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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
第三章 自らの血の海に溺れた
18/63

5

「叫び声のようなものが聞こえてきたんですけど、何かあったんですか?」


 ラウンジに戻ると、片郷が怖々尋ねてきた。辛抱強く待っていてくれたようだ。

 いつの間にやら西之葉も起きてきたようで、片郷たちと一緒にいる。


「皆様表情が優れていませんけど……。もしかして……」


 肩を落とし、青褪めた面持ちでやってきた俺たちを見て、片郷のみならず、西之葉たちも察したようだ。湯木は推理ゲームの時には鼻も引っ掛けないといった風だったのに、怖気と不安とが渾然一体となったような顔つきでいる。

 見てきたこと全てを説明しようとした時、


「なんだかバカに騒がしかったけど、何かあったのかい?」


 廊下の奥から轟が起きてきた。欠伸をしながら頭をぼりぼり掻いている。何も知らないのだから無理もないが、まるで緊張感がない。張り詰めていたラウンジの空気が、それで僅かに和らいだ。

 これは好都合だ。図らずも全員揃ってくれたので、起こしに行く手間や何度も説明する手間が省ける。


「皆さん、落ち着いて聞いてください」


 そうして俺は、ラウンジに来てから雉音の死体発見までの事の顛末を、事細かに全員に伝えた。


「そんな、雉音様が……」


 片郷が息を呑んだ。

 途端に轟の顔が青褪める。西之葉は無反応のまま。湯木は、昨日は雉音と一悶着あったものの、それでも目を見張って驚いている。

 結と晶は怯えているのか身を寄せて震える仕草こそしているが、顔は無表情どころか、口角が僅かに上がっているようにさえ思えた。


「倉庫には指輪が落ちていたよ。黒峰先生のだと思うんだが」


 夜熊がその彼女たちに、倉庫で発見した指輪を見せた。


「……はい。確かにこれは」


「お父様のものです」


 夜熊から受け取って、指輪を眺め回した二人はそれを認めた。苦虫を噛み潰したような表情だ。

 嫌な男が死んで清々しているが、やはり自分の父親が殺人に関与しているなど、考えたくもないのだろう。


「それから、現場にはこんな紙が……」


 俺は雉音の部屋のテーブルにあった、鏡館殺人事件の原稿と思しき二枚の紙を、全員に回して見せた。


「こ、これは新作の原稿!? 黒峰先生は、既に完成させていたんですか?」


 轟がそれを見て、頓狂な大声を放つ。食い入るようにその原稿を読み出した。


「それはわかりませんが、死体はそこに書かれてある通りの状態、そのままでした」


「つまり、ミステリーではよくある、見かけ殺人ってことですか?」


「それを言うなら見立て、でしょう」


「あっ、そうでしたか、すみません」


 おずおずと口にした片郷の間違いを、湯木が冷静に訂正する。片郷の天然が発揮されて、少しは雰囲気が緩むかとも思ったが、そのやり取りを無視して、新時が声を震わせた。


「ここは新作の舞台になる館なんだ。そこに黒峰先生によって、僕たちは集められた。仕上げた原稿の通り、うまく殺人が行えるか、試してるに違いない。一億円賭けた推理ゲームだなんて、最初っから誘き寄せるための罠だったんだ」


 そこへ挟丘が口を挟む。


「ちょっと待ってください。それなら、私たちの中の誰かがやったのかもしれませんよ。一億もかかってるわけですから、ライバルを減らしたくて。黒峰先生は、罪を被せられたのでは?」


 彼の方は大分気分が落ち着いたようで、顔色は元に戻っていた。口調も普段の冷静なそれになっているが、どこか焦りを孕んだ調子だ。恐らく、雉音の部屋で死体を目の前にして何もできずにいた、およそ探偵役には程遠い醜態の汚名を返上すべく、躍起になっているのだろう。

 しかし、それらの仮説は根元が間違っている。俺はそれを指摘した。


「二人とも、それは違いますよ。一億円の話は、昨日ここへ来て初めて知らされたことです。招待状には一億の言葉はありませんでした。だから、罠にはなりえません。それから、もし挟丘さんの言う通りだとしても、このタイミングでの殺人は、ただ推理ゲームをおじゃんにするだけにしかならないと思いますよ。一億のライバルを減らしたいのなら、せめて問題発表があってからにすると思います。それに、黒峰さんに罪を着せてしまうと、一億がふいになってしまいますよ」


 それもそうか、と挟丘は空回りした自分の思考に不満を立てつつも髭を撫でながら納得したが、新時はさらに黒峰犯人説を推し続けた。


「で、でも、やっぱり、黒峰先生の仕業に違いありませんよ。それはあの部屋から血塗れの格好で出てきたのを見てるんだから、間違いない」


 そこは否定することができない。普通に考えれば、黒峰が犯人であるほかありえないのだ。

 黒峰が犯人でないとすると、考えられるのは犯人が先に雉音を殺害し、黒峰をあの部屋へおびき出したというものだ。しかしこれも、死亡推定時刻の七時以降に、あの部屋から出てきた人物が黒峰だけで、自頭ら三人が部屋に入った時、中には他に誰もいなかったのだから、あり得なくなる。

 そもそも何れの場合においても、彼が倉庫から消失した謎が残ることになるのだ。

 このトリックがわからない限りは、なんとも言うことができないのではないか。

 一人思案していたが、新時はさらに続けた。


「動機だって、昨日のあの騒ぎを見ていれば、容易に想像がつくでしょう」


 昨日の騒ぎとは、当然黒峰の妻、雪乃のことだろう。そのことで雉音は彼に対し、かなりの恨みを持っていたと思われる。雉音の態度にも表れていて、黒峰にきつくあたっている様子も俺たちは見ていた。それを前々から煩わしく思っていたとしたら、黒峰が彼に殺意を抱いても不思議ではない。

 しかし、そのやり取りを見ていた双子が、珍しく語気を荒らげた。


「ちょっと待ってください!」


「お父様がそのような残酷なこと」


「なさるはずがありませんわ!」


 こんな状況でも代わる代わる喋る彼女たち。その目は新時を軽蔑するように見つめている。どうやら二人は、この殺人を黒峰の仕業ではないと信じたいようだ。

 愛くるしい二人からこんな眼差しを受けて動揺しないわけはない。新時は一瞬たじろいだが、それでもさらに続けた。


「そ、そりゃ、僕だって、そうだと信じたいけども。でも、状況がそう物語っているじゃないか。あの状況で、他に誰を疑えって言うんだよ?」


 平生の時はぼそぼそと蚊の鳴くような声だったのが、すっかり饒舌になって、ラウンジに響くような声で喋っている。語気もかなり荒らげていた。

 しかし双子も、具体的な反論までは考えていなかったのか、何も言い返すことができず、項垂れるように顔を俯せる。それを良いことに、またしても新時が付け上がり出した。


「そら見たことか。だいたいだね――」


「まあ、少し落ち着きたまえ。彼女たちを無意味に怖がらせても仕方があるまい」


 夜熊が宥めようと間に入るが、彼は聞く耳を持たなかった。


「お、落ち着いてなんかいられませんよ。少なくとも、まだこの館の中に殺人鬼がいることは明白なんだ。と、とにかく、僕は一刻も早く帰らせてもらう」


 あたふたと部屋に戻ろうとした新時だったが、思い出したように振り返った。


「そうだ自頭さん、あの跳ね橋を下ろしてください。あれが上がったままじゃあ逃げられません」


 しかし、自頭の顔色は冴えないままだ。目を泳がせ、口をもごもごとさせている。その様子は、これまでの冷静な執事とはまるで異なっていた。


「いえ、それが、その……。あの跳ね橋は、堀の向こう側の小屋で制御しておりまして、タイマーで昇降するようになっているんです。ですからその……」


「つまり、こっち側からだと、動かしようがないってことですか?」


 歯切れの悪い物言いを端的に要約した新時は、自頭がはいと頷くのを見て、さらに狼狽する。


「そ、そんな、ふざけないでください。じゃ、じゃあ早く警察に連絡して、助けに来てもらうように――」


「いえ、それが……昨日も申しました通り、この館には電話等の外部との連絡手段になり得るものは、ええ……その……すべて取り去っておりますので」


 自頭が額に玉のように浮かんだ脂汗をハンカチで丁寧に拭いながら、口籠りつつも言った。

 そのことは俺たちも知っている。パニックに陥った新時は、すっかり失念してしまっていたのだ。

 そのばつの悪さを紛らわすかのように、開き直った彼の声が、静まり返ったラウンジに響いた。


「そんな……こんなことって……。そ、それじゃあ、僕たちは、これから三日後まで、この殺人鬼の潜む館に閉じ込められたってわけですか?」


 *


 唾の飲み込む音や、心臓の早鐘さえも聞こえてきそうなほどに、ラウンジは寂としていた。

 新時の脅しのお陰で、皆すっかり恐れ慄いて、身動きができなくなってしまったのだ。

 誰も何も言おうとしない。執事や使用人でさえ、朝食のワゴンがそのままになっているのに、準備するわけでもなく呆然と立ち尽くしている。しかし、誰かがそれを叱責するわけでもない。昨日まで当たり前のように得られていた安心と安全が足元から崩れ去り、宙ぶらりんの状態で自分のことしか気にかけていられないのだ。

 俺はその緊張状態を破り、誰にともなく尋ねた。


「兎に角、今出来ることはしておいたほうがいいんじゃないでしょうか?」


「出来ること?」


 英介が訊き返す。俺は頷いてから先を続けた。


「とりあえず今から、館の中を隈なく調べて回ったほうがいいんじゃないかって思ってさ。もしかしたら、黒峰さんがどこかに隠れているかもしれないし。結さんたちには悪いけど、少なくとも黒峰さんはこの殺人に何らかの形で関与しているはず。もし彼を見つけられたら、何かわかるかもしれない」


「それはそうだな」


 夜熊がそれに乗ってきた。

 しかし、双子が眉根を寄せて嫌悪感を示す。


「ちょ、ちょっと待ってください。それって」


「私たちの部屋も調べるんですか?」


 それで俺は少しどぎまぎとして、慌てて弁解する。まるで俺にそんな性癖があるように思われては心外だ。


「ああ、いや、そうですよね。皆さんのプライバシーにも関わりますし……。特に異性の方に見られるのは、嫌でしょうから」


「では、自分の部屋は各自調べるとしましょう。調べ終えたら、しっかり鍵を掛けて、またここに戻ってくる。それでいいでしょう?」


 夜熊がそう提案したが、新時が納得いかない様子だ。


「そ、それだと、彼女たちが匿っている可能性が残ってしまうでしょう。ぼ、僕たちはともかくとしても、彼女たちは先生の娘さんですからね」


 先程よりは落ち着いたのか、口調こそ吃っていて覇気がないものの、隈のある両目は、人を寄せ付けないような物々しい雰囲気を醸し出している。その虚ろな双眸が、今彼女たちを捉えていた。

 双子の娘はそれに気圧されて一歩退きつつも、反論した。


「私たちはずっと」


「部屋に鍵をかけています」


「入りたくても」


「入れないはずです」


 しかし、新時は意地の悪い笑みを浮かべて、彼女たちを睨む。


「どうでしょうかね。秘密の抜け道でもあるのかもしれないし、黒峰先生に合鍵でも渡しているのかもしれませんよね」


「合鍵は地下の発電機室に保管してございます。ここには客室の合鍵はそれだけしかございません」


 自頭が結たちを庇うように、毅然とした態度で新時の前に立ち塞がった。さっき新時に詰め寄られていた時に見せた、頼りなさそうな老執事とはまるで違う。今度は泰然自若と屹立して、厳しい睨みを利かせている。守るべき存在がいると、こうも態度が変わるものなのだろうか。

 疑心暗鬼と化した新時が、さらなる口撃を仕掛けようとしたが、見兼ねた夜熊が妥協策を提案する。


「じゃあこうしましょう。女性陣は二組に、男性陣は三組に分かれて、それぞれの部屋を調べる。もちろん、仲が良いであろう結さんと晶さん、末田くんと槻くんはそれぞれ別グループに入ってもらうことになるがね」


「それから、地下にあるというその合鍵も確かめた方がいいかもしれません。まだ残っているのなら、犯人に取られる前にこちらで確保しておきたいですし」


 と俺がその後に付け加えた。


「それなら、文句はありませんが……」


 満足気に彼は頷いて、双子から視線を逸らした。

 プライバシーも糞もないが、今は緊急事態だ。そうも言っていられない。

 周りに目を配っても、不快そうに顔を顰める者はいても、特に異を唱えたりはしなかったので、結局この夜熊の案が自動的に採用されることとなった。


「じゃあ、取り敢えず客室と鍵を調べて、戻ってきたら本格的に館の捜索に移りましょうか」

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