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「これが凶器でしょうね」
流石にこのグロテスクな死体を直視することはできないらしく、挟丘が明後日の方向を見ながら床を指さした。
その指先には、錆びが纏わりついた鈍色の円形があった。精巧な模様が彫られた、見るからに重量感のある円盤の半分以上が、凝固した黒い血液に覆われている。
その円盤には見覚えがあった。
初日の夕食後、コレクションルームで見た、銅鏡の一つだ。
その銅鏡と床の間に、紙が挟まっていた。
内心またかと辟易しながら、俺は破らない様に慎重にそれを引き出してみた。
――――――
部屋の中へと足を踏み入れる前から、異変には気づいた。
入り口から寝室の様子が少しは垣間見えるからだ。淡黄色と臙脂の組み合わさった絨毯の上に、両脚が転がっている。その胴体は壁に遮られて見えないが、寝台があるというのにわざわざ直に床の上に寝る者などおるまい。
それでも中に向かって一声かける。返事が返ってくることを願って。
あれがただ寝ているだけというのなら、どれほど心持が楽になるだろうか。
だが、その意に反して、返ってくるのは無言の間ばかり。
痺れを切らし、戦々恐々としながらも中へと入り込む。
そうして、徐々にその全貌が明らかになっていった。
倒れこんだ男の背中に広がった紅の染み。柘榴の如く弾けた頭部。頭蓋が陥没し、皮膚の隙間からは白い骨が顔を覗かせている。脳味噌まででろりと見えている。その潰れた明太子のような物体が、周囲にも散らばっていた。
血に塗れたその顔は、まさしくこの部屋の主、自頭明助のそれにほかならなかった。
しかしこれは――
まだ始まりに過ぎなかった。
館には死の嵐が訪れたのだった。
――――――
「いつも通り、午前五時に起きてラウンジに来たんですけど、普段私よりも先に来ているはずの自頭さんがいなくて……。それで部屋まで起こしにきたら……」
入口のほうで震えながら、まるで暖でも取るように両手を口の前で合わせる片郷が訥々とそう説明した。こんなものを唐突に、それも一人で目にしたのだから、その時の彼女の恐怖と言ったら発狂してもおかしくはないだろうに、彼女はそれでも気丈に俺たちを呼びに向かったのだ。
「夜の間に殺されたんでしょう。何しろ彼は執事ですからね。それもとても生真面目な。どんなに夜遅かろうと、扉を叩かれれば顔を出したはずでしょうからね」
その挟丘の意見には俺も賛同した。
どんなに不審な状況でも、他の人間ならともかく、自頭ならすんなり部屋に招き入れただろう。
犯人はコレクションルームから銅鏡を持ち出し、自頭の部屋を訪ねた。そしてうまく言いつくろって部屋の中に入り、自頭が隙を見せたその瞬間に――。
車のハンドル程の大きさがあるこの銅鏡なら、その重さも筋トレ用のダンベルくらいはありそうだ。こんなものを、それも勢いをつけて頭に喰らったら、それこそひとたまりもなかっただろう。
だが、ここまでへこむということは、おそらく幾度かの追撃があったに違いない。
「この銅鏡、コレクションルームにあったものですよね。一応、確認に行きませんか」
そう言い出したのは挟丘だった。確かにそれも気になるところではあるが、それよりもこの原稿の最後の文言が引っかかった。
館には死の嵐が訪れた……。
もう十分なほどの死を見てきているはずだが、敢えてここでそんな風に書かれていると、どうしても嫌な予感を抱かざるを得ない。
「他の皆さんも起こしたほうがいいんじゃないですか? この原稿の書き方だと、まるでまだ誰かが殺されたみたいです。ちょっと心配ですから」
俺が差し出した原稿を手に取り、挟丘はそれに目を通した。読むのが速いらしく、眼球が凄まじいスピードで上下する。
十秒と経たないうちに紙から顔を上げ、挟丘も俺の意見に同意した。
「……そうですね。片郷さん、お願いできますか。僕たちは先に、コレクションルームに行っておきましょう」
しかし、片郷は僅かに眉根を顰めた。
「そんな、私一人に任せるんですか? 正直言うと、もう死体なんて見たくないですし……」
参加者の頼みに楯突くような真似はこれまで見たことがなかった。
執事であり、恐らくは彼女の上司のような立場だった自頭が亡くなったのだ。しかも、この凄惨な現場を最初に発見したのは彼女である。その時のショックがまだ脳裏にこびりついて離れないのだろう。
男っぽい勝気な性格の彼女とは言え、こんな事に巻き込まれては、精神をすり減らさない方がおかしい。
俺は彼女を安心させるべく、宥めるように言った。
「大丈夫ですよ、もし、中から返事がなかったら、中に入らずに俺たちに声をかけてください」
それで少しばかりは安堵したらしい。
彼女は表情を和らげると、静かに頷いてくれた。
*
俺たちはその足で、コレクションルームに向かった。新時と轟と英介は未だに気分悪そうにげっそりしていたので、彼らにはラウンジで待機してもらっておく。
残った俺と挟丘とで、下りのエレベーターから地階へと降り、窓のひとつもない閉鎖的な空間を歩く。
その廊下の突き当たりの観音扉――。
初日の夕方に訪れた、コレクションルームの扉だ。
俺にとってはここに来るのはあれ以来になる。もちろん突如として起こった連続殺人のごたごたのせいもあるだろう。しかしそれ以上に、大量の鏡が収蔵された一室に留まっていると、気が滅入ってきて、なんだか頭がおかしくなるような気がしたのだ。それに畏怖の念を覚え、無意識的に遠ざけていたのだろう。
部屋に入るのを躊躇していた俺を尻目に、挟丘がすんなりと扉を開けた。
理系の准教授でもある彼にとっては、そうしたオカルティズムは全く信じていないのだろう。俺も信じていない方なのだが、この連日の惨劇に、すっかり毒されてしまっている。何しろ、あんな夢を見るほどなのだから。しかし、彼の場合はそうではないらしい。そういえば、昨晩も暇だからこのコレクションルームに来ていたと言っていた。
深夜にこんなところに一人で来れるなんて、平静の時分でも俺にはできるかわからない。オカルトは信じないが、物凄いビビリでもあるからだ。
しかし、その余裕綽々そうな表情が、扉を開けた瞬間に、一瞬にして凍りついた。
「どうかしたんですか?」
まだ扉は半分ほどしか開いていなかったので、俺からは室内の様子まで見えなかった。
金縛りにあったように固まってしまった挟丘の口は、やはり微動だにしない。
仕方なく俺は、彼の肩越しに、コレクションルームを覗き込んだ。
「何かあったんですか?」
そして俺もまた、彼と同様に金縛りにあったのだった。




