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愛や情けの難しさよ

作者: 城井和仁

人に思われるとは恐ろしいものだというのは俺が最近ようやく学んだことだ。

物書きを始めて早10年にもなるか。

恋物語には縁がなかったもんで遅まきになったが、とうとう俺も年貢の納め時らしい。


今も奴は俺を追ってきていることだろう。

捕まれば最後、俺はこの世には居られない。

きっと世の中とは関わりのないどこかに閉じ込められるか、本当にこの世とオサラバか、というところだ。


まったく、どうしてこうなったのか皆目見当もつかないが、ただ一つ言えることがある。

俺は愛や情というものが理解できていなかった。







アレと出会ったのはおおよそ二年と半ばほど前の雨の日。

傘も差さずに泥まみれで道端に転がって居たのがそれだ。


行き倒れのようではあったが駐在に届けようにもここはどうしようもない田舎でな。

翌朝死体になっていたならば寝覚めが悪いと、かすかに息があるのを確認して仕様がないので家に上げる事と相成ったわけだ。


拾った娘は雨に打たれて感冒を患ったらしく、しばらく面倒を見てやった。

湯を炊いて慣れない粥を作るというのは、いや、全く面倒であった。


しかし甲斐あって治った頃には娘が俺を先生さん先生さんなどと呼ぶのだから少しばかり俺も気分が良くなったというのもあり、さらには行く宛もないなどいうので、小間使いとしてしばらく置くことにしたのだ。


そういや、アレはもしかしたら俺の名前を先生だと思ってるかもしれんな。

今となっては確認のしようもないが。


さて娘は、どうやら俺よりよっぽど要領がいいのか飯炊きその他を妙に手際よくこなした。

豪勢ではないが間違いなく美味い飯を作り、服の手直しもまるでその道の人間のように手際よく、おおよそ万事に欠点などなかった、


そして俺にしては上等な、出来すぎた生活を手に入れたのだ。

しかし転機は急に訪れる。


ある日、舶来帰りのついでに俺の家に来た友人がこんなことを言って来た。


「あの子を手伝いとして譲ってくれないか?」


条件を聞いてみれば住み込みでちゃんと給金も出るし下手な雇われよりよっぽど良い。

そも、友人は華族の生まれで、身分だけでなく人格面でもそこそこ信頼の置ける男だ。

だから俺はアレも反対はせんだろうと話を進めることにした。

そいつはそれを聞いて満足したのか置き土産にとても良い果実酒を置いてったもので、ついついその晩に早速開けさせてもらった。


それは安酒にしか縁のない俺でさえこの世にこんなうまい酒があったのかと思うほど甘美であり、気づけば俺はどうしようもないくらい酔っ払って居たのである。


さて、酔うと当然、甲斐甲斐しくも俺の介抱をしてくれる奴がいるわけだ。


「飲み過ぎですよ先生さん」


なんて言ってくるものだから馬鹿野郎俺が酔うわけがあるかとかなんとか宣いつつ醜態を晒した覚えがある。

しかしそれでもアレは気分を害した様子もなく俺の戯言に相槌を返しては酌をし、つまみを出しと、おかげで俺は気づけば泥酔という奴で、多分その時に俺は例の華族の打診の件を口にした・・・してしまったんだ。


「は?」


その時のアレは確かこんな感じの反応だった。

あんまりに冷たい声だったもんだから含んだ熱燗が氷水に思えたほどだ。


そして恐る恐る俺はアレの顔を見たわけだ。


・・・怖い顔ってのは般若だとか阿修羅なんて表現されるがそれさえ生ぬるく思った。

いつもと変わらぬ菩薩の笑みと言おうか?ただ、酔いの冷めるような怒気だけが違うのだ。

肝を冷やしたどころではない。

冗句を考える余裕すらなかった。


「なんとおっしゃいましたか」

という問いただしには、もはや俺は答えられなかった。


目の前の娘に恐怖を覚えて居たからだ。

情けないと笑えば良いさ。

だが多分、アレに相対しては怯えない方がまともでない。

それほど恐ろしいかった。


二度目の問いただしは俺を畳に押し倒してのものだった。

酔ったせいか薄ペラで貧相な身体も突き放せずにされるがままという情なさよ。

とはいえ三度目はどうなるか考えたくもなかった俺は仔細に華族との話をそのままに伝えたわけだ。


そこで妙なことが起きた。

話を進めるたびにアレは怒気を沈めていくのだ。

そして気づけば目尻に涙さえ浮かべて居たのでどういうことかと俺が尋ねると


「もはやわたくしなど要らぬと捨て去るお積りなのですね」


などと言う。

俺はそんなつもりはなかったのだが。まぁ、そうも言えなくもないのだろう。

実際この娘は俺には過ぎた代物だ。

容姿に優れ頭の巡りもいい、おまけに万事上手くこなす。

これはむしろ捨てられるのは俺の方ではないかとくだらないことを頭に浮かび含み笑いが漏れた。


それがどうにも気に入らなかったらしい。


娘は俺の首元に手を伸ばした。

ひんやり冷たい指先が首筋を撫ぜて『死』という物を俺は初めて自身の身に味わった。

急に背筋に冷たさを感じる。

背筋が寒くなるというのはなにも表現だけではないと俺は身をもって学ぶことができた、ちいとも嬉しくないが。


「先生さん、もしもわたくしをお側に置いてくださらないというのなら、あまつさえ他所に出し今生の別れなどとしようものならば・・・いっそこの場をもってその首を手折り、わたくしも死にたいと願います」


