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・第六話 「末路」

「__ウブゥァァァッ!!」


 汚らしい嘔吐きと共に胃の中に詰め込まれた酒と干し肉の残骸が口から溢れ出した。そしてその吐瀉物は不快な音を周囲に撒き散らしながら地面の草に降り注がれる。

 それによって鼻先に漂ってくる不快な臭い。口の中からも競り上がってくるそれらの異臭は一度吐いたことで解放感を得ていた俺の意識を再び曇らせていく。


「はぁ……ッ!はぁ……ッ!」


 肩を上下に動かしながら、次弾に備えて身を屈める。だが、それはどうやら杞憂で済みそうだ。競り上がってきていた感覚はそのまま下へ下へと下がっていき、それによって喉の奥でつっかえていた感覚は完全に鳴りを潜めた。

 それに安堵を覚えた俺は一旦屈めていた背を元に戻す。だが、そんな背筋を伸ばしただけの勢いに背中を引っ張られ、思わずバランスが後方へと傾く。踏ん張りの効かない足がもたつき、姿勢を戻せるだけの安全ラインは軽く超えてしまう。しかし、運良く自身の後方に待機していた樹によって後方への転倒は免れるも、意識の外にあった樹の存在に気付かなかった俺はその勢いをダイレクトに弱り切った背中に受けてしまう。

 それによって涼みかけていた俺の意識は今度は痛みと苦しみという二つの違和感に襲われる事になる。俺はそれをできるだけ素直に外気に放出する為に全身の力を一気に緩めた。それによって俺はもたれ掛かった樹からずり落ちる様に地面へとへたり込んむ。


「はぁ……はぁ……」


 荒れていた息はまだ整わない。

 それによって喉の奥を行ったり来たりする摩擦感。

 それと共に口の中に残る不快感。

 本来後者ならばすぐにでも蛇口を捻って消すことができていたものでも、この世界ではそんな便利なものを見たためしが無かった為に俺はそんな幻想をすぐに切り捨てた。第一こんな状況だ。そんな悠長な事も言ってはいられない。俺は口の中の元凶を少しでも取り除く為になけなしの唾液をかき集めてそれらを横へと吐き出した。


「はぁ……ははっ」


 嘔吐によって奪われた体力が次第に戻ってくる。だがそれと引き換えに意識の中にこべりついていたものが浮き彫りになっていく。

 その感覚を自覚した時、何故だか俺の口から乾いた笑いが零れた。


「……まさか、こいつの初仕事がこんな事になるなんてな」


 俺は嘔吐の最中もずっと握りしめていたその凶器を見つめながら呟いた。その先端部分は元々黒い素材だったのも相まって、こべりついて固まった血液がより一層どす黒さを増して月明りを鈍く反射させていた。

 その怪しい照りを眺めながら、自身がこの金槌と出会う切っ掛けとなった経緯を振り返る。


 本来この金槌はこの世界で大工か何かをしていくつもりで神様に強請ったものだった。それが今では死人の血でどっぷりと赤化粧されている。いったいどんな過程を辿ればこんな短時間でその道を踏み外すことになるのだろう。そんな皮肉を思い浮かべながら、自身が初めてその金槌を使った時の感触を思い出そうとする。


「……うぶっ、やめよ」


 しかし、その感触を思い出そうとして再び込み上げてきた嘔吐感。それを察した俺は直ぐにその想像を切り捨てて頭を空にする。

 そして手持無沙汰になった俺は空を見上げた。


 空には相変わらずの、満月未満の月が堂々と輝いていた。


「はぁ……はぁ……」


 先程よりも随分と息がスムーズにできるようになってきた。そしてそれと連動するかのように、興奮しきって騒がしかった心臓の鼓動も落ち着き始める。

 だが、その鼓動によって温められていた体温が深夜の夜風に晒された冷や汗によって冷まされていく。それによって、自身の体が小刻みに震え始めた。


「さ、寒いな……はは……はっ」


 俺は”体温の低下によって震える体”を抑えるように体を縮める。少しでも外気に触れる面積を減らす為にだ。

 だが、それで止んでくれるような震えではなかった。それを確認した俺は、両手で引き寄せていた肩を開放して格好つけることを諦めた。


 震えたままの右手で自身の上着の中に手を入れる。

 だが、そこで自身がその目的を達成できない事を思い出して、すぐにその上着の内ポケットに突っ込んだ右手を力なく地面に放り出した。


 そして脱力したまま呟いた。


「……やっぱり俺は、狂人にもなれないんだな」


 俺は自身の不出来具合に感想を漏らした。


 あれだけ冷めた気持ちになって人を殺せるとは思ってもみなかった。今までにも何度か自身が人を殺す瞬間の事を想像したためしはあったが、まさかここまで想像通りにいくとは。

 だが、俺はそんな妄想に花を割かせる度に結局俺はその現場に居合わせたら動揺して人なんて殺せやしない。透かしていられるのはこの平時だけ。そんな風に高を括って自身のその自信過剰具合を鼻で笑っていた。

 しかし、それが今回良しか悪しか当たってしまった。俺は驚く程冷静に、そして何の感傷も抱かずに人を殺せた。その事実に、俺は少しばかりの驚きと共に何とも言えない満足感を得ていた。


 有事の際に、俺はしっかりと事を起こせる。

 口だけで終わらずに済む。


 その事が俺は堪らなく嬉しかった。


 だが、それまでだった。

 結局俺はその事実に今更になって押しつぶされてしまっている。その瞬間だけは勢いでどうにかなったようだが、その後に理解が追い付いてしまえばこんな有様だ。これが本物の狂人であったのなら、きっとへらへらしているのだろう。人一人を殺めた事に、その人生を背負ってしまった事にきっと歪な笑みを浮かべているのだろう。

 もしくはその逆。

 その事に何の感傷も抱かないまま、ただ酒を傾けるのだろう。


 そして俺は、そんな人間にすらなれなかった。

 いや、そんな人間ですらなかった。

 人を殺しておいて今更になってその事実に動揺している。結局俺は、そんな特別な人間に憧れていただけのただの一般人だった。

 そして、今ではそれすらも手放してしまった。


 そんな存在を人は何て呼ぶのだろうか。

 屑男?

