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「今日もマリの淹れてくれた紅茶が美味しいわ、この美しいジャムも」
「……ありがとうございます、おじょうさま。でもそんな呑気な事を言っている場合ではないんですってば!」
おじょうさまは木漏れ日の中、ティーカップの中身をジャムの乗った小振りな金色のスプーンで優雅にかき混ぜている。
そして私はこの家にお仕えするメイド……ではない。
話は数日前……えーっと、この世界にはテレビや新聞はもちろん、カレンダー等も存在しないらしいから、正確にはどれくらい前と言って良いのか分からないのだけど……私はこの庭に突然転送されて来た。
そう、この異世界に。
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私は現代の日本で普通の女子高生だった。
夏休み。コスプレを趣味にしている私の親友、絵美利の為に夏のイベント用の衣装を作っていた。
衣装制作をするようになったのは数年前、彼女に頼まれて見よう見まねで独学で始めたのがきっかけだ。
自分で言っちゃうけど、なかなかの腕前なんじゃないかなー? 昔から手先はママに似て器用なのよね。
何と言っても面白いし。特にフリルでフリッフリのお洋服を作っているときは至福の時間だ。
絵美利は同級生で、中学の頃にアニメや漫画の話題で盛り上がって以来の仲だ。
彼女はスタイルが良く、私の作った服をとても魅力的に着てくれる。ボンキュッボンの魅惑のわがままボディに合わせて服を作るのは楽しい。露出度の高いキャラをやりたがるので、下品にならないように心掛けている。
だから、
「女のコのファンからも評判いーんだよー!」
なんて彼女から聞くと鼻高々だ。そうでしょうそうでしょう。その衣装、私が作りました!
「今度こそ鞠も一緒に着て合わせようよ!」
と誘われるけど、私は彼女を裏方としてサポートする今のポジションが好きなので、いつも断っている。
……でも実はこの間、絵美利から依頼された服を作る片手間に、自分のサイズに合わせたフリフリのドレスを作ってしまった。
中世ヨーロッパの貴族か? って感じの、襟からもうフリフリで袖からもフリフリ、裾からもこれまた大量のフリフリ。白いフリル以外は赤を基調にシックにまとめてみました。
……とてもじゃないが外では着られない。目立つ。恥ずかしい。どこのお嬢様かしら? すみません庶民です。
しかしせっかく作ったし。誰にも着てもらえないなんて服がカワイソウだし。服はやっぱり人が身に着けてこそ完全体みたいなとこあるし。うん分かる分かるー。
と一人でブツブツ言いながら袖を通して、ドッキドキで鏡の前に立つ。
……うん、なかなか似合ってるんじゃない? まあ、この私が作ったんだし当然だけど! とりあえずくるくる回ってみたり、気取ってポーズとってみちゃったりなんかして、それから……
っていうぐらいのとこまでは記憶があるんだけど。
ぐわわっ、どっしん!
落っこちた。という事は分かった。
どこから? 分からない。
何で? それも分からない。
肩と背中が痛い。
これはあれだ、いつの間にか寝ちゃってて落っこちたんだな……あるある。
それにしても私のベッドこんなに高さあったっけ?
閉じていた目をのろのろと開けると、視線の先には自分の両足と大木の幹、枝の先に生い茂る緑が見える。
あぁ、木から落っこちたのか。木登りなんて子供の頃以来ずいぶんしていないはずだけど。いやだ、夢遊病?
そんなことをグルグル考えていると、逆さまの視界にオレンジ色が飛び込んできた。
ちなみにオレンジは私の大好きな色だ。
「まぁ、カワイらしいお客さまね?」
と、甘い響きの声。
白いフリフリのドレスに、思わず目を奪われる。
声の主は私を覗き込み、まじまじと見つめてくる。
大きな瞳のあどけない顔立ちの少女だ。
「ここはどこですか?」
英語の教科書に載ってる例文みたいな台詞が口をついて出た。
急に不安になってきた。親とはぐれ迷子になった子供のような気持ちだ。
「ここはわたしのお庭よ。あなたはだあれ?」
「……私の名前は鞠。元気。でも最近体重が二キロも増えちゃってちょっぴりブルー」
まだ混乱しているので、自分でも良く分からないことを口走ってしまった気がする。
しかしオレンジ髪の白い妖精は気にした様子もなく、
「ではマリ。わたしはアプリコット。よろしくね」
そう言って手を差し伸べてくれたので、ようやく私は逆さまの世界から抜け出すことができた。
改めて、少女と向き合った。
紫色の瞳はアメジストのよう。キラキラ輝いて、銀河を思わせた。吸い込まれてしまいそう……。
背丈は、十七歳にしては小柄な私と同じくらい。十四、五歳くらいかなー? 気になったので尋ねてみる。
「おいくつですか?」
「わたしの年齢? そうね……この世に生まれて二十二年くらい経ったかしら」
……えっ。
またまたー。私より五つも年上? お姉さまなの?
「とても可愛らしいのでてっきり年下かと……」
「あなたこそ、お人形さんのようでカワイイわ! その亜麻色の髪と素敵なお洋服がとっても似合っているわ!」
ニコッと微笑まれ、かあっと頬が熱くなる。可愛いって。可愛いって!
彼女はおもむろに私の頬に手を添え、そっと撫でながら、
「肌の色も白くてキレイ、すべすべだわ!」
顔が近い。近いってぇ。
そのままギュッと抱きつかれる。お日様の匂い。そしてこの柔らかさ……!
ひえーっ、私いま凄い顔真っ赤っかじゃない? こんな事されるの慣れてないし、色が白いのはインドア派なオタクだからです! やめて! ドキドキが止まらないーっ!
と、そんな訳で見事にアプリコットおじょうさまにメロメロにされた私は、この庭で異世界ライフを満喫する事になったのである。