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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第七章 天井から吊り下がった屍
40/63

5

 二階から黒峰を見つけ出すことができずに、俺たちはすごすごとホールに戻ってきた。

 結局のところ、俺の推理は外れていたというべきだろう。

 ただ、考え方は間違っていないはずなのだ。時間的に考えて、彼が犯行後に他の階へ移動できたとは思えない。

 しかし……黒峰はいない。

 この動かしがたい事実が、俺の前に立ち塞がる。

 挟丘の言うように、俺には想像もつかない方法でこの密室空間から抜け出したのだろうか。

 だが、そんな方法など皆無だ。窓は全て開閉できない上に、何度も調べて隠し通路のような仕掛けがないことも確認しているのだから。

 俺は頭を抱えるほかなかった。

 最早、新時のオカルト説を信じたほうがよっぽど気が楽になる。

 黒峰は鏡に憑りつかれ、鏡の世界の住人となったのだ。自由に鏡とこの世を行き来できるようになり、鏡から抜け出して結を殺し、その次に晶を鏡の中へと連れ去ったのだ。

 平静ならこんな荒唐無稽な話を毛ほども信じる気などない。こんなオカルト、聞いただけで鳥肌が立ちそうだ。だが、この鏡館で次々と起こる黒峰の出現と消失に、俺は心底参ってしまっていた。

 オカルトと言うのは人間の心の隙間に這い寄り、侵食し、思考を停止させる。今俺はその過程を味わわされていた。


 ――ぐらっ。


 ――ぐらぐらっ。


 あまりの衝撃で、遂に眩暈までやってきたようだ。上下に振動する視界。

 思わず目を瞑って眉間を押さえた。

 その場にしゃがみ込みたい気持ちに駆られたが、すんでのところで


「な、なんか揺れてません?」


「本当ですね。地震……ですかね?」


 周りも騒ぎ出した。

 他の参加者たちもこの振動を感知しているのだ。

 どうやら眩暈ではなく、本当に揺れているらしい。

 地震にしては長い。その上にかなり微妙な揺れだ。せいぜい震度二くらいだろうか。

 それに……何か、妙な音も僅かに聞こえてきている。喋っているとわからないので、口の前に指を立てて、皆に静かにするよう促すと、微かにざざっとかずざっとかいう音が聞こえる。


「もしかして、マジで土砂崩れでも起きてるんじゃ……?」


 轟の放った一言で、弾かれたように俺たちは窓に近寄った。しかし、ホールの窓からは何の変化も見受けられない。

 俺は次に201号室の窓のカーテンを上げ、そこから外をちらと眺め見てみた。

 が、そこから見える光景は、ただの夜の森だった。どこが崩れているというわけでも、土砂が迫っているというわけでもない。平穏な静寂に満ち満ちた雨のそぼ降る森。


 ――?


 そこはかとない違和感。

 その正体にはすぐに気が付いた。

 位置関係から考えて、この部屋の窓のすぐ外には、一階のラウンジの丁度真下の窓と同様に、例の鏡のモニュメントが聳えているはずなのだ。鏡が一面に広がり、外の景色など見えるはずもない。

 それが今、全く阻害されることなく夜の森が広がっている。

 俺はふっと下を覗き込んでみた。と、ほぼ同時に声を上げた。


「ああっ」


 鏡のモニュメントが向こうに向かって完全に倒れていたのだ。だが、地面に激突した衝撃で、鏡が粉々に砕けたらしい。もはや元の影も形もなくなっている。モニュメントの破片は殆どが堀の中に広がっているが、一部は堀の向こう側にまで達していた。

 スポットライトの明かりを浴び、雨粒を介してきらびやかな宝石のように輝くガラス片。

 その一種神秘的な光景に、刹那俺たちは息を飲んだ。


「この雨で、もしかしたら地滑りでも起こしたのかもしれませんね。あのモニュメント、元々かなり危ういところに建ってましたから」


 挟丘がそう言った。

 確かに、昨日からずっと雨が降り続いているし、あのモニュメントはいかにも崩れそうな堀すれすれに造られていた。その可能性は高い。


「まさか、この館まで崩れたりしないでしょうね」


 湯木が自頭をねめつけるように確かめる。眠りたくても眠れない上に、色々なことが一度に起こり過ぎて、彼女も気が立っているのだろうが、今の自頭にその分を当たり散らすのは酷だろう。


「さ、さあ……私にそこまで言われましても」


 たじろぐ自頭の声には覇気がない。引き締めていた顔の皺が弛んでいる。しゃきっとしていた背筋も酷く丸まり、その姿は小さく見える。まるで担任に怒られてしょぼくれている小学生のようだ。

 俺は窓に額を張り付かせて出来るだけ真下を覗き込んだ。この館の窓は、外壁に少しめり込む形で嵌っているためあまりよく見えないが、崩壊した地面はモニュメントの周辺だけのようだ。


「どうやら崩れたのは本当に一部だけみたいです。雨も大分弱くなってきているようみたいですし、あと一日の辛抱です。多分大丈夫でしょう。とにかく、今は晶さんのことが心配です。急いで館内を調べましょう」


 勿論そんな気休めの言葉で本物の安心が得られるわけではない。皆不安そうな顔つきでいるが、だからといって現状どうともできないのだ。

 今は、今できることをやるしかない。

 ひとまず三階から順に、調査済みの二階は飛ばして一階、地下一階と下りながら、今回は全員で全部屋を隅の隅の隅まで確かめた。が、またしてもと言うかやはりと言うか、黒峰はおろか晶さえ見つけることはできなかった。いよいよオカルトが信憑性を持ち始めている。

