2
「字は乱れていますが、間違いなくこれは黒峰先生本人の字です。ですよね、末田さん?」
読み終わって顔を上げると、タイミングよく挟丘がそう断言した。
俺自身は黒峰の字を見たことはないから何とも言えない。確かに黒峰の作品は好きだが、黒峰のことまで好きだというわけではないのだ。外に出るのも億劫で、行列に並ぶのなどもってのほかの俺は、サイン会なんかにも行ったこともない。そんな俺のような受動的な一介の読者がそんなことを知るはずもない。
それで煮え切らない態度を取っていると、見兼ねた挟丘に手帳を奪われ、そしてそれは西之葉の前に差し出された。
「西之葉さんならわかるでしょう? 先生の元担当なんですから」
いかにも年季物の手垢のついた手帳に、潔癖症の症状が現れたのか、眉を顰める西之葉。それでも挟丘に急かされ、不承不承受け取った彼女は、手帳を開いて問題のページを確認した。
「……確かに、これは先生の字です。間違いありません」
遺書のページを見るや否や、淀みなくそう答えると、一刻も早く手放したかったのか、挟丘に殆ど手帳を投げつけるように突き返していた。
挟丘はそれを聞いて、満足そうに頷いている。
「さて、これで今回の事件の全てが明らかになりましたね」
などと言いながら、もっともらしく俺たちを見回して、
「先生は奥さんを亡くした悲しみから抜け出すために薬に手を染めた。そしてその薬は、雉音さんと夜熊さんから唆され、手にしたものだった。しかしそれを一度使ったのが仇となり、今度はその薬漬けの生活から逃れられなくなった。鏡の中に奥さんの幻覚まで見るようになり、憑りつかれたように鏡を買い漁った。以前のように小説を書くことができるようにもなったが、それも長くは続かず、それどころか薬も効かなくなり、人生に失望した彼は一家心中を図った。自分に薬などというものを与えた元凶、雉音さんと夜熊さんも殺して。
と、こういうわけですよ」
言ってることは推理でもなんでもない、ただの手帳に書き記された遺書の纏めをしているだけだが、まるで自分が全てお見通しだったような大層な口振りである。
「でも、そんな身勝手な話って……。大体、結ちゃんに晶ちゃんが、本当にそんなことを望んでいたなんて思えないわ」
不条理な理由で娘を殺した黒峰に対して、怒りの感情が湧き出てきたのか、湯木が震える声で呟いた。
それを肩を竦めて挟丘が宥めに入る。
「黒峰先生には、彼女たちの心情を考える余裕なんてなかったのかもしれませんね。薬で視野が狭くなり、自分の事しか考えられなくなって……。それで今回の悲劇が起こってしまった」
すっかり探偵気取りの彼は、まるで訳知り顔で結たちに同情を寄せた。
そのやり取りを聞いていた英介もまた、
「なんだか……とてもやるせないですね。もっとほかに方法があったはずなのに、それなのにこんな結果になってしまうなんて……」
などと感傷に耽り始める。
そんな中で、俺は一人全く別のことを考え込んでいた。
これで本当に終わりなのか。黒峰と自頭で雉音と夜熊、そして二人の娘たちを殺し、最後には自頭も手に掛けた。そして館の当主の死を以って、この事件は終焉を迎えた。
果たして、本当にそうなのか。
黒峰さん、貴方は本当に彼らを殺したんですか?
問いかけても返事がないことは明白だが、そう問わずにはいられなかった。
今一度黒峰の死体に目線を下ろす。
ん……?
すると、捲られた袖口の辺りが、何故だか妙に毛羽立っているのが目に留まった。さらに注視してみれば、ズボンの裾もそうなっている。
これは……。
やはりどうも引っかかる点が多すぎる気がする。
黒峰の腕。妙に毛羽立っている服の袖とズボンの裾。それにこの遺書。
どう考えてもこれは――。
「おい、どうした?」
浮かない顔で沈思黙考していた俺を不審に思い、英介が顔を覗き込んできた。
今ここで俺の考えを述べるべきか。それともまだ早いか。
取り敢えず、曖昧な返事で場を繋いでおこう。
「ん? ああ、いや、ちょっとな――」
そう口にしたその時、
「黒峰さんは本当に自殺だったのかしら?」
そんな声が俺の背後から小さく、くぐもって聞こえてきた。
「えっ」
まるで内心を見透かされたような感覚に陥り、俺は瞬間どきりとして、身構えながら身体を反転させた。
そこにいたのは西之葉だった。
相変わらずマスクを装着して顔の大半を覆い隠し、何を考えているのかわからない彼女。
「黒峰さんは自殺じゃない。そう思ってるんじゃないの?」
俺を試しているかの如く、彼女は念を押すようにそう尋ねてきたのであった。