 最底辺の人間?

 それとも畜生?

 どれも今の俺自身には該当していない気がする。寧ろもっと無価値で、それでいて人々の意識にすら割り込めないような。

 そんなしょうもない存在。

 そんなどうしよもない存在。

 そんな名詞を俺は探した。


 だが如何せん、小説などあまり読んだためしのない俺の語彙からはそれを探し当てることはできなかった。俺はその事に少しの無念さを感じながら、自身の存在を確定させることを諦めた。


 だが、そんな益体のない考えに花を咲かせていたのが功を奏したのか、体の震えはすっかり止まっていた。そして心なしか、気持ちが軽い。先程まであれだけ胸につっかえていた感覚も、今では完全に抜けきっている。

 それはきっと、自身がどれだけしょうもない存在だったのかを俺自身がしっかり理解し、そしてそれを受け入れたからなのだろう。俺は自身が人でなしになった事よりも、その出来事に自身がまた一つ自身の知らなかった一面を見つけ出せたことに満足した。

 そしてそれに気を良くした俺は自身の上着にまたも手を入れようとしてため息を着いた。


 ……まったく、気を抜いたらすぐこれだ。

 このしょうもなさは相変わらずなままか。

 

 俺は自身が歪ながらも普通とは一線をがした存在になれたという錯覚に酔いしれた。

 そして生まれた心の余裕から、何か軽口を叩いてみたくなった。


 そして俺は呟いた。


「……人殺しって、こんなもんか」

「それが人を初めて殺めた者の感想か。反吐がでるな」


 そして辺りは黒で覆われた。






=====第六話 「末路。」=====






「……貴様、等々やってくれおったな」


 突然の神様空間への招集にも眉一つ動かさない俺に対して、目の前の自称簡単には呼び出せない様である神様が凄んでくる。そしてその言葉の端に自身がこの神にどう見られていたのかを知って思わずにやけた。

 そんな俺の様子に神様は小さく”下種が”と吐き捨てた。

 そしてそんな神様の様子に、俺もまた”どうも”と答えた。


 だがそれが神様の癪に障ったのか、再び神様は皮肉交じりのため息を漏らして次弾を構えた。


「しかし、人を殺めておいて”こんなもんか”とは本当に呆れる」


 神様はできうる限りの皮肉を込めてそう吐き捨てる。その様子から、どうやらこの神様はまず俺をへこませない事には気が済まないようだ。

 だがそれではいそうですかと折れてやる程俺も甘くはない。伊達にロックで反骨精神に磨きをかけてきたわけじゃ無いんだ。そう易々とその意図に乗っかってやるもんか。


 俺はその神様の皮肉に眉を上げながら肩を竦めて口を開いた。


「はっ、やめてくださいよ神様。こっちだって人殺しなんて初めてなんすよ? ウブっすよウブ。第一、どういう反応すりゃいいかなんて学校では全然習わなかったんでね。そんな大層な反応期待されても、困っちゃいますよ、俺」


 俺はいつも以上に饒舌になる自身の軽口に新たな可能性を見出すも、その軽口を聞かされた神様の表情は険しい。その表情は、俺が先程自身が吐き出した吐瀉物をしっかりとその目に焼き付けてしまった時の”嫌なものを見てしまった”時の表情によく似ている。そこから察するに、どうやらこの神様にはこういった類の下賤なジョークが通じないらしい。もったいない。

 だが、そんな表情を向けられた俺は気分がいい。何故だろう。俺はその答えもわからず、ただ感性が赴くままに口の端を釣り上げた。

 そんな俺を見た神様は、何を思ったのか一瞬間を置いて呟く。


「……貴様、正気か?」


 その言葉に、堪らず俺は吹き出しかけた。


 おいおいおい!

 やめてくれよ!

 人殺しに何てこと聞いてくれちゃってんのこの神様は!

 人殺しが正気なわけないだろまったく!


 俺はその愉快な気分が外に漏れてしまわぬよう、必死になって顔を抑えた。だが、そんな俺の意志と関係なく捩れる腹から吐息が漏れてしまう。

 それにより俺の目論見は完全に外れ、自身の抱いた心象はそっくりそのまま正確に神様へと伝わってしまう結果となる。それによって神様は再び顔をしかめた。

 しかし、それを見てやっと俺は手遅れながらにその自身の下卑た笑みを引っ込める事に成功した。


 ……まったく。

 別に俺みたいな人間が初めてってわけでもないだろうに。

 大袈裟な。


 俺は人生経験豊富そうな神様のその仕草に勝手ながら作為を感じてしまう。それによって俺の腹の底は冷えた。

 そんな気分を紛らわそうと自身の上着に手を入れる。そしてまたも、自身の学習力の無さに舌打ちを漏らした。


「にしても、正気ねぇ……」


 俺は上着の内ポケットに入れた手を引っ込めながら瞑想にふける。


 既に自身の中で答えの出ている回答。

 それをいかにこの神様に100%伝えるか。

 そんな事を俺は考え始めた。


 100%でなければいけない理由は勿体ないからだ。

 せっかく俺はこの自身の新たな一面との出会いに、こんなにも喜びを感じているのだ。だからこそ、この大切な喜びを嘘偽りなくこの神様にも知ってもらいたい。

 共感は勿論されないだろう。

 だが、それでもこの喜びをありのまま伝えたい。その為にも俺は俺自身の狭い語彙の中から選び出されるような、そんな有り触れた言葉でお茶を濁したくはなかった。それこそ、ただそれっぽく飾っただけの上っ面な軽い言葉なんかでこの気持ちを口にしたくはなかった。


