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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第四章 煙の如く消失した当主
23/63

5

「やめてください」


 姉妹の声が飛び込んできて、俺たちははっと我に返り、議論を中断した。

 熱中しすぎていたせいか、いつの間にか周りに聞こえる声でやりとりしていたようだ。

 トランプをやっていたはずの女子たちは、すっかりその手を止めて、こちらを見ていた。


「お父様は、そのようなことを」


「なさる方ではありません」


 悲壮感を募らせた眼。それでいて、捨てられた子犬のような、訴えかける目である。


「さっきもそう言っていたけど、どうしてそう言えるんだい?」


 夜熊が刺激しないよう、あくまで優しい口調で尋ねる。

 伏し目がちに胸に手を当てる彼女たちの胸中を慮ると、痛ましくて仕方がない。


「お父様はとても」


「お優しい方でした」


「連れ子の私たちを」


「とても可愛がってくれて」


 しかしそれは、彼女たちの主観に過ぎない。優しい人間だから殺人をしないとは言い切れないのだ。むしろこのような計画犯罪ともなれば、得てしてそういう人物が犯人である可能性が高いように思う。

 夜熊もそれをわかってはいるが、彼女たちに面と向かってはっきりと言い出せず、微妙な物言いになった。


「うむ、それは……そうだろうがね。それとこれとは話が……」


「それに、あの伯父さんの事ですから、自業自得です。殺されたって、仕方ありません!」


「お姉様!」


 妹に窘められ、はっとした結は、お喋りな口を物理的に自制するかのように手で押さえ、そのやり場のない怒りを腹の中に戻した。


「結さん、それは一体どういう……」


 追及を恐れてか、俺の言葉も無視して、二人は無言で遊戯室を出て行こうとした。それを、心配した執事が呼び止める。


「お嬢様、どちらへ?」


「私たち、少し疲れました」


「部屋で休ませてもらいますわ」


 振り返りもせず無愛想に答えると、そのまま部屋を後にする。

 何がどうなっているのかよく分からない俺たちは、唖然とその様子を見送っていた。

 彼女たちがいなくなったのを確認してから、遊戯室に漂っていた、あの姉妹への暗黙の疑問について、自頭が代わりに説明した。


「雉音様は、お嬢様に対しても、その、なんと言いますか……下心を見せて近寄っていたと言いますか」


 事が事だけに、かなり言いにくそうだ。それを表すように、ひっそりとした声になっている。


「ははあ、そうでしたか」


 得心した夜熊が、彼女たちが消えた扉の向こうに憐憫の眼差しを向けた。

 その脇で片郷が憤慨している。


「酷い話ですね。最低の男じゃないですか! 昨日湯木様にもいやらしい目つきで付き纏っていましたからね。僕の思った通り、やっぱりただのケダモノですよ」


 怒りのあまり、素が出てしまったようだ。一人称が私から僕になっている。

 所謂ボクっ娘という奴だ。サークルの女子にもいるが、正直全く合っていない。痛々しくて見ているこっちが恥ずかしくなる。

 しかし片郷の場合は真逆で、僕と言っているほうが自然と言うか、下手をすれば俺と言われても違和感がない気がした。

 彼女は気が強いようで、あんな男は女の敵だと過激な発言で怒りを露わにしていたのだが、


「片郷くん、言葉を慎みなさい」


 自頭に強い口調で諭されて自分を取り戻したのか、急にしょげかえった。

 彼女が静かになって、自頭はもっともらしく咳払いをすると、話を元に戻した。


「とにかく、その事で一度、お嬢様が酷く注意なさったのです。雉音様も、それ以後は反省したご様子に見受けられたので、そういう意味でも今回のパーティーで、お互いの仲が少しでも改善されればと考え、私から旦那様に雉音様をご招待すべきではないかと進言したのですが……」


「しかし昨日の様子じゃあ、到底反省したようには見えなかったものなあ」


 夜熊も雉音に対して呆れているようだった。


「はい、そういうわけで、お嬢様もあのような態度になってしまっているのだと思います」


 昨日の彼女たちの、とても伯父に当たる人物に向けるような視線ではない、あの冷たい目は、そういうことだったのだ。

 ようやく腑に落ちたのだが、自頭は自責の念に駆られているようで、顔を伏せた。


「まったく……。私が余計なはかりごとを企んだりなどしなければ、恐らく、こんなことにはならなかったんでしょう」


「いや、自頭さんが自分を責める必要はないんですよ」


「ですが……」


 俺は精一杯フォローしたのだが、彼はまだそれを払拭しきれていないようだった。自分が呼んだせいで雉音は殺されてしまった。しこりの残るような結果になってしまったことが、悔やんでも悔やみきれないのだろう。

 とその時、遊戯室のホールクロックが十一時の鐘を鳴らした。

 それで再び執事としての自分を取り戻した自頭は、途端に平生の口調に戻った。この切り替えの早さは流石ベテランだ。いや、切り替えというよりは、感情を内に押し込め閉ざしただけだろうか。


