表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第九章 館の当主の死を以って
47/63

1

 黒峰鏡一の死体は、書斎の机の下に隠れるようにして倒れていた。口から泡を吹き、白濁した双眸でどこでもないところを見つめ続けている。

 彼の傍には注射器が落ちており、袖をまくった右腕の肘の内側あたりにぽつんと赤黒い点が一つ。このことから考えても、恐らくはこの注射器で毒を直接血管に注入して、死亡したのだろう。

 自頭の部屋に残されていた原稿の通り、館には死の嵐が訪れてしまった。

 恐らく一時間半程度。たったそれくらいの短時間で、三人もの死体を目にすることになるとは。

 犯人の自殺という最悪の形で事件が終結を迎え、俺たちはどうすることもできず、ただただ呆然とそこに立ち尽くす他なかった。


「黒峰先生……」


 俺の背後から、机の下の死体を見つけた新時が頭を抱えた。


「まさか、こんな形で再会することになるなんて……」


 轟も絶句して黒峰を見下ろしている。

 陰々滅々な空気に支配された図書室。僅かな物音さえも拡大されて聞こえてくるような寂とした空間。二の句が継げず、誰もが誰かが口火を切るのを、ちらちらと横目で窺っている。まるで次に声を発した人間の魂が取られてしまうかのような、そんな張り詰めたような空気。

 しかしそれを破ったのは、机の上にあった手帳を夢中でぱらぱらとめくっていた挟丘だった。


「やはり、今回の事件は全て、黒峰先生、そして自頭さんが仕組んだもので間違いないようですね」


 重苦しい空気にも気付かず、どこか場違いな晴れ晴れとした抑揚を孕んだ声音である。


「自頭さんも?」


 そう尋ねると、彼は手帳を示した。


「ええ、この手帳に書いてありましたよ、事の顛末が。まあ、私としては、今回のパーティーの準備に際して、参加者選びをしたのがこの二人であることを聞いて、自頭さんも関わりを持っていたことには薄々勘付いてはいましたが……」


「ちょっと、読ませてもらってもいいですか」


 返事も待たずに彼の手からその手帳を抜き取り、適当にページを開いてみる。

 手帳の後ろの方にあるメモ欄に、文字が書き殴られていた。


 ――――――


 皆さんが今、これに目を通しておられる頃には、館は惨劇に包まれ、私は自らの命を絶っていることだろう。

 既に皆さんも想像がついているだろうが、今回の事件は全て、私と自頭くんとで企てたことに他ならない。ここを買い取り、改装し、彼と共にこのパーティーを準備し、そして計画通りに人を殺めた。

 皆さんは私がどうやって姿を消したのか、そこに頭を悩ませていたかもしれないが、真実などと言うものは、なかなかどうして単純なものである。

 この館には、皆さんの知らない秘密の隠し部屋が、隠し扉がある。私はそれを使っただけに過ぎない。

 コーヒーの件にしても、私の代わりに自頭くんにやってもらっただけのこと。

 これを読んでいる皆さんの顔に浮かぶ落胆の表情が手に取るようにわかる。だが、実際にそうなのだからこれ以上期待しても無駄というものだ。

 せめて、私の最期の作品ともなる今回の事件のトリックは、もっと驚愕と裏切りに満ちたものにしたかったのだが、すっかり腐敗した私の脳味噌からは、もうかつてのような驚天動地のトリックなど思い浮かばなくなっていた。

 皆さんもご存じのとおり、私は最愛の妻を病で亡くし、それからというもの、すっかり筆が鈍ってしまった。何のアイディアも産み出せず、ただ無益な毎日を過ごすばかり。何とか書き上げたところで、その出来はあまりにお粗末。

