地球最後の日に家族に捨てられたんだが……
今日は地球最後の日だ。
というと、大抵はフィクション作品が頭をよぎる。
そのイメージとしては、街中がパニックになり、全ての報道局が最悪のニュースを流す。
飢餓や公害は加速していき、それぞれに頭を悩ませるというもの。
だけど現実はそうならなかった。
仮に隕石が衝突するとしても国際宇宙ステーションが事前にそれを察知しているはずだし、これから来る天変地異は気象庁が教えてくれる。先進国の少子化により食料不足の懸念もほとんどなくなり、政治や宗教にともなう第三次世界大戦は、武力は行使されず経済制裁にとどまった。
「この街も、ずいぶん廃れたな……」
俺は道路上に捨てられた新聞を踏みつけて、そうぼやく。
半袖から伸びた浅黒い腕はじんわりと汗をかいている。
電力供給が止まっているため避暑地となる店はない。
「怪奇海蝕、か。世界沈没とは小松左京もびっくりだな」
有り体に言えば、超巨大な満潮と干潮が訪れるということだった。
自転周期および公転周期が重なって、今日は、月と太陽が一直線上に見える。それにより天文潮位(海面の水位)が最大になるのだ。
さらに45億年に1度だけ、地球と月は平均公転半径を逸脱して最接近するため、月の引力の影響を受けやすくなり潮位は増加する。
そのタイミングで瞬間軌道速度が最大になるため、遠心力によって起潮力が限界まで引き上げられ、空前絶後の潮汐(満潮と干潮)を迎えるというわけだ。
「泰平洋がひあがるほどの干潮かぁ。満潮になったらここも海の底だな」
地球は1日に1回自転するため、潮汐は半日に1回くる。
つまり大規模な干潮が起きたら、その次には大規模な満潮がくるということだ。
「くっそ! あいつら、俺のことを見捨てやがって」
そう空き缶を蹴り飛ばすと、黒い日傘をさして、頭に青いターバンを巻いた人物にぶつかった。
彼は今日が地球最後の日であることを知らないのか、のんびりとあくびをしながら振り返った。
「す、すいません」
めまいを感じながら懸命にあやまると、
「ふわぁ……。やっと人に出会えた」
そう彼は言った。
日本人離れした金色の瞳に、血色の悪い青白い肌をしている。
「外国の方……ですか?」
「ん? ああ、そうだよ」
泰平洋が干潮になる間、泰西洋と殷度洋は満潮になる。
そうなった場合、付近の大陸がすべて海に沈む現象"怪奇陸蝕"が起こるのだ。
「どこから来られたんですか?」
「ヨーロッパだったとは思うが、よくわからねえ。俺自身、記憶をなくして困っているんだ。なのに、いきなりアジアの島国に連れてこられて、ひどく参ってるんだよ」
このような移民も少なくない。
彼らは、何も知らずにアジア諸国に来るのだ。
きっと怪奇海蝕のことも知らないはずだ。
「主要国首脳会議(G7)で決まったんですよ」
「政治に関してはさっぱりだ。ちょっと説明してくれ」
「わかりました」
フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダで国際的な取り組みがなされた。
それは大きく分けると2つある。
まずは国境の撤廃。それとアジア諸国を中心とした難民受け入れ態勢の確立だ。
参加国はすべて同意したため、今度は世界各国に向けて発表された。
ロシアを中心とする社会主義国家は首を縦に振らなかった(ロシアは会議には参加していないが、反対の意向を示した)が、ほとんどの国々は同意したため、日本にも移民があふれているのだ。
「なぜ国境を撤廃する必要があったんだ?」
「泰西洋と殷度洋に隣接する国々が、これから水没するんです。それなのに国境があったら邪魔ですよね」
「なんで水没するんだ?」
「自転や公転の速度、およびその半径や、天文学的な理由が加わったんです」
「よくわからないが、お前詳しいな」
「日本人は、気象庁から説明を受けていますからね」
彼はパーカーの襟元をなおして、首元のスカーフを巻きなおした。
「そんなに着込んで、暑くないんですか?」
「ああ。俺は君たちと違って変温動物だからさ」オーバーオールの吊りバンドを調節しながら、「気温による影響はほとんど受けないんだ。年間通してこの格好だよ」
なんというか最初はインド人っぽい(?)服装だと思った。
だってターバン巻いてるし。けど、違った。
この人は宇宙人だった。
その証拠に、真夏の容赦ない日照りにもかかわらず、顔ひとつ火照らせていないのだ。
「しかし、それなら疑問が浮上するな……」
「なにがですか?」