 そうして俺は考えついた。

 ずっしりと降ろしていた重たい腰を上げ、その俺の様子に身構える神様を他所に俺はまた汚らしい笑みを浮かべた。


「じゃあ、確かめてみます?」

「……は?」


 俺の言葉に、可愛らしい反応の割に頭の回転が早そうな神様には似つかわしくない反応が返ってくる。その事に俺は少し萎えつつも、察しの悪い神様にもわかるように立てた親指を自身の胸に数回当てて見せる。

 すると、やっとこの神様も察しをつけてくれたようだ。

 神様は俺の舐めた態度に顔をしかめつつも、現世で俺に見せてくれた読心術を再び披露する為の準備に入った。

 そして、そんな目の前で青白い光を強め始めた神様を見ながら俺はふと思う。この神様はいつまでこの俺の茶番に付き合ってくれるつもりなのだろうかと。


 先程までは全然意識していなかったのだが、俺は今更ながらにこの自身の態度が神を怒らせるのには十分過ぎている事に気付いた。その点を考えれば俺はもう何度も首と胴体が離れているはずなのだが、どうやらまだ一度もそんな矛盾は起きていないようだ。だが、かといってこの神様が何の要件も持たずに俺を呼び出すわけもなく、その理由を考えればそれは俺の断罪しか考えられない。状況的にもそれが一番しっくりくる。

 だから、今こうしてこの神様が俺の縦横無尽天真爛漫な態度に辛抱強く付き合ってくれている理由は、もしかしたらこれ自体が俺という罪人への神様の最後の戯れなのかもしれない。もしくはその咎人への最後の猶予、といったところか。


 まあそれがわかったところで今更だ。

 どちらにしろ俺は既に自身の人権を投げ捨ててしまっている。今更それに見苦しく縋りつこうとも思わないし縋りついてもいけないと思っている。だから俺は今この残された最期の時間を最後の最後まで俺という屑人間としてめい一杯生きよう。今更この経験を活かして善人になりますなんて卑怯な真似はできない。そういう事が許されるのは、しっかりと自身の罪と向き合ってそれを償おうという気概のある人間だけだ。

 だから俺がそれを口にしてはいけない。

 それに、俺は他人の人生を終わらせといてまで執着できるような悔いも現世ですら残せていない。

 だから今なら満足して死ねる。


 そんな自己中心的過ぎる感傷を抱いている間に神様のどきどき診察タイムが始まっていたようだ。神様は俺に自身の右手をかざしたまま、その整た眉の片方をピクリとさせた。

 そしてそれは俺の心の中を覗き見た瞬間だったのだろう。

 それを確認した俺はわざとらしくその口の端を釣り上げてみせた。


「どうっすか? 中々に楽しいものが見れたでしょ」


 困惑する神様に、俺はそんな軽口を叩いてみせる。そしてそれを言われた神様はまたも”正気か?”と言ってきそうな表情を浮かべた。

 そんな神様の反応に満足した俺は、神様が今見たであろう景色を想像する。


 そう、俺が思い描いた神様越しに見える俺自身の中身。

 それは__




 ”無”だ。

 何の穢れも無い、ただの白。


 他人の命を奪い、そしてそれによって終わるであろう自身の人生の末路を悟った上で尚、俺の心の中には波一つ立っていない。

 それ程までの”穏やかさ”。


 まぁそれはあり得ないかもしれない。どっかの上等な坊さんでもないわけだし。もしかしたらこの状況に期待していた分、少しは興奮の色が混じっているのかもしれない。

 だが些細な事だ。

 どっちにしろ、”異常”だ。

 目の前の神様をびっくりさせるには十分だ。


 そんな”異常な”考えを俺は抱きながら、次なる神様の反応に期待した。


「……成程」


 だが、そんな期待をよせていた神様が漏らした感想は余りにも淡泊なものだった。それによって俺はまたも期待を裏切られた感覚に苛まれる。


 そしてこの神様にはぐらかされた感想を聞き出すべきか否かに頭を悩ませている俺を他所に、神様は俺に対して背を向けた。それが俺にはどこかへ行こうとしているように見えて、思わずその時声を上げてしまった。


「え、ちょっと!」

「なんじゃ」


 だが、その声に呼び止められた神様の反応は昼の時のものに戻っていた。

 怒りもなく、また侮蔑の色も無く、ただ俺のその呼び止めに面倒くさそうにする神様がそこにいた。

 その様子に、俺はまたも呆気にとられた。


「え、いや。どっか行っちゃうのかなって……」

「なんじゃ。我がどこへ行こうが主には関係ないじゃろう」

「え?」


 その当たり前のように言われた言葉に思わず口をぽかんと開けた。

 そんな間抜け面を見せられた神様は先程以上に面倒くさそうな表情を浮かべながらも再び俺と向き合った。


「え? とはなんじゃ。まだ何かあるのか」

「え、いや……神様って俺を断罪しに来たんじゃないんですか?」


 そんな素朴な疑問を口にした俺に、神様は”はぁ?”と神様らしからぬ俗っぽい言葉を返答に眉をしかめた。

 そして大きなため息をつく。


「……主よ、何か勘違いしておったようじゃから今一度言うてやる。我らはそれ程暇ではない。」

「ひ、暇って……」

「一々神が人の罪なんぞ裁くか戯け」


 神様はそれこそ某神様の愛に報いようの会以下何百もの宗派に所属する人間が聞いたら耳を疑いたくなるような事を平然と言ってのけた。それによって俺の力の入り切った肩がストンと落ちた。


「また惨い事を平然と……ってか、ならなんで俺をここに?」


 俺は脱力しながら力ない笑みを浮かべて神様に問う。そして神様は言ってのける。


「そんなもの、我の暇つぶしに決まっておろう。」

「神様って痴○なの?」


 俺はそんな神様に対してとてつもない事を口走った。

 だが、妥当だろう。

 いや、妥当だろう。


「……貴様。」

「いやいやいや! あんた自分の発言もっぺん振り返ってみろよ!」

「戯けが! 我は星の数程いる罪人を一々神が裁いていられるかと言ったのじゃ! 第一、糧と闘争以外で殺生を行うような種なぞ貴様らだけじゃ! それを、事も有ろうに我らに求めるじゃと!? 恥を知れ!」


 それを言い終えると、神様は俺に背を向けて一際大きなため息をついた。

 そして意味深に俺にその横顔を見せた。


「……まあ、急くでない。貴様が急いて強請らずとも、いずれはその業によって貴様は思う存分苦しむことになるのじゃ。」


 背を向けたまま、横目で言われたその言葉。

 それは確かに罪人に向けて言われた言葉だった。

 だが、そんな中に俺はどうしよもなく引っかかってしまう言葉を見つけてしまう。


 ……強請る?