 このままではいずれ私も作家として食っていくことができなくなる。愛する娘たちに要らぬ心配はかけさせたくない。

 それで、私は悪魔の誘惑につい手を伸ばしてしまった。

 薬物である。

 ちょっとだけなら別に問題はない。むしろやる気を出すのに丁度いいカンフル剤になる。そんなことを言っていた知り合いから薬をもらった。

 最初は一度だけ。そのつもりだった。

 中毒者の誰もが言う台詞だ。そのたった一度が、破滅に繋がる行為であるのに。

 そして私も、御多分に漏れず、その一人となってしまった。

 薬を打つと重苦しい気分から抜け出し、まるで天にも浮かぶような気持ちになる。地獄から天国へ昇進したような上昇感。身体中を縛りつけていた鎖を引きちぎったような爽快感。それが溜まらなく快感でやめられない。頗る集中できて、次から次へと泉のようにアイディアが湧き出てくる。

 そうして書き上げた小説のおかげで、私はまた調子を取り戻していた。

 だがそんなものは、謂わば生気の前借りに過ぎない。

 この頃になると、効き目が切れる頃には、私はまるで抜け殻のようになっていた。倦怠を通り抜け放心状態で、何も手に付かなくなる。着実に私は駄目になっている。

 それでも、私にはもう、自力で薬を止めることができなかった。

 これを打てば元に戻る。それどころか、私はより強大な能力を手に入れることができる。

 それに、薬を打てば、彼女にも出会えるのだ。

 雪乃。愛する雪乃にも。

 彼女は鏡の中だけに現れた。洗面台の前に佇む私の背後から忍び寄り、私を優しい目で見つめている。

 だが、振り返ると消えてしまう。

 鏡の中には彼女がいるのに。手を伸ばせばすぐそこに彼女がいるのに。私にはその僅かなガラス一枚の壁を越えることができないのだ。

 最初は再び会えたことだけで十分だった。触れられなくとも、その存在を感じられるだけで幸せになれた。

 しかし、人間と言うものは業の深い生き物で、こうなるとさらに欲が出るのである。

 もっと彼女と近くにいたい。もっと彼女の傍に行きたい。

 そんな風に思って、私は鏡を買い集めた。そうすればいつも彼女が傍で見守ってくれているような気がした。

 だが、私の身体にも耐性ができ始めていたのか、最近では以前より効き目が悪くなり、薬を打ってもアイディアなど出ず、それどころか彼女にも会えず、私は一回一回の量を増やし続け、さらに泥沼に嵌りこんだ。

 今はネットでなんでも手に入る時代だ。体よくお香だとかなんだとか言って、ドラッグはそこら中に溢れている。手に入れるのは容易かった。

 だがそうしているうち、遂に私の脳味噌はおかしくなってしまったのだ。

 書くことができない。知っているはずの言葉が出てこない。私の知っている蒲生鏡一が頭の中からどんどんと薄れていく。何度も頭を壁に打ち付けた。それでも私にはもう、小説を書くことなど出来なくなっていた。

 彼女にも会うことができない。

 もうどうでもいい。こんな人生などさっさと終わらせてしまおう。

 私自身があの鏡の中の世界に行けばいいのだ。そうすればまた彼女の顔を見ることができる。

 そうして、私は今回のパーティーと称した一家心中を計画したのだ。愛する娘たちだけをこの世に残しておくわけにはいかない。自頭くんもそうだ。私たちは全員で鏡の世界に移るのだ。

 だがその前に、私を破滅に向かわせた奴らに、制裁を加えてやる。そう決意した。

 もうお分かりだろう。参加者の中で殺されたのは、私に薬物を唆した人物である。

 これで皆さんにも、今回の事件の全容が見えてきたのではなかろうか。


 さて――、死ぬべき者は皆死に絶えた。後は私が死ぬだけだ。

 怖くはない。彼女たちが待つ鏡の中に行くだけなのだ。むしろ嬉しいばかりである。

 最期に、このような自分本位なことに皆さんを巻き込んだこと、深くお詫び申し上げ、これを今生の別れの挨拶とさせていただこう。


 黒峰鏡一


 ――――――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