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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第六章 死のステップを踏みながら
34/63

5

 人気の少なくなったラウンジのソファに腰かけながら、俺は頭を抱えていた。

 今いるのは、朝食の後片付けをしている自頭と片郷、それから対面のソファに座っている英介だけだ。


「なあ、さっきからずうっとその調子だけど、どうしたんだよ」


 覗き込むように様子を窺ってくる英介。その顔を盗み見てみると、いつものようにうざったらしく絡んでいるわけではなく、どうやら本当に心配しているようだ。


「いや……ほら、夜熊さんのこと……。俺に毒の知識があったら、助けられたかもしんなかったんだよ……。それがどうしても悔しくてさ」


 抑えようとすると、逆に変に力が入って声が震える。あの瞬間がフラッシュバックした。

 必死に胸への圧迫を繰り返す俺、無反応の夜熊。彼の傍に無力に佇む俺、目覚めることのない永劫の眠りに就いた夜熊。

 両手を組んで、自分自身への苛つきをぶつけるように己の拳を強く握りしめた。


「お前はよくやってたよ。一人でそんなしょいこむなっての」


「で、でも……」


 まだ切り替えの付かない俺に、英介は両肩を掴んで揺さぶり始める。


「一番悪いのは、こんなことをしでかした犯人だろ。お前が今やるべきなのは、これまでみたいにまるっと事件を解決して、犯人を確保することだろうが。そうしなきゃ、夜熊監督だって報われないだろ」


 いつになく力強い口調に、俺も圧倒された。

 そんな当たり前なことを英介に気付かされるとは。

 そうだ。こんなところで思考停止して、いつまでもくよくよしている場合ではない。

 必ず、必ずこの手で犯人を捕まえ、法の下に裁き、然るべき罰を与える。

 それが、夜熊への弔いになる。

 俺は心中でそれを誓った。


「で、さっきはああ言ってたけど、実際はどうなんだよ。なんかわかってるのか?」


 そう訊かれて、俺は肩を竦めるしかなかった。


「実際そうだよ。まだどっちの事件のトリックもわかってないんだ」


 そうか、と英介も肩を落とす。このまままただんまりになってしまうのも時間の無駄だ。

 俺は自分の考えを整理すべく、一度現状を確認してみることにした。


「とりあえずまずは、第二の事件の流れを纏めてみようか。

 まず、朝食が終わって自頭さんと片郷さんが厨房からコーヒーを運んできたな……。

 自頭さん、あのコーヒーはどうやって作ったんですか?」


「はい、あれは私が豆から挽いて淹れたものでございます」


 テーブルを拭いていた自頭だったが、自分に質問が飛んでくると即座に返してくれるところは流石にベテランの執事だ。所謂職業病というやつだろうか。殆ど間をおかず、条件反射的に答えている。


「その間、コーヒーから目を離したりは?」


「しておりません。その間の皆様のお手伝いは片郷くんに任せておりまして、私はコーヒーのほうに専念しておりました」


「僕……私も手伝おうとしたんですけど、自頭さんにそう言われてラウンジに残りました」


 片郷が自頭の発言を裏付ける証言をする。

 礼を言いつつ俺は英介に向き直り、事件の纏めを続けた。


「それから自頭さんが厨房からコーヒーを運んできたよな。で、カップを全員に配って順にコーヒーを注いだわけだ」


「ああ、その間、夜熊さんのカップに近づいたのは夜熊さんと自頭さんだけ」


「コーヒーを飲んでから三十分ほどで、夜熊さんがもがきだして倒れた。ただ、症状自体はこれよりもう少し前に起こり始めていたけど。で、夜熊さんが倒れた時に、挟丘さんがテーブルの下から原稿を見つけた。調べた結果、毒がコーヒーに入っていたことは間違いない。毒は神経毒で猛毒のテトロドトキシンだった」


「う~ん、考えれば考えるほど、やっぱり自頭さん以外に毒を入れられるチャンスのあった人はいないように思うけどなあ」


 英介が天を仰ぐようにして唸った。

 彼の言う通りだ。しかし、だからと言って自頭が犯人とは、先程新時に反論したようにあまりに考えづらい。自頭犯人説は、他にトリックの使える余地が一切なかった時に考慮すべきものだろう。