 は?


 そうして俺は口を開いた。


「……な、何を__」

「まあそれでもまだ貴様が罰を欲するというのであればそれは勝手じゃ。じゃが、それを我に縋るでない。見苦しい」


 だが、そんな俺の言葉を無視するかのように神は続けた。

 そうして、神は俺に背を向けたまま右手を上げる。

 それが話の締めと言わんばかりに。

 それを見せられた俺は前へと足を踏み出す。


 しかし、その足が再び地面に着くより先に辺りは白い光に包まれた。






===========================================






「ま__ッ!」


 伸ばしかけた手の指す方に神はいない。伸びきらずに宙に浮いたままの腕は、目標を失った事によりその一動作を完遂できぬまま、ただ重力にさらされゆらゆら揺れる。

 そんな小刻みに震え続けるだけの手を力一杯握りしめ、俺はやり場の無い怒りをぶつける様に拳を振り抜いた。


「ふざけんなクソったれぇェッ!!」


 その怒声は静かな森の静寂を切り裂いた。

 だが、それでは収まらない。

 収まるわけがない。

 俺は腸が煮えくり返るような怒りに打ち震えた。


 急く。

 強請る。

 罰を欲する。

 縋る。


 これは神に言われた言葉だ。

 だが、これでは俺自身がその罪の重さに耐えきれなくて罰を欲しがっているような子供みたいではないか。その物言いに、俺はどうしよもなく自身の存在が侮られた気がして許せなかった。

 俺は誰もいない森の中で尚も叫ぶ。


「誰がそんな真似するかクソったれッ!! 俺がいつてめぇに縋ったよッ! えぇッ!? 人の中身透かした気になってんじゃねぇよクソったれぇェッ!!」


 俺は確かに自身の死を受け入れていた筈だ。罪も、罰も、何もかも受け入れて俺は自身の信念の元、それに殉ずる覚悟でいた。

 それを事も有ろうに、そんな俺に対して神はそのまったく見当違いな偏見で俺の事を散々に貶め、挙句に見苦しいとまで言ってみせた。

 そこまで言われて、いったい誰が黙っていられるか。いや、黙っていられる筈がない。


 俺は自身が最底辺の人間であることは自覚していたが、最底辺には最底辺なりの矜持ってもんがある。

 これだけはしない。

 ここだけは譲らない。

 どんなにそれらに苦渋を飲まされようとも、それだけは頑なに拘り続けてきた。

 何故か。

 それが俺として生きていく為の最後の拠り所だったからだ。

 それは確かに他人からしたらちっぽけなことかもしれない。それこそ鼻で笑われるような、そんなどうしよもない程にしょうもないプライドに見えるかもしれない。だが、それでも俺にはそれしか自分を許してやれる方法を見いだせなかった。

 だから俺はその唯一の心の拠り所を土足で踏み荒らしたあの神の所業を許せない。それがたとえ相手が神であっても。


 俺はその吐き出しきれない怒りを夜空に叫び続けた。

 ここがどういう場所かも忘れて。

 だが、その行為が望まぬ来訪者を呼び寄せてしまう。


「あ、あなたっ!」

「あぁッ!?」

「……っ!」


 俺は突然の後ろからの呼び止めに、その怒りを抑えることも忘れて怒鳴ってしまう。それにより、呼び止めの主はその肩を小さくビクリとさせた。

 しかし、その様子が皮肉にも功を奏して俺の沸騰しきっていた頭を一瞬で冷やした。


「あっ、ご、ごめん……」

「あ、い、いえそんな……」


 そして訪れた何ともいえない二人の沈黙。

 その居心地の悪い空間の中で、俺はこの目の前の少女の事を思い出す。


「えっと__」

「あのっ__」


 そして沈黙に耐えきれなくて口を開いた。

 だが、それが再び二人の間の悪さを露呈させ、お互いがお互い言いかけた言葉を飲み込んでしまう。

 それに気付いた俺は、もうこれ以上譲りあったところでお互いの得にはならないと直ぐに悟って矢継ぎ早に自身の言いかけた言葉を口にする。


「あれだよね。僧侶さん……だよね? 酒場の」

「あっ、はい。」


 少女は俺の問いに対して、自身がどういう声の掛け方をしてきたのかも忘れて律儀な返答を返してくる。

 その様子に、俺はこの少女がどんな人物だったのかを思い出して顔をしかめた。


 そう、今この場に現れた人物。それは先程俺が抜け出してきたあの酒場で、自身の目上の人間に対して噛みついた挙句にこてんぱんにされていたあの優等生少女だった。

 そして、それと同時に俺が人殺しになる切っ掛けになった人物でもある。

 そんな彼女は今俺の目の前でそのかわいらしいおめめをぱちくりさせて次なる殺人鬼の言葉を律儀に待っている。その様子に、俺はげんなりする気持ちを隠しきれなかった。


「はぁ……」

「な、なんですか……あ、それよりもです!」


 そして彼女は自身の目的を思い出す。

 そしてその目的に心当たりがある俺は顔をしかめた。


「あ、あな__ッ」

「あーいいいいお礼とかそういうの」

「え?」


 彼女の言葉に先回りして返答を返す。そしてそのまま少女に背を向け、自身が先程神にされたように右手を上げて末尾を締めた。それにより少女は首を傾げることもせずに無理解を示す。

