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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第五章 図書室を這い回る影
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 夕食は午後七時きっかりに行われた。

 今日の昼食は予定外のアクシデントの影響で自然消滅してしまったので、今回が食堂での初めての食事となった。

 食堂にもラウンジと同様に、壁には多数の鏡が掛けられている。どれもこれもサイズや形状はバラバラで、統一性は見られない。

 ラウンジはともかく、食堂では自席が決まっているので、そこから動く事はまずない。それだけに、鏡の存在は大きく、ちょっとした動きが反映されるだけで、そちらに視線が行ってしまう。どうにも気が散って仕方がない。

 しかし、それを除けば、立派な食堂である。

 細長いダイニングテーブルは、自頭と片郷を除くここに集まった全員どころか、もっと大勢の人間が一堂に会しても食事ができそうなほどの大きさだ。机上には等間隔に観賞用の造花が生けられた花瓶や、暖かみのある橙色を灯した卓上ランプが設えられ、シックな色合いの中に、鮮やかでありながら落ち着きのある彩りを加えている。壁紙や絨毯はラウンジのものと同じだ。食堂にも立派なオーディオ装置があり、ターンテーブルに乗って回転しているレコードが、重厚感のあるオーケストラのクラシックを奏でている。

 執事と使用人という立場の自頭と片郷はもちろんだが、こんな状況になっても結と晶は彼らの手伝いをしていた。いや、こういう時だからこそ、気を紛らわせたくてしているのかもしれないが。

 そんな彼女たちの健気な様子に、食卓を囲んでの会話も、自然と事件から遠ざかる。

 下手に話題にすると、先程の遊戯室でのように、彼女たちの機嫌を損ねてしまう可能性もあった。

 それに、俺はここにいる参加者たちはおろか、黒峰家に関しても殆ど無知の状態だ。情報があれば、それに越したことはない。

 ここは何気ない話をしつつ、ここにいる面々の背景を、少しでも把握しておこう。


「そういえば湯木さん、さっき結さんと晶さんにピアノ教えてましたよね?」


「ああ、あれね。少しは気晴らしになるかと思って、あたしから誘ってみたの」


「よくああいう感じで教えているんですか?」


「そうよ。黒峰さんにピアノを教えに行ってるって、前に言ったでしょ。その時に二人にお願いされて、空いた時間とかに彼女たちにも教えているわけ」


 どうやら彼女はあまり俺との会話に乗り気でなく、下を向きながら料理を切り分けている。そうかと言って食欲があるわけでもないようで、ただただナイフとフォークを手元で動かすだけで、口に運ぼうとはしていない。

 状況が状況なだけに、そんな態度になるのも理解できるが、嫌われているみたいでいい気分はしない。それでも、辛抱強く尋ねた。


「黒峰さんの家に行って教えているんでしたよね。いつ頃から教えていられるんですか?」


「さあ……、結構昔からやってるから。いつからだったかしら……三年か、四年か」


 考え込むような台詞だが、その実全く意識はこちらに向いていないように見える。これではいつまで経っても返事が返ってこないと見たのか、堪らず自頭が口を挟んだ。


「四年程前からでございます」


「やっぱりそっちにもラウンジにあるみたいな立派なピアノがあるんですか?」


 湯木に訊いても実になる答えはとても期待できそうになかったので、そのまま自頭に尋ねた。が、先にそれに答えたのは、俺の蓮向かいの席で聞いていた挟丘だった。


「それどころじゃないですよ。わざわざ防音加工を施した部屋を増設して、そこに数千万はくだらないピアノを入れているくらいですから」


「すっ、数千万!」


 予想を遥かに超える価格に、思わず噎せてしまった。危うく気管に食べ物が詰まるところだった。

 音楽の為に部屋を増築したのだけでも驚きだが、その上数千万のピアノである。驚かない方がおかしい。流石は大作家、金の使い方が豪快だ。


「そ、それは凄いですね。それだけ詳しいってことは、挟丘さんもよく黒峰さんのお家に行かれたりするんですか?」


「今じゃ家族ぐるみの付き合いですよ。結さんたちは娘の遊び相手をしてくれるので、本当に助かります」


 挟丘は結と晶のほうを見たが、彼女たちはやはり父親のことが気懸かりなのか、


「ええ、そうですね」


「はい、そうですね」


 と、聞いているのかいないのか、そっけない返事である。声のトーンにも翳りがあった。彼女たちを元気づけようとしていたのか、挟丘がこれまでになく明るい調子で話しかけていたから、余計にその落差が目立ってしまう。

 見かねて俺は他の人に話を振った。


「轟さんや新時さんも、黒峰さんの家に行ったことあるんですか?」


「まあね、つっても、俺はそんなに頻繁に行くようなことはないなあ」


 話に入り込むチャンスを先程から窺っていた轟は、話を振られて嬉々とした様子だ。


「ほら、俺はそもそも家が新潟だからさ。あれ、これ確かもう言ってたよね。まあそういうわけだからさ、わざわざ東京まで遊びに行くこともないし。電車賃とか馬鹿になんないからね。車持ってるわけでもないし」