「お前の言い方だと、俺以外の移民もいっぱいいそうだが、まったくお目にかかれていないぞ」
「そうですね。さしずめ飛行機の手配でもしているんじゃないですか? 泰平洋は先に干潮を迎えますが、次期に満潮になりますからね。そうしたらここも沈没しますよ」
「お前は空港に行かないのか?」
「ええ、そこまでの経済力はありませんから」
「いやいや、金なんか取られないだろう?」
「そこまでして、生きたいと思わないからです」
思わず口をついて出た言葉に顔をしかめたが、青白い外国人は聞き流してくれなかった。
「なにか、あったのか?」
そう深刻そうに眉間にしわを寄せる。
「家族に見捨てられたんですよ。あなたは知らないでしょうけど、先進国では怪奇陸蝕をおそれて、火星に移住する計画が進められていたんです」
「知らなかったな」
「俺は家族全員で移住できる資金を作ったんですが」
「その金を家族に持ち逃げされたのか?」
彼は居心地悪そうに後頭部を掻いている。
言葉にはしたが、こんな悪い予想は当たらないでくれと言わんばかりに。
「その通りです」
「そっか……」
ポケットに両手を突っ込んで下を向くのを見て、なんだかこっちも情けなくなってきた。
「だったらさ、泰平洋の海底を見に行かないか? 干上がるんだろ?」
「なんでそうなるんですか」と突っ込んでから、「いや、待てよ」と考え直す。
どうせ死ぬのならば、それもまた一興かもしれない。
この世には未練どころか、ムカつくことばかりだが、それはそれで面白いではないか。
海底に行くのならば、気圧の問題や呼吸の問題、気温に食料など、さまざまな壁が立ちはだかるが、死にに行くと思えばそれすらもどうでも良かった。平凡な人生の非凡な最期だ。
「なん……でだよ」
海上保安庁によると、海の平均の深さは4,750mと言われている。
不死山は3,776mのため、それよりも気温や気圧は低くなってくる。
「なのに、なんでだよ!」
俺はあくまでも軽装だった。
ティーシャツにジーンズというラフスタイル。
靴だってトレッキングシューズではなく、普段履きのスニーカーだ。
「なんで、俺は無事でいられるんだ?」
ごつごつした岩壁を飛び移り、砂浜に足を取られつつも、かすり傷ひとつ負っていないのだ。
それだけじゃない。
もうずいぶん下っているのに、気温や気圧による変化も見られない。
「教えてほしいか?」
例の外国人は蒼白の顔面を保ったまま、汗の一滴も垂らしていなかった。
「教えるってなにをだい?」
「お前がここの気候に順応できる理由を」
「そんなの説明できるわけないだろ」
そりゃあ地球が滅亡する日だ。
多少の不思議が起こっても不思議じゃない。
「お前は宇宙人の存在って信じるか?」
彼は唐突に質問をしてきた。
「信じるよ。1977年に地球外知的生命体探査(SETI)プロジェクトが実施されたけど、そのときのWow!シグナルは地球からの電波だとは考えにくいからね」
俺は淡々と応じる。
「相変わらず詳しいな。天文学が好きなのか?」
「それがどうかしたのかい?」
青白い外国人はふぅっと一息ついてから言った。
「俺は、地球人ではないんだ」
「異邦人だとでも言いたいのかい?」
「記憶喪失といって悪かったな。信じてもらえないと思ったんだ」
「それじゃあどこの惑星から来たんだい? まさか月や火星とは言わないよね?」
「月は惑星じゃなくて衛星だ。あと、火星でもない」
「それならどこだい? 生物が住むのに適した環境は、地球以外には考えられないけど」
「オールトの雲って知ってるか?」
「太陽系の外側のことかい?」
「地球からは観測できないが、そこには約1兆個の小天体が浮かんでいるんだ」
「……信じられないが、どうしてここに来たんだい?」
「ブラックホールの規模が拡大しているせいだ。俺がいた天体も遅かれ早かれ消滅する」
「地球が受けている被害もそのせいだと?」
「それはわからないが、衛星軌道が変わったんだろ? たぶんその影響もあるぜ」
「じゃあ、話を戻すけど」
俺は本質的なことを訊いた。
下に進むにつれて、難破船や大型動物の化石が見つかった。
「なんで俺は気候の変化の影響を受けないんだい?」
「地球の生命体がどうしてこうも脆弱なのかは知らないが、多くの天体では真空に耐えうる肉体を持った生物が誕生する。理屈はわからないが、そうした生物の近くにいると大丈夫らしいことが、ほかの惑星で証明されている」
もしこれが創作小説であれば、俺はきっと文句を並べただろう。
だがそれをすることに何の意味がある?