 そんな少女に俺は面倒くさく思いながらも優しい解釈を付け加えてやる事にした。


「別に感謝とかされたくてやったわけじゃないし俺。それに感謝される事にも慣れてないし。第一、それで助けてもらったとか変な勘違いされても困るんだよねー俺」


 俺は殊更に自身の功績を鼻にかけて格好をつけてみせた。それを聞かされた少女の表情は見えない。

 だが、大体の事は予想できる。大抵の場合なら、こんな恩着せがましくも不愉快な言葉を羅列されたらその眉間に皺を寄せない人間はいないだろう。そして自然と、俺との関わりを絶つ。それで一件落着だ。

 だが、もしこの少女が類まれなるお花畑の持ち主であったのなら話は別だ。それこそその人生経験の豊富さから色々なものに幻想を抱いてしまう小学生ボーイ達よろしく、今頃は”なんて謙虚でクールなんだ!”と人生の師匠と巡り合えたかのような歓喜に胸を震わせているだろう。もしそうであったのなら俺はそれこそ裸足で逃げ出すような勢いでこの少女から避難せざる負えない。でなければ寄生されかねないからだ。

 そして、もし万が一寄生されてしまうような事になれば、俺は今後四六時中延々と生命と食事へのありがたみを語り続けなければいけない。

 そんなの俺は耐えられない。


 俺は縋るような気持ちで軽口を続ける。


「まあ、それでもお礼がしたいってんなら胸の一つでも揉ませてくれれば__」

「ふざけないでくださいッ!!」


 だが、そんな俺の杞憂など吹き飛ばすが如く怒声で少女は怒りを露わにした。

 それによって俺は思う。


 __ですよねー。


 そこで俺は流石に自身の希望的観測過ぎた考えをかなぐり捨てて、代わりに意図的に考えないようにしていたある答えを引っ張り出してくる。


「あなたはあんな大変な事をしでかしておいて何とも思っていないんですかッ!?」


 まあ本当に正常な脳みそしてたら、それこそ頭ん中ラフレシアでも咲いていない限りはそういう反応になるよな。


 俺はその少女の怒りに解を明示された現実に目を背けることを諦めた。

 そう、この少女が言っている事。

 それは”この人殺し!”である。

 人殺しをしといて何へらへらしてんだと俺は言われているのだ。普通過ぎて欠伸が出るわ。


 しかし、それにしてもこの少女の言葉は一々俺の癇に障る。”人を殺しておいて”とはっきり言えばいいものを何”あんな大変な事”とお上品に言い換えちゃってくれているのだろうか。俺が言うのもなんだが、今はそんなオブラートに包んでいられるような状況か? そんな余裕があるような状況には俺は思えないのだが。


 俺は改めてこの少女のお頭がそもそもラフレシアだった疑惑を抱きつつも、その問いへの返答を用意した。


「まぁあいつ殺しちまった事については百歩譲って謝るよ。だけどさ、そもそもあんたずっとあいつに付いて行って魔王? だっけ? そんな奴倒せると本気で思ってたわけ?」

「……な、何を言って__」

「俺にはあいつがどーしてもそこら辺の廃残にしか見えなかったし、第一あんただってまさかあいつが本当にそんな大層な事成し遂げるような勇者に見えてたわけでもないんだろ? だったらこのあたりで鞍替えしたって__」

「いい加減にしてくださいッ!!」


 俺はそれまでの胸の内にしまっていた正直な見解を素直に述べた。それに対して少女は再び怒りを露わにする。

 それによって俺は心の中でこの少女の事を完全に切り捨てる決意を固めると同時に、その少女の最後の八つ当たりと現実逃避に付き合ってやることにした。


 だが、その予想は外れていた。


「さっきからあなたは一体何を言っているんですか!? 頭がおかしいんですか!?」

「は?」


 余裕綽々で身構えていた俺。

 だが、そんな俺に対して少女は明後日な方から変化球を投げてきた。

 それによって意図を外されて無防備になる俺。

 そんな俺に尚も喚く。


「意味が分からないです! 勇者さんを殺したとか鞍替えだとか、一体あなたは勇者さんを何だと思っているんですか!?」

「……はぁ?」


 少女は俺の言葉に意味が分からないとそう叫んだ。

 だが俺にとってはその反応こそが意味が分からなかった。


 何?

 あいつ生きてんの?

 あんな事になってたのに?


 俺はその信じられないような自身の閃きに思わず口を開く。


「おいおいゾンビかよ」

「はい!? ゾンビなわけないじゃないですか!」

「じゃあなんなんだよ! あいつ生きてんだろ? ならなんで生き返ってんだよ!」

「あなたは勇者の加護を知らないんですか!?」

「はぁ? 勇者の加護?」

「神より与えられし聖なる力の事です!」


 そこで何となく察しをつける。どうやらその加護とやらであいつは生き返るらしい。

 だが、それなら尚更腑に落ちない。

 俺があんなにも神様に嫌われてるってのに、どうしてあんな奴が神に祝福されてるのか。俺は再び人生の理不尽さを呪った。


「じゃあ何か? あいつ死んだら、それこそ王城か何かで復活すんの?」

「あ、当たり前じゃないですか!」

「ガチか」

「……何ですかガチって」


 俺はそこで肩を落とした。

 まさか某RPGよろしく死んだら王城逆戻りパターンなんていう、それこそ王道をベタ足で突き進むが如く展開など予想していなかった手前、俺は自身の今後の人生をそれこそ奴を殺した時点ですっぱりと別物として考えて生きていこうと思っていた。そりゃあ勿論人を殺したことで追われる人生だってのは覚悟していたが、まさかその奴が生き返るとは……。

