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紆余曲折がありまして。  作者: 青い雲雀
第六章
42/49

(41)狂信者たち

 

 

 

 俺は相手を見ながら立ち上がった。

 たぶん、もう真夜中になっていると思うけど、水は今も優雅に噴き上げっている。噴水の池を照らす灯りは、近くにある小さなランプだけだ。

 その穏やかな光のおかげで、俺は現れた人影をしっかりと見ることができた。


「お待たせしてしまったようだね。こんなにも早く来てもらえるとは思っていなかったよ」

「……あいにく、結構短気なタチなんで」

「短気?」


 少し驚いたように俺を見つめたその人は、やがてとろけるような笑顔を浮かべた。

 一つに編んだ長い金髪が、キラリと光を反射している。

 一瞬ミハリスさんが来たのかと思ったけど、明かりの下で見るとミハリスさんより細身で、剣を帯びてもいない。華やかな衣装を着ていて、堅苦しさの代わりに艶めいた雰囲気の男の人だった。

 宰相様のイケメンご子息様たちのうち、長男様……カズラム様だった。



 やっぱり、この人なのか。

 父親なんて言い出した本人だから、そうだろうと予想はしていた。

 でも高位のお貴族様が庶民育ちの俺と二人だけで会っているなんて、不思議な感覚だ。


 正直、どう対応すればいいのかわからない。

 少し迷っていた俺に、カズラム様は手の甲に口付けしようとした。

 もちろん、俺はそんなことを許したくない。全力で手を引っこ抜いたら、カズラム様は怒るどころかまた楽しそうに笑った。



「本当にお元気そうで、素晴らしい。……でも、怪我をしているようだね。手当てをしよう」

「……そんな事より、先に話を……!」

「では、血を拭き取るだけでも。そのままでは服を汚してしまうよ?」


 そう言われると、貧乏性な俺としては受け入れない訳にはいかない。

 言われた通りに噴水池の縁に座り、血が流れそうになっていた擦り傷に布を巻きつけてもらった。


 布、と言ってもハンカチだけどな。

 上質の布すぎて、血のシミをつけることに恐怖を覚えたけどな!

 もちろん、宰相様のご子息という身分のカズラム様だから、そう言う庶民の心配事には全く頓着していない。

 包帯がわりにハンカチを巻きつける手つきは意外に慣れて、その巧みさに俺はちょっと感心した。



 ……心から感心したために、油断した。

 甘い香りがするな、と思った次の瞬間、俺の体はぐらりと前に傾いていた。


 意識はしっかりとある。

 なのに、体が全く動かなかった。

 頭から地面に倒れていくのに、首が動かなかった。地面に顔がぶつかる!と恐怖を覚えながら、手も足も動かせなかった。


 一気に迫ってきた地面は、しかし俺が目を閉じる前に動きを止めた。

 もちろん地面が動いていたわけじゃない。俺が動けないんだ。



「危ないよ、マイラグラン嬢」


 俺を受け止めてくれたのは、薄っすらと微笑むカズラム様だった。

 おかげで顔面を強打せずにすんだ。でも心から感謝したい気持ちにはなれない。

 だって、俺が動けなくなったのは、今も俺の体を包み込むように立ちのぼる甘い香りのせいだろ?

 この香りの元はどこだ?

 ……腕に巻いたハンカチ、なのか? でも、それにしては俺だけが動けなくなっている。


 どうなっているんだ?

 かなり焦っているのに、俺は全く動けない。

 それをいいことに、このイケメン様は服の内側に入れ込んでいた髪を抜き取った。まじまじと見ていたけど、奇妙な草にでも触るような手つきで髪の中に指を差し込んだ。


「ふむ、指を通すだけで整っていくとは素直な髪質だな。人の髪としては奇妙な色と思ったが、父上が入れ込むのもわからないでもない」


 俺の髪を間近から見ているにしては、冷めた声だった。

 無駄に煽られたりしないところは、むしろ好感が持てる。と言うか、この金属を染めたような感じの色を見れば、こう言う異物を見る反応になるよな!

 でも……頼むから触るのはやめろ。離れろ。気持ちが悪い!



 逃げたい。

 せめて、このイケメンを押しのけたい!

 でも俺はピクリとも動けずに、なすがままにされている。ほとんど抱きかかえられた俺の目の前に、きっちりと編まれた長い金髪があった。


 キラキラした金色が嫌味なほどまぶしい。

 動けないなら、せめてにらんでやろうと思っていたら、突然背後から分厚い布を頭から被せられてしまっった。

 上質な布だ。夜ということもあって、何も見えなくなった。


 真っ暗な中、俺は荷物のように手際よく包まれ、抱え上げられた。

 たぶん、肩に担がれたんだと思う。……この感じはカズラム様じゃないな。肩とか腕にはかなりの筋肉がついている。

 それに、俺を包んでいるこの布。被せられる直前に見えた模様は、俺の見間違いでなければ、近衛騎士のマントにあったものだった。


 ……近衛騎士様が、俺の拉致に関わっているのか?

