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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第十章 事件の謎を解き明かす
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「じゃあ次は第二の殺人だな」


 話題を変えようとして、俺ははたと口を噤んだ。

 ラウンジの方から歩いてくる轟の姿が、視界の端に映り込んだからだった。


「あれ、どうしたの。こんなところで話し込んで」


 思った通り、彼は片手を軽く上げて、廊下の角で顔つき合わせて議論している俺たちに、声をかけてきた。気さくな風体を装ってはいるものの、一旦これに応えると最後。一気呵成に質問を始め、訊いてもいないのに自分の話を始めるのだ。


「ああ、いや、別に、何でもありませんよ。ちょっとした、その、世間話っていうか……」


 俺は鼻の横を掻いた。

 あまり今の段階で面倒事は起こしたくない。頼むからそれで引き下がってくれ。そう心の中で手を擦り合わせて念じていると、それが伝わったのだろうか。彼にしては珍しく、突っかかりもしてこない。


「ふうん、そう」


 つまらなさそうに鼻を鳴らすと、すぐ傍の扉を開けた。どうやらトイレに行きたかったらしい。

 彼の姿が見えなくなると、俺はほっと胸を撫で下ろし、英介に提案した。


「ここで長話するのも気が引けるし、場所を替えるか」


 同意を得るまでもなく、俺は歩き始め、食堂の扉を開けた。

 現状、英介以外の人間に、俺が導き出した結論を披露するつもりは毛頭ない。それは、英介なら不用意に他人にそう言う事を話したりはしない、という信用があってこそ。ましてや轟のような、口から先に生まれてきたようなお喋り人間では、一秒たりとも黙してくれそうにない。

 きっとさっきの彼は小用のせいもあって、俺たちに構わなかったんだろう。となると、用を済ませて戻ってくれば、もう急ぐ必要はない。あれこれと掻き回し、誰彼構わずべらべらと伝え回るに違いないのだ。そうなったらもう、俺の立てている計画も水泡に帰してしまう。

 そんな俺の思いを察したのか、英介も特段文句を言う訳でもなく、俺の後についてきてくれた。

 俺たちはその足で、食堂を経由して厨房に入った。

 片郷は食事の支度を既に終えたらしく、中には誰もいない。シンクの中には、彼女が使ったと思われる調理器具が、乱雑に積まれていた。勿論後でちゃんと洗うのだろうが、そのあまりの適当さに、彼女は本質的にはがさつな人間なのではないか、と邪推してしまう。

 雨はもう止んだようだが、窓の外を見てみれば、未だに上空には低い位置に鼠色の雲が垂れこめている。そのうちまた降り出すかもしれない。

 厨房の開いた窓――館内では珍しく、開閉する窓――から冷気が流れ込み、頬を撫ぜる。今まで暖房の効いた快適な空間にいたものだから、風が当たった瞬間、冷や水でも浴びせかけられたように、全身の毛が粟立つのを覚えた。びくっと身体が竦み上がったが、火照った頭には丁度いい気持ちよさである。


「さて、じゃあ気を取り直して、第二の殺人に関してだ」


 振り向きざまにそう言うと、英介は難しい顔つきになった。


「でも、いくらなんでも夜熊さんを殺すのは、自頭さん以外には無理なんじゃないのか。あの時、夜熊さんの使った食器に触れたのは、夜熊さん本人と自頭さんだけなんだし。夜熊さんが倒れて騒ぎになってから、俺はお前に言われてずっと彼の食器を見張っていたけど、誰も触ったりはしていなかった。そんな状況で、夜熊さんのカップからは毒が見つかっている。やっぱり、他の誰かに毒が盛れたとは到底思えないよ」


 英介の指摘ももっともだ。と言うより、この第二の事件の謎の核心は、そこにこそある。


「うん、確かに、常識で考えたらそうなる。でも、見方を変えてみれば、別に自頭さんでなくとも、カップに毒を仕掛けることは可能になるんだ」


「そんな魔法みたいなこと……」


 あるわけないと頭から否定しようとする英介。

 確かに魔法など、この科学全盛の時代に、存在するなどと言う方がどうかしている。


「魔法か……。まあ、魔法っていうよりは、マジックと考えた方がいいかもしれないけど」


「どういうことだ?」


 英介は怪訝そうに眉を顰めた。


「ここで使われたのは、お馴染みのマジシャンズセレクトだよ」


「マジシャンズセレクト?」


 英介の反応が芳しいものではなく、言ってから俺はしまったと思った。奇人島の時に一度説明したことのある話だが、その時は俺一人だけで、英介は来ていなかったのだ。この話を知っているはずがない。