 そうなるとこんだけ王道展開詰め込んだ世界だ。きっとあいつは正真正銘まごうことなき勇者様で、この世界は魔王に支配されそうになってて、そんでもってある村に辿り着いて酒を飲んでた矢先、突然狂人村人NPCに襲われて強制リセットゲームオーバーって流れで……

 何だそのクソゲー。

 俺だったらぜってーそのクソNPC許さねぇよ。


 俺は自身のやらかした事の重大さに気付いて項垂れた。


 あ、ついでにガチっていうのは”それってホントウでぃすか?”と書いてガチと読みます。

 これ豆な。


「そんな事より、あなた一体どうするんですか!」


 そんな余裕のない俺を差し置いて僧侶は尚も喚く。

 それに俺は力なく笑って見せる。


「さぁ? どうすりゃいいんすかね?」

「は、はぁ!? あ、あなたそんな事も考えずに勇者さんに手を出したんですか!? 信じられない!」


 そうして嘆く目の前の少女。

 それにムッとした俺は少し意地悪をしてみる事にした。


「ってか、あんたは何しにここに?」

「はぁ!? そんなの決まってるじゃないですか! 私はただあなたにその事を伝えに__ッ」

「その事って?」

「そ、それは……勿論、あなたが大変な事をしてしまったと__」

「それだけ?」


 そうして少女は下を向いて黙ってしまう。

 それに満足した俺は自身の上着に手を突っ込む。


 そう、これは単なる俺の八つ当たりだ。それをこの馬鹿正直にも考え無しに俺の後を追ってきてしまった少女にぶつけているだけだ。だからこの少女がこの事を負い目を感じるような事はまったく無いし、その責任だって感じる必要もない。

 後は俺の問題だ。

 この少女は何も関係ない。


 そうして俺は自身に舌打ちするのも面倒くさくなって、自身が摘まんだ煙草をそのまま火もつけられないのに口に咥えた。


「……匿います」

「……は?」


 だが、そんな俺を他所に少女が小さく呟いた。

 それを耳にした俺は絶句した。


 ……こいつ、本物の馬鹿か?


 俺は口に咥えたままの煙草を横に勢いよく吐き出したい衝動に駆られるも、余りにもそれが下品だと思いそのまま脱力に任せて下へと落とした。

 だが、それが彼女には俺が動揺して煙草を落としてしまったかのように見えたのか、必死になってまた声を荒げ始める。


「私があなたを匿います! それで勇者さんからあなたを守ります!」

「はぁ……あんたねぇ、ママから教わらなかった? 面倒も見れないのに動物飼っちゃダメだって」

「な!?」


 選手宣誓のようなその宣言に俺は頭を掻きながらそう答えた。

 だが、それによって自身の意志を軽く見られたと思いこんだ少女は更に意地になって声を荒げる。


「わ、私はあなたを途中で見捨てたりなんかしません! 絶対にあなたを勇者さんから守って見せます! そ、それはもうすっごく大変だとは思います……で、でも! それでもいつかきっとこの世界が平和に__ッ」

「あんねぇッ」


 少女の口から吐き出される言葉の数々。それはきっと、彼女が本当に心優しい少女だから出てくる言葉なのだろう。

 だが、それだけだ。その彼女には力が無く、またそれを実現させるだけの強さも無い。

 そんな彼女の言葉を鵜呑みにできる程、俺の頭は咲いちゃいない。お互い苦しむオチが見えているのに、俺はその優しさに乗っかるわけにはいかない。

 第一この少女の当初の目的は何だ?

 それを思うと無性に腹が立つ。


 俺はその事を改めてこの目の前の少女の薄っぺらい言葉で再確認し、そして決意を固める。

 そして俺は自身の語気に怯んだ少女に向けて、とても残酷な言葉を呟いた。


「そんな事より、あんたはどうすんだよ」

「……え?」


 俺がこれからしようとしている事。

 それは俺自身が先程聞きそびれてしまった事の焼き直しだった。


「あんた……今勇者だけが王城に飛ばされたこの現状、どうすんだよ」

「ど、どうするって……」


 俺の言葉に少女がたじろぐ。

 そんな少女の目を見ることもせずに、俺は落ちた煙草を拾いなおす。


「き、決まっているじゃないですか! も、勿論勇者さんの後を追って王都へ向かいます!」

「へー、それから?」

「そ、それからって……勿論……みんなと、一緒に旅を続けます……」

「へー、あんな奴らと」

「……ッ」


 少女はそこで下を向く。お決まりのパターンだ。

 そんな少女を他所に俺は拾った煙草を咥えなおす。

 そして俺は焦点を合わせることも無く、ただぼーっと少女の足元へと視線を向ける。


「き、決まってるじゃないですか……ッわ、私は勇者一行なんですよ……ッ」


 そして少女は言葉を紡ぐ。

 何かに堪えた震える声で。


「ほーん……”勇者一行”、ねぇ……」


 そんな少女に俺は呟く。


「……な、何が言いたいんですかあなたは……ッ」


 そして少女はそれに喰い付く。


 __まったく、どれだけ性格が悪いんだ俺は。


 そうして俺は呟いた。




「べっつにー? ただ、お勧めはしないよって__」


 俺はできるだけ、神経を逆撫でる様に呟いた。

 そして少女は答えてくれた。




「あなたに何が分かるんですかッ!!」


 深夜の森に響いた怒声。

 それは、酒場ですら聞けなかった今日一番の怒声だった。


「知った風な口利かないでくださいッ!! あなたに何が分かるっていうんですかッ!?」


 彼女は怒りに任せて叫ぶ。

 それを俺はやり過ごす。


「私だってあんな人達と旅なんてしたくないですッ!! 自分勝手で傲慢で人の事なんて何も考えてない人達となんてッ!!」


 ほーん。

 ならやめればいいのに。


「でもッ、それでも私は勇者一行なんですッ!! この国を!! みんなを守る勇者一行なんですッ!!」


 でもお宅の勇者さんあんなんよ?