 あり得ないだろ。一体どうなってるんだよ。

 いや、そもそもだ、俺は荷物じゃないぞ。歩くたびに肩が腹に食い込んで痛いよ! もっと大切に扱えよ!




 俺は怒った。必死で怒った。

 体が全く動かず、周りも見えない。気を抜くと恐怖で心が押しつぶされそうになるから、俺は無理矢理に怒りをかき立てて恐怖を押さえようとした。

 分厚い布に包まれているためか、甘い香りが濃く感じる。気がつくと意識がぼやけていて、俺は正気を保つためにさらに必死で怒りの種を探した。


 幸い、怒りの種が尽きるより、どこかの部屋に入る方が早かった。

 だから未知の父親への罵詈雑言だけで済んだ。

 おっさんへの愚痴は少しだけだ。俺を膝に座らせて大注目の的にさせられたことくらいだな。

 お菓子を取られたことなんかをぐちぐち言ってしまうと、さすがに申し訳なくておっさんの顔が見られなくなるもんな!


 どこかの部屋に運び込まれた俺は、一人掛けの椅子に置かれたようだ。

 今度の扱いはわりと丁寧で、文句のつけようがない。

 マントらしき布が外されたのはその後で、俺は急に開けた視界に瞬きをした。


 まぶたがなんとか動くのはありがたい。

 しばらく真っ青な世界だったのが、瞬きの回数分だけ薄らいでいく。そうしている間に、俺の意識を半分奪いかけたあの甘い香りが少しずつ薄くなった。


 意識ははっきりした。

 手足の感覚はまだ鈍いけど、存在が意識できる分だけましになった。でも、立ち上がるのは無理のようで、くたりと椅子に身をもたれかかっているのが精一杯だった。

 まるで人形だ。

 そんな俺を興味深そうに囲んでくる人たちは、どこから見てもお貴族様ばかりだった。

 

 

 お貴族様と言うものは、美しい容姿を高価な衣装で飾り、なすこと全てが優雅な人たちだと思っていた。

 でも、実際は違うらしい。ここ二ヶ月の経験で、俺は認識を改めた。

 この国の支配者階級は、血生臭いものを好み、本人たちも血の気の多い人種らしい。

 王都での貴族同士の小競り合いも、大規模でない限り処罰の対象にはならない。つまり、その程度なら頻発しているってことで、例外は王家への敵対行為だけだ。


 目の前に居並ぶお貴族様たちは、見かけはとても優雅な人たちだった。

 上質な衣装を着こなし、生まれた時から人をかしずかせてきたからこそ身についた堂々とした空気をまとっている。

 でもこの場にいるお貴族様たちには、ある共通点があった。

 そのことに気付いた瞬間、俺は安全な場所から抜け出してしまった過去の自分を殴りたくなった。



 貴族階級、という以外の共通点。

 それは……みんな「本物」を身につけているんだ。


 一番最初に目についたのは、華やかで美しい孔雀火蜥蜴の鱗だった。

 それから肉食蛟の骨としか思えない変な魔力を秘めた装飾品を、複数の人が身につけていることに気付いた。

 俺が知らない魔獣の体の一部もあるようだ。

 見かけがどれだけ美しくても、普通の宝石と違って魔力がジワリとにじんでいるのが見えるんだ。しみ出てくる量はごくごく弱く、でも底知れぬ気持ち悪さがある。


 俺を覗き込んでくる中には、舞踏会の会場でビザーたん様と将軍様に教えた「本物」を身につけていた人も二人ほどいた。

 でも、この部屋に何人いるのかわからないけど、全く見覚えのない人の方が多いようだ。

 ここにいるお貴族様は、普通より高位の貴族様に見えた。そして、ほぼ全員が俺の背後あたりを気にしている。

 振り返ることのできない俺の背後に、誰かがいるらしい。

 そう気になった時、背後で誰かが立ち上がったのを感じた。


「ようやく、ご令嬢をお招きできたな」

「はい、ようやく。可愛らしいくせに、元気が有り余っていることが今回は幸いしました」


 応じたのはカズラム様だ。

 俺に対する時より丁寧な口調だけど、どこかくつろいでいる。

 重そうな足音が近づいてきて、俺の真ん前で足を止めたその人物は、人当たりのいい笑顔を浮かべた。



 見覚えのあるベルトをしている。

 バックルが個性的だ。じわじわとにじんでくる魔力はこの部屋の中では群を抜く強さだ。

 ふくよかなお腹の形とかも見覚えがある。頭部はもちろんハゲていた。


「我らの部屋にようこそ。西のレンダル地方を治めているヒアキンと申します。王宮では宰相の地位を得ております」


 うわぁ。宰相閣下に丁寧に名乗られてしまった。

 レンダル様だけでも十分すぎるなのに……ヒアキンって、やっぱりお名前だよな?

