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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第八章 館には死の嵐が訪れた
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 コレクションルームの入り口正面に置かれた、メドゥーサを打ち倒そうとしているペルセウスの像。

 その像を見た瞬間、まさにメドゥーサの蛇の眼に石にされたかの如く、身動きを封じられてしまった。

 ペルセウスに抑え込まれているメドゥーサの頭部。それがすっかり別物にすげ替えられていたのである。まるでその部分だけ、色のない石膏の像に、色彩が与えられたようにも見えた。

 しかしその頭部は、明らかに石膏像などではなかった。

 本物の人間の頭部。それに間違いがなかった。

 おかっぱ頭の娘の首。昨晩201号室で発見した遺体と瓜二つの端正な顔。しかしその首筋には右側に黒子がある。どうやら彼女は晶らしい。切断された時に付着したらしい飛沫血痕に汚されて入るものの、その表情は安らかで、血液も全て抜け切り、息を呑むほどの白さを呈していた。

 確かに彼女の首は作り物ではなく、人間のそれなのだが、生者には決して真似できない冷たい質感を伴い、それこそまるで彫像のようだ。

 彼女の首も含めてひとつの芸術品であるかのようなその存在感に、目撃した俺や挟丘は暫しの間、不謹慎にも恐怖や愕然といった負の感情ではなく、その禁忌な美しさに見惚れていたのだ。


「だっ……誰だ!」


 突然の怒号に、ようやく俺の金縛りは解かれた。

 真横から聞こえたそれは、挟丘の荒らげた声だった。


「どうしたんですか?」


 彼がこんな風に感情を直に表現することなどなかったので、俺は少々面食らった。


「あ、いや……、あっちのほうで、何かが動いたような気がしたんですよ」


 彼の指差す先は死体よりも右側の方だった。こんなに漠然とした表現なのも、室内の殆どが鏡なものだから、正確にどこを指しているのか、俺には判然としなかったからだ。

 その困惑を見て取ったのか、言い出しっぺの挟丘が、恐る恐る抜き足指し足で部屋の奥へと進んでいく。

 俺もその後に続いた。

 冷や汗が頬を伝う。

 もしや、まだ黒峰がどこかに隠れているのか?

 だとしたら、いくら二人とはいえ危険すぎないだろうか。

 相手は既に五人を殺した凶悪犯だ。凶器も持っているかもしれない。俺には武術の心得などないし、失礼ながら挟丘にもそれがあるとは思えない。

 もしそうなら、返り討ちに合うのがオチだ。

 引き返したほうが身の為じゃないか?

 しかしここでまた逃してしまっては、さらなる被害者を生み出す元になりかねないのもまた事実。

 俺はどうしたらいいんだろうか……。

 そんな俺の葛藤にはまるで気付かず、挟丘は前へ前へと歩みを進めていく。

 彼の猫背がここまで力強く見えるとは。

 しかし、好奇心は猫をも殺すとはよく言ったものだ。俺たちはそんな猫になる訳にはいかない。

 挟丘を呼び止めようとした、その時だった。


「ああ、なあんだ」


 その挟丘の唐突な気の抜ける声に、俺はむしろ心臓が縮み上がる思いだった。危うく頓狂な叫び声でも上げそうになったところを、すんでのところで口を閉ざして押さえ込んでいると、こっちの気苦労など何も知らない挟丘が振り返り、安堵の表情を見せた。


「どうやら僕が見たのはこれのようですよ」


 言いながら、彼は俺にもそれを見るよう、自分の身体を横にどかして促した。

 そこにあったのは、髪の毛が蛇になった女の、苦悶を湛えた表情を彫り込んだ石膏像の頭だった。

 晶の頭と交換された、メドゥーサの頭部である。どうやらハンマーか何かで砕いて取り除いたらしく、切断面はがたがたでひびだらけだった。用無しになった彼女は、部屋のこんな隅の方に打ち捨てられたように無造作に置かれていたのである。そう思って見れば、苦痛を見せる彼女の表情にも、幾ばくかの悲哀の情まで窺えそうだ。


「この頭、見るからに不安定ですからね。転がっていたのを、たまたま僕が見て、犯人か何かと勘違いしてしまったようです」


 恥ずかしそうに挟丘は顎をぼりぼりと掻いた。

 全く、お陰で余計で無駄な心配事をしてしまった、と心の中で毒づきつつも、さらに心の深奥では犯人と直面することがなく、心底ほっとしている自分がいた。

 それに気付いて、俺はとんでもなく情けなくなった。

 これまで四度も殺人事件に巻き込まれているというのに、一人では武装した相手も取り押さえることができないのだ。確かに犯人を確保する事件もあったが、それは俺ではなく、その場に居合わせた他の面々だ。俺は何もしていない。

 無事にここから出ることができた暁には、柔術でも習ったほうがいいかと考えたが、しかしそれはすぐに泡と化した。

 俺の運動神経じゃあ、そんなの習っても意味ないよなあ。

 自身の無力さを嘲っていたが、メドゥーサの後頭部に貼り付いた何かを見て、表情筋がそのまま強張った。

 手を伸ばし、その物体に触れる。

 皺ついた紙の感触が指先に伝わった。


「これ、原稿だ」


 俺はメドゥーサを掴み上げ、手首をくるりと回して後頭部を見た。

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