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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第十一章 そして朝が訪れた
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 少しの間、俺と湯木との間に、張りつめたような空気が流れた。不敵とも諦めとも取れるような笑みを浮かべる彼女だが、その眼だけは俺を睨み続けている。彼女の鋭い眼力に威圧されて、思わず顔を背けたくなった。

 しかしその前に、湯木は大きく息を吐き出した。まるで肺に入っている全ての空気を絞り出すように、それは大きく、長い溜息だった。


「ふ〜っ、我ながら、結構良いトリックを思いついたと思ったんだけどな。やっぱり机上の空論と実際にやるのとでは訳が違うわね。良くも悪くも計算外のことが多すぎたわ。

 何よりも、黒峰が貴方をこの館に引き留めたのが、一番最悪の計算外だった」


 全身の力を抜いた彼女は、今や前と同じように、自然体の口調で話を始めた。それこそ、結や晶と世間話でもするかのような、そんな抑揚で。


「じゃあ、認めるんですね? 湯木さん、貴女がゴーストライターで、今回の事件の犯人だという事を」


 彼女はゆっくりと、そして静かに首を縦に動かした。


「ええ、そうよ。みんなあたしがやった事よ」


「そうだとしても、一つだけわからないですね。図書室の幽霊騒ぎも、彼女の仕業なんですか? だったらどうして、隠し部屋の方に逃げないで、わざわざリスクの高い本棚の中なんかに隠れたんです?」


 挟丘が彼女に尋ねた。


「それは――」


「恐らくそれは、彼女の仕業ではないと思いますよ」


 答えようとした彼女の先を奪い、俺が代わりに答えた。


「えっ、でも、彼女が犯人なんでしょう?」


「それはそうですけど、だからといって、この館で起こった全ての出来事が、彼女のせいというわけではないですよ」


「じゃああれは一体誰が……?」


「これは完全に俺の想像になってしまいますが、多分あの幽霊の正体は、結さんと晶さんだったんじゃないかと思いますよ」


 期せずして新時を脅かしていたのが彼女たちではないか、というのは、実はかなり前から頭の片隅にあった。彼女たちであれば、幾つかのことが説明付けられるからだ。


「多分、黒峰さんは彼女たちに、この館の秘密を事前に教えていたんでしょう。そうでなければ、二階のあの部屋を彼女たちにあてがったりしませんよ。あの二部屋は窓から外を見れば、嫌でもモニュメントの鏡が目に入ってしまう。何も知らない人間がそれを見たら、その鏡に自分の姿が写っていないことに気付いて、すぐにマジックミラーのトリックがばれてしまう。そのために、彼女たちをあの部屋に泊めたんです」


 あのモニュメントは、事件には必要不可欠の要素だが、それ以外では常にトリックの核心を剥き出しにしているようなものなのだ。

 だから彼女は――、


「事件の後でモニュメントを破壊したのは、俺たちにちゃんと調べられたら、それに気付かれてしまうと思ったからでしょうね。事前に黒峰さんに頼んで、あそこに小さな爆薬でも仕込んでおいたんでしょう。元々かなりバランスが悪いところに建っていましたから、ほんのちょっと崩してやれば、後は自重で簡単に倒れていったはずです」


「あれも湯木さんの仕業だったのか……」


 轟が殆ど溜息と一緒に声に出していた。


「本題に戻しましょう。結さんたちは館の秘密は知っていた。しかし、どんなトリックが使われるかまでは、詳しく知らされてはいなかった。だが彼女たちは黒峰さんを信じ、彼は犯人に嵌められ、どこかに監禁されているのではないかと考えた。隠れられる場所と言ったら、さっきも言ったように四階か図書室の奥しかない。しかし四階のほうは、エレベーターの天井裏に鍵がかかってると自頭さんが言っていたから、そっちはないと踏んで、図書室のほうを調べることにした。ただ、黒峰さんは彼女たちにはかなり過保護でしたからね。危ないことはしてほしくなかったんでしょう。彼女たちにその隠し部屋への行き方は教えていなかった。それで、図書室の中を調べていたんです。ただ、恐らくあの部屋には隠し扉を開けるスイッチはなかったんだと思います。そうですよね?」


