置いてけぼりの化け狸
枯れ薄の野原に、パラパラと雨が落ちて来た。
石の上に寝そべっていた狸にも、雨が落ちる。
だだっ広く、遠くに雲のかかった山が見えるだけでは、雨宿りの場所もなさそうだ。
狸は、のっそりと起き上がると、側の蕗の茎をポキンと折った。
それを逆さまに被って、エイヤッと、唱えると、旅姿の若御陵さんに、なっていた。
歩きやすくからげた裾からは、脚絆の白が初々しい。
これがさっきまで、腹をボリボリ掻いていた狸などとは、思えないだろう。
狸の御陵さんは、雨の中を、ノソノソ歩き出したが、傍目には、雨に降られて困ってるようにしか見えないだろう。
雨脚は速くなり、煙るような大粒の雨の中を、狸は不貞腐れて、どこともなしに、歩くのだった。
流れを速め渦巻き出した川の向こうから、慌てた白鷺が、山の向こうへ飛んでいった。
「ちぇっ。」
踏み固められた道は、白鷺が飛んだ方角とは真逆に、川下の方へと続いて、行っていた。
化けを見透かす眼を持っていれば、うら若き女人の姿に重なった、太々(ふてぶて)しい狸が見られて、面白かっただろうが、こんな寂れた場所では、雨の音以外、鳴く虫も姿を消していた。
狸は、3代目楼八と、いった。
まだまだ若輩ではあったが、化けの天才でチョイチョイ、里の人間を騙したりしていた。
悪さが過ぎて、狸の長老達から、この枯れ薄の原に、飛ばされたのだ。
行けども行けども、何かの呪いが、かかってるようで、そこから抜け出せないでいたのだ。
蟋蟀や飛蝗を捕らえて、食ってはみたが、いかんせん腹は減るばかりだった。
道端になってる野苺は、頭が痛くなるくらい、酸っぱくて、2度と口にしたくなかった。
「なんかな、こう、チミチミしたのじゃなくて。
そうだな、ドカンと牡丹餅とか鴨鍋なんかを喰いたいもんだがな。」
独り言も、食物の事ばかりだった。
弱り目に祟り目、こう雨に降られては、さすがの楼八もへこみ出していた。
あの時、ちゃんと謝っていれば、此処までの罰をくらう事は、なかったかもしれないが、若さ故の奢りが、今の楼八の姿なのだ。
腹はグウグウと、文句をいうし、足はグルグル歩きまわるのに飽きていた。
それでも、どうやら何処かの村らしきものが、雨の隙間から、ボーッと見えて来た。
板戸の隙間から、明かりがもれている。
既に、一時が過ぎ、日は傾き、厚い雲の中と雨で、夜が足早に辺りを染め出していた。
だがそこは、不貞腐れた狸。
1本の木に空を見つけると、その穴の中に、ゴソゴソと潜ってしまったのだ。
仲間の狸が見ていたら、やっぱり悪童名高い楼八だな、と、ヤンヤヤンヤと囃し立てた事だろう。
それも仕方のない事だった。
村の明かりや民家の幻覚で、散々(さんざん)馬鹿にされていたからだ。
空のある木の横には、小さなお地蔵さんが祀られていた。
楼八が鼾で穴の中を揺すってる頃、雨も上がり、空には久しく見えなかった星空が広がっていた。
いつの間にか、蟋蟀と共に、鈴虫の音色が、辺りを埋めていた。
川の側らしく、蛙の声も聞こえ出した。
そんな賑ぎやかな中でも、不協和音の様な楼八の鼾は、止む事がなかった。
楼八が目覚めると、キラキラと朝日が潜り込んでいた木にあたっていた。
穴から這い出すと、うんと、伸びをひとつした。
見れば、お地蔵さんの足元にカピカピな上に、雨でグチャグチャな団子が笹の葉に乗せられて置いてある。
集っていた蟻を、はたき落すと、アングリとそれを喰ってしまったのだった。
なんだか苦いが、そんな事より、お腹を満たすのが先だった。
案の定、グウグウ鳴らなくなったが、キリキリと痛み出した腹を抱えて、楼八はその場にうずくまったのだった。
滅多に、食べ物に当たらない楼八にさえ、腹痛を起こさせた団子は、御供物を荒らす鼠を懲らしめる毒団子だったのだが、そこは狸。
死ぬほどの事はなかったのだが、腹はキリキリと痛むのだった。