「皆様、昼食はどうなされますか? 必要ならば、今から準備いたしますが」


 昼食について自頭が尋ねてきたのだが、朝食が遅めだったこともあり、まだ空腹を感じていない。他の面々も同様らしく、必要ないと答えていた。

 しかし律儀にも彼は、内線電話で部屋に篭っている三人と、先程出ていった結と晶にも訊いていた。

 もちろんの事、答えはノーだったが。

 しかし、部屋の中とはいえ、ずっと一人になっているのは危険だと考え、午後三時に生存確認を兼ねて、一度全員ラウンジに集まることになった。

 それまでの間、俺たちは思い思いに時間を過ごした。


 *


 約束の午後三時が来る前には、全員ラウンジに集結していた。ラウンジから廊下にピアノの音が漏れていたので、またクラシックの曲を流しているのだろうと踏んだのだが、思いがけずそれは生演奏だった。

 ラウンジの隅の、一段高くなったところに置かれた、漆黒の輝きを放つグランドピアノ。そこに結と晶が隣り合わせに座って、流れるような旋律を奏でていた。その脇に湯木が立ち、彼女たちの指さばきを鋭い目で見守っていた。これまで見たことのない彼女の真剣な表情に、俺は思わずどきりとした。ヒステリックなところがあるが、黙っていればその眉目秀麗さに息を呑むほどだった。

 そこへ自頭と片郷が厨房から紅茶とお茶菓子を運び込んできた。曲の途中だったが、それで姉妹は手を止めた。

 譜面台に開かれた楽譜に向かって指差しながら、湯木が何やら彼女たちに話している。アドバイスでもしているのだろう。

 手元に来たそばから、行儀よく待つことさえせずに、皆好き勝手に飲み始める。しかし、誰も喋ろうとしないので陰々滅々とした空気。

 それに耐えられなくなって、挟丘に話を聞いてみた。


「そういえば、挟丘さんは大学の教授だと仰ってましたが、何の研究をなされてるんです?」


 彼は確かに気難しそうな雰囲気なのだが、どことなく話しかけやすい感じを覚えていた。


「まだ准教授ですよ。専門は機械工学です」


「ほう、機械工学……というと、ロボットを作ったりするんでしょうな」


 隣で聞いていた夜熊も、興味深げに話に入ってくる。


「まあ、そうですね。ただ、一口に機械工学と言っても、そこからまたさらに細かな分野に枝葉が伸びていくので、ロボット以外にも色々あるんですが、私の研究室では主に、生体工学や人間工学に基づいた――」


 挟丘は例の癖で顎鬚を擦りながら、勢いづいて捲し立てるように話し始めたのだが、俺や夜熊の理解が追い付かず、ぽかんとしているのに気付くと、軽く咳払いして端的に説明し直した。


