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紆余曲折がありまして。  作者: 青い雲雀
第六章
43/49

(42)甘いささやき

 

 

 

 俺が複雑な感想を抱いていると、背後のカズラム様が低く笑った。


「陛下も良いものを準備してくださった。どうせあの男のためのものだろうが、これに署名してしまえば、私でも美しいドラゴンの恩寵持ちを手に入れることができるのだからね」

「おや、カズラム様には婚約者がいるはずでは? これは正妻に迎えねばならないと規定されていますよ」

「あの娘は弟のミハリスに譲ればいい。ミハリスにも良い妻を探さねばならないと思っていたところだ。所詮ただの人の子。麗しきドラゴンの愛し子とは比ぶべくもない」


 宰相様は周囲の貴族の誰かにそう言うと、改めて俺に向き直った。

 相変わらず、俺を見る時の目は熱に潤んでいるようだ。肩にかかる青い髪をしばらく見つめていたかと思ったら、はぁっと妙に熱い吐息を漏らした。


「……我が国の王家が特殊な事はご存知でしたかな? 王家の血と魔人族の血はとても相性が良いのですよ。機会があれば魔人族の血を入れていますから、時として王家には強大な魔力を持つ方が生まれる。そうでない方々も、我ら一般貴族を圧倒する資質をお持ちなのですよ」


 宰相様の言葉に、俺はビザーたん様を思い出してみた。

 まあ、なんというか、俺に対しては変態なオジサマだけど、ちらりと垣間見た普段の顔は、確かにぴりぴりするような異質なものを秘めていた。

 それに、顔立ちは文句なしのイケメン中年だ。

 魔力と美貌が魔人族の特徴なら、だいたい合っている、かもしれない。


「ドラゴンの恩寵が遺伝するかどうかは不明ですが、あなたは半分は魔人族だ。それに、幸いなことに貴女は大変に美しい。我が長男との間に子が生まれれば、誰もが膝をつく偉大なる王となることでしょう」

「お二人の子なら、間違いなく美しい御子でしょうな!」


 宰相様の言葉に、周囲から笑いを含んだ賛同の声が上がった。

 俺の頭の上でも、カズラム様が笑っているようだ。


 でも、俺は何を言っているのかわからない。

 俺は魔人族の血を引いた美少女かもしれないけど、王家とか全く関係はないだろ?

 そんな俺の内心を察したのか、宰相様は優雅に眉を動かした。


「おや、マイラグラン嬢はご存知なかったかな。実は、私の妻は前代陛下の妹でしてね。側室腹の王女でしたが、息子たちには王位継承権があるのですよ。……王家の濃い魔人族の血のせいで、普通の母体では複数の子は望めませんからね」


 つまり……王家の出生率はかなり低いってこと?

 庶子でも後継を認められるなんて、王家はかなり特殊なんだな。

 ……いや、問題はそこじゃない。親の世代が兄妹なら、カズラム様とミハリスさんは、国王様なビザーたん様の従弟じゃないか!

 希少な王族のくせに、遭遇率高すぎだろっ!

 動けないまま焦っていると、宰相はわざとらしく声を潜めてささやいてきた。


「……ここだけの話ですがね、国王陛下はなかなかの人物であられるが、王子殿下は少々暢気なお方でして。宰相として、次の王として相応しいかと言われると……悲しいことに、否と言うしかないのです」

「父上、殿下はミハリスが絶対の忠誠を誓っている方ですよ。少しは手心を加えられるべきでは?」


 背後のカズラム様は咎めるように言うけど、口先だけだ。

 宰相様も、カズラム様も、王子様とやらを軽く見ているようだ。二人とも笑っている。それどころか、他の貴族たちも笑っていた。

 おいおい、笑いすぎだろ。

 王子様ってそんなにダメなのか? 気の毒になって来たよ。

 ……でも、例えば、ビザーたん様のアレなところばっかりを集めたような感じだったら。

 もしそうだったら……ダメかもしれない。


 まだ実際に会ったことのない人に対して、いささか失礼なことを考えていたら、肩越しに俺の髪が持ち上げられた。

 指先まで手入れが行き届いている。この手は絶対にカズラム様だ。

 肩にかかっていた髪がなくなって、首回りが一瞬寒くなった。でもすぐにむき出しになった耳にかすかな吐息がかかって、俺はびくりと震えてしまった。


「暢気な殿下のことはどうでもいい。さあ、貴女は名前を書いていただこうか」


 吐息とともに、甘い声が間近から聞こえる。

 カズラム様が俺の手に羽ペンを握らせ、署名欄へと手を移動させた。


「場所はここだよ。手が動かないのなら私がお手伝いいしよう」

「……い、いやだ……!」

「上手に名前を書けたら、ご褒美をあげるよ。貴女の父親の名前を教えてあげよう。……本当は知りたいのだろう? 髪の色はドラゴンの恩寵を受ける前の君と同じ色だよ。ただし、目の色は金色。当時はまだ二十代だった」


 カズラム様の手は離れたけど、俺は手に押し付けられた羽根ペンを握りしめていた。

 軽くて硬い軸を指先に感じるから、感覚が少し戻ってきているのかもしれない。


 俺の父親なんて、諸悪の根源だ。会いたくもないし、名前だって知りたくもない。……そう思うのに、俺はカズラム様の言葉が示す人物像を頭の中で描こうとしていた。

 青くなる前の俺の髪の色と同じなら、髪は乾燥した砂のような色だ。

 金色の目というと、ハリューズ様と似た感じなんだろうか。


 顔立ちは、どんな感じだったんだろう。

 背の高さは?

