助からなかった人もいました。
家族を亡くした人たちの中には、貴族を恨む者もいましたし、薬を作った魔女に対する不信感を持つ者もいました。
悲しみに沈むよりも、誰かに怒りをぶつけるほうが生きる気力は湧くかもしれません。
それをぶつけるのに、魔女なんてうってつけの存在でしょう。
でも、エイラには人々のすべての悲しみや苦しみを背負うことはできませんし、背負うつもりもありませんでした。
エイラは善人でも、正義の味方でも、神の使いでもないのですから。
ただ、何事にも例外はあります。
今、エイラの目の前に最愛の家族を失った少女がいます。
涙をこらえて、亡くなった母親の遺体をにらむように見つめる小さな女の子は、本来ならすでに、この世を去っていたはずでした。
その命を救ったのはエイラです。
エイラが作るいつもの普通の魔法の薬ではなく、幻とも言われる特別な薬⎯⎯“魔女の秘薬”を使ったのです。
この事実を知ったら、その女の子をふくめ、大切な人を亡くした人たちは皆、エイラを責めるかもしれません。
その少女は助けたのに、なぜこちらを助けてはくれなかったのか?⎯⎯と。
そんな言葉に対して、エイラはこう答えるしかありません。
⎯⎯そういう運命だったのさ。
◆◇◆◇◆
ベッドの上に、白い服を着たお母さんが寝かされていました。
お母さんはきれいにお化粧をしています。
薬屋の店主の奥さんがやってくれたのです。
お母さんが息をひきとったのはターニャが都を飛び出してから間もない時だったといいます。
看取ってくれたのは薬屋の奥さんです。
⎯⎯私はけっきょく何もできなかったじゃない。お母さんを最後まで心配させただけよ。
⎯⎯そばにいれば、手を握ってあげることができた。声をかけてあげることもできたのに。
ターニャは自分を責めていました。
自分への怒りがどんどんふくれあがって、今にも破裂してしまいそうでした。
⎯⎯私はバカだわ。あんな魔女なんかを頼ったりして。そんなことを考えなければ、お母さんのそばにいられたのよっ!
ターニャにはわかっていました。
たとえ魔女が薬をくれたとしてもお母さんを助けることはできなかったでしょう。もう間にあわなかったのです。
そもそも、薬が手に入らなかったのは、貴族の家の兵士たちがお店のご主人を乱暴に捕まえ、薬も全部一緒に持って行ってしまったからです。
⎯⎯子供をいじめる悪い魔女だけど、お母さんが死んだのは魔女のせいじゃないわ。
わかっていたのです。でも⎯⎯それでも、自分の中の荒れ狂う激しい思いを、目の前の魔女にぶつけずにはいられませんでした。
「あんたが……あんたたち魔女がもっとたくさん薬を作っていればっ、流行り風邪がこの国まで来なければっ、お母さんは死なずにすんだのよっ!」
ターニャはあふれ出る言葉を止めることができなくなっていました。
「あんたなんて⎯⎯魔女なんてだいっ嫌いよっ!!」
その瞬間、ターニャは自分の胸が吹き飛んだような気がしました。
まるで体の中で嵐が吹き荒れているようです。
ターニャの体の中をいろいろなものが駆けめぐりました。熱い炎、どこまでも冷たい氷、そして最後に目を開けていることもできないほどのまぶしい光があふれて何も見えなくなりました。
⎯⎯魔法なの?
⎯⎯私が魔女を怒らせてしまったから?
⎯⎯私はこのまま殺されてしまうの?
それなら、それでも良いとターニャは思いました。
⎯⎯このまま死んだら、きっとこれからもお母さんと一緒だわ。
真っ白な光の中で、ターニャの目から初めて涙がこぼれ落ちました。
しかし、やがて光がおさまると、ターニャの体の中の嵐は嘘のように鎮まっていました。
⎯⎯私、死んでないわ。どうして?
光が消えて目を開けたターニャの前には、先ほどと変わらず、ターニャを見おろす憎らしい魔女が立っていました。
そして、鼻をフンと鳴らし、意地悪そうにニヤリと笑って言ったのです。
「おめでとう。魔法の種が芽吹いたようだね。今日からお前は魔女見習いだ。
お前がだいっ嫌いな、魔女の仲間入りだよ」