 喋り倒す轟のおかげで、新時の入る隙がない。新時にも答える気はあったようだが、そのせいで諦めたようだ。


「実際、黒峰さんの家に行ったのって、二、三回くらいしかないからさ。新人賞獲った時に、泊めてもらったのと、ホームパーティーに誘われた時と……。あとなんかあったかなあ……。とにかく、まあそんな感じだから、そんなピアノの部屋とか、全然気付かなかったなあ」


「あそこは家自体が広いですからね。トイレに行くのに迷っちゃうくらいですから。気付かなくても無理ないですよ」


 挟丘のフォローにまた度肝を抜かされた。

 トイレに行くのに迷ってしまうとなると、デパートのワンフロアぐらいの広さがあるのだろうか。あるいはそれ以上か。

 とにかく、小さなアパートの一部屋に縮こまるようにして暮らしている俺には、絵に描いたような典型的豪邸しか頭に思い浮かばない。


「おやあ」


 しかし、その矮小な想像力でなんとか描き出そうとしていた黒峰家の全体図は、夜熊の気の抜けるような声で無情にも、蜘蛛の子を散らすようにばらばらに霧散していった。


「雨が降っているみたいですな」


 彼の視線の先には、外の照明で明るく照らし出された窓ガラスがある。よく見れば、確かに水滴がそこかしこに張り付き、流れ落ちている。強い白色光が水滴を通って散乱し、さながらステンドグラスのように虹色がかっている。

 その水量を見るに、結構な降りのようだ。


「本当だ。確か予報だと、降るのは明日あたりって言っていた気がしたんですけど」


 と英介。しかしあまり深く考えていないようで、それがどうかしたのかという顔だ。


「山の天気は変わりやすいというからな。……それより、こんなところだからな、土砂崩れでも起きないか心配だ」


 夜熊が腕を組んで難しそうな顔つきになる。

 土砂崩れというワードを耳にして、ようやく英介にも現状の問題が理解できたようだ。

 今この館は深さ五メートルはありそうな堀に囲まれ、唯一の出入り口である跳ね橋が引き上げられ、完全に周りから孤立している状態なのだ。こんなところで土砂崩れなんか起きたら、逃げることさえできない。

 途端に周囲に不穏な空気が流れる。嫌でもその時を想像して、誰もがごくりと生唾を飲み込んだ。

 皆沈痛な面持ちで、黙りこくってしまう。

 自頭でさえも一言も発しない。彼の口から有事の際の対策を聞いて、一安心したいところなのだが。

 しかし、結局自頭は何も言わなかった。それが何を意味しているのか、この場にいた全員が察していた。

 場が重いムードになってしまい、沈黙に耐えきれなくなって、仕方なく俺が口火を切った。


「しかし、雨が降っている割には静かですね。多分結構前から降っていたんでしょうけど、全然気付かなかった」


 実際、少しは雨音が聞こえてきてもいいはずなのだが、食堂内はいたって静かだった。

 これには自頭がさらりと答える。


「ここの外壁は防音壁となっております。旦那様が仰るには、前のホテルの時からそうだったようです。この辺りでは鳥や獣の鳴き声もかなり騒がしいので、そのためだと」


「ほう、そうでしたか。そう言えば確かに、部屋が静かで眠りやすかったですな」


 夜熊が話題を合わせてくれたおかげで、俺の肩の荷も降りた。

 そこからは、また別の話でなんとか場が繋がった。だが流石に、皆疲れてきているのか、口が重たくなっている。喋っていたのは殆ど挟丘と夜熊と轟、あとは英介くらいだ。片郷がその輪に入りたそうにうずうずしていたが、自頭の無言の圧力に抑え込まれていた。

 残りの面々は、口に運ぶわけでもないのに、手持ち無沙汰を紛らわすために料理をとにかく細かく刻むばかり。

 そのまま夕食は終わった。

 場が解散しても、昨日のようにラウンジで飲んだり、というような集まりをするわけでもなく、全員部屋に引っ込んだ。

 今日は朝からあんな出来事を目の当たりにしてしまったのだ。

 それから館内中の捜索。体力の面でも疲弊しているだろう。

 それに、殆ど誰もおくびにも出すことはなかったが、いつ自分が殺されるかという恐怖にも晒されているわけだ。精神的にも磨り減っているのは間違いない。

 俺自身も、身体がぐったりとしていて、早く横になりたい気分でいっぱいだった。

 慣れない場所、初対面の人々。それだけでも十二分にストレスに繋がる要素だというのに、またしても忌々しいことに殺人が起こってしまったのだ。

 まさか自分がここに来たせいでは……。

 もちろん、そんなことはありえない。

 これはどう見ても、何らかのトリックを使った計画的な殺人だ。俺が来ようと来るまいと、パーティーが開かれた時点で、既に事件の幕は上がっていたはずだ。

 だが――、

 理屈でそう分かってはいるものの、どうしてもそう感じざるを得なかった。

 ベッドで横になり、睡魔が襲ってくるまで天井を見詰めている間、俺はそんなことばかりを自問自答して、堂々巡りに陥ってしまったのであった。

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