蟻にでも、やっておけば良かった代物なのだ。
腹を抱えて唸っている、若御陵さんを、川に魚採りの仕掛けをしに、やって来た爺様が、見つけてくれた。
泡を吹いて倒れていた楼八が、目覚めたのは、ボロい煎餅布団の中だったが、そこらで野宿していた身には、贅沢な待遇だった。
薄眼を開けて、辺りを窺う楼八は、そのこすっからしい性格で、部屋を見回した。
何の事はない。
値踏みをしているのだった。
どうも、金目の物は無さそうだ。
古い板戸と破れた障子は、御丁寧に、桟まで折れている。
床の間も何もない板間で、狭くて暗くて、辛気臭かった。
それでも、薄くて硬い敷布団の下には、薄縁が、引かれていたのだが。
楼八は、1度化けると、余程の事がない限り、化けを解かないし、解けない。
よくビックリしてひっくり返った狸が、ドロンパと、正体を現すが、1代目楼八と2代目楼八は、そんな不様な化け術を、行ったりしない。
それゆえの3代目楼八の字なのだ。
戸板が、ガタガタとあちこち引っかかりながら、ようと開いた。
楼八が片方の肩をあげると、爺様と婆様が部屋に入って来たのだった。
何やら旨そうな匂いがする。
婆様の持ってる箱膳に飛びつきたいが、グッと我慢をした。
何せ、若御陵さんに化けていたからだ。
爺様は、腹の中で、ふふっと、笑った。
煎餅布団の脇に座ると、楼八を覗き込んだ。
「どれ、さっきより、顔色も良さげですな。
腹は、如何ですかな。」
狸と思えぬほどの、柔らかな声で楼八が応えた。
「はい、有難うございます。
キリキリと痛んだのが嘘の様ですわ。」
「それはそれは。
災難でしたな。
あのお地蔵様の前には、鼠退治の毒団子を置いてありましたのじゃ。
毒消しが、効いて良かったわい。」
(毒団子ーー。)
そんな物、お供えしていたのだ。
腹が痛くなったのを思い出して、さすがの楼八も、自分の口の卑しさに、情け無くなっていた。
「さあさあ、大した物はありませんが、お腹を温めてくださいな。」
婆様が、爺様をよけさせて、箱膳を勧めてくれた。
雑穀米のお粥と梅干しと川魚の干物を炙った物と、沢庵だ。
で、真ん中に何やら、緑色の煮物が、ある。
「有難うございます。」
食らい付きたい衝動を抑えて、ユックリお粥のお椀を持ち上げた。
川魚は思ったよりも香ばしくて旨い。
沢庵や梅干しで、ひとしきり食べた後、煮物に箸を伸ばした。
蕗の煮物かと思ったが、それより柔らかく、何とも言えず、甘いのだ。
「これは、蕗でしょうか。」
思わず、楼八が婆様に問いかけた。
「ほほ、お恥ずかしい。
蕗では無いんですわ。
南瓜の茎を間引いて、それを煮付けただけの物で、貧乏料理ですから。」
隣で爺様もウンウンと頷いている。
「いえいえ、どれもこれもたいへん、美味しいです。」
これは本当だった。
お粥の中の粟や稗が香ばしくプチプチ弾けたし、沢庵の干し加減漬け加減塩加減共に、楼八好みなのだ。
梅干しも酸っぱさの中に、梅の匂いが閉じ込められていて、後引く旨さだ。
茎の煮付けも、柔らかく色も美しく、ほんのり甘いが、これが南瓜とは、誰もわからないだろう。
楼八は、里の人間を騙くらかして、掠め取った金で、中々の評判の料理屋なんかに出入りしていて、舌は肥えているのだ。
後から出された焙じ茶も、香ばしさが際立ち、口の中が、サッパリとした。
爺様と婆様には、でっち上げた身の上話をして、その日もこの煎餅布団に泊まった。
流石に、身体が寝るのに疲れて、翌朝は夜明け前に床から出た。
薪に火がつけられた匂いにさそわれて、土間に出ると、婆様が朝餉の支度をしていた。
化けて人を騙す時は、中々人当たりの良い楼八は、進んで、婆様のお手伝いをした。
菜っ葉を湯がいて、胡麻よごしをこさえたのだが、婆様はそこにチョビッと山椒を入れていた。
今朝のご飯には、サツマイモがさいの目切りで混ざっている。
