1-8
おじょうさまの言葉を待つ。固く握りしめた手が汗ばむ。
部屋の中は暗く、こちらに向いた彼女は窓からの静かな夜の光を背にしていて、表情は見えにくかったが、いつものように微笑んでいないのは分かった。
私はそっと近づき、隣に腰を下ろした。
二人で窓の外をただ見つめる。
庭に面したおじょうさまの部屋からは、あの木がよく見える。
やがて、おじょうさまは独り言のように語りだした。
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わたしの両親は、魔法使いではなかった。
この世界では、魔力は持っている者よりも、持っていない者の方が遥かに多い。
魔法使いは異端の存在であった。
両親は、幼いわたしが魔法を使えると知るや否や、家から追い出した。
そして、魔女であるばあやに拾われ、この家で暮らすようになった。
ばあやは魔法を商売に使い、生計を立てていた。
この家でひっそりと、でも穏やかな時間を二人で過ごした。
しかしわたしは、わたしと家族を引き離した魔法というものが、どうしても好きになれなかった。
だから、魔法に関する事には一切近づかなかったし、自分の力も使おうとは思わなかった。
ばあやは無理に覚えなくてもいい、と言ってくれた。
魔女ではなく、普通の女の子として、育ててくれた。
わたしは彼女が大好きだった。
でもある日、ばあやは「もう行かなくては」と言った。
どこに? 魔法の国に。
年老いた彼女の姿を見て、そうか、お別れの時が来たのだ、と悟った。
わたしはひとりぼっちになった。
そしてあの日。
お庭の木の下で、誰にでもなくつぶやいた。
「わたしを愛してくれるひとが、現れないかしら」
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……そうして木から落ちてきたのは、私、というわけだ。
いきなりのシリアスな(しかもざっくりとした)身の上話に、正直、どんな顔をしていいのか分からない。
胃がキリキリする……。いや、これは胸の痛みかな。締めつけられるような。
思えば、おじょうさまが自分の話をする事はあまりなかった。
戸惑っている私をよそに、おじょうさまは、今まで溜め込んでいたものを吐き出すかのように、矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。
「マリがやって来てから、わたしは変わったわ」
「初めは、ひとりは寂しかったから、話し相手ができて良かったわ、くらいの気持ちだったの。
でも、マリはわたしを慕ってくれて、何をしても喜んでくれて、受け入れてくれた。
その笑顔を見るたびに、心が温かくなるのを感じたわ。
そして、こんな心地良くて楽しい毎日がずっと続くと良いなって考えるようになった。
魔法について勉強しなくちゃ、と思うようになった。
マリと、これからもずっと一緒にいたいから。
わたしの中で、マリは、なくてはならないとても大きな存在になっていた」
「だけど、いつも不安だった。マリにわたしの言葉が通じることも、
自分のいた世界に帰りたいと言い出さないのも、
わたしが魔法使いだって疑わないことも、ぜんぶわたしが無意識に願った結果だと気づいていたから、
いつかいなくなってしまうんじゃないかって」
「マリがわたしを好きだって言ってくれるのも、わたしに都合の良い魔法の力のせいなんじゃないかって……」
……何か。凄い事を言われている気がする。多分、とても嬉しい事。
でも、喜ぶ前に、私にも言いたい事がある。あなたに伝えたい事、たくさんある。
「わ、私だって!」
「私の服を褒めてくれて、嬉しかった!」
「私は内気で人見知りだったけど、ここに来てからいっぱい喋るようになった!」
「自分をさらけ出せるようになった! そうしても大丈夫だって、分かったから!」
「私の作ったもので喜んでもらえるのが何よりも嬉しいって知った!」
「昔から、可愛いものが大好きだったって、改めて思えた!」
「おじょうさまは魔法で私を見つけ出しただけ!」
「この気持ちは、魔法なんかじゃない! 私のものだ!」
つい力が入ってしまった。顔が熱い。
言い切った直後、頬を紅潮させ、目を潤ませたおじょうさまが飛びついてきた。
衝撃で後ろに倒れこむ。
お、押し倒されてる……!? しかもここはベッド。
髪を下ろして大人っぽい雰囲気をまとっている彼女は、逆光で輪郭がぼうっと光っている。
銀河を閉じ込めた瞳が、まっすぐ私を見ている。心臓に火がついて、体の中から燃え上がってしまいそうだと思った。
「マリ、あなたを手放したくない。どこにいても、その心はわたしのものだと言って」
もうとっくにあなたのものですぅ。
そんな表情できたの? こんな声聞いた事ない。何そのセリフずるくない?
眼球が熱い。たまらず瞼を閉じた。
「うううううううううう」
何か言いたいけど、頭の中パニックで思考回路はショート寸前。
言葉にならなくて、呻き声を上げる事しかできなかった。
おじょうさまは我慢できなくなったのか、私の肩口に頭をうずめ、くつくつと笑った。