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「そういえば、あの招待状の仕掛けは、黒峰先生が考えたんですか?」
パーティーも中盤に差し掛かった頃、轟が不意に尋ねかけた。流石の彼も、先輩作家の黒峰に対しては尊敬の念があるらしく、少しは丁寧な言葉遣いである。
立食形式なので、ずっと立っているのも疲れてくる。自然と客たちは端の方に追いやられた椅子やソファを確保して、そこに収まるようになっていた。
その中で、老執事と使用人が、客たちに飲み物をどうするか訊いて回り、黒峰の娘たちがそれを手伝っていた。
黒峰はラウンジ隅のソファにゆったりと腰掛け、轟はその隣の椅子を占めている。そして、テーブルを挟んで対面の二人掛けソファに、俺と英介が落ち着いていた。
「ああ、そうだよ。私が考えたんだ。暗号……とまでは流石に言えない、お粗末な出来だったがね」
黒峰はそう言って、自虐的に肩を竦めた。
「でもそのくらいでないと、解けない人も出てくると思いますからね。ちょうどいい難易度だったと思いますよ」
近くで壁に凭れながら聞いていた挟丘がフォローすると、黒峰は持っていたグラスに口をつけた。
「それなら良いんだが」
「やっぱり、ここにいる皆さん、あの仕掛けはすぐに解けましたよね」
俺がそう言い出すと、びくりと肩を震わせる英介。
周りの面々は、当然だと言わんばかりに頷く。
「そりゃあ、いつも黒峰先生の作品で揉まれているから、あれぐらいはね。さすがにあれがわからないのは、ちょっと問題外だと思うよ」
料理を自分の皿に盛りつけながら発した夜熊のこの言葉で、英介はさらに小さくなった。
「ですよねえ」
と相槌を打ちながら、俺は英介をちらと窺った。
その仕草には目敏く気がついた轟が、英介の気も知らずに突っ込む。
「ん? 何、もしかして、槻くんはわからなかったの?」
「いや、その……」
口籠る英介の代わりに俺が答えた。
「そうなんですよ。こいつ、こういうのがどうも苦手でね。それで俺に泣きついてきまして」
場にくすくすと静かな笑いが生まれた。英介は顔を赤らめて、ますます萎縮する。
先程の仕返しだ。思いの外効き目があったので、僅かばかり溜飲が下がった。
すると黒峰は残念そうに、あるいは昔を懐かしむかのように、遠くを眺めた。
「それはそれは、血が繋がっているとはいえ、やはり他人か。君のお祖父さんは、こうした暗号なんかには、特に目がなかったんだがねえ」
なるほど、それはそうだろう。実際、新潟の英介の実家で起こった事件では、彼が遺書に遺した暗号が発端になっている。あれを彼自身で考案したのだから、暗号が嫌いなわけはない。
「そういえば、お祖父さんはどうしてお亡くなりに?」
黒峰がそう尋ねてきたが、この大勢の前だ。英介はそれを気にしていた。
「それがその、話すとかなり長い話になるので、皆さんに悪いかと……」
「いやいや、俺は是非とも聴きたいなあ。槻家の事件は、まさにミステリーみたいだったって聞いたことがあったし」
空気を読まずに口を挟む轟。彼は英介のほうに身を乗り出した。
流石に鬱陶しそうな目で黒峰がそれを制し、英介に向き直って、講師を前にした勉強熱心な生徒よろしく、真剣な面持ちで居住まいを正した。
「構わないよ。いや、むしろ是非聞かせてほしい」
その黒峰の目は、面白半分に興味本位でいる轟のそれとはまるで違っていた。表情を引き締め、その双眸は一心に英介を捉えている。
自らの兄貴分とも言える人物が、一体どのような最期だったのか。それを知ることで、その死を受け入れて、自分なりに昇華したいのだろう。
それで英介も決心したようだ。
新潟での事件を、そしてその結末までを、洗いざらい黒峰に話した。いちいち轟がうるさいリアクションを取るので、周りの皆も白い目で彼を見たものの、一向に気にしていないようだ。と言うよりも、話に夢中になっていて、その視線にも全く気付いていないらしい。
黒峰の方は彼とは違って聞き上手で、適度に相槌を打ちながら聞いていたが、その真相を耳にすると、嘆息を漏らした。
「ほう、そんなことが……。いや、事実は小説よりなんとやらというやつだな」
「ええ、本当に。……それで、その暗号を解いたのが、彼でして」
言いながら、英介が俺を指し示した。
それで黒峰も、興味深げに俺の方を見据える。
「ほほう、なるほど。それで彼に招待状について聞いたわけか」
「まあ、そういうことです」
しかしそれも束の間、すぐに轟の方に居直った。
「ところで轟くんの方は、最近どうだね? 創作活動の方は」
暫くは感傷に浸ってもいいものだが、黒峰は気持ちの切り替えが早かった。それともパーティーの主催者として、気丈に振舞おうとしているのか。
話題は彼の手によって、唐突に参加者の近況へ移った。
優しげな目つきで黒峰が尋ねるも、当の轟は頭を掻いた。
「いやあ、これがてんでダメでしてね。新人賞はやっぱりビギナーズラックってやつでしたよ」
ダメだと言っている割には表情に締まりがなく、相変わらずへらへらとしている。これで新人賞が取れるんだから、本当に人は見た目で判断できない。