「まあそれで納得するけど、まさか海底にも似たような生物がいるとか言わないよな?」
「察しがいいな。俺は彼女に会うためにわざわざ地球まで来たんだ」
理解が追い付かない。
俺はきっと夢でも見ているのだ。
こんなにも突拍子のないことは小説家でも思いつかない。
「あら、私になにか用かしら?」
そうなのだ、これは夢なのだ。
だから目の前に、青い髪をツインテールにして、白いワンピースを着ている少女が現れても微動だにしない。
「十六夜朔だったっけ?」
「ええ、お初にお目にかかります。十六夜ルナ様」
十六夜朔と呼ばれた青白い外国人は、うやうやしく頭を下げた。
俺に対する対応とは雲泥の差だった。
それにしても十六夜ルナという少女は奇抜な格好をしていた。
青く大きな瞳も特徴的だが、黒のビーチサンダルを履いているのだ。
俺も人のことは言えないが、もう少しマシな服装もあっただろう。
「あなた様が天上界を抜けられてからというもの、宇宙は大変なことになっております」
「あら、そう。でも私には関係ないわ」
「しかしこのままでは太陽系の惑星すべてが消滅してしまいます」
「そうなったらまた別の惑星に移住すればいいでしょ」
「ですが、我々の家族はどうなるんですか? 同じ惑星に生まれたみんなが兄弟でしょう。このままじゃ故郷がブラックホールに飲み込まれてしまうんですよ」
「だから、私には関係ないって……」
その会話を聞きながら、俺はなぜか口をはさんでしまった。
「俺からも、頼む!」
「「えっ!?」」
朔とルナの声が重なって聞こえた。
だが、一番驚いているのは俺だった。
心の声は止まらない。
「火星には俺の家族がいるんだ。裏切られたときは悲しかったし、憤りもしたけど、でもやっぱり大切なんだ。だから、頼む!」
くそ、なんでこんなときにそんなことを懇願するんだ。
あいつらなんて、あいつらなんて……。
悔しさのせいで、唇が小刻みに震える。
「あなた、面白いわね!」彼女は胸の前で手を合わせた。「二律背反の感情が同居してるわ。愛情と憎悪」
ルナの声はどこか官能的に聞こえた。
「ああ、嫌いだよ。憎たらしいね」
「なのにどうして助けたいの?」
「そんなことは知るか!」
本当にわからなかった。なんでだろう。
「じゃあさ。私といっしょに住まない?」
「はっ?」
俺はアホ面を彼女にさらしてしまった。
「海底にか?」
「私といっしょなら大丈夫だよ。たとえ満潮になったとしても、圧死することはないから」
「ルナ様っ!」
「朔は黙ってて! 私はこの人に興味があるの」
ルナは大きな瞳でじっと見つめてくる。
「どうかしら?」
「どうもこうもないよ。こんなところにはいられない」
「どうして? 裏切りのない素敵な世界だよ」
「そこに愛はあるのかい?」
俺は背筋が冷たくなるようなことを真顔で言い放った。
「愛?」
「人間はどんなに苦しいことがあっても、愛があれば乗り越えられるんだ。俺の家族がなんで、俺を置いて火星に行ったのかはわからないけど、でも俺がまだ家族を愛しているという事実だけは変わることがない。だからお前といっしょには住めないよ」
「愛……か。私さ、本当はおうちに帰りたいんだ」
「それでしたらルナ様、今からでも遅くありませんよ」
「朔っ! 黙ってて」
「かしこまりました」
そういえば2人とも十六夜と名乗っていたが、彼らは姉弟なのだろうか。
「帰りたいなら、帰ればいいじゃないか」
「だけど、お父さんとケンカしちゃって……」
「ケンカ? 理由はあるのかい」
「私は、王族の生まれなんだけどね」
彼女は洟をすすりながら話す。
目元もすこしうるんでいた。