「ええ、そうよ。でもどうしてそこまでわかったの?」


 湯木はもう、完全に観念したようだった。俺の問いかけにも、静かながらにちゃんと答えている。


「そうじゃなかったら、黒峰さんの死体をわざわざあの部屋に置いたりはしません。万が一ちゃんと調べられて、何かの弾みで開いたりしてしまったら大変ですからね。

 スイッチはおそらく、黒峰さんの部屋にあったパソコンに繋がっていたんでしょう。だから貴女はあれを破壊した」


「そこまでお見通しなのね」


 彼女は自嘲気味に、小さく吹き出した。


「それで、彼女たちが調べているところに、新時さんがやってきて、咄嗟に隠れたというわけですね」


 挟丘もようやく納得して、頻りに顎髭を擦っている。


「ええ、彼女たちも、誰が犯人かまでは分かっていなかったでしょうし、今やってきた人物が犯人かもしれない。見つかれば殺されるかもしれない。だから隠れてやり過ごそうとしたんです。それに彼女たち、俺が本棚のトリックを説明し始めてから、妙にそわそわして落ち着きがなかったですし」


 あの時から、俺は彼女たちにずっと見られているような気がしていた。きっと、俺が彼女たちのトリックを即座に看破したことで、彼女たちは俺に一つの希望を見出していたのではないか、と今になって思う。

 もしかして俺なら、この事件の謎を解き明かし、黒峰の無実を証明してくれるのではないか。

 そう思って、彼女たちは俺に、館の秘密を打ち明け、協力を仰ごうとしていた。あの夜――彼女たちが殺されたあの夜、俺に話したかったこととは、その事だったのではないか。

 しかし俺は、その期待に応えるどころか、柄にもなく浮かれて、彼女たちを救う事さえ出来なかった。

 無能の塊だ。

 俺は猛省する。

 勿論、これは俺のただの想像――いや、妄想なのかもしれないが。

 しかしそれでも、俺は自分を許すことができないでいた。


「あたしも、彼女たちがやったんだと思う」


 湯木の声で、俺は現実に引き戻された。

 潰れそうになっていた心が、寸でのところで押し留められた。


「でも、彼女たちのおかげで、私がやらなくても図書室で騒ぎが起こってくれて、誰も夜に来ようとしなくなったから、犯行がやりやすくなったけどね」


「で、でも、どうして、ピアニストをしている貴女が、黒峰先生のゴーストなんかを……?」


 新時がそう尋ねたが、湯木は一笑に付した。


「ピアノなんて、とっくの昔に辞めてるわよ。あたし、才能なかったから」


 彼女はそして、昔を懐かしむように、回顧し始めた。


「小さい頃からピアノは上手な方で、大人になったら世界一のピアニストになって、いっぱいお金を稼げるようになって、お母さんを楽にさせてあげるんだって。今思えば、馬鹿みたいに純粋だったのよ」


 彼女の言い方はどこか他人事じみていて、かつての自分を卑下していた。


「夢があるのはいいことじゃないですか」


 英介がそう慰めようとしたが、彼女はまたしても自嘲を孕んだ笑みを返した。


「所詮あたしの才能なんて、そこら辺に吐いて捨てるほどいる“神童”の一人に過ぎなかったのよ」


 神童……か。

 子供の思わぬ才覚を褒め称えるために、親族が放った言葉か、あるいは周りが持ち上げたのか。しかしその言葉は、当の本人にとって、底知れない大きな圧力となる。生涯それが足枷になることもあるのではないか。

 本当はそれほど突出している訳でもないのに、あの頃の自分を、過去の栄光を追い求め続ける。そして大抵の場合は、そこへは辿り着けず、やがては完全に心をへし折られる。

 気付けば俺は、数年前の自分を、彼女に重ねていた。

 

「音楽学校に入ったら、あたしよりも数段上のレベルの人間がごろごろいたし、それをなんとか乗り越えて卒業したら、今度は世界中から選りすぐりのエリートが相手になる。あたしなんか、虫けらみたいな存在よ。ピアノの仕事なんて入ってこないから、結局はバイトで生計を立てて、貧しい生活からは脱することなんて出来なかった」


 彼女はほんの二言三言で片付けたが、その苦労や心労は察するに余りある。


「そんな時、偶々気分転換に入った本屋で、ミステリーの新人賞の本が目に入ったの。賞金に目が眩んで、それでどんな感じの作品が受賞してるのかと内容を読んでみたら、これならあたしにも書けそう……。なんて思っちゃってね。

 不思議なもので、これまでまともに本を読んできたこともなかったのに、すらすら書けて、すぐに応募してみたのよ。

 そうしたら、大賞にはいかないまでも、特別賞が貰えたみたいでね。反省点もいくつかあって、次こそは大賞が狙えそうだと思ってた矢先に、その電話が掛かってきた」

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