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「おいおい、さっきからぶつぶつ何か言ってたと思ったら、急に走り出してどうしたんだよ。気でも触れたのか?」
廊下の大鏡を抱きかかえるように見入っていた俺の背後から、呆れたような英介の声が投げかけられた。
気が触れたわけではない。館を支配していた謎が、今まさにすべて解けたのである。
俺は確信をその手に得た様に、右手を握りしめつつ、英介に振り返った。
「わかったんだよ」
「は? わかったって、何が?」
何が何やらさっぱりだと言わんばかりのぽかんとした彼に、俺は一言一言を噛みしめるように補足を加えてやる。
「この事件の、本当の真相が、だよ」
それを耳にした瞬間、英介の呆けた表情が今度は驚愕のベクトルに向かい始めた。
今にも眉が髪の生え際にまでくっついてしまいそうなほどに目を見開いている。
「おいおい、ってことは、黒峰さんは自殺じゃなかったのか?」
「勿論そうだ。ってか、それはあの死体と手帳の遺書を見た時点でわかってたよ」
すると、英介の顔はさらに驚きに満ち満ちた。頓狂な声を出して騒ぎ始める。
「ええっ!? だったらどうして西之葉さんに嘘吐いたんだよ。あの時に教えてくれればよかったのに」
「あの場には他にも大勢いただろ。勿論あの中に犯人もいたんだ。そんな状況で自殺じゃないだなんて言いだしたら、下手したら今度は別の誰かが真犯人に仕立て上げられ、自殺にみせかけられて殺されるかもしれないじゃないか」
あくまで冷静に接すると、それに釣られて彼も冷静さを取り戻した。
「……なるほどな。でも、俺には別におかしな点はなかったように見えたけどなあ。どこで他殺だってわかったんだ?」
「あの遺書には嘘がいくつかあったからね」
俺は人差し指を一本立てる。
「まず、動機となった薬物依存のことだ。黒峰さんの名誉にかけて、これは間違いだと言っておかないと」
「どうしてそう言えるんだよ」
「簡単なことさ。あの時、倒れた黒峰さんの腕には、針を刺した跡がたった一ヶ所しかなかった。もしも幻覚を見るほどの薬中だったら、もっと腕に注射痕が残ってるはずだろ」
「で、でも、そんなの、吸うタイプの薬なのかもしれないし、あるいは飲むタイプだったのかもしれないじゃないか」
「いや、それはないよ。遺書にははっきりと、薬を打つって表現でのみ書かれていた。吸う奴なら薬を吸ったとかそういう風に書くはずだ。それも、黒峰さんのような言葉を重んじる作家なら当然そうしたはずだろう」
そう言うと、英介はすっかり納得したようで、成程と独り言ちながら頷いた。
そこに畳みかけるように、中指を立てピースを形作り、俺は更なる根拠を提示する。
「そしてもう一つは、鏡のことだ。遺書に書いてあった通り、鏡の収集癖が薬物の幻覚で奥さんをそこに見るから。って言うんだったら、ちゃんと反射する鏡だけを集めるはずだろう。何も古代の錆びついた銅鏡なんて買う意味は全くない」
ああ、と嘆息を漏らす英介に、俺はこれくらいでは驚くのはまだ早いとばかりに、更に薬指を立て、数字の三を示した。
「そして三つ目は、夜熊さんのことだ」
「え、夜熊さん?」
なんのことやらさっぱりだという英介は、ただただ鸚鵡返しすることしかできないでいる。
「もし黒峰さんが人生を狂わされ、本当に彼を恨んでいたのなら、それこそテトロドトキシンなんて毒を使うのはおかしいじゃないか。もっと確実に殺せる毒を使って殺したはずだよ。雉音さんに関してはあんなに殴打していたのに、彼に関しては下手したら――下手したらって言い方も変だけど――助かっていたかもしれない」
俺は小指を立て続けざまに四つ目の根拠を示した。
「そして最後は、妙に毛羽立っていた服の袖やズボンの裾だ。
これは恐らく、ガムテープか何かで犯人に拘束されていた跡だろうな。ロープや紐なんかで縛れば跡が残ってしまうから、テープを使ったんだ。服の上からぐるぐる巻きにすれば、身体に痕跡は残らない。だけど