「門限は厳しいし、成績は上位にいないと叱られるし、お父さんから愛情が感じられないのよ」
「…………」
「しかもお母さんが死んじゃってから、ずっとだよ。その前は優しいお父さんだったのに」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、彼女はえずいた。
俺はあえて何も言わないで、続きをうながした。
「きっと、お母さんが死んじゃってから、ルナのことが嫌いになったんだよ」
ざざぁ……と波の音が聞こえる。
未曽有の干潮とはいっても、海水がなくなったわけではないのだ。
もう少しで大津波が到来する。
そうなったら俺自身、本当に生きられるかわからない。
現在は朔の不思議パワーで環境に適応しているが、水中でもそれが有効とは限らないからだ。
なればこそ、早めに話を終える必要がある。
「俺にもさ、生後間もない娘がいるんだけどさ」
「うん」
「きっと俺も、その親父さんと同じことをしたと思うぜ」
「なんで? ルナのこと嫌いだから?」
「そんなわけないだろ。立派になってほしいから、社会に出て笑われてほしくないから、そしてなにより、幸せになってほしいから、心を鬼にして言ってるんだ。般若みたいな顔で怒っていても、心の中ではお前よりも傷付いているし、泣いていると思うよ。親はいつだって我が子がかわいいんだからな」
その証拠に、裏切られたとわかっていても、真っ先に家族の心配をしちまったじゃねーか。
「でも、こんなに長く家出しちゃったから、怒られるんじゃないかな?」
「怒らないと思うぜ。むしろ喜ぶだろ! 娘が帰ってきたらよ」
「じゃあ、あなたも、御家族に会っても、怒らない?」
ルナはしゃくりあげるようにして、そう言った。
「ああ、もう怒ってねーよ」
「そっか。じゃあ、私も帰る」
「ルナ様……」
朔は感嘆の声をもらした。
大津波が大巨人の手のようにして襲いかかってきた。
ゴゴォ……という地鳴りが聞こえたような気がする。
「私につかまって。火星まで連れてってあげる」
「そんなことも出来るのか?」
「ええ、任せといて。なんたって王族の娘だもの」
彼女の青白い手をにぎると、冷たくてやわらかかった。
その全身を金色の光が包み込む。
俺の身体にも、その粒子のようなものがくっついていた。
「いくよ」
瞬間――身体はとてつもない浮遊感に襲われた。
下を見ると、海面がおそろしい勢いで上昇している。
と思ったら、もう雲海に差し掛かっていた。
一面が真っ白でなにも見えない。
「もしまた家出することがあったらよろしくねっ!」
「もう2度とするなよ。ていうか、ブラックホールの件はどうにかなるものなのか?」
「うん、王族が協力すれば余裕だよっ!」
俺たちは外気圏を突破して、宇宙空間に飛び出た。
やっぱりここでも不思議パワーが働いていて、呼吸も不自由なくできた。
「家族に会ったらなんて言うの?」
「よくも裏切ったなーって言う!」
「めっちゃ根に持ってるじゃん!」
「思い出したら腹が立ってきた!」
でも、家族と離れてみて、強く思ったことがある。
俺は家族を生かしているんじゃなくて、家族に生かされてるんだって。
あいつらがいない未来なんて、生きたいと思えなかったから。
【45億年に1度だけ、地球と月は平均公転半径を逸脱して最接近する】という記述はウソです。
【オールトの雲】は確認できていませんが、そのように予測されています。
その他にもツッコミどころはあるかもしれません。((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル