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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第七章 天井から吊り下がった屍
38/63

3

 201号室で発見した黒峰結の死体の腹部には、一枚の紙が貼り付けられていた。

 例によってそれは、鏡館殺人事件の原稿だった。


 ――――――


 窓越しに目撃した黒峰結の殺害現場。

 慌てて昇降機で二階へと向かい、二〇一号室の戸を壊さんとする勢いで叩き散らした。これだけ騒いでも中からはうんともすんともしない。

 恐る恐る扉に手を掛けると、鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。


 ――ぎきいっ。


 不愉快な軋みを立てながら、ゆったりと開く扉。その間隙から徐々に見えてきた光景に、愕然とせざるを得なかった。

 寝室へと繋がる細く短い通路に、天井から吊り下がった屍。小柄とはいえ、その全体重が首にかかっている為、不自然なほどに頭部が下がっている。胸のあたりに顎がある状態だ。恐らく頸椎が折れてしまっているのだろう。

 震える手でその屍の顔を上向かせて拝む。

 やはりそれは、黒峰結の顔であった。

 思いの外、その表情は穏やかだ。あれほど今際の際に暴れて苦悶に満ち満ちていたはずの顔が、今はその嵐が過ぎ去り、眠るように静かなのである。

 長い睫毛。かわいらしい小さな鼻と口。きめ細やかな若々しい素肌。

 生前の彼女も十二分に人形のように見えた。だがこうして生を奪われた彼女は、血の通いがなくなり、肌はより白く艶やかで、一層に人形の様相を呈していたのであった。


 ――――――


「くそっ」


 俺は壁を勢い良く叩いた。

 またしても起こってしまった殺人。しかも結が殺されるとは。

 彼女に命の危険が迫っていたというのに、呑気に部屋で彼女からの電話を待っていた自分を、殺人を目撃したというのに、ただただ呆然とそれを見届けていただけの自分を、許せなかった。

 しかし実際、彼女が狙われることになるとは夢にも思っていなかったのだ。これまで殺された二人は、パーティーの参加者という立場だった。それ故、次に狙われるとしても、それは参加者の中の誰かだと勝手に想定していたのだ。完全に油断していた。

 そこへ、廊下の奥から寝間着姿の西之葉がやってきた。


「どうかしたんですか、こんな夜遅くに」


 どうやら今まで寝ていたようで、長い髪があちこちに跳ねているが、それでもマスクは付けたままでいる。声に棘があり、眠りを阻害され不愉快な感じが伝わってきた。目元もどこか睨み付けるような雰囲気である。

 さらにエレベーター稼働音とそれが到着する音が聞こえ、下りのエレベーターから湯木の姿が現れた。


「さっきから騒がしかったですけど、何かあったんですか?」


 事情を説明しようと口を開きかけたが、人垣から結の悲惨な最期の姿が見えたのか、その前に湯木が悲鳴を上げた。


「そんなっ、どうして彼女が……」


 どうしてと声を荒らげる湯木に対し、あくまで西之葉は冷淡な反応だ。いつもの冷ややかな視線は変わらない。

 俺は吊るされた結の身体を避け、部屋の中に足を踏み入れた。奥のベッドルームには誰の姿もない。そしてそれは、クローゼットも浴室もトイレも然りだった。


「それで、黒峰さんは中にいましたか?」


 戻ってくるなり挟丘に問われ、俺は静かに首を振った。


「駄目です。中には誰もいませんでした」


「もう既にどこかに逃げたんでしょう」


 挟丘は口惜しそうな顔になるが、まだ諦めるのは早い。


「俺の考えだと、ある程度の見当はついています」


「本当か?」


 仰天する英介に、俺は力強く頷き、ここにいる全員に向き直った。


「ええ、恐らくまだ、二階のどこかにいるはずです。黒峰さんは結さんを殺害した後、このように天井から彼女を吊るしています。俺たちがエレベーターで二階へ上がるまでの間に、他の階へ逃げれる時間があったとは思えません」


「でも、めっちゃ早くそれが出来たとしたら?」


 英介が俺の推理の穴を見つけ出す。しかし、そこについても俺は既に考え済みだ。


「仮に手際が非常に良く、即座に吊るし終えたとしても、俺たちがエレベーターを一階で呼んだとき、上りは地下一階に、下りは三階にありました。そして、上りのエレベーターが二階に到着した時も、下りは変わらず三階にありました。エレベーターの移動速度を考えると、上りのエレベーターが地下一階から二階へ移動する間に、下りのエレベーターが三階から二階を経由して他の階へと移動し、再び三階まで戻ってくる程の時間はありません。それに、昨日からずっと見ていると、どうやらこのエレベーターは十分経つと自動的に上りは地下一階に、下りは三階に戻るようになっています。自頭さん、そうですよね?」


「は、はい。左様でございます」


 自頭の答えで確信を持った。

 十分経つと定位置に戻るのは、ラウンジでエレベーターの動きを見ていた時に気付いたのだが、俺の推測は正しかったようだ。とすると、次の結論が得られる。


「下りのエレベーターでは三階へ行けないんですから、俺たちが二階に着いた時点で、下りは少なくとも十分以上動いていないことになりますし、上りのエレベーターは俺たちが使っていたのだから、結さんを殺害した後に201号室から出てきた黒峰さんは、エレベーターは使ってないんです」


「でも、皆さんが二階に降りた後、犯人がこっそりエレベーターを使って移動した可能性もありますよね?」


 西之葉にそう反駁されたが、それは難しいだろう。


「いえ、結さんの部屋はエレベーターの真正面ですし、ホールは物がなく見通しがいい。となるとですよ、いくら俺たちが結さんに目を奪われていたとしても、誰かがエレベーターに乗ろうとしたら気付いたはずです。現に、後からやってきたお二人には、声を掛けられる前に気付いたでしょう? それに、この距離ならエレベーターの稼働音も聞こえてしまいますし、こっそり他の階に移動するのは無理ですよ」


「そう言えばそうですね」


 湯木や西之葉はその時の事を思い出したのか、納得して頷いた。


「そして、昨日の昼の間に、俺たちは二階をくまなく調べ上げ、この階には隠し通路及び隠し部屋がないことを確認しています。以上の事から考えて――」


「黒峰さんがまだこの階に潜んでいるというわけか……。成程、確かに理屈はその通りだ」


 顎をさする癖を見せながら、挟丘が俺の結論を奪った。


「これは彼の言う通り、二階を調べてみる必要がありそうですね」

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