 声は?

 二十代と言っても、二十歳そこそこだったのか、三十に近かったのかで全然違ってくる。

 知りたい。聞きたくない。でもやっぱり……知りたい。



 俺の中で二つの心が取っ組み合いをしていると、チリリ、チリリ、と澄んだ音が聞こえた。

 滑らかな手のひらが俺の頰と髪をなでている。カズラム様の手だ。俺の頭はほとんど抱き寄せられたようになっていて、高価そうな香水の匂いが俺まで包み込んでいるようだ。

 カズラム様の耳飾りには、銀製の小さな房がたくさんついていた。その薄く細い銀が触れ合う涼やかな音が聞こえていた。


 でも、俺の耳にはもう一つの音も聞こえていた。

 孔雀火蜥蜴の鱗が震える音だ。

 ごくわずかな振動と、鱗自身が秘めた魔法の力が混ざり、溶け合い、一つの音となって俺の耳に入ってくる。



「貴女の父親のことを教えてあげよう」


 耳に吐息がかかり、甘い声が滑り込んでくる。

 チリチリ、チリチリと澄んだ音も聞こえた。


「年は、二十歳を少し過ぎたくらいだったかな。魔人族の中でも、純血の一族に生まれたらしい。……ただし、彼は不幸だった」


 カズラム様は俺の手の甲をすっと撫でた。

 その動きに合わせ、チリンと銀が鳴る。

 優美な白い指先に促され、俺は震える手でペンを握りしめ、ペン先にインクをつけた。


「彼は純血の魔人族だったが、その血統のわりに魔力は小さかったようだ。我々人間の中では群を抜く魔力も、彼の弟と比べると悲しくなるほど貧弱だったと聞いている」


 大きな手が離れた後も、俺の手は羽根ペンを握っていた。

 震える腕が移動して、インクを含んだペンも紙の上空を動いていく。

 あまりにもゆっくり動きすぎて、インクが危うく垂れ落ちそうになっていた。

 黒いシミができる前にペンの先端が紙に触れて、かさりと紙の表面の繊維に引っかかった。


「年の離れた幼い弟が、修行を積んできた己より強い。その不幸は魔人族にしか理解できないものだろうな。だからだろうか、彼は常に暗い目をしていたよ。自棄と暴力の狭間で生きるようになって、人間の世界でも地位を失い、居場所を失った」


 ペンが紙の上を滑る。

 何度か紙の繊維に引っかかるけど、ペンの動きを妨げるほどではない。


「我が父は、そんな彼に美しい女の存在を教えたそうだ。彼を動かしたのは純粋な恋心だったのかもしれない。しかし同時に、普通の人間の女が孕めばどうなるかも知っていた」



 インクが少なかったのか、文字がかすれた。

 文字はしっかりと見えなければ。

 銀細工が揺れる音を聞きながら、俺は再びペン先をインクに浸した。


「彼を絶望させた幼い弟は、その後この国に居ついた。姿を消すのは、ドラゴンの目撃情報が入ってきた時だけだ。……なぜかわかるかな? 貴女の父親は、ドラゴンが追いかけ回すほど好かれているそうだ」


 たっぷりと含んだインクが、紙に太すぎる線を作った。

 でも、気にすることはないだろう。

 読む事ができればいいのだ。この署名が何と書いているか、誰の名であるかがわかればいいのだ。


「彼の名は、アヴァル。君のマイラグランという名は彼の名から来たのだよ。古い神話では『アヴァル』は女神マイラグランの父親の名前だ。あの気の毒なエリシア殿は、彼に言われて君の名を決めたのだろう」


 耳に、柔らかなものが触れた。

 戯れのように耳朶に触れ、挟み、耳の後ろの肌へと伝う。



 マ、イ、ラ、グ、ラ、ン。

 俺は姓を持たない庶民だから、署名自体は簡単だ。

 手と頭がよく動かなくて手間取っていたけど、俺の簡単な署名は完了した。


「署名はできたようだね。いい子だ」


 カズラム様は機嫌よく俺の頰に口付けして、俺と椅子から離れた。

 俺の手から、羽根ペンがパタリと落ちた。

 手が震えている。美しい契約書の端がインクで汚れてしまったけど、文字を消すほどではなかったからは問題ないようだ。

 動けない俺は、離れていく細い後ろ姿と契約書をぼんやりと見ていた。



 その視界の端で、何かが動いた。

 赤と紫の、ぴょこぴょこと動くものがある。

 不思議な光に包まれているから、普通の視力では見えない存在だろう。俺が目を向けようとすると、それはしゅるりと飛んで俺の手首に巻き付いた。


 ……この鳥のような蛇、見たことあるぞ。

 つぶらな三個の目は、赤色が二つに、紫色が一つ。

 大きな口をかぱっと開くと、可愛い顔に合わない鋭い歯がずらりと並んでいる。この子はアイシスさんの使い魔だと思う。

 あれ、ペットだったかな?