「それは大変だな。新時くんの現況はどうかな?」
急に話を振られた新時は、びくりと肩を震わせた。怯えた小動物のような素振りだ。
「あ……まあ、その……ぼちぼちです」
その声は、バックで流れているクラシック音楽にかき消されそうなほど弱々しい。
見かねた黒峰が彼の肩を叩く。
「君は才能あるんだから、もう少し自信持った方が良さそうだ。まだまだこれから伸びるよ」
そう元気付けられても、
「はあ……」
と新時は黒峰に視線を合わせることもなく、頼りなさそうな空返事である。
そこに轟がやかましく横槍を入れた。
「ちょっと黒峰先生、それって遠回しに俺には才能ないって言ってるみたいじゃないですか」
「おや、わかったかね」
意地の悪い笑みを見せる黒峰に、一層顔を緩ませる轟。
「もう、先生もお人が悪いなあ」
その言葉を遮るように、ラウンジに置かれた柱時計が、午後九時の鐘を鳴らした。
轟がそちらに気を取られている隙に、黒峰が今度は挟丘に話を振る。
「挟丘くんの方はどうだい? 研究の方は?」
つい先ほど自頭によってグラスに注がれた、赤黒いワインを傾け、口を濯ぐように味わってから、
「……ええ、お陰さまで、頗る順調ですよ」
顎の無精髭をさすって答えた。
「そうか、それは何よりだ。娘さんは元気にしてますかな? 確か、もう四歳になったのでは?」
「はい、もう元気過ぎて、参ってますよ」
挟丘は静かに苦笑を浮かべる。
「うちの娘たちも――」
彼は自頭たちの手伝いを率先してやっている二人の娘を顎でしゃくって、
「こう見えて小さな頃はなかなかお転婆でしてね。私も気苦労が絶えませんでしたよ」
挟丘に微笑を返した。
かと思うと、また娘の方に視線を移す。
「ほら、そういうのは自頭くんに任せればいいんだよ。結たちがやる必要ないんだ。万が一にも皿を割って怪我でもしたら大変だろう?」
空いた皿を下げようとしている娘に、黒峰が声を張りながらも優しい口調で言って聞かせる。しかし、彼女たちはその動作をやめなかった。
「お父様はいつも心配しすぎなのよ」
「私たちもそんなにドジじゃあありませんわ」
そのまま皿を持って厨房に通じている食堂の扉に入っていった。
黒峰は娘に反発されて、やれやれと面目なさげに首を振った。そこに大御所作家の威厳はなく、どこにでもいる哀愁を背負った父親の姿に他ならなかった。
「ところで夜熊監督、こうして館を建てたのですから、先生には是非とも、次回作の映画をここで撮ってもらいたいものです」
黒峰はさらに、ローストビーフに噛り付いている夜熊に話しかけた。
噛み切れずにいた監督は、一旦それを取り皿に置いて、応えるのを優先する。
「いやあ、そう言っていただけるのは光栄ですがねえ。何ぶんここはかなりの山奥ですから、撮影機材やスタッフを連れてくるのも重労働になりそうで、あまり映画のセット向きではないですな」
夜熊自身は、撮影に対してそれほど乗り気ではない様子だ。
「ふむ、それは残念。この屋敷には面白い仕掛けもあるんですがねえ」
仕掛けという言葉に興味をそそられ、俺は思わず耳をそばだてた。しかしそれ以上喋る前に、ちょうど食べ物を取りに、湯木と西之葉が黒峰の傍を通りかかった。
彼はその機会を逃さずに、彼女たちにも尋ねる。
「湯木くんはどうかな。仕事のほうは?」
「今は順風満帆で、とても楽しい時期ですよ」
「お母さんの調子は良いのかい?」
「ええ、お陰さまで、今とっても元気ですわ」
彼女はにっこりと微笑んだ。彼女の笑みは艶かしく、雉音はおろか、その場にいた男どもを一瞬で魅了してしまうほどの力を持っていた。俺でさえ、その妖しい表情に暫し見惚れていたくらいだ。
しかし、黒峰の対応は実に平等だ。顔色も別段変わった様子もなく、他の参加者に対してと同じように返している。
「そうかそうか。それは良かった。西之葉くんは、仕事の方は順調かね?」
「……はい」
ぼそりとか細い声で返す西之葉。彼女はサラダを適当に自分の皿に乗せると、そそくさと自席に戻っていった。湯木も料理を取り終えると、またラウンジの奥の方に戻った。
本当に過去に編集と作家の仲だったのかと疑いたくなるほど、よそよそしいというか、他人行儀だ。
だが、よくよく考えてみれば、それは何も彼女だけでなく、異様に馴れ馴れしい轟を除けば、ほぼ全員がそんな感じの受け答えをしていたような気がする。雉音に関しては、声をかけようとした黒峰にそっぽを向いて、断固拒否の始末だった。
それはさておき、先程から気に懸かっていた館の仕掛けの話を詳しく訊こうとしたのだが、
「それにしても、黒峰先生にあれほど美しい娘さんがいらっしゃるとは、それも双子で。いや、驚きましたよ。なにせ、何から何まで生き写しのようにそっくりなんですからなあ」
夜熊が話題を変えたものだから、すっかりタイミングを失ってしまった。
その彼女たちは、恐らくは洗い物でもしているのだろう。未だに厨房から戻ってきてはいない。
しかし、娘の容姿を褒められているにもかかわらず、黒峰は目を伏せて、静かに首を振った。
そして、ぽつりと誰にともなく呟くように一言。
「……いや、正確に言えば、あれは私の娘ではないんだよ」