どれもこれも旨そうだ。
甕の水汲みを頼まれたが、楼八は役に立つのが嬉しかった。
あの枯れ薄の野っ原で、腹を減らして彷徨ってた事を思うと、旨い物を作ってくれる婆様とここに置いてくれる爺様に感謝しかなかった。
楼八は、爺様と仕掛けを取りに川にも行った。
仕掛けから魚を取り出す手伝いをし、爺様が新しい仕掛けを川に仕掛けてる間、笊を持ち、川エビをすくった。
川エビは、婆様が味噌汁に仕立ててくれたが、頭まで柔らかく、旨かった。
薪割りや畑仕事と、楼八は良く手伝った。
あれが、悪太郎と陰口をたたかれていた、三代目楼八か、と、悪仲間の狸達が見たら、腰を抜かすことだろう。
婆様のご飯と置いてくれる爺様に、感謝していた楼八は、楓と名乗って、そのまま居座った。
爺様が、村の人らに、遠縁の娘御だと、話し、楼八はニッコリと笑って、愛嬌を振りまけば、それで終わりの、素朴な村だった。
爺様と婆様は下駄をこさえて、市が立つ日に売りに行き、それで蝋燭や米などを買っていた。
近くの宿場町では、二の付く日に、市が立つのだ。
こさえた下駄に、婆様と一緒に鼻緒をすげた。
その月の初めの二の市に、腰が痛い爺様を残し、婆様と楼八の2人で、市に出かけたのだった。
少し目の悪い婆様に代わって、楼八が接客すると、結構下駄が売れた。
帰ると爺様も喜んでくれたので、楼八も嬉しかった。
婆様が、鼻の中でふふんと笑った。
せっせとこしらえた下駄を背負って、二の市に行くのが、楽しみになった。
次の二の市も婆様と2人で行くことになった。
婆様の目が悪いのを良いことに、楼八は下駄の鼻緒に、小細工をした。
尻尾の毛を抜いて、忍ばせたのだ。
狸の神通力を使って、見る者を惑わす術だった。
宿場町なので、旅姿の男衆が多い為、どうも女下駄が売れ残る。
丸い女下駄を少しでも良く見せたかったのだ。
狸の神通力のおかげか、女下駄もあとひとつになった頃、粋な縞柄の着物の裾をからげた、旅姿の嫁御陵が、通りかかり、最後の下駄を買ってくれた。
男下駄が売り切れている事に、たいそう残念がってくれたので、二の付く日には、ここで店開きしてますと、楼八が愛想良く言った。
嫁御は、『それなら、又来るわいな。』と、狸の毛付きの下駄を持って帰って行ったのだった。
二回三回と市で、下駄を売ると、作り置きが無くなり、とうとう注文が舞い込む始末。
楼八も手伝い、下駄を次の市まで、作るのだった。
そんな時、あの縞柄の嫁御が、やって来た。
すでに売り切れて、店仕舞いしてる最中で、仕方なく、注文を受ける爺様だった。
手一杯、下駄を作っていたので、注文が多くて、間に合わないのだ。
その頼まれた下駄は、普段のより倍も大きく、鼻緒もかなり太く作らなければならなかった。
爺様と婆様は、これは力士の下駄だろうと、笑いながら、えっちらおっちら作るのだった。
楼八が出来た下駄を背負って行くので、爺様と婆様だけだった時より、倍も運べたし、倍も売れた。
次の二の市で、無事に、特注の大下駄を渡すことが出来た。
嫁御は、喜んで、言い値より高く買ってくれた。
やれ、嬉しやと、3人は、村に帰って来た。
が、無理が祟ったのか、爺様の腰が又痛み出し、婆様は熱が出て、2人して床に着いてしまったのだった。
楼八は甲斐甲斐しく、爺様と婆様の面倒を見た。
最初に食べさせてもらったお粥を作り、梅干しと沢庵を添えた。
熱い焙じ茶を入れ、食べたい物が無いか、2人に聞いた。
爺様は、川エビの味噌汁が飲みたいと、言った。
楼八は、笊と魚籠を持って川に走って行った。
その日に限って、なかなか川エビが見つからないのだ。
川の辺りを行ったり来たりして、どうにか10匹程の川エビを捕まえた楼八は、勇んで爺様と婆様の待つ、家に帰って来たのだったが、様子がおかしい。
暗くなりかけていたのに、明かりも点けず、家の戸が、斜めに開いていたのだ。