 俺は結局一から説明することにした。


「マジックでよく使われるトリックだよ。指名した人に、何か物を選んでもらって、マジシャンがそれを当てるっていう手品ってよくあるだろう。ああいうのは大抵、指名された人間にとってみたら、自分が選んだように思えるんだけど、実際にはマジシャンが誘導して物を選ばせていたり、どれが選ばれても問題がないように事前に準備したりしているもんなんだ。それがマジシャンズセレクト」


 しかしまだ俺の言っていることと事件のトリックとの結びつきが判然としないのか、英介の険しい顔の皺が、より一層深くなるばかりである。

 俺はアプローチを変えて、別の観点から攻めることにした。


「……じゃあ、動機から考えてみよう。犯人は黒峰さんのゴーストライターだ、ってのは言ったよな。黒峰さんにはかなりの恨みがあり、彼の築き上げてきたものすべてを奪い去りたい。そんな風に考えていたとしたら、ゴーストライターが黒峰さんのみならず、その家族や執事を殺しても不思議はないだろう。でも、雉音さんや夜熊さんは別だ。ゴーストライターが、彼らに殊更恨みがあったとは思えない。黒峰さんに打撃を与えるべく殺すというのなら、元から不仲にしていた雉音さんを殺す意味はあまりない。

 俺の考えでは、最初に殺された二人は、あくまで真犯人が黒峰さんを犯人に仕立てるために殺したんじゃないかと思うんだ」


 そこで乾いた唇をなめて、一呼吸置いた。


「パーティーの参加者を選んだのは、黒峰さんと自頭さんだけだろう。そんな中で、参加者のうちの二人が連続して殺された。おまけにどちらの現場にも、彼らの名前が書かれた原稿が置かれていて、その通りに殺されている」


「成程。確かにそんな状況に陥ったら、黒峰さんや自頭さんが計画殺人を実行しているようにしか思えなくなるな」


「実際そうなってしまったわけだ。俺たちの思考をその方向に誘導するために、ゴーストライターは別に恨みもない二人を殺したんじゃないか、と俺はそう睨んでる」


「そんな……。酷過ぎる」


 英介は口を抑えて首を振った。

 復讐。痴情の縺れ。保身。金目当て。

 殺人の動機は数あれど、こんな理由は彼にとっても耳慣れないものだったのだろう。無関係な人間を巻き込み、さらには黒峰を犯人に仕立てる説得力を上げるためだけに二人を殺した、犯人のあまりの身勝手さに怒りを通り越して呆れてものが言えないようだ。

 彼の心情は察するに余りある。

 俺だってそんな人間がいることが信じられない。だが信じられない動機と言えば、奇人島の時だって耳にしている。殺人の動機など、得てしてその当人にしか理解しがたいものなのだ。俺も到底、それを理解しようなどとは思わない。

 深淵を覗く時、俺たちは逆に深淵に覗かれている。

 ミイラ取りがミイラになる。

 異常な価値観を学べば学ぶほど、逆に俺がそれに取り込まれてしまうかもしれないのだ。


「どうした?」


 英介が俺の顔の前で手を振った。

 少しばかり自分の世界に入り込んでしまったらしい。

 自分の中の嫌な記憶を掘り起こしてしまった俺は、首を振ってそれを思考から外し、推理を再開させた。


「そう考えれば、第二の殺人で犯人がテトロドトキシンを使った理由も察しが付くんだ」


「そうか。犯人は別に夜熊さんに恨みがあったわけじゃないから、別に死のうが助かろうがどっちでもよかったってわけか」


 とんでもない話だが、そういう事だ。

 俺は神妙な面持ちで頷いた。


「そしてターゲットは別に誰でもよかったんだとしたら、第二の殺人のトリックも容易に想像がつくだろう」


「ま、まさか……」


 俺の言わんとしていることを察した英介は絶句した。喉仏が上下する。ごくりと生唾を呑み込む音が、今にもそこから聞こえてきそうだ。


「そうだ。そのまさかだよ。犯人は別に夜熊さんを狙って毒を盛ったわけじゃない。誰が毒を飲んでもよかったんだ。たまたま夜熊さんが毒に中り、そして運悪く死んでしまったに過ぎない。つまり犯人は厨房に忍び込んで事前にカップのうちの一つに毒を塗っただけなんだ」


