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眼(まなこ)

作者: 邑ミヤビ

 ここ数日、眼が異様にむず痒い。

 痒いのは数ヶ月前からだったが、特にこの数日間はひどくなっている。 目をこすっても一向に収まらない。

 私は自分の部屋で鏡を見つめながら目薬をさす。一時的に痒みが引くだけでやがてぶり返してくる。

 ため息を吐く。モニターの見過ぎだろうか、瞳は濁った乳白色に染まっている。周りは病的な青紫によって縁取られており、いささか腫れぼったくなっている。

 自分の目がこんなに汚くなっていたなんて知らなかった。

 幼少の時分にはいつも「綺麗な目だね」と言われていた。けして大きいわけでも、印象がはっきりしているわけでもないけど、深閑とした山をせせらぐ水のような落ち着きがあったらしい。


 自分でもそれがささやかな自慢だった。学生時代の恋人は申し合わせたように私の目を気に入ってくれたものだ。


 視力が急激に落ちはじめたのは仕事をはじめてからだった。事務職に就いた私は終日パソコンとにらめっこをしているのが日常となっていた。それに伴い、1.0以上あったはずの視力が半年たらずで半分以下に落ち、気づけば眼鏡を手放せないほどに悪化していた。

 不思議なもので、一定のラインまでなだれ式に落ちた後、急に安定する。まるでその位置が本来いるべきだった場所のように個々人には定められたラインが存在している。

 ともあれ私の視力はそれをきっかけに落ちたわけだが、実に中途半端なラインだった。


 眼鏡をかけなくても日常生活は送れるが、仕事には影響を及ぼす。

 あった方がいいに決まっているが、なくても死ぬほど苦労するわけでもない。


 かくして用途にあわせて眼鏡をかけたり、外したりという生活を送っていたわけだが。

 それからだろうか、私の双眸が明らかに混濁しはじめたのは。

 水晶体は不純物によって腐蝕を開始する。

 角膜は輝きを喪失しよどんだ油の溜まりのように変化する。

 眼球が、痒い。

 眼鏡をかけたまま仕事をして、休憩時間になると眼鏡を外してこすり、再び眼鏡をかけて勤務し続け、帰宅途中には外し、帰ってから読書のために眼鏡をかけ、眠る前になると外す。

 それを繰り返しているうちに私の目は汚くなった。

 使い方を間違ってしまった調理器具のように不器用な汚れが付着して、こびりついて――


 痒い。



 眼窩からえぐり出して、直接掻きむしってやりたい。

 そうでもしないと収まらない、この痒みは、収まらないんだ。

 私はテーブルに置いた鏡で自分の顔を確認する。親指を人差し指を伸ばして眼窩と眼球の間に触れる。落ちくぼんだ穴は目という球体がすっぽりとはまっており、それによって私はモノを見ている。

 とても大事なもの。

 綺麗な目だね、綺麗だよ、君の目。

 皆が羨む静かな美しさはどこにいったんだろう。


 痒いよ、痒いんだよもう。

 ちゃんと磨いて、綺麗にしなきゃ、ね!


 親指で目蓋をなぞる。人差し指で眼窩の下部を押さえる。

 ぐっと力を込めると、あっさりと中に入っていく。生肉をこねるような音が聞こえる。手に血と涙が入り交じった液体が伝っていく。二本の指を第一関節まで曲げて球体を把持する。痒い。神経に爪が引っかかったようだが何も感じない。

 思いきりよく引っ張り出す。


 音もなく、衝撃もなく眼球が飛び出す。

 鏡で眼球の様子を何度も観察する。

 眼窩から多量の血を流した私が映っている。


 私が思った通り、表面から内側に進むほど色合いが悪くなっている。根元はほとんど腐っているような灰色に変色している。神経の色も、ただ繋がっているだけという黒ずんだもので、ところどころにある斑点がカビのように見えた。


 痛みをあまり感じないのは、奥に行くほど腐っているからだ。

 痒みが増しているのは、腐蝕して侵されていく中途なんだ。

 でも、今気づいてよかったよ。

 これから時間をかけてじっくりと、このカビを掻いて落とすから。

 そうすれば綺麗な部分が残るんだから。


 腐りかけている自分の眼球を再び指でつまみ上げる。

 ことさら汚れている部分に爪を立てる。

 ぐっと力を込めて引っかく。

 眼球の表面に付着したぬめりのある体液が指に絡みつく。

 ゼラチンのゴリゴリした感触が削れていく。

 何度も、何度も、何度も掻きむしる。

 私の綺麗な眼を取り戻すために。

目の内側が痒くて仕方ないときに書いたものです。

本当に取り出してかきむしりたいくらいだったので、その気持ちをそのまま書いてみました。

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― 新着の感想 ―
[一言]  怖いです。  ストーリーは多少、単純な気はしましたが、怖さを際立たせているような気がして、力のある作品を書く方だなぁという印象を受けました。  偉そうに評価してしまって、すいません。  失…
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