 ……え? うわっ、腕に噛み付くなよっ!



 悲鳴をあげずにすんだのは、まだ声がよく出ないからだ。

 立ち上がれなかったことも幸いだった。

 噛みつかれる!と思ったけど、翼のある蛇っぽい可愛い奴が攻撃したのは俺の腕に巻いたままだった上質のハンカチだった。

 カプリと噛みついたかと思うと、むしり取ってすぐにぺっと吐き捨てた。そして、俺のまわりをくるくると飛び回った。


 相変わらず甘い香りはしているけど、急激に頭がはっきりしてきた。

 どうやら、肌に接していることで効果が出ていたようだ。

 テーブルの下で足首を動かすと、最初はちょっと鈍かったけど、すぐにいつも通りに足が動き始めた。

 膝も動く。太ももも力を込めることができた。

 首を少しだけ動かしたけど、特に苦労しなかった。指先だって、狙い通りにかすかに動かすことができた。

 よし、もう動けるな!


 ……いや、まて。俺は今、何をしていたんだったかな?

 俺の名前はマイラグランで。

 年齢は、十六歳で。

 二ヶ月ほど前から女の子になっていて。

 少し前までここで何をしていたかって言えば……この、目の前の契約書に、署名をしてしまったっ!



「次はカズラム様が署名をする番ですね」

「署名をしてしまえば、今宵は初夜ですか? あれほどの美女ですから、実にうらやましい」


 周囲から笑いが起きた。

 全然笑えねぇよ。……というか、今おぞましい単語が聞こえたぞ!

 しょ、しょ、しょ、初夜ってあれだろ? その……ふ、夫婦の初めての夜って奴で……冗談じゃねぇよっ!


 また変な催眠術みたいなのをかけられる前に、逃げなければ!

 奥の扉の向こうにあるはずのベッドに連れ込まれたら、俺の人生は完全に終わってしまう!

 いくら王族様の正妻に成り上がれるって言っても、俺はそう言う新しい人生には全然興味ないからなっ!



 俺は窓を見た。

 衛兵の制服を着た人が二人ずつ付いていて、たどり着けたとしてもそこで終了だな。

 たぶん廊下に繋がっているはずの扉も見たけど、私服の護衛が何人もいる上に、剣を帯びた貴族様もいる中を突っ切って行くなんて、ひ弱すぎる今の俺の戦闘力では現実的ではない。


 ダメだ、逃げ出せる気がしない。

 でも、何か隙ができれば……ああ、その前にこの契約書は廃棄しなければマズイよ!

 青ざめている俺のまわりを、ミョーと鳴く派手な色合いの鳥蛇ちゃんがまだ飛び回っている。目を向けると、くるくると宙返りしたり、手首に巻きついたりした。

 何かを伝えようとしている……ような気がしてきた。

 でも悲しいことに、俺には鳥蛇語も蛇鳥語もわからないんだよな……。



 廊下に面した扉を叩く音がしたのは、ちょうどそんな時だった。

 カズラム様が宰相様に目配せを送るのが見えた。護衛の男が素早く立ち位置を変える。衛兵の制服を着ている男たちも、俺の視界から消えた。扉から見えにくい場所に移動したようだ。


 もう一度、扉を叩く音がした。

 扉へ向かったのは、意外なことに宰相様だった。


「どなたかな?」


 宰相様は、穏やかそうな声で応じた。

 扉はお互いの顔が確認できる程度に開かれていた。

 俺が座らせられている椅子は、扉の隙間からは見えない位置にある。だから、俺からも扉の向こう側の様子はわからない。

 でも、明らかに驚いたような気配があった。


「これは、宰相閣下! こちらにおいでとは思いませんでした!」

「今、親しい人間だけでくつろいでいるところなのだが、何かあったのかな?」

「はい、実は人を探しております」

「……ほう、いったいどなたをお探しかな?」


 宰相様は全く動じていない。さすが王国の中枢を握っている人物だ。

 腹回りがふくよかで頭部が個性的なオッサンなだけじゃない。そのいつも通りの笑顔に、俺は腹が立ってきた。

 ……あの頭の髪の毛が、一房限定で復活すればいいのに!



 俺は心の中で宰相様を呪った。

 俺のささやかな呪詛に応じるように、窓のガラスが割れた。

 

 

 

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