、引き剥がしたせいでそこだけ毛羽立ってしまったってわけ。
それに、現場には黒峰さんの遺したダイイングメッセージもあったからね。あれのおかげで犯人もわかった。以上の事から考えて、黒峰さんが犯人だとは考えにくいってわけだよ」
「ダイイングメッセージって……もしかして、あの抽斗のことか?」
「流石の英介もそれはわかるんだな」
と微笑を浮かべながら指をさすと、英介はいじけたような顔つきになってその指をはたいた。
「馬鹿にするなよ。……でも、あれが一体何を意味してるっていうんだ? 抽斗の中に入っていたのは、原稿用紙と黒峰さんの前作『夢幻邸殺人事件』……だったっけか。う~ん」
脳味噌を振り絞って考え込む英介。顔色を千変万化させながら頭をぼりぼりと掻き、暫し沈思黙考していたものの、結局はお手上げのようだった。
「駄目だ。俺には何のことやらさっぱりだよ」
「まあ待てよ。その答えなら後で教えてやるからさ」
「わかってるんなら早く教えてくれよ。誰なんだ、犯人」
「駄目だ。まだ教えられない」
せがむ英介をきっぱりと断ると、彼は口を尖らせて文句を言い始めた。
「おい、お前もミステリーによく出てくる探偵みたいにじれったい真似する気か? 無駄に犯人発表引き伸ばして、何の得になるんだよ」
と英介はせっついてくる。黒峰が犯人でなく、残りの生存者の中にいるわけだから、不安になるのもわかる。いち早く誰なのか知り得て、少しでも疑心暗鬼の状態を晴らしたいのだ。
だが、まだ俺は彼に教えられない。それに、読者や視聴者を焦らすとかそういう小説やドラマ特有の意味ではなく、ちゃんとした理由がある。
「そりゃもちろん、犯人を罠に嵌めるためさ。でもお前はすぐ顔に出るだろ。そんなお前に犯人を教えちまったら、犯人に気付かれると思ってな」
痛いところを突かれたらしく、うっと英介は呻く。
「そりゃ……顔に出るのは確かだけどさ。なんか、信用ないのな、俺って」
がくっと肩を落として落胆の様子を見せる彼を、流石に悪いと思い慰めた。
「信用してるから、こうしてお前に一番最初に話してるんじゃないか」
「あ、そういうこと」
その言葉にさっきまでの失意はどこへやら。ころっと調子が元に戻るのだから、扱いやすいことこの上ない。むしろ満更でもないというような顔だ。
まったく、素直すぎて逆に心配になる。詐欺師に騙されてやいないだろうか。
これではとても会社経営など出来ないだろう。英介の祖父が亡くなり、他の遺産相続者がいなくなった時に、彼が祖父の会社を継ごうとしなくて正解だったのではないか。
「まあヒントぐらいはやるから、お前も自力で犯人を見つけたらいいんじゃないか?」
挑発するようにそう言ってみると、乗せられやすい英介はものの見事に引っかかり、やる気満々で腕まくりまでした。
「よ〜し、そこまで言うなら、いっちょ俺も本気出してみるか」
推理に関する彼の本気がそうでもない事は重々承知だが、せっかく持ち上げた腰をへし折る意味はない。無視して先を続けた。
「じゃあヒントな。
犯人は同一人物の単独犯だ。同一人物であることは、既に犯行方法の一貫性からそうだとわかるだろ。現場に原稿を残し、その原稿の通りの殺害方法で被害者を殺してる。単独犯であること、これは犯人が共謀してアリバイを作っていないためだ。もしも複数犯なら、犯人たちは口裏を合わせて簡単にアリバイを作ることができるけど、今回の事件では全くそんな事は行われていないからな。まあ第一の殺人の時に自頭さんと片郷さんが一緒に厨房にいたって言うアリバイがあるけど、自頭さんは既に殺され、黒峰さんが犯人でないと分かった今、自頭さんが事件に関与していた可能性は極めて低い。だから二人が共謀していたとはとても考えにくい。
これらから考えると、犯人が同一人物の単独犯であることはすぐにわかる」
うんうんと英介は頷いたが、次いでもう終わりか、と拍子抜けたような声音である。
「じゃあ犯人の正体を教えてやろう」
「え? なんだやっぱり教えてくれるのか?」
と身を乗り出す英介。
「犯人は――」