 自頭はもう死にそうなほどに真っ白になった顔で狼狽していた。

 彼にとってみれば、仕えるべき家族が、一人残らずいなくなってしまったことになるのだから、その心労はいかほどだろうか。彼のような責任感と生真面目の塊では、もしかすると自分の力無さを呪い、激しい自責の念に駆られているのではないだろうか。

 誰が言うわけでもなくラウンジに戻ってきた俺たちは、困惑と不安、そして恐怖と絶望の只中にいた。

 だが、できることはできるうちにしておかなければ。記憶が明瞭なうちに各々から話を聞くべきだ。

 俺は陣頭に立って、これまでを纏めることにした。


「取り敢えず、事件の流れを纏めましょう。まず俺は十一時半頃、部屋で黒峰さんから連絡を受けました。ラウンジに来い、面白いものを見せてやる、と。何かの罠かもしれないと考え、一人では危険だと思って、それで英介を呼び出したんです」


 それを合図に、英介が言葉を引き継ぐ。


「俺は部屋でテレビを見ていたところを電話で呼び出されました。確かに午後十一時半頃のことです。それから二人揃ってラウンジに行くと、自頭さんがいました」


 自頭も英介に倣って自分の行動を説明するが、まだ地に足がついていないらしく、呂律が回っていない。


「……わ、私はラウンジの清掃をしておりましたところ、旦那様からお電話をいただきまして……。ラウンジの玄関右脇の窓から外を見てみろと仰られ、ラウンジに来られた末田様と槻様と、その指示に従いました」


「そこで、外のモニュメントに映りこんだ、二階の窓での殺人の光景を目撃したというわけです」


 ざっとそこまでの流れがまとまると、挟丘がああ、そういうことでしたか、と何か訳知り顔で顎髭をごりごりとさすった。


「エレベーターの中で聞いたとき、一階にいたのにどうして二階の部屋での殺人がわかったのか、ずっと不思議に思ってたんですよ」


 確かに、エレベーターの中で結が殺されていると言ったとき、彼は怪訝そうな表情をしていた。そのことを気に掛けていたというわけか。

 閑話休題。俺は時系列を先に進める。


「その後、俺たちは地下一階にあったエレベーターを呼び出して二階に向かいました。このエレベーターには地下にいた挟丘さんが乗り合わせていましたね」


 俺の言葉を受けて、挟丘が事情を話し始めた。


「僕は十時半頃から地下にいましたよ。一人でうろつくのは危ないとはわかっていたんですが、部屋にただいるのも落ち着かなくて……。地下で調べ物をしてました。隠し通路か何かないかと思いましてね。実際には何もなかったので、完全に取り越し苦労でしたが。後はワインセラーを眺めたり、コレクションルームに入ったりしてました。退屈になったので戻ろうとしたときに、丁度あの騒ぎで」


 それにしては、何かタイミングが良すぎるような気もするが。ただの考え過ぎだろうか。


「それから俺と英介、自頭さん、挟丘さんの四人で結さんの部屋を訪れ、遺体を発見したという流れです。

 それで、西之葉さんと湯木さんはどういう流れで俺たちと合流したんですか?」


「あたしも挟丘さんと同じで、部屋でじっとしていても全然寝付けなかったから、本でも読もうと思って三階の図書室に行ったわけ。あたしも十時半頃からそこにいましたけど、他には誰も来ませんでしたわ。本を読んでいると、下がちょっと騒がしいなと思って、エレベーターで降りてみたら……、という感じです」


 湯木の次に西之葉が答える。


「私はせっかく眠りに就けたところを、外の騒ぎで目が覚めたので、気になって出てきたんです。眠りが浅い上に、音とか一旦気になるともう眠れなくなるので」


 確かに、神経質そうな彼女なら、そんな性質を持っていても不思議ではないし、彼女の部屋は結の部屋からは少し離れているが、物音にも気付いただろう。


「片郷さんと轟さん、新時さんはどうですか?」


 と彼女らにも振ってみたのだが、顔色は冴えない。


「申し訳ありませんが、私は全く気付かないで、末田さんたちに起こされるまでずっと寝ていました」


 俯く片郷。


「俺もそうですよ。まあ、そもそも一階の部屋なんだから、起きてたところで気付かなかっただろうね」


 苦笑して肩を竦める轟。


「ぼ、僕もそうです」


 吃る新時。

 三人三様な態度ではあるが、とどのつまり言ってることは皆同じだ。

 案の定、ずっと寝ていたらしい彼らからは、あまり重要な情報は得られなかったわけだ。

 頭をぼりぼりと掻きながら、溜息を一つ。

 八方ふさがりだ。この謎をどう解いたらいいものか。未だにそのきっかけが得られない。もしかすると、そのきっかけさえあれば、あとは芋づる式に解けていけるのではないだろうか。という根拠のない、所謂第六感のようなものはあるが、だからと言って今すぐ何がわかるわけでもない。

 俺は腕時計に目をやった。

 もうとっくに日が替わり、午前の二時になろうとしている。皆疲れてへとへとになっている。このまま続けても神経が保たないだろう。

 この場はここで解散して、詳しく調べ直すとしても夜が明けてからということにした。

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