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紆余曲折がありまして。  作者: 青い雲雀
第六章

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(43)とりあえず逃亡

 

 

 

 石が大量に投げ込まれたようにガラスが粉々に砕け、その破片が突風によって室内に撒き散らされた。

 慌てて振り返った衛兵が、短い悲鳴をあげて倒れた。

 首に何かが食らいついている。

 俺がそう気付いた瞬間、その魔獣は俺に目を向けた。

 目が合ってしまった。慌てて目をそらそうとしたけど、狼のような魔獣は赤い目をぎらりと輝かせて俺に向かって跳躍する。

 でも俺が逃げようと動く前に、その狼のような魔獣はすぐそばにいて、俺の手をペロリと舐めていた。


 ざらりとした舌は、氷のように冷たかった。

 さらにもう一度ペロリと舐め、魔獣は剣を抜こうとした別の衛兵に飛びかかっていった。

 別の悲鳴があがったのを合図にするように、扉が大きく押し開けられた。


「陛下の勅命により、立ち入ります」


 この場にそぐわない丁寧な口調と言葉だった。

 でも、すでに室内は血臭が広がり、床には血とガラスの破片が広がっている。そんな中に、近衛騎士の制服を着た人たちがどっと入ってきた。

 内部の惨状は想定内だったようで、先頭の年かさの騎士は顔色一つ変えずに室内を見回す。そして、部屋の隅で立ちすくんでいたお貴族様たちを指差した。


「目標発見。周辺も含めて確保せよ!」


 どうやら目標ってのが、俺が大広間で見かけて本物を身につけていると指差していた人たちのようだ。

 お貴族様たちは顔を引きつらせながら逃げようとしたようだけど、すぐに近衛騎士たちに取り囲まれてしまう。

 でも、次に動きを止めたのは近衛騎士様の方だった。


 騎士様たちは、突き飛ばされて床に転がる俺の後ろあたりを見ている。

 視線を集めていると自覚しているのだろう。カズラム様はうっすらと笑みを浮かべた。



「これは、カズラム様もおいででしたか」

「うん、私もここでくつろいでいたのだよ。父上がいるのだから、おかしなことではあるまい?」


 カズラム様はゆっくりと騎士たちを見回す。

 騎士様たちが、一瞬気圧されたように見えた。顔が強張っている。


「近衛騎士風情が、いつから私の私的な時間を邪魔できるようになったのかな?」

「……我らは勅命を受けております。カズラム様であろうと、陛下の命の従っていただきたい」

「ほう? この私に、そのようなことを言うのか」


 騎士の硬い言葉に、カズラム様は薄く笑った。

 その表情はどこかビザーたん様に似ていて、でも全く異質だ。イケメンすぎる。騎士様側からは見えない椅子の陰に転がされた俺は、思わず背筋が寒くなった。


 でも、俺だけじゃない。

 近衛騎士たちが青ざめていた。

 職務に忠実であろうとする心を、魂のレベルから揺さぶられているのだろう。カズラム様がゆっくりと一歩踏み出すと、ふらりと一歩二歩と後退していた。

 狼っぽい魔獣まで、うなるだけで近寄ろうとしない。


 ……この人はヤバイ。

 宰相様も怖いけど、この人はなんか圧倒的な空気を持っている。

 ただのロリコン野郎じゃないようだ。

 これが王家の血なのだろう。くそっ、変態のくせっ!



 でも、俺はあきらめなかった。

 微笑むカズラム様が扉口へと歩いていくのを見ながら、ごくりと唾を飲み込んだ。

 カズラム様の足の動きを見つめ、俺はタイミングを計る。


 カズラム様が、俺の横を通り抜けた。

 その瞬間を待っていた俺は、目の前の長い足に蹴りを入れた。正確には、膝の裏側だ。

 付き従っていた護衛も、俺が逃げようとすることは想定していても、膝裏に蹴りを入れるとは考えていなかったらしい。妨害されることもなく、あっさりと狙い通りにヒットした。


 ふん、ざまあみろ。

 外見詐欺の自覚はあるけど、牧場育ちの庶民を舐めるなよ!