 お仲間含めて。


「それなのに私が逃げれるわけがないじゃないですかッ!!」


 どうしてそうなんの?

 他に任せりゃいいじゃん。

 あんたの代わりなんていくらでもいるだろうに。


「誰かがやらないといけないんですッ!!」


 そうだね。


「誰かが我慢しなきゃいけないんですッ!!」


 そうか?


「それがあなたにわかりますかッ!?」


 いや全ッ然わかんない。


「それなのに知った風な口利かないで下さいッ!!」




 __終わったか。


 少女の怒りをぶちまけ終わった後の荒れた吐息が聞こえてくる。

 それを確認した俺は頭を上げる。ぼやけた視界を元に戻す。そうして見えた視界の先には__


「はぁ……ッはぁ……ッ。あ、あなたに何が……ッ」


 泣きながら怒っている少女の顔が。

 それを見た俺は”嫌なものを見てしまった”表情を彼女に見られないように上を見上げた。

 そうして見えた綺麗な夜空に、月が見える事はなかった。




 木々の隙間から夜空を見上げたまま、口に咥えた煙草を指で挟む。

 そして火がついていた頃と同じように、口から離して息を吐く。

 すると、その口からはあの頃と同じように、煙のような白い吐息が宙に浮かんだ。

 そして消えた。


 俺はそれを最後まで見届け終えると、上げていた顎を元に戻した。

 だが、その視界に彼女の表情は入れない。

 そうして向き合った少女に向けて__






「あっそ」




 俺は短く別れを告げた。


 向けた背に声を掛ける者はもういない。

 それをいい事に俺はどんどん前へと進む。

 しかし、そんな呼び止めの無くなった筈の後ろの方から、微かな啜り泣きが聞こえていた気がする。




 だが、それだけだ。






================================================






「はっ! 胸糞わりぃッ!」


 俺は口に咥えたままだった煙草をガラ悪く口の端に咥えなおす。そうして俺は手直にあった樹にもたれ掛ってどかりと座り込んだ。


「……たくよぉ、だからやめときゃよかったんだッ!」


 俺は片方の膝を立てながら、自身の酒場での軽率さを罵った。


 俺はあの場に足を踏み入れたばっかりにとんでもない事になってしまった。かの糞野郎様はそりゃあもう大層立派な本物の勇者様であり、そんなモノホン様に手を出した俺は晴て立派なお尋ね者だ。挙句にその勇者様は不死の呪いに掛かってる化物様で、俺はそんな奴にずっと命を付け狙われる羽目になった。これが某RPGなら俺はシステムの壁に守られて通路を塞がれるか四方八方から四六時中声を掛けられ続けるだけで済むのだが、どうやらそれも期待できない。

 完全にお手上げだ。

 俺はあの行い一つによって、自身のセカンドライフを何もかもパーにしてしまった。異世界に夢見る方々に何とお詫びをすればよいのやらだ。


「はぁ……」


 おまけにか弱い女の子泣かせるわおやじさん殴られるわで散々だ。そしてその唯一の救いであるあの酒場の女中さんが助かった事だって、目の前であんな惨劇を見せられてんだ。一生のトラウマもん間違いなし。

 結局誰も得せず終わった。

 俺ってやっぱり異物だわ。


 俺は自身の結果が何一ついい結果を生まなかった事に大きな溜息をついた。


「……ってか、この世界に勇者いるんだったら俺いらないじゃん」


 そして俺は今更な事を呟いた。


 くそっ。

 ならなんで俺この世界に呼ばれたんだよ。

 仮にあいつが相当な糞野郎過ぎて世界が救われるのが遅くなるから呼ばれたにしたって、それは遅いか早いかの違いだ。あいつだって自身のいる場所が安全じゃ無くなればその重い腰を上げざる負えない。他人の為にじゃなくて自分の為にくらいは働くはずだ。

 そう考えるとつくづく俺はいらない子だ。俺がいなくたって世界は救われる……。


 その事を考えた時、俺の怒りは収まった。

 代わりにお馴染みの慣れ親しんだ感覚が戻ってくる。


「……なんだ、この世界にも俺、いらないじゃん」


 俺はそんな言葉を呟いた。


 結局俺はこの世界で何をした?

 ただ待ってれば救われる世界で問題起こして、散々に色々な人に迷惑かけて混乱させて。

 おまけに、その勇者の代わりに世界を救ってやろうって気概すらない。一般NPCとして静かにその余生を過ごすつもりでいた。

 な の に 問題を起こした。

 これでは、前いた世界と一緒で、”俺がいない方がいい”じゃないか。


 俺は再び、口の端を歪に釣り上げた。


「……ははっ、やっぱどこいっても屑は屑だッ」


 湧き上がってくる感情。

 ドス黒い”何か”

 そんな”何か”が俺を愉快にさせる。

 俺の笑顔を汚らしく彩る。

 何故だかはわからない。

 何故だかは知らなくてもいい。


「ははッ!! ははははァッ!! やっぱり俺は屑じゃないかッ!!」


 俺は立ち上がり夜空を見上げた。

 そして見開いた目の先に見える景色、綺麗な夜空。

 惚れ惚れする程に満月と三日月に巡り合えないそんな空。そんな夜空に俺は高笑いを響かせたい衝動に駆られた。


 何を叫ぶかはわからない。

 何を叫べばいいのかもわからない。

 だが、それでも込み上げてくるこの感情を。

 腹を捩れさせるこの感情を。


 叫びたい。

 喚きたい。

 狂いまくりたい。

 怒鳴り散らしたい。


 とにかく何でもいい。

 どんな言葉だろうと構わない。

 そう思って口を開く。

 限界までこじ開けられた、邪悪の先兵、その口を。

 胸一杯に溜め込まれた気は今か今かと力を溜め込む。


 そうして俺は夜空に向かって__




「ごめんね」




 そんな言葉を呟いた。

 そして力の抜けた体は、脱力のままにへたり込んだ。


 もう、今は何も考えたくない。


 そうして俺は瞳を閉じた。




 だが、そんな黄昏る俺の耳に、何かの音が忍び寄る。


「あぁ……?」


 俺はその不穏な”足音”の正体を認識する為に目を向ける。

 その先に見えたもの。


 それは”野良犬”だった。

 しいて俺の知っている野良犬との違いを上げるとすれば、その野良犬は地面から背中までの高さが175センチある俺の腰の高さくらいまである事と、筋肉隆々の図体と足、おまけに体中の黒い体毛がワックスとスプレーでガッチガチに固められたビジュアル系バンドの髪型のようにトキントキンに仕立て上げられているところだろうか。あと、目が赤い。