「でも、どうして犯人は、食後のコーヒーにどういうカップを使うかってことを知ってたんだ?」


「それは、黒峰さんの映像や自筆の遺書と同じ理由だよ。このトリックも推理ゲームの一環として黒峰さんに伝えておき、どんなカップを使うかはあらかじめ指定しておいたんだろうな」


「成程な……」


 顎に手を置いて深く考え込む英介。俺の話の中に矛盾がないかを確かめているのだろう。


「うん? でも、そうだとしたら、原稿はどうしたんだよ。夜熊さんが倒れたときに見つかった原稿には、確かに夜熊さんの名前が書かれてあったじゃないか」


 未だに腑に落ちない英介が、更なる反論を提示してくる。

 事件の謎を解くことはできないが、彼はこれで、こうして中々鋭い指摘をしてくれる。有難いことに、それが俺の推理の糧になる。ここでちゃんと説明できなければ、俺の推理はまるで見当違いのものだということになるのだ。全員の前で披露することなど、到底出来はしない。


「確かに、原稿には夜熊さんの名前が書いてあった。そして彼が毒を飲んで倒れる光景が事細かに描写されていた」


 原稿の問題。それは、常にこの事件と共にあった。

 何故犯人は原稿を殺人現場に残していくのか。

 その疑問を晴らすのは、まさしくこの第二の事件なのである。


「でもそれこそ、犯人が夜熊さんを狙ったんだと俺たちに思わせるために仕組んだものだったんだ。最初の事件で雉音さんの死体を見つけ、彼の部屋には死の状況を克明に描いた原稿があった。これを見れば誰だって、この事件が原稿に準えて殺されているものだと考えるだろう。その中で夜熊さんが倒れ、またしても原稿が見つかれば誰だって、犯人は原稿に準えて彼を狙って毒を盛ったんだ、と普通はそう考える」


 俺たちは実際ずっとそう考えていた。

 そしてその先入観が、誤ったルートに俺たちを導き、抜け出せない蟻地獄へと足を踏み入れることになってしまったのである。真実は根本的に百八十度反対の方角にあるというのに。


「だが、真実は違う。犯人はおそらく、あらかじめ全員の名前の入った原稿を、それぞれ用意していたんだ」


 えっ、と英介が驚きの声を漏らす。俺は構わずに先を続けた。


「夜熊さんが倒れたのを見てから、犯人は彼の名前が書かれている原稿を、テーブルの下に忍び込ませた。そして、それを俺たちが発見した。実はたったそれだけなんだ。だが、俺たちは勘違いして、原稿の通りに夜熊さんが狙われたんだ、と考えてしまったというわけだ」


「さっき言ってた、マジシャンズセレクトってのは、そのことだったのか」


 はあ、と英介は嘆声を上げて、霧が晴れたように顔が明るくなった。

 ようやく俺が最初に言いたかったことが伝わったようだ。

 俺は息を吐いて肩の力を抜いた。ここまで来れば、残りの推理ももうあと僅かだ。


「ああ、そうだ。あたかも犯人が死者を選んでいるように見えて、実は誰が死んでも、その人物の死が描かれた予言の原稿が見つかる。

 そういう仕組みになっていたわけだ。そもそも、犯人が今回の事件で殺人現場を描いた原稿を現場に置いていったのは、最初からそのミスリードのためだったんだろう」


 そこまで言うと、何を思ったのか、英介は唐突にぽんと手を打ち鳴らした。浮力を発見して大騒ぎしたアリストテレスのように、厨房に響き渡るような叫びまで上げる。彼も何かの大発見でもしたらしい。


「そうか、そういう事か。やっとわかったよ。この事件の犯人が!」

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