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「その前に、彼女を下ろしてあげましょう。このままではあまりに可哀想ですから」
挟丘にそう言われて、彼と俺と英介で結の遺体を下ろし、一旦廊下に横たえた。
抵抗した時に鋭く引っかいたせいで、首には幾筋もの蚯蚓腫れができていた。出血もしている。
彼女の首に強く巻き付いたロープを解いた。肌に食い込んでいたせいで、その部分だけチョーカーでも巻いているかのように赤黒く変色している。
「ところで、自頭さん。結さんと晶さん、二人とも瓜二つな顔立ちなのに、どうして彼女が結さんだとわかるんですか?」
不意にそれを口に出して訊いたが、ずっと気になっていたことだった。
彼女たちを目にしたのは一昨日が最初だったが、あれから何度も出会っているというのに、それでも俺には二人の区別が付かなかった。しかし自頭は考える間もなく、どっちが結でどっちが晶なのか、常に即答していた。何か、明確な見分け方があるに違いない。
「は、はい……。確かにお嬢様はお二人ともそっくりなのでございますが、一つだけ、見分ける方法があるのでございます。お二人とも首筋に黒子があるのでございますが、結お嬢様には向かって左側に、晶お嬢様は向かって右側にあるのです」
言いながら、自頭は自分の首を指差し、おおよそどのあたりにあるのかを示した。
実際確認してみると、彼女の首筋の左側に、確かに小さな黒子があった。それに出会った時から彼女たちは首元の開いたドレスを身につけていた。それも、他の人間にこの黒子で区別ができるようにとの配慮だったのかもしれない。
とはいえ、かなりわかりづらいし気付きにくい。他にもっと良い見分け方があってもよさそうだが、逆に言えば二人の間にはこれしか違いがないということだ。そのことに素直に驚いていた。
「ほほう、確かに、彼女の首の左側には黒子がありますね。いや、失礼ながら僕も彼女たちの区別がつかなかったもので……」
挟丘も感心したように頷いている。
最初に雉音の死体を見たときには酷い狼狽えようだったのに、今や死体を前にこんな悠長なことを言っていられるのだから、慣れというものは恐ろしい。
話題が晶のことにも及んだので、俺の頭に彼女の存在がふっと浮かび上がってきた。
「それにしても妙ですね。これだけの騒ぎになっているのに、隣の部屋の晶さんがまだ起きてこないとは……」
「まさか……」
さあっと全員の表情から血の気が引いていく。とりわけ自頭のそれは酷かった。
「あ、晶お嬢様!」
突如大声を発したかと思うと、慌てふためきながら隣室の晶の部屋を発狂したように叩き始める。しかし部屋の中から反応はなく、自頭は躊躇いもせずにドアを開けた。
部屋にいようといまいと、この状況下で鍵すら掛けていないなんてあまりに不用心すぎではないか。
やはり晶にも何かあったと考えるべきかもしれない。
そうはいっても年頃の女性の部屋だ。一応は失礼しますと一声を掛けて、恐縮しながら部屋に立ち入る自頭。その後に俺も続いた。
「そ、そんな馬鹿な……」
寝室で立ち止まった自頭の声は愕然としていた。
部屋の中に晶の姿はなかった。勿論こちらもクローゼットや浴室、トイレと全て見て回ったが、それでもいなかったのだ。
「わ、私はお嬢様を探しに参ります」
結の死を目撃してしまった自頭の頭には、晶の死までもが容易に想像つくのだろう。
「落ち着いてください、自頭さん。とにかく今は、この階にいるであろう黒峰さんを探すのが先決です」
「で、ですが……」
「心配なのはわかりますが、下手に動くとまた黒峰さんを取り逃がしてしまうかもしれません。まずこの階を調べて、晶さんはそれから探しましょう」
頭では俺の理屈をわかってはいるが、感情が抑えられないのだろう。自頭はわかりましたと言いつつも不服そうにしていた。
