(7)新しい自分との出会い
小さな鏡の向こうに、人間離れしたきれいな女の子がいた。
初めて見る顔だ。
でも間違いなく見覚えがある。俺のガキの頃の面影があった。
でも言葉を失うほど驚いたのは、鏡に映っている顔が十年近く前に死んだ母さんそっくりだったからだ。
母さんが死んだ時、俺はまだ幼いガキだった。だからあんなに一緒にいてくれた人なのに、今はもう薄っすらとしか記憶に残っていない。十年の歳月は非情だ。
それなのに、鏡を見てすぐに「あ、これは母さんに似ているな」と思ったんだ。それが妙に衝撃的だった。
最初の衝撃から少しすると、頭が動くようになって鏡をじっくり見る余裕が出てきた。
改めて細かく見ていくと、鏡に映っているのは細身だけどどことなく女っぽさのある女の子だった。俺が思っていたより成長しているようだ。
ちょっと童顔気味だけど、十六歳くらいの女の子ならこんな感じもありかもしれない。
それに、ドラゴンの吐息と同じ色に変わって腰近くまで伸びた青い髪は、予想していた以上にきれいだった。
いや、きれいというより、美しいって言葉がふさわしいかな。母さん似の超美少女顔との相乗効果で、鏡に映っている俺は昔の神話に出てきそうな神々しさがあった。
初めて俺の不思議な響きの名前がしっくりきた感じ。
……うん、確かにこれは、呪いというより恩寵っぽいかもしれない。
でも、やっぱり、この青い髪はだめだ。
神々しいとか思うくらいにこの世界にはあり得ない色なんだよ。イカレ過ぎている。俺は常識派なんだよ。
俺、実は平凡な女の子が好きなんだよ。
目を引くきらきらした金髪より、頬にソバカスがポツポツあるような赤毛娘が至上なんだよ!
それに! 十六歳にしては貧弱すぎるこの胸はどういうつもりなんだ!
幼女にまで退行したのかと焦ったじゃないか!
十六歳の胸ってのは、発展途上ながらもぽよんとしていて、走るとぷるりんって揺れるものじゃないのかよ。
谷間と言えるような急激な高低差が存在しない胸ってありなのか?
牧場から見ていた、草地の中のなだらかな丘みたいだ。
中年太りのおじさん連中のおっぱいの方がふくよかなんて……そんなの……そんなの悲しすぎるっ!
心の中で嘆きながら服をめくって貧乳を観察していると、おっさんが顔をしかめて毛布を頭からかぶせてきた。
ついでに、ゲンコツが盛大に頭に当たった気がするのはなぜなんだ。
「おい、おっさん、いてぇよ!」
「見苦しいことは止めろ」
「無邪気な好奇心で女体の神秘を見ていただけじゃないか! 戻れないんなら一生お付き合いする俺の体だぞ!」
「……わかった。わかったから、そういう事は人目がない時にやってくれ」
頭を抱えたおっさんはため息をつく。
助けを求めてアイシスさんを見たけれど、鼻の先で笑われた。
ひどい。
と言いつつ、天下無敵の超級美少女がそんなことやっていたら、俺も幻滅する自信はあるけどな。
自棄気味にため息をついた時、ノックの音がした。
おっさんがすぐに立ち上がって扉を開けた。
小声で一言二言、何か言葉を交わしてから入ってきた人を見て、俺は頭から被せられていた毛布を放り出した。
「親方!」
「マイル坊! 気がついたんだな! 心配したんだぞ!」
親方は数日分の無精髭を蓄え、ますます熊のようになっていた。
そんな姿でよろよろと歩いてきたかと思うとベッドの端にすわり、ガシッと両手で俺の顔を挟み込んで固定した。
余所見なんてできないすごい力だ。かなり痛い。
ぎろりと俺の顔を見た親方は、手はそのままで首から下にも目を向けた。熊が物色しているような迫力だ。思わず息を止めてしまったけど、固定された頭が痛いから抗議しようと口を開いた。
でも熊のような親方は、突然ぽろぽろと涙を流し始めた。あまりに予想外だったから、びっくりして抗議の言葉が引っ込んでしまった。
「あ、あの、親方……?」
「やっとしっかりした体格に育ってきたのに、こんなに細っこくなっちまったのか……。俺が寝込んじまったから、お前を巻き込んでしまったんだな。すまねぇ。本当は依頼を受けた時に、あの辺りがヤバそうだって聞いていたんだよ。だから、マイル坊とバズーナはここで待たせて、俺だけが森の中に行くつもりだったんだよ。……それなのに、俺が不甲斐ないばっかりに、こ、こんな事に……うっ、うおおおおっ、すまねぇ、マイル坊っ……っ!」
や、やばい。
声をあげて泣く親方が半端なく熊だっ! 喰われそうで怖い!