無理心中という奴か、悲恋話にありがちである。

・・・俺とはそれこそ死んでも無縁と思っていたのだが、どうやらアレは本気のようで俺が待ったとかけないのを見るに指を段々と喉にめり込ませてきたので無理やりにその手を掴み引き剥がした。

これはあざにもなろうかと思いつつも俺は手を掴んだまま声をかけた。


「お前の幸せのためだ、わかれ」


我ながらなんという傲慢を言うのだろう。しかし同時に今思い返しても間違いでは無いと俺は未だ思う。

世には『己が幸は我が決める』という言葉がある。

しかしアレはまだガキであるからしてそれを決めるのは拾った俺の責である。


「与えられた幸せになんの価値がありましょうか?」


「知らん。少なくとも俺はそれで満足する」


自己満足という物だ。

俺はやるだけやった。後は野となれ山となれ。

そう投げ出せたらどんなにも楽か。

少なくとも美しく思慮深い娘を我が元で使い潰すことを悩むよりはよっぽど俺の精神に健全だ。


「それは我儘ではありませんか」


そう図星をつかれた。

なるほど、確かにそうであるが指摘されるのも癪だ。


しかし反論の前に彼女が何かを懐から出して握りしめたのを見る、

見覚えがある刃は俺の部屋に置いていた脇差の小柄だろう。

その切っ先が向いたとき、俺はひゃあと悲鳴をあげて一目散に逃げ出した。




そして今に至るわけだ。

見知らぬ川辺にてため息一人心地である。


「酒瓶抱えて何処へ行こうか」


仮にも物書きだというのにペンでなく酒瓶を持って出てくるあたり、俺もどうしようもないやつだ。

ペンがあればどうとなるわけではないが酒があれば酔える。

なんだ、酒で正解か。


瓶ごと煽りながら歩いてみればポツリポツリと雨粒が降って来て、奇しくもちょうどザァザァ降ってくるときにはあの娘を拾った道端を通りかかったものだから。

あぁ、俺は逃げられないとそこでようやく理解し、振り向いてこちらに近づいてくる傘を眺めたわけである。


「最期はここで良いのですか?」


「良かないが、聞き忘れていたことがある」


「なんでしょう?」


「お前は俺に惚れたのか?」


なんと馬鹿なことを聞くのだろう。

我ながらそう思った。

行き倒れた娘を拾えば惚れられて、、、なんて三文小説もさながらではないか。


「ええ、そうなります」


しかし全くその通りと返されれば流石の俺も反応に困る。

筆を友に枡を書き、下品に言えば俺はそういう男だ。

どういうことかと言えば、そういう甘酸っぱい話はさっぱり理解ができぬのである。


しどろもどろになりつつある俺に娘は小柄を握りてゆらりと寄る。


、、、やはり死んではたまらない。

俺はまだこの酒を飲みきっていないのだ。

見ろ、瓶の半ばよりもある。


「なぁよ、ここで俺が死なない術はあるだろうか」


命乞いの文言が思いつかず、いっそ尋ねてみる。

すると娘は簡潔に答えた。


「私を娶ると宣言し、証を立てれば」


娶れと?

それは随分と無茶を言うと思った。


しかしいつの間にやら娘は俺の首元に刃を当てており。


結局俺はそいつを抱き寄せて、気障な男のように語彙の限りをもってたっぷりと愛を囁く他になかったのである。







それから、俺はたしかに娘と籍を入れた。

酷い年の差で近所の風聞は悪いだろうと思ったら、むしろ不思議なことに道行けば祝われるのだ。

何故と聞くに、この娘、行く先々で俺に向ける感情を吐露していたらしく、知らぬは俺ばかりだったようだ。

よって久方ぶりに買い物に付き合えば散々に茶化される羽目になったのである、二度とあの商店街には行くものか。


それと、件の友人には『すまぬ』と謝れば快く許された。


「なに、それよりも貴様も身を固めるとなったことが俺は嬉しくも悲しい、故、そのことは気にするな」


なんと友達甲斐のあるやつだ。

これで衆道の気が無ければ尚良いのだが。


さて、そして妻となった娘と俺であるが。


「先生さん、お茶が入りました」


やれやれ、未だ俺を先生と呼ぶ。


「お前、いい加減に俺を名で呼んだらどうだ」


「先生さんこそ、お前ではなく私の名を呼んでくださいませんか」


「、、、まだ太陽が高いからな」


「私も同じ理由です」


言うようになった、流石に拾ってから数年の付き合いともなればこういうものか。


「ねぇ、先生さん」


「ん」


「私は幸せです」


「そうか」


俺はどうなのだろう?

なんて、考えるのも阿呆らしいな。


「『私も』と言い直して構わないぞ」


「、、、私も、貴方も幸せです」


「ああ」


茶を啜る。

なんとなく、俺の物語に『完』の文字が書かれた気がした。



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