「なっ?」

「カズラム様!」


 ガクン、と簡単にバランスを崩したカズラム様を、護衛が慌てて支える。

 同時に別の護衛が俺を捕まえようと手を伸ばしてきたけど、姿を現したアイシスさんのペットちゃんが「ミョー!」と鳴いて大きな口を開けて威嚇した。

 体に合わない巨大な口から、幾重にも生え重なる牙がむき出しになった。

 慌てて手を引いた護衛は、一歩退いて剣を抜いた。しかしその剣を、蛇鳥は一噛みで砕いてしまった。

 めきりと音が続き、護衛が取り落とした剣は丸呑みされた。


 近衛騎士たちは、衛兵や護衛たちが抜剣したのを見ると、自分たちも剣を抜いた。

 剣と剣とがぶつかり、激しい音があちらこちらで響いた。

 でもそんなに広くはない室内とは言え、数に勝る近衛騎士の方が圧倒的に有利だ。

 衛兵は斬りふせられ、ほぼ拮抗した剣術の護衛たちも多数の騎士に囲まれて次々と倒れていく。

 狼の姿をした魔獣は、窓から逃げようとした貴族の一人の足を噛み砕いていた。


 室内は、血の臭いでむせそうだ。

 でも俺はこの喧騒の隙に、扉とは反対側に動いた。

 俺が目指したのは、契約書だ。近くの護衛がそれに気付いて足を踏み出してくる。

 それを横目に分厚い紙をつかみ、手を伸ばしてくる護衛に向けて渾身の力を込めてテーブルをひっくり返した。



 重々しい音と、インク壺が割れる派手な音が響いた。

 数人の近衛騎士たちが俺の方を見た。

 青い髪が外に出ているから、俺が誰かはすぐにわかってくれたようだ。俺と目があった騎士様の一人は、一瞬大きく目を開いた。

 でもさすが騎士様、すぐに動いた。


「青い髪のご令嬢がいたぞ!」

「……え? 体調を崩して部屋で休んでいると聞いたんだが……いや、本物か!」


 首を傾げながら入ってきた応援の騎士たちは、俺を見るとパッと背筋を伸ばして俺の保護に動いてくれた。

 おかげで、俺はほどなく廊下の隅で椅子に座らせてもらえた。

 ほっと一息ついている横を、取り押さえられたお貴族様たちが騎士に連行されていく。

 まだ命があるのか、すでに絶命したのか不明な者たちも、真っ赤に染まった姿で数人がかりで運ばれていった。

 美しい装飾が施された廊下に、赤い血溜まりがいくつもできていた。



 廊下には窓があって、冷たい夜風が通り抜けている。

 でも俺の嗅覚は鋭過ぎた。血の臭いが強くてめまいがしそうだ。

 それなのに、近衛騎士様たちはこの場から離れることを許してくれなかった。拷問かよ!


「……あのー、俺、いつまでここにいればいいんでしょうか」

「申し訳ありません。しかし、万が一にも青い髪のご令嬢を発見した時は、殿下付きの者に連絡するようにと言われておりまして。まさか、このようなところにいらっしゃるとは……いや、失礼!」

「……うん、普通は脱走なんてしないよね」

「脱走? ……えっと、その、まもなく迎えが来る頃かと……ああ、来ました!」


 若いイケメン騎士様が小走りにやってくるのを見て、俺の見張りをしていた近衛騎士様はほっとした顔をした。

 迎えにきたのは、俺が知っている騎士様だった。

 名前は……バイザイスさん、だったかな。


「マイラグラン嬢! いつの間に寝室から抜け出していたのですか!」

「えっと、ごめんなさい」

「いや、その、怒っているわけでは……ご無事でよかった。さあ、ヴァライズ殿が気付いて騒ぎ始める前に、部屋に戻りましょう」

「……ヴァライズさんは、まだ知らないの?」

「はい。任務のためにあの部屋を離れていましたから」


 なるほど、そう言うこともあるのか。

 あの人は無駄にぐいぐい来るからなぁ……抜け出したなんてバレたらどんな泣き言を聞かされるか、想像するだけでうんざりする。

 だから俺は、笑顔で促すバイザイスさんに素直に従って、廊下を歩き出した。



 少し歩いた俺は、ふと首を傾げた。

 俺は大都会で迷子になった実績がある。王宮の廊下を歩いたことはほとんどない。

 おっさんに運ばれたり、窓から出たり、マントで包まれて運ばれたり、まあ周りのことはほとんど見ていなかった。


 でも、それでもわかるんだよ。

 今、向かっている方向は、休憩用に案内された部屋とは反対方向だ。

 匂いが違うんだ。

 地下牢がある建物はカビの臭いが混じるし、水路が走っている建物は水の匂いがする。厨房が近いと美味しそうな匂いが混じるし、貴族様たちが集まる政治の場は高級な香水の匂いがある。

 まあ、香水以外は、多分俺以外は気づかないと思う。

 そうじゃないと、万が一の時の脱出路の場所がバレるもんな!


 とにかく、そういう建物そのものの匂いが、逆方向だと俺に訴えている。あの部屋に行くとすると、恐ろしく遠回りをすることになるはずだ。

 いったいどこへ向かおうとしているんだ?


「……あの、バイザイスさん、どこに向かっているの?」

「部屋ですよ」

「えっと……さっきの部屋と違う部屋?」

「はい。ああ、ご令嬢の荷物はすでに移動させていますから、ご安心ください」


 ……あれ、俺、疑いすぎたかな?

 俺が脱走した時、ベッドに紐をくくりつけたりしたし、あの部屋はぐちゃぐちゃになっているのかもしれない。

 だから、違う部屋に案内してもらっているのかもしれないじゃないか。


 い、いやだな。

 少しは他人を信じようよ、俺!