俺は精一杯間を置いて、これでもかと引っ張った。
生唾を呑み込む音が聞こえてきそうなほどに、英介の顔は真剣そのもので、俺の口先から飛び出してくる犯人の名前を、今か今かと待ち望んでいる。
「恐らく――」
さらに背を丸めて身を寄せる英介。まるで俺の口から出た言葉を、自分の耳にだけに入れようとしているかのように、神経を集中させている。
「黒峰さんの――」
英介がはっと息を飲むのがわかった。
黒峰さんの、に繋がる言葉に、娘や執事、そういうワードを想起して、一人で勝手に驚いているのだ。
しかし――、
「ゴーストライターだ」
一瞬にして英介の顔から緊張の色が消え失せ、前に乗り出していた身体が脱力してそのまま前傾し、あわやこけそうになっていた。それを、前に踏み出した足で何とか堪える。
「何だ、そういう意味かよ! ……それってやっぱり西之葉さんの言ってた、あれのせいか」
「ああ、恐らく、彼女が言ってた出版社に自分がゴーストライターだって現れた人物、まさしくそいつは本物のゴーストライターだったんだろう」
「ええっ!? それ、ただの悪戯じゃなかったのか?」
「考えてもみろよ。手紙や電話ならともかく、悪戯で自分から出版社に赴いていくなんてことやる奴、普通はいないだろ。それにだ、噂が立ち始めたタイミングもおかしいんだよ」
「タイミングって、確か三年前だったっけか」
「そうだ。黒峰さんが奥さんを亡くしてスランプに陥ったのが今から八年前で、復活したのがそれから三年近く経った五年程前。こういう状況なら普通、いきなり評価が戻り出した五年前に噂がピークを迎えて、そこからは下火になっていくはずだろう。にもかかわらず、西之葉さんの話では一番酷かったのが復活してから二年近くも経った三年前。どう考えても自然に噂が立ったにしてはおかしいだろう。誰かが仕組んで噂を広めたに違いない。そしてそれは、本物のゴーストライターの仕業だろうな」
「でもどうしてゴーストライターがわざわざそんなことを?」
もっともらしく腕を組む英介だが、こういう時実際には自分では全く考えておらず、完全に俺にその答えを一任しているのだ。
「これは推測だが、ゴーストライターと黒峰さんとの間に、何かしらいざこざみたいなのがあったんだろう。黒峰さんにゴーストがいるなんて知れたら、それこそ一大事だ。彼の地位は失墜し、作家としては完全に終わりを迎える。ゴーストはそれを復讐とするつもりだった。だが、メディアはその噂を揉み消した。噂が本当だろうがそんなことは関係ない。本さえ出してくれれば必ず売れる、マルチメディア化しても金になる、黒峰鏡一というネームバリューを守りたかったんだよ。
それで本物のゴーストは一旦諦めたんだ。そして今度は、自分の手で、確実に復讐を果たすと決めた。それが今回の事件だろう。メディアが黒峰さんを守っていたのは、彼と言う人物が生きて存在していたからだ。でも、もし彼がこの世からいなくなったとしたら――」
「もうメディアに彼を守る意味はなくなる。それが犯人の狙いか!」
俺の言わんとしていることを察した英介が、指を鳴らして先を奪い、さらに続けた。
「黒峰さんが死んだ今なら、自分がゴーストライターだと主張すれば必ずメディアは食いついてくる。おまけに黒峰さんは薬物中毒で幻覚を見て一家心中だ。彼の地位は完全に失墜して、逆にゴーストが日の目を見ることになる」
俺は満足気に頷きを返した。
「そうだ。彼から奪えるものすべて奪って、そして殺す。これが犯人――ゴーストライターの真の動機だったってわけだ」
「う〜ん、でも、それだけじゃなあ……」
英介はさらなるヒントを切望しているようだが、このまま彼の誘いに乗ってヒントを出し続けていたら、いずれ犯人の名前まで要求しかねない。
「じゃあこれが最後のヒントな」
俺はそう決めて、ヒントを彼に伝えた。
「一番重要なのが、やっぱりダイイングメッセージの抽斗だ。あれはまさしく、見たままを意味してるんだ。これがわかりさえすれば、大体の謎が解ける。犯人が誰かも、そしてこの館に隠された謎もね」