 俺は再び回転し始めた脳内で自身が実家で飼っていた雑種の愛犬の様子と比較しながら、そんな感想を思い浮かべる。

 だが、その平和ボケした脳内とは裏腹に俺の背中は冷や汗によって冷やされていた。


 明らかに戦っても勝ち目がなさそうだ。

 その口元から覗かせる鋭い牙を、俺は避け続けられる気がしない。そんな絶望的な状況だった。




「……ははっ」


 なのに俺は笑ってしまった。


「これが……屑の末路か」


 そうして俺は脱力したまま腰の違和感に手を触れた。その口元を、歪にさせて。


「だけどさ……俺は痛いのは嫌いなんだぁ……」


 そして、込み上げる感情のままに不敵な笑みで笑って見せる。

 そうしてゆっくり腰を上げる。

 ねっとりとしたその言い方も、もはや演技をする必要すら無い程に狂気じみていた。

 俺は腰に巻き付け直していた凶器をするりと抜き取った。


 楽しい。

 嬉しい。

 死にそう。

 痛そう。


 ごちゃ混ぜにされたそれらの感情は、よくわからない高揚感を俺に与える。

 それに当てられたのか、目の前の絶対強者は一歩たじろぐ。その様子に、俺はまたも笑ってしまった。


「おいおいおいっ! 別にとって喰おうってわけじゃねぇんだぜっ!? ただ、素直に殺されてやるつもりもねぇってだけでさぁ……」


 そう、多分俺はこいつに殺される。

 その優位性は変わらない。

 だが、それでもただ殺されるだけってのも味気無いから俺は生き物として最期まで惨めに抵抗させてもらおうってだけの話だ。


 そう、これは普通な事だ。

 生き物として、当たり前な事だ。


 そうしてこの一瞬だけの錯覚に囚われてしまった目の前の獣の方へ、俺は一歩にじり寄った。

 そうしてまた一歩、目の前の獣は後ろへ下がる。


 絶対強者が俺に吠える。

 その様子は愉快なものだ。

 何をそんなに怖がっているのか。

 俺はその様子を弱者として喜んだ。


 だが、そんな愉悦は直ぐに吹き飛ぶ。


「……あぁ、そういう」


 俺はまた一歩獣ににじり寄ろうとしてそれに気付いた。その獣の後方に控えていた、木々の陰で見えていなかった獣の群れに。 


 そうして俺は呟いた。


「流石に無理っすわ」


 そう言って俺は自身の武器を横へと捨てた。

 そして両眉を吊り上げながら、肩を竦めて定位置に座り込む。


「まったく、いるならいるって言えってんだ」


 俺は目の前のわけのわからない生物の行動に戸惑う獣の群れを他所に、自身の上着の内ポケットから煙草を取り出す。

 そして一本煙草を抜き取り、それをそのまま口に咥えた。


「あーあ。短い人生だったな」


 一日で終えた自身のセカンドライフへの感想を漏らす。

 そうして俺は空を見上げた。

 やっぱり月は見えなかった。




 だんだんとにじり寄ってくる獣の群れ、脅威。しめて八頭といったところか。

 そんな獣を見つめながら、俺はナマケモノの習性を思い出す。


 確か、あいつらって捕食される時には脱力するんだっけ。


 自身の知りうる知識で思い浮かべる。それによると、どうやらナマケモノは最期の捕食されている最中にはできるだけ痛みを味わわない為に全身の力を抜くそうだ。何ともまあ潔い事か。

 それにあやかって俺も全身の力を抜いた。


 多分、動物のすることだ。

 間違ってるって事は無いだろう。


 そうして死に支度を整えた俺は、暇な時間を使って自身の人生を振り返る事にする。


 ……つっても、振り返る程の事も無いな。


 だが、それに気付いてすぐにやめた。

 しかし、死ぬまでにはまだ時間はある。

 では、どうしようか。


 そうして手持無沙汰になった俺は、気を紛らわす為に両手を後頭部へと持っていった。だが、それが幸か不幸か獣達を一瞬驚かせてしまったようだ。

 そんな獲物に一々ビクつく獣を見て、俺は思わず笑ってしまう。

 そしてコケにされた事を察した獣が一斉に吠えた。


 急激に詰められていく獣と俺との距離。 

 ものの数秒で到達する迫りくる絶対の死。

 そんな刹那の瞬間に思う。

 俺の最期の辞世の句。


 何も楽しくは無かった人生。

 未練ばかりを残してしまった人生。

 何者にもなれず、ただ他人を羨むばかりだった。

 親への感謝も述べられなかった。

 親への感謝も返せなかった。

 兄として、たった一人の弟に何一つかっこいいところを見せてあげられなかった。

 俺の兄貴はこんなにもかっこいいんだぜと言わせてあげられなかった。

 口ばかり、夢ばかりの人生。

 そんなしょうもない、俺の人生。


 そして、そんな俺を必要としない世界。

 俺に優しくない世界。

 俺がいると困る世界。

 そんな世界。

 異物の取り除かれた、そんな世界__




「あぁ__」











「このクソッタレな世界がどうか平和でありますようにってね」




 そうして俺の喉は噛み千切られた。


 その勢いで見えた景色に、やっぱり月は映ってくれなかった。











~Next~

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