「それから、俺たちが夜熊さんの傍に付いている時、他の人たちに何か変わった様子はなかったか?」


 英介にそう尋ねてみると、彼はその時の様子を頭の中に思い描くように、視線を宙に彷徨わた。


「う~ん、変わった様子って言ってもなあ。結さんと晶さんは二人で並んで座っていただけだし、湯木さんや西之葉さんは自分の腕時計をちらちら見ていただけだし、まあ、片郷さんがちょっとそわそわしていたけど、単純に夜熊さんが心配だっただけだろうし……。別に変なところはなかったと思うな。誰も食器には手を触れるどころか近付くことさえしてなかったもの」


「そうか……。やっぱり、纏めただけだとまだどんなトリックが使われたのかまではわからないな。ただ、今のところ一つ気になることがあるっていうか」


「気になること?」


「ああ、冷静に考えてみると、犯人がわざわざテトロドトキシンって毒を使ったことが納得行かないんだ。

 調べた限り、テトロドトキシンって毒は、確かに毒性は高いし解毒剤も未だに作られていないんだけど、逆に助かる可能性も高い毒なんだよ。発症してすぐに人工呼吸すれば助かる場合もあるから、こんな山奥の辺鄙な場所でも、十分に助けられるチャンスがあったんだ」


 それでも理解できない英介は、早く先を説明してくれと急かしてきた。

 これ以上ヒントを出しても彼が思いつきそうもないので、さっさと本題に入る。


「わからないか? 確実に相手を殺すつもりなら、もっと即効性のある強力な毒を使うはずなんだよ。例えばミステリーでよく使われる、青酸系の毒とか、ヒ素とかそういうやつ。テトロドトキシン単体を入手するよりは、そっちの方が手に入れやすかったりするし。それなのにわざわざテトロドトキシンなんて毒を使うのはおかしいだろ。下手すればターゲットが助かってしまうかもしれない。毒殺は一回失敗したら全員に警戒されて使えなくなるからな。それだけじゃなく、殺しに失敗するとターゲット自身も自分が狙われていることに気付いてしまい、それ以後一層狙いにくくなってしまう」


 成程、確かにそれはおかしいな、と英介も納得して同調したが、それでも首を傾げている。


「だけど、そこに一体何の意味があるんだ?」


 それを聞かれると、俺もお手上げだ。

 頭を掻いて溜息を一つ吐く。


「それがわからないから困ってるんだよ。でもきっと、犯人にはそうしなければならない理由があったんだと思う」


「理由ねえ……」


 難しい顔つきになって、英介は腕を組んだ。ただその仕草は形式ばったものでしかなく、彼の推理力では到底その答えを導き出すことはできないでいる。ちらちらと俺のほうを横目で見ていたが、俺もまた険しい表情でいることに気付いたのか、それ以上何も訊いてはこなかった。

 結局、そこから会話が途切れてしまい、俺も一人になって少し冷静に考えを練りたかったので、部屋に辞すことになった。


 *


 部屋に戻ると、ベッドの上でうんうん唸りながら寝返りを打っていた。とは言っても、頭の中では一歩進んで二歩下がるばかり。

 もしかしたらこの方法なら。

 とやっとこさ浮かんだアイディアもすぐに矛盾が現れて、泣く泣く捨てざるをえない。

 そんな実質停滞状態の行ったり来たりを繰り返しているうちに、次第に集中力も欠いてくる。もじゃもじゃと頭を掻きまわしているうちに、疲れが眠気となってやってきた。

 寝ている場合ではない。

 必死に堪えて目を見張る。が、段々重くなる瞼。乾いてくる瞳。

 一度だけなら……。と瞬きをしたのだが、その時点で俺は睡魔に敗北していた。

 眼前が暗くなっていたのはほんの一瞬。そう思っていたのは俺だけのようだ。

 時計を確認すると、もう午後七時前だった。


「うっそだろ」


 慌ててラウンジに向かった。が、思いがけずそこはがらんとしていた。

 昨日までなら、既にこの時間には全員が集合していた。だが今は、自頭と片郷、それから結と晶に英介、新時しかいない。

 その新時も食事の皿を持ったまま、すぐに廊下に戻っていった。

 どうやら部屋で一人で食べるつもりらしい。

 