「平たく言うと、人間や動物の動きをコンピュータで分析して、その動作やシステムをロボットに活かそうとしているわけです」


「ほほう、それは興味深いですな」


「何だか頭が痛くなりそうな話をしているなあ。僕は勉強はまるでダメなんで、聞いても全くわからないや」


 紅茶を手に持って、轟が近づいてきた。


「轟さんは、学科はどこなんです?」


 そうやって話題を振ってみたのだが、轟は惚けた顔して自分を指差した。


「僕? 何だっけなあ」


 自分の所属している学科も、すらすら出てこないらしい。どれほど彼が大学や勉学に興味がないか、窺い知れる気がする。

 長考してようやく出した答えも、酷く曖昧なものだった。


「……確か、国際なんとかかんとか学科とかだった気がするよ。長くて覚えてないけど」


 なんとかかんとかではまるでわからない。しかし国際とつくのだから、恐らくは英語系だろう。てっきり文学部かと思ったが、そういうことでもないようだ。


「大体、ほとんど大学にも行かないで、バイトか小説書くかしかしてないから。おかげでいつも落第すれすれだけど」


 彼は悪びれた風もなく、やれやれとばかりに肩を竦めた。

 まあ、俺も似たようなものだから、人のことをどうこう言える立場ではないが。

 などと思っていると、まるで心の中を見透かしたように、英介が俺を指し示して、


「それならこいつよりまだマシだよ。こっちは小説も書けないから、部室でごろごろしているばかりだもの」


 秘するべき俺の実情を、次々と明らかにしてくれる。


「うっさいなあ、そう言うお前はどうなんだよ。なんか身になることやってるか?」


 恥ずかしさに顔を赤らめて、俺は英介に反撃した。

 しかし、それも敢え無く失敗に終わる。


「俺はお前と違って勉強もしてるし、資格も取ってるんだよ。一緒にするなっての」


 冗談めかして威張り返されたが、何も言い返せなかった。

 確かに、英介に比べたら、俺は何もしていない。

 ただ今の自堕落な生活に満足して、先のことをまるで考えていないのだ。

 唐突に自分の身の振り方を再考しだして、俺は何とも言えない不安感に足元を掬われそうになった。風に揺れるオンボロの吊り橋に立っているような気分だ。


「まあまあ、落ち着いて」


 轟があのへらへら笑いを見せて仲裁に入る。

 そもそも轟が余計なことを言い出したから、こんな羽目になったのだ。そうやって責任転嫁して自分をその不安から救い出そうとする。

 それで思わず彼に強い当たり方をしてしまった。


「それにしても、そんなに勉強が苦手なのに、よく小説が書けるものですね。なんか、頭良くないと小説って書けない印象があるんですけど」


 言ったそばから、小さい人間だと自己嫌悪に陥る。

 しかし、轟は全く気にしていないようで、笑い飛ばす。


「ははっ、君も失礼なこと訊くね。実を言うと、僕にもよくわからないんだよ。ただ書きたいことを書いただけなのに、たまたま新人賞に選ばれちゃったものだからね」


「そんなものですか」


 轟にとっては、本当のことを言っているに過ぎないのだろうが、俺には自慢にしか聞こえない。

 そしてそんな捻くれた見方しかできな自分に、またしても嫌気が差すのであった。

 話がひと段落して、轟は夜熊の元へと向かった。

 お茶でも飲んで少し気を休ませた方が良さそうだな。

 と、自頭におかわりを申し出ようとした時、


「……彼はいわゆる天才型だから」


 突然、背後から突然ボソッとか細い声が聞こえてきて、俺は肝を冷やした。


「わっ、新時さん、驚かさないでくださいよ」


 振り返ると、そこにはいつの間にか、新時の姿があった。かなり近くにいたのに、まるで気配を感じなかった。

 まだ心臓が高鳴っている俺をよそに、英介が彼に尋ねた。


「新時さんは、轟くんのこと知ってるんですか? 彼の方は、あまり新時さんのこと知らないって言ってましたけど」


 すると、新時は訥々と喋り出した。


「ぼ、僕は雑誌のインタビューとかを読んで知っただけで、実際に会って喋ったのは今回が初めてです。彼は頭に描いたことをただ書いてるに過ぎないって、さっきと同じようなことをそこでも言ってたんです。典型的な天才型ですよ。だから、……その、勉強とかの頭の良し悪しと小説のそれとは、全く関係がないんでしょう」


 怯えていた時の元気な声は何処へやら、肺から搾り出したような、今にも空気中に分散して消えてしまいそうな声だ。


「新時さんもそうじゃないんですか?」


「……僕の場合は、ずっと昔から小説を読み耽ってきて、好きな作者の真似事から入って、いろんな賞に応募して、やっと今があるって感じですよ」


 轟が天才型だとすれば、新時は努力型といったところだろうか。

 どこの世界にも、この二つのタイプがあるのだろう。


「でも、デビューして、今まさに売り出し中なんでしょう? だったら、凄いじゃないですか」


「僕みたいなレベルの人間は、この業界にはごまんといるんです。いざとなったら、即切り捨てですよ」


 首を手で斬るようなジェスチャーをする新時。自分自身に対して皮肉を込めたような表現だった。自嘲するような僅かな微笑が、薄気味悪いというよりも、物悲しさを感じさせる。


「そんなの、出版業界に限ったことじゃないでしょ」


 いつの間にか会話を聞いていたらしい湯木が口を挟んだ。


「音楽の世界だってそう。あたしみたいな才能はそこら中にいるし。田舎にいた頃は神童だなんて持て囃されたわけだけど、井の中の蛙だったってわけ」


「そうなんですか?」


「そっ、まあ、あたしの場合は自分は自分でさっぱり割り切ってるから、正直周りなんてどうでもいいんだけど」


 大半の人間には、どこにでも自分より上の人間が存在する。立ち止まって上を見上げると、その壁の高さに目が眩むのだろう。そしてその壁と自分とを比較して、その矮小さに嫌気が差す。競争の激しいクリエイティブな世界では、それはより顕著なのだ。湯木のように割り切ることができる人間も少ないだろう。

 俺は、自分がそんな忙しない世界に置かれていないことに、少しばかりほっとした。

 ただ何も考えず、上も下も関係なく安閑と暮らしていられるモラトリアム。その有難みを噛み締めたのであった。だが、そのぬるま湯に浸かっていられるのも、あとほんの僅かな期間。それを考えると、忽ち陰鬱になる。そんなジレンマに嵌まり込んでいた。

 ラウンジの時計が、午後四時を告げる。

 ここを出られるようになるまで、まだ二日半ほどあるのだ。

 皆、まだ元気そうに見せて、体面を保っていることができているものの、これからさらに被害者が増えたとしたら。逃れられない恐怖に精神が摩耗して、発狂する人間が出てきてもおかしくはない。

 こんなことになるのなら、来るべきではなかった。

 自分で所望しておきながら、今更になって後悔している自分がいる。

 あの時、好奇心ではなく、不安感が勝ってさえいれば、こんなことには……。

 たらればを言っても仕方がない。それはわかっているのだが、今の俺はとてもそう思わずにはいられなかった。

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