一話、魔女の拾い物
冬の童話祭2020参加作品です。
前作とはかなり雰囲気が違います。
ご注意ください。
エイラは家の外の大騒ぎで早朝にたたき起こされ、少し不機嫌でした。
ただでさえギョロッとした大きな目が、寝不足で充血して、なんだか恐ろしい顔になっています。
急ぎの仕事で疲れていたのか、調薬室でうっかり居眠りをしていたようです。
昨夜は一晩中魔法の薬を作っていました。
エイラが作る魔法の薬は、普通の薬よりもよく効くのです。
エイラは魔女です。
しわくちゃの顔で大きな鷲鼻。ゴワゴワの灰色の髪。背が高くやせて、骨としわしわの皮だけの枯れ木のような体に黒いローブを纏う。
いかにも魔女⎯⎯という姿をしています。
本人は自分の姿をとても気に入っていて、ときどき低い恐ろしげな声を出して、小さな子供たちを泣かせては喜んでいる、なんとも迷惑なお婆さんです。
エイラはもう二百歳を越えています。
魔女は人よりも寿命が長いのです。
二倍から三倍、魔法の力が強い魔女の場合は十倍にもなるそうです。
⎯⎯それにしても外が騒がしいねぇ。
騒いでいるのは、キツネとカラスのようです。
⎯⎯雪道に人が倒れているのかい。旅人が道に迷ったかね?
昨夜は雪が降って、ひどく冷え込みました。
雪で道を見失ったのかもしれません。
エイラは魔女の黒いローブを羽織って箒に乗り、外に飛び出しました。
どこもかしこも雪で真っ白です。
雪に埋もれてしまっていたら見つけるのが難しいかもしれません。
エイラが困っていると、一緒に飛んできたカラスが下に降りて行きます。
カラスが舞い降りたところを見ると、雪に埋もれかけた、とても小さな人の姿がありました。
「子供か?」
エイラは驚きました。
ここは都から森まで続く道の途中です。
森までは、晴れた日でも馬車で半日近くはかかります。
子供が倒れていた場所は、都よりも、もう少し森に近いほうでした。
その森には恐ろしい魔女の家があるために、人があまり近寄らない場所です。
そんなところへ小さな子供がたった一人、雪の中を歩いて来たのでしょうか。
抱きおこした子供の顔に、見覚えがありました。
エイラには、作った魔法の薬をいつもまとめて引き取ってくれる馴染みの薬屋が都にあります。子供はその薬屋でよく見かける女の子でした。
女の子の母親が薬屋の店員なのです。
母親の手伝いをする女の子はとても賢そうに見えました。
そして、仲睦まじい親子の様子を、エイラはいつも微笑ましくながめていたのです。
女の子の名前は、たしか⎯⎯ターニャ。
もう息をしていません。おそらく息が止まったのはつい先ほど。体の奥の魔力の輝きはまだわずかに残っています。
こんな小さな子供が命をかけて雪の中を歩いてきたのは、おそらく自分に⎯⎯魔女に助けを求めるためでしょう。
エイラはターニャの母親の、子供にむける優しい笑顔を思いうかべました。
この冬、世界中でひどい風邪が流行していました。
すでに多くの人々が命を落としています。
エイラもこの国の人々のために薬作りを急いでいましたが……。
⎯⎯間に合わなかった、ということかね。
エイラは決断を迫られていました。
自分の腕の中の少女から、最後に残った命の輝きが、今、まさに消えていこうとしています。
でも、自分にならこの命を救うことができるとエイラにはわかっているのです。
まだ間に合います。ただし⎯⎯。
エイラはどんよりとした雪雲におおわれた空を見上げて、何かに挑むようにニヤリと笑いました。
⎯⎯あいにくだったね。この子は連れて行かせないよ。
そして、女の子をしっかりと抱いて立ち上がったエイラの瞳には、強い決意の光が宿っていたのです。
◆◇◆◇◆
目が覚めたターニャは温かいベッドに寝かされていました。
⎯⎯ここはどこ?
見知らぬ部屋でした。そのくせ、どこか嗅ぎ慣れた香りがします。
⎯⎯この香りは……そうだわ、いつも薬屋に置いてある魔法の薬の⎯⎯魔法の薬?!
ターニャは飛び起きました。
⎯⎯何で?⎯⎯何で?
⎯⎯私、眠ってしまったの?
⎯⎯どれくらい?
⎯⎯どうしよう。お母さんは?
窓の外はうっすらと明るくなっています。とうに夜が明けているのは間違いありません。
「慌てるんじゃないよ。まだ昼前だ。お前が都を飛び出してから……まだ一日と経っちゃいないよ」
いきなり声をかけられて、ターニャは驚いて息が止まるかと思いました。
部屋の中に他人がいることに気づかなかったからです。
曇りガラスからの光で、部屋の中は“見えないこともない”ほどには明るくなっていました。
でも、あちこちに光の届かない陰があって、そのすべてに何かが潜んでいるような気がしました。
胸がドキドキして、ギュッとつかまれるような痛みを感じます。
ターニャは唾を飲み込もうとして自分ののどがカラカラに渇いていることに気がつきました。
すると、陰の一つから真っ黒な影が染み出るようにターニャに近づいてきました。
ターニャは息を飲みました。胸の鼓動が一瞬、止まってしまったような気がします。
黒い影は、よく見たらターニャが知っている人物でした。
そう、ターニャが今、一番会いたいと思っていた人物⎯⎯魔女です。
「……じょ、さ……」
ターニャは大急ぎの頼みごとがありました。でも、のどがカラカラで声が出ません。
魔女が枯れ木のような手を一振りすると、ターニャの前にカップが現れました。
何も無い場所に浮かんでいます。
カップからは甘い香りの湯気がたっていました。ホットミルクのようです。
「言いたいことがあるなら、とっととそれを飲んで、それから話しなっ」
魔女はなんだかとても不機嫌そうです。
ターニャはちょうど良い温かさだった砂糖入りのミルクを味わう間もなく一息に飲みほすとベッドから滑り降り、まだ少しかすれた声で魔女に向かって叫びました。
「魔女様、お願いします。魔法の薬を、くださいっ!」
小さな女の子の必死の叫びに、魔女はあっさりと首を横に振りました。
「だめだね。薬はやれないよ」
ターニャは魔女の黒いローブにすがり付きました。
「お願いします。お金は必ず、私が必ず払います」
魔女はターニャを黙って見おろしているだけです。
「お願いっ。お母さんが⎯⎯お母さんが……」
ターニャの目に涙がにじみます。
それでも泣き出さずに、魔女の心を動かす言葉を必死で探しているようです。
⎯⎯強い子だね。
エイラはおもいっきり顔をしかめました。
自分はこれから、この小さな勇者に残酷なことを告げなければなりません。
「なんと言われても、薬は無いんだ。
それに、お前の母さんはもう薬を飲めないよ。
⎯⎯もう二度とね」