「あの……他の皆さんは?」


 特に給仕することもないようで、自頭や片郷はただただ結たちの食事を見守るだけ。手持ち無沙汰そうに見えたので、彼らにそう訊いてみた。


「はい、挟丘様は既に夕食を終えられて、お部屋にお戻りになられました。湯木様と新時様はお部屋で食べられるということでございます。轟様と西之葉様は夕食は必要ないということで、お部屋におられます」


 夜熊の毒殺の件で、確実に参加者たちは警戒を強めている。仮に夜熊が助かっていたとしても、こうなることは犯人にも予期できたはずだ。先程英介に指摘した疑問が、頭を掠める。


「末田様は、夕食は何にいたしますか?」


 片郷にそう訊かれて、俺は困惑してしまった。


「う~ん、何って急に言われても……。英介は何食ってんの?」


 英介の皿を覗き込んだ。どうやら海老のパスタを食べているみたいだが、皿はそれだけしかなく、これまでのような豪奢なコース料理ではないようだ。


「冷凍食品だよ。厨房の冷凍庫にいくつかあったから、それを貰ったんだ。結さんや晶さんは自分たちで作ったみたいだけど」


 結や晶はサンドイッチを作ったらしい。食パンにレタスやベーコン、チーズが挟まっているスタンダードなものだ。


「じゃあ俺も冷食でいいかな」


「では末田様、こちらに」


 一から作るのが面倒だったのでそう決めると、片郷が待ってましたとばかりに俺を先導する。

 彼女もやることがなくなり暇で仕方なかったのだろう。給仕をする必要のない使用人では、その存在意義は半減だ。自頭など、魂を抜かれたようにぽかんとしているではないか。すっかり老けきって呆けた一老人のような自頭の姿が、痛々しくて見ていられなかった。

 厨房に入ると、その一角に大きな業務用の冷凍庫がいくつか並んでいて、中には冷凍食品のみならず、氷漬けの魚や肉が保存されていた。その冷凍庫にも全部は収まりきらないようで、隅に置かれたクーラーボックスの山に、大量のドライアイスと共にぎっしりと残りの冷凍食品やアイスクリームが詰まっていた。

 あまりの多さに吃驚仰天していると、片郷が嘆息を零した。


「この量、凄いですよね。私も初めてここに来た時はもうびっくりしちゃいましたよ。こんなに沢山の食材なんて、レストランのバイトぐらいでしか見たことないですもん」


 思えば彼女と二人きりになるのはこれが初めてだ。せっかくなので、少し彼女のことについて訊いてみよう。


「そういえば、片郷さんって、このパーティーの為に雇われたんでしたよね。どういう伝手でこの仕事を?」


「私の母と自頭さんが知り合いでね。母も昔、黒峰さんとこの使用人として働いていたことがあって。で、その母が、バイトやめて暇になっちゃってた私の為に推薦してくれたってわけ。時給もよかったから、二つ返事で来たんだけど、上手い話ってないもんだよね。こんな事になるなら止めとけばよかった」


 苦虫を噛み潰したような顔で彼女はそう言った。

 俺は適当に冷凍食品の炒飯を選んで、レンジで温めて片郷と共にラウンジへと戻ってきた。

 しかし食べ始めてちょっとすると、


「じゃあ僕はそろそろ」


 英介が口をナプキンで拭いて立ち上がろうとした。


「おい、まだいいだろ」


 このただでさえ居辛い空間で、唯一気を許して話せる相手がいなくなってしまったら、もうどうしたらいいのかわからない。

 何が何でも引き留めようとしたのだが、英介は俺のそんな思いを裏切るように、俺の手を躱してするりと立ち上がってしまった。


「もう食べ終わったし、部屋で休んでるよ」


 皿の片付けは片郷に任せて、英介はそそくさと退散してしまった。


「ったく、あいつめ……」


 いなくなった英介にぶつぶつと小さく陰口を叩いていると、ちらちらと結たちが俺を見ていることに気付いた。

 そう言えば、朝から何故か彼女たちが俺を気にしている素振りを見せていた。

 急に監視されているような気分になって、小言をやめて食べるのに専念する。

 しかし遂に、


「お姉様」


 と晶に肘を当てられた結が均衡を破った。


「あの……末田さん、ちょっといいですか?」


 こっちへ来るように手招きしている。その仕草が妙に色っぽく見えた。


「は、はい?」


 思わぬ出来事に俺はどぎまぎとした。急に背中に汗が出てきて、心臓が脈打ち始める。

 招かれるままに彼女の傍に歩み寄ったが、まだ結は話そうとせず、更に彼女の方から俺に近寄ってきた。おまけに、ほとんどくっつきそうな距離にまで、その人形のような可憐な顔を俺の耳元に近付ける。

 この時点で、俺はもうガチガチに緊張して、見動きが取れなかった。彼女の掌の上で弄ばれているみたいだ。

 ようやく、彼女がひそひそと耳打ちしてきた。


「その……実は、貴方にお話ししたいことがあるんです」


 彼女の吐息が耳朶に当たり、その度に俺は生きた心地がしなかった。頭に血が上ってくる感覚がある。


「それで、後で私の部屋に来てほしいんです。他の方には聞かれたくない話なので、お一人でお願いします」


「え、ええっ?」


 聞き間違いかと一瞬本気でそう思った。女性からこんな風に言い寄られた経験など一度もないのだ。疑わずにはいられない。

 騙されているのか。

 と思ったが、彼女の顔も、隣でそれを見ている晶の顔も真剣そのものである。

 赤面がピークに達していることが、顔面から発されている熱でわかる。きっと熟れたトマトのようになっていることだろう。

 極度の緊張と興奮で、なんと答えたら良いものかわからない。語彙力が消滅したように、言葉が出てこないのだ。

 しかしそれは、彼女の次の一言でようやく治まってくれた。


「事件のことで、もしかしたら何か、手掛かりになるかもしれませんから」


 え、事件……?


 その瞬間、自分が馬鹿みたいな勘違いをしていたことに気付いた。


「あ、……ああ! ははっ、なるほどなるほど。そ、そういう事ですか! そういう事でしたら、はい、わかりました。喜んでお受けしますよ。はい。いや〜そうですか、そうですか」


 つっかえが取れたように舌が回る回る。

 だが、恥ずかしさが誤魔化せたわけではない。穴があったら入りたい気分だ。


「じゃあ、日付が変わる前にはお部屋に電話しますから」


 結の意味深な笑みに、もしかして彼女たちは、俺をからかうために、わざとあんな風な告げ方をしたのではないかと勘繰った。

 しかしそれでも、俺が柄にもなく自意識過剰な勘違いをしてしまったことは取り消せない。途端に自己嫌悪に苛まれ、そこからもう炒飯の味など何もわからなくなってしまった。


 *


 夕食後は部屋の中で結からの連絡を待つことにした。その間に事件の事にも考えを及ばせようとしたのだが、事件の話だと聞いたのに、それでもまだどきどきしている。普段異性から電話をもらうことなどないから、それで緊張しているのだろう。そわそわして落ち着かず、立ったり座ったり、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、テレビを点けたり消したり、意味のない行動を繰り返していた。

 かなり長い間そうやっていたと思う。

 内線電話が鳴り響いたのは、午後十一時半頃だった。


「あ、結さんですか。今から結さんの部屋に行けばいいんですか?」


『ラウンジに来たまえ』


「えっ?」


 俺は面食らった。鳩が豆鉄砲を食ったようというのは、まさにこの顔だろう。

 電話口から聞こえてきたのは、結とは似ても似つかない声だ。そもそもこれは男の声ではないか。

 だが、どこかで聞いたことのある声だ。


『面白いものを見せてやろう』


「あ、貴方は……」


『黒峰鏡一だ』

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