 密かに自分を罵った時、バイザイスさんは足を止めた。

 周りを見ても、やっぱり見覚えはない。

 一瞬どう反応していいか迷っていると、バイザイスさんはにっこり笑って目の前の扉を示し、俺の前に立って扉を開けてくれた。


「どうぞ、お入りください」


 礼儀正しく言われても、俺はその部屋には入らなかった。

 違う部屋なのは、まあいいんだよ。

 でも……あの香りがするんだ。甘くて、ちょっと嗅いだだけで俺の動きを封じ、意識まで朦朧とさせたあの香りがする。

 ごくごくわずかだけど、その香りは……バイザイスさんのマントに残っていた。


 それに、部屋の内部からも覚えのある香りが流れて来る。

 極上の香水の匂いだ。

 ついさっきまで、この香りを間近で感じていた。



「マイラグラン嬢?」

「えっと、おっさんは……キルバイン様はどこなの?」

「反乱疑いのある方々の封じ込めに、協力をいただいているはずですよ」

「封じ込め?」

「要するに、逃亡しようとする方々を実力行使で拘束する担当です。王宮内ですから、抜剣はせずに棒術だけになると聞いています」


 ああ、なるほど。

 つまり、いつもように暴れていたんだな。

 ……あの格好で? まあ、どうせおっさんの衣装も防具を兼ねているんだろうし、派手な真っ赤な衣装で棒を振り回してもいいよ。とんでもなく目立つだけだ。

 だけど、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 俺はすねたような顔を作って、はぁっとため息をついた。


「私、キルバイン様とご一緒していたいのに」


 ……可愛い愛人って、こんな感じだよな?

 俺は内心で冷や汗を流しながら、口をとがらせてみた。

 バイザイスさんは、そんな俺に一瞬見入ってくれたようだ。でも、全然隙はできなくて、すぐに困ったような顔で開け放った扉を指し示した。


「あの方はまだ仕事が終わっていないようですから、この部屋でお待ちください」

「でも、一人で待つのは寂しいです。せっかく案内してもらったけど、俺……私はまだ疲れていないから、外を散歩しながらキルバイン様を待ちますね!」

「お待ちください、マイラグラン嬢!」


 くるりと扉口に背を向けると、バイザイスさんは少し慌てたようだった。

 やっぱり、怪しい。

 俺は廊下を見回して、中庭へ出るための道を探そうとした。



 でも、俺は動きを止めてしまった。

 背後から聞こえた笑い声は、そのくらい魅力的で、完全に聞き覚えがあった。


「バイザイス、ご令嬢はもう気付いているようだよ。さすがドラゴンの恩寵を身に受けただけある。ドラゴンなど本当はどうでもいいが、貴女自身は面白い。ぜひ妻に迎えたいな」


 笑いを含んだ声がして、部屋の奥から誰かが出て来た。

 高価そうな香りが強くなる。

 思わずゴクリと唾を飲み込んだ俺は、おそるおそる振り返った。



 最初に見えたのは、長い金髪だった。

 極上の衣服も見えた。

 ただし、俺の記憶では一つに編んでいた髪は、今は緩やかに渦巻くままに垂らされていた。さっきの騒動で髪が乱れてしまったのかな。

 長い髪をそのまま垂らす姿って、美麗すぎて腹が立つ。これだからイケメンはイヤなんだよ! しかも何で拘束されてないんだよ! せめて監禁しておけよっ!


 俺は、急いで目をそらした。

 まずは再び二人に背を向ける。次にすることは……もちろん全力疾走だ!



「お待ちを、マイラグラン嬢!」

「いいね、最高じゃないか! こんなに面白い存在なんて、誰にも渡したくなくなったよ! 必ず捕まえろ!」


 バイザイスさんの声と、なぜか笑いまくっているカズラム様の声が聞こえた。

 振り返るまでもなく、追いかけて来る足音がする。

 この足音は、騎士だろう。

 重そうな剣がガチャガチャ揺れる音と、硬い靴底の音、それに騎士特有の金属製の拍車が革製の靴の上で動く音がする。


 廊下の角を曲がる時に、俺はちらりと振り返った。

 予想通り、バイザイスさんが追ってきている。

 剣を片手で押さえ、マントを翻したまま走っている姿は、かっこいいのか間が抜けているのか、俺的には判断に迷う。


 バイザイスさんは俺よりずっと背が高くて、足の長さも長い。

 小回りの効く俺が三歩進む距離を、ほとんど一歩で飛び越えているように見えて、ひたすら焦る。

 何より、騎士様の体力はとんでもないと知っている。重い防具をつけて動き続けるんだ。おっさんより劣るとしても、俺の体力が尽きてもまだ走っているはずだ。



 でも、俺が本当に戦慄したのは、バイザイスさんの背後に気づいた時だった。

 なぜかカズラム様まで追ってきていた。

 きらきら輝く金髪をなびかせ、楽しそうに笑いながら走っている。


 ……なんで笑いながら走ってるの?

 やっぱり変態なの?

 イケメンで優雅なお貴族様が、笑いながら全力疾走なんてしていいのかよ!

 

 

 

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