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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第八章 館には死の嵐が訪れた
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2

 ――がばっ。


 再び意識が戻ってくると、俺は弾かれたようにベッドから身を起こしていた。

 心臓が早鐘を打ち鳴らし、酷い過呼吸に侵されていた。

 だが、空気が吸える。酸素で肺が満たされていく。その嬉しさたるや、生を再び取り戻したような喜びだった。

 やはりあれは悪夢だったのだ。

 今、目の前の鏡にいる自分は、俺と同じように多量の汗をかいて、ぜえぜえ喘いでいる。動作は苦しそうだが、表情はどこか明るく、安堵したような様子だ。

 こんなところで奇怪な殺人事件になど遭遇するからこんな夢を見るのだ。

 奇人島の時も、契鬼の時も、こんな悪夢を見たものだ。

 しかし、夢は夢だ。夢に殺されることなどない。殺人が起きるのは現実だけだ。

 起き上がり鏡に歩み寄ろうとして、はたと立ち止まった。

 俺はさっきの悪夢を再現しようとしているのか。俺は今、本当に起きているのか。

 夢なのか現実なのか、度重なる悪夢にそれが判然としなくなり、俺は身震いした。

 あの鏡の前に立てば、また鏡から俺が、あるいは黒峰が抜け出してきて、俺を絞め殺すのではないか。

 そう思うと、とてもあの前に行こうとは思えなかった。夢とはいえ、自分が絞め殺されるのなんて、ただ苦痛なだけだ。

 目覚め。鏡。首絞め。死。そしてまた目覚め。

 あの鏡の前に立ってしまうと、永久にこの無間地獄から抜け出せないような気がした。

 それを断ち切るためにも、鏡は無視して着替えようとしたところに、バタバタと廊下を走る騒々しい音が聞こえてきた。


「末田さん! た、大変なんです! ま、また……ひ、人殺しが!」


 それからガンガンとドアを叩く音。上擦ったその声からして片郷のようだ。

 どうやらこれは現実らしい。

 だが現実も悪夢とそう大差がない。寝ても覚めても人死にだ。

 辟易しながらも、俺は慌てて寝間着のまま部屋の扉を開けた。

 片郷の顔は真っ青になっていた。


「本当ですか? どこです?」


 と尋ねる前に、片郷の大声に呼び覚まされた面々が、ぞろぞろと自室の扉を開けて疲れたような窶れたような表情を覗かせた。


「また殺人だって?」


「今度は一体誰が……」


「やはり、晶さんが殺されたのでは……」


 轟に新時に挟丘。片郷の話も聞かずにそれぞれ勝手に言い合い始める。

 その騒ぎでようやく目覚めたのか、英介も少し遅れて顔を出した。


「どうしたんですか、こんなところで。……まさか、また?」


 俺たちの神妙な面持ちで察したらしい。確かめるように英介は俺たちの様子を窺い、次の言葉を待った。

 しかし依然として轟たちは推測を並べ立てるばかり。


「晶さんじゃありません、こっちです」


 業を煮やした片郷が野次馬のように騒ぎ立てている面々を諌め、廊下をラウンジの方へ引き返していく。

 俺もてっきり昨日館内から姿を消した晶ではないかと考えていたのだが、それは外れたらしい。

 そして彼女は、一階のある客室の前でその歩みを止めた。


「ここです」


「ここって……」


 扉に貼られたプレートには、101の文字。


「自頭さんの部屋ですね」


 挟丘の言う通り。ここは自頭の部屋だ。

 しかし、ここまで連れてきてくれた片郷は、扉を開けようとしない。どうしたのかと思って彼女の顔を窺うと、目を背けながら


「鍵は開いています」


 と一言。

 どうやら中には入りたくないらしい。

 仕方なく代わりに俺がドアを開けた。

 入り口からベッドルームに倒れている誰かの――おそらくは自頭の両脚が見えている。あの黒いスーツのズボンには見覚えもあった。

 やはりこれ以上先には進みたくないようで、片郷はその場に留まっていた。

 ここまで来たら無理に先導させる必要もない。

 彼女はそこに待たせておいて、男性陣だけで室内に足を踏み入れることにした。

 ベッドルームに通じるほんの短い廊下を一歩、また一歩と進むうちに、室内の様子がどんどんと露になっていく。

 自頭の両脚。腰部、腹部、上半身。

 視界が広がっていくに連れて、その惨状が明らかになった。


「うっ……」


「これは……なんて酷いことを……」


 101号室に展開されたそのおぞましい光景を見るや、新時は一目散にトイレに駆け込んでげえげえとやり出した。その吐瀉音に触発されたのか、英介も口を押えて慌てて廊下に飛び出していった。轟も生まれたばかりの子鹿のように膝を震わせていたが、やがて立てなくなったのか、廊下の隅にしゃがみ込んでえずき始めた。雉音の時には寝坊して死体を直に見ていなかったから随分とお気楽そうな様子を見せていたが、今回ばかりはそんな余裕もなさそうだ。

 それも仕方のないことだろう。

 101号室の床に、うつ伏せに倒れた自頭の後頭部は、中身が抉られたようにべっこりとへこんでいたのだから。

 恐らく何か硬いもので殴られたのだろう。頭蓋骨はもはやその形状を保っておらず、すっかりひしゃげている。中から飛び出してきた脳漿が辺りに散らばり、床を汚していた。絨毯のクリーム色に飛び散った苺を潰したような色の液体。血と混じったそれの薬品のような臭いが鼻についた。胃袋を持ち上げられるような感覚。こればかりは生理的なもので、慣れで克服することはできない。

 ぐちゃぐちゃしたザクロのようなものが、薄紅に染まった自頭の白髪の隙間から覗いていた。白目を剥いた自頭の横顔が見える。頭部からその眼球に血が流れ込み、てらてらぬらぬらとした真紅の光沢を放っていた。顎が外れたかのように口を開き、舌を垂らした自頭。

 仕えてきた主人の凶行。その主人の娘たちの死と失踪。それらを目撃し、失意の中にいた自頭は、その思いが報われることなくこの世を去ることとなったのだ。

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