「い、いやいや、そこまで泣く必要はないですよ。だから、えっと、マジで頭が痛いから手を離してよ! それから、そう、そうだ! 親方の腰はもう大丈夫なんですか!」
「俺なら、もう大丈夫だぞ!」
「……まだ一人では歩けないくせに、強がらないでください!」
突然割って入った声は、バズーナ姐さんだった。
今も親方を背後から支えているんだけど、あまりにもひっそりとしているから存在を失念していた。いつもの迫力はどこに行ったんだ?
でもそんな疑問は、何の気なしに姐さんの顔を見て吹き飛んだ。涙が浮かんだ半泣き状態で、驚くなという方が無理だ。
えっ? この宿って、涙が出るほど砂埃が多かったっけ?
いや違うよね。何があったんだ?
……どうして姐さんまで泣いてんだよ!
あ、まさか親方、元気になったように見えたけど実は重症だったとか?
もしかして親方が死んじゃうの?
違うか。違うよな。
じゃあ、いったい何なんだよ。さっきからびっくりしすぎて、俺、もうクタクタだよ!
「バズーナ姐さん、どうしたんだよ! ほら、親方もぼーっとしている場合じゃねぇよ! どうしたんだって聞いてやれよ!」
「あ、ああ。バズーナ、どどどど、どうしたんだ? 何かあったのか? な、泣いているのか?」
「泣いてません!」
「でも……なぁ、マイル坊?」
「あ、はい、そうですね……って、俺に振るのやめてくださいよ、親方!」
ベッドの上と横で、俺と親方は動揺丸出しで顔を見合わせた。
俺の必死の懇願の眼差しが通じたのか、親方はとりあえずバズーナ姐さんをまだ俺がいるベッドに座らせた。
おっさんが座ってた椅子があるんだけど、親方は気付いてないのかよ。
でもベッドに座った瞬間、バズーナ姐さんの目に溜まっていた涙がぽろりと頬を流れ落ちた。
動揺しきった俺は飛び上がるようにベッドから逃げ出して、親方の体を押して姐さんの隣に座らせていた。
……これ、無意識のうちにやった行動だったんだけど、悪くない判断だよね。
さすが俺。
「な、なぁ、バズーナ。お前らしくないぞ? いったいどうしたんだ? 俺に相談してみろ?」
「……マイルはいい子で、いつも働き者で、いくら今まで以上に可愛くなって似合っていても、こんな酷い目に合うような子じゃないんです!」
「ああ、そうだな」
「マイルのことが心配で、私は親方の事を忘れてしまっていました。親方は少し元気になっていたからよかったようなものの、私の薄情さが嫌なんです!」
「えーっと、薄情も何も、俺はただのギックリ腰だぞ?」
「ギックリ腰でも大変なのは大変ですよ! でも親方、まだ腰が痛いはずなのに、マイルの事をこんなに心配している姿が優しすぎて、胸がドキドキして、私、もう、どうしたらいいかわからなくなってきて……!」
「えっ? おい? だ、大丈夫か?」
「大丈夫です! でも親方が素敵過ぎるのが悪いんですっ!」
そう叫んだかと思うと、バズーナ姐さんはとうとう子供のようにわぁわぁと泣き始めてしまった。
……うーん、なんかよくわかんないけど。今のは告白しているようなものじゃないかなぁ。
でもそんなことに気づかないくらい動揺している姐さんは、結構かわいいかもしれない。例え片手で大人の男を持ち上げたり、軽く投げ捨てたりできる腕力持ちでも、姐さんは美人だし。
親方も、おろおろしながら姐さんの頭を撫でたり、手を握ったりして慰めようとしているから、まあいいんじゃないかな。
……と言うかさ、俺たち、この部屋から出て行った方がよくないか?
毒気が抜けた俺は、おっさんに目を向けた。
いきなり始まった騒動に、おっさんは親方たちを呆然と見ていたようだ。でも俺と目が合うと、苦笑を返してくれた。
それからアイシスさんにも目配せをしようとしたけど、とっくの昔に興味を失っていたアイシスさんは一人で部屋を出ていくところだった。
うわぁ。
さすが見切るのが早いな。
音もなく廊下に消えたアイシスを見送ったおっさんは、こそこそとそばに来た俺を見ながらため息をついた。
「……ボウズ、動けるか?」
「うん、たぶん余裕。だから、早くこの場から離れて外の空気が吸いたい」
「じゃあ、行くか」
バズーナ姐さんを慰めるのに一生懸命な親方に気づかれないように、俺はゆっくりと扉へと向かう。
細くなった手足は頼りなかったけど、小さくなった体はそれ以上に軽くてふらつくことはない。
でもバランスが取りにくい気がして、念のためにおっさんの腕につかまった俺はそろりそろりと部屋から外へ出る。
扉口で振り返ると、焦った顔の親方が姐さんの体に腕を回して、軽く抱き寄せようとしていたようだった。
……ふう、危機一髪だったな。