*
人手は多いに越したことはない。
そこで英介と挟丘に、まだ部屋で寝ているであろう轟と新時を起こしに行ってもらった。
その間に、こちらも片郷の部屋を訪ねる。すると、騒動に気付かず寝入っていたらしい彼女が、半目のとろんとした気の抜ける顔で現れた。状況を説明し始めると、みるみるうちに眠気が吹っ飛んだようで、二階の捜索を手伝ってくれることになった。後は一階に行った彼らの戻りを待ち、それからようやく捜索が実行された。
結と晶の部屋は確かめたので、残りの部屋をエレベーターに近い方から廊下の奥へと順に調べていく。しかし、そのどこにも黒峰の姿も晶の姿もなかった。もちろん、全部屋のトイレや浴室、クローゼットや家具の隙間など、隠れられそうなところは洗いざらい調べた上での結果だった。
多分な労力や集中力が注がれる中、目に見える結果が得られないというその現実が、段々と俺たちの手を緩めていく。それでも、虱潰しに部屋を探索していった。必ずや黒峰がこのどこかにいると信じて。
だが、残っている部屋が少なくなっていくうちに、俺の中にあった自信がどんどんと揺蕩い始めていく。本当にあの推理はあっていたのだろうかと何度も何度も思考を反芻させる。が、いくらやっても得られる結論は同じだ。やはり二階のどこかに潜んでいるはずなのだ。
繰り返していくうち、消えかかっていた自信が再び息を吹き返してきた。
必ずいる。もう逃げ場所はない。二階の窓は全部嵌め殺し。天井も壁も床も既に調査済みだが、タネも仕掛けもない普通のものだった。人が隠れられそうな場所はすべて探した。逃げようにもどこへも行き場はない。
そうして、遂に二階最後の部屋となった。
二階の東端北側に存在する倉庫。
この倉庫に、黒峰の姿があるはずなのだ。
じっとりと汗の滲んだ手で、俺はそのドアノブを握った。
倉庫にも鍵はかかっていない。手首を捻ればノブも回転する。
徐々に開けていきながら、隙間から内部の様子を窺う。
まだ見えない。まだ黒峰の姿は見えてこない。
そろそろとドアを開けていったが、俺の自信とは裏腹に、扉が全開になっても遂に黒峰の姿は見えなかった。
倉庫はもぬけの殻だったのだ。
そんなバカな! こんな事ってあるわけ……。
何が何だかわからず、困惑したままただ周囲を見回し右往左往と部屋中動き回るばかり。置いてある荷物をひっくり返して確認する。しかし事実は変わらない。そしてまた右往左往。
それを繰り返していると、業を煮やした湯木に叱責された。
「ちょっと、黒峰さんなんてどこにもいないじゃない。貴方の言ってる事、本当に合ってるんでしょうね?」
俺はちゃんと筋道立てて推理を構築してきたはずだ。それなのにこれは一体どういう事だ。俺の考えは最初から間違っていたのか。それとも……。
「い、いや、そ、そのはずなんですけど……」
わからないながらも一段一段組み立てて来たマッチ棒のタワーが、完成間近に気まぐれな風によって吹き飛ばされ、一瞬にして全てが崩れ落ちたような感覚だ。
訳が分からず頭の中で理解が追い付いていない。
そんな俺を見兼ねて、挟丘がフォローを入れた。
「彼の推理に関しては僕も支持しますよ。論理的に考えて、そうとしか思えないですし。ただ、おそらく黒峰先生は彼の想像を超える方法で、この巨大な密室と化した二階から忽然と消え失せたということでしょうね。雉音さんの時と同じように」
さっきから怯えきってわなわな震えていた新時が、遂に耐えきれなくなって、堰を切ったように喋り出した。
「きっと黒峰先生は、鏡に憑りつかれたんだ。鏡の向こう側に出入りできるようになって、晶さんをそこに連れ去ったんだ。そうに違いない。もう僕たちになす術なんかないんだ。ただひたすらに死を待つだけなんだ!」