真っ暗な部屋の中が気になった。
笊と魚籠を投げ出し、土間から板の間に上がると、大風が暴れたような部屋の中に、爺様と婆様が倒れていた。
婆様は、もう息がなく、爺様も絶え絶えだった。
かすれた息の下、爺様は、土間の下駄を指差した。
「り、力士で、、、無くてな、鬼じゃったわい。
まやかしの術など、効かんと、、、げ、下駄で殴って、ば、、婆様を、な、、、、。」
女下駄が、婆様の頭を割ったのだ。
爺様も、下駄で殴られていたので、楼八に抱えられながら、息絶えた。
良かれとした事が、鬼の感に触ったのだ。
鬼では、狸如きの神通力では、どうにもならなかったのだ。
楼八は、サメザメと泣くと、2人の墓を裏庭にこさえた。
村の人達は、鬼が怖くて、寄っても来ない。
薄情者め、と思ったが、楼八でさえ、相手が鬼なら、仕方のない事だったのだ。
出来るだけの事をして、楼八は村を後にした。
金は村の長老に渡し、爺様と婆様の墓の事を、託してきた。
持ってきたのは、爺様の魚籠と婆様の和鋏1丁だけだった。
自分のした事が、鬼を怒らせたのだと、なんともやり切れない楼八は、トボトボと、歩いて行った。
いつしか、あの市の立つ宿場町も過ぎ、すっかり暗くなってしまった。
楓に、化けている必要も無いので、楼八は久しぶりに、元の狸の姿に立ち返った。
何処をどう歩いたのか、枯れた薄の原を渡る風とホーホーと鳴く梟の声だけだったが、そんなものでさえ、楼八の耳には、入ってこないのだった。
やがて、まん丸な月が、上がった。
そこは狸。
月の光では、無視が出来ない。
ポン、と、腹を鳴らした。
ポンが、ポポンで、ポポンコ、ポン。
ポポンコ、ポンポン、ポン、ポン、ポン。
腹鼓を打たなでは、いられない。
何の因果か。
楼八、人生初の虚しさの中、月夜の腹鼓は、薄の原に、鳴り響いたのだった。
その時、『ハハハハ〜ッ。』と、笑い声が響いた。
『ウッフフ、フフフフ。』と、女の声も笑っている。
すわ、鬼と鬼女が、と、楼八が身構えると、月が2つに割れ、3つに割れ、狸の長老達が、空に現れた。
「どうじゃ、楼八。
自分が化かされた気分は。」
狸の長老の1人が、あの爺様に変化した。
もう1人は婆様に。
あとの1人は、鬼の嫁御にと、化けたのだった。
悔しさと安堵が混ざって、楼八は、又サメザメと泣いた。
「どうやら、今度のお灸はかなり効いたようだのう。」
カラカラと笑いながら、爺様は又狸に戻っていく。
婆様も狸の姿になり、コロコロと笑う。
「根は良い子ですものね。
美味しかったでしょう。
狸の神通力でこさえたご飯。」
涙と鼻をふきながら、楼八はコクリと頷いた。
「お前の悪さは、日に日に酷くなっていっていたからな。
荒療治だったかもしれんが、本当に鬼でも怒らせていたら、仲間の狸達が、殺されるところだぞ、楼八。」
爺様狸の説教に、素直に頷く楼八だった。
「申し訳ありませんでした。」
楼八は、四つん這いになって、その場に土下座をし、ハラハラと涙を落とした。
「では、今回はこれで不問という事にしよう。
ただし、狸の里には、自力で帰ってくるのだぞ。
良いな、楼八。」
「帰ってきたら、又ご飯、一緒にたべましょうね。」
高笑いが消えると、月が1つにもどり、空の真ん中で、又輝きだした。
広い広い野原の真ん中で、楼八はひとり取り残されていたのだった。
身から出た錆とはいえ、ここから狸の里まで、えっちらおっちら帰らなければならないのだ。
足元には、月明かりに照らされた、里への道が続いている。
まんまと長老達に化かされ、反省させられた楼八は、チェッと悪態をつきながらも、仕方なしに、歩くのだった。
ああ、やっぱり。
最初に謝っておけば、良かったと。
取り残された化け狸は、よこっこらおっこらと、長い長い狸の里への、道をひとりで歩くのだった。
今は、ここまで。