 俺は青ざめながら黙っていた。

 でも俺の反応なんて、何も期待していないようだ。宰相様は恭しく俺の手を取ると、軽く口付けしてきた。さらに俺の髪を一筋持ち上げて、こちらは長々と口付けをしやがった。


「美しい青色だ。……ああ、まことに素晴らしい。まさにドラゴンの至宝だな」


 心の底からうっとりとしたようなつぶやきに、俺は本気でぞっとした。

 カズラム様とミハリスさんの父親だけあって、よく見ると顔立ちはけっこう整っている。身のこなしも堂々としていて、豪華な衣装だって軽く着こなしていた。

 でも俺を見る目は、ベトベトに蜂蜜を塗りたくったナイフのようだ。

 俺の青い髪を指で弄ぶ宰相様は、ほのかに上気しながら、感極まったようなため息をついた。カズラム様の冷めきった目とは全然違う。


 これが、ドラゴン狂信者ってやつか。

 でも残念だけど、俺は人形じゃないんだよ。生きた人間で、男なんだ。

 触るな。

 俺に触るのはやめろよ。

 男に触られるなんて、気持ち悪いだけなんだよ!



 全身の毛が逆立つ感じがしたけど、俺の心が耐えきれなくなる前に宰相様は俺から離れてくれた。

 誰かが止めてくれたからとか、そういう理由ではない。

 単純に、俺の前にテーブルが運ばれてきたからだ。

 二人掛かりで運ばれてきたそのテーブルの上には、立派な紙が載っていた。


「マイラグラン嬢。これが何かわかるかな?」


 カズラム様がペンを手に話しかけてきた。

 俺は顔を少しだけ動かし、あとは目だけを動かして美麗なお貴族様をにらんだ。

 もちろん、カズラム様は俺がにらんだくらいでは全く動じない。どこか冷めきった目で薄く微笑み、持ってきた羽根ペンを俺の手に持たせようとした。


「な……何を……」

「おや、もう話すことができるようになったのかな? 効果が切れたようだな。まあ、元々魔獣用の麻酔だから、人間でもある貴女には完全には効かないのかもしれない。我々には全く効かないから、正直に言って半信半疑だったのだよ。……しかし、動けるようになったのならちょうどいい。ここに貴女の名前を書いていただこうか」

「俺の……名前……?」


 俺は指差された紙に目を戻した。

 立派な紙だ。

 しっかりと分厚いし、金の線とか型押しとかで飾られている。

 そんな立派な紙に、とても美しい文字で文章が綴られていて、カズラム様はその末尾のあたりを指差していた。

 名前を書くと言っていたから、契約書類のようだ。


 俺は牧場で読み書きを勉強していた。

 ぜいたくなことに、普通の村の子供たちより少し上の勉強までさせてもらった。その中には商人やお貴族様様との契約書類についても含まれていた。

 だから、わざわざ運ばれてきたテーブルの上にあるのは、契約のための書類だとすぐにわかった。契約書類に使われる独特の書体も知っているから、文面を読んで理解することもできる。

 でも……この内容は……え、ええっ?



「文字は読めると聞いているが、念のため内容を教えてあげよう」


 親切そうな言葉を口にしながら、カズラム様は俺の背後に回る。

 くったりと椅子にもたれかかっている俺の肩の上あたりから手が伸びる。まるで包み込まれるようだ。

 カズラム様は分厚い紙を両手で持ち上げた。たぶん俺の頭の真上にカズラム様の顎があるだろう。


「下に署名の欄があるだろう? ここに貴女が名前を書く。そして、もう一つの欄に我らのうちの誰かの名前を書くのだよ。……そうするとどうなるか、わかるかな?」


 俺は答えなかった。

 答えがわからなかったからじゃない。わかったから口にしたくなかった。

 だって、俺の名前がすでに文面の入っていて、俺の署名ともう一人の署名で契約書類として完成するようにできているんだ。

 つまり、これは。



「これは結婚承認書だよ。極秘に作製されていることを、気の利く文官が知らせてくれてね。おかげで、国王陛下の金庫に保管される前に入手することができた」


 頭の後ろから聞こえる声は、周囲のドラゴン狂信者たちとは異質な冷たい目を見なければ甘く感じる。

 ちょうど喉仏があるようで、ほとんど密着する俺の頭に鈍く響いた。


「貴重なドラゴンの恩寵を得た存在を外に出さないための手段として、陛下はこれの作成をお命じになったのだろう。貴女は庶民だから、どうしても身分の保証は難しい。だから国王陛下から直々に、結婚による身分保証を行うだろう」

「昔からよくある手なのですよ。まあ、普通は庶民の娘を寵妃とするための手段だけれどね」


 カズラム様の言葉に、宰相様が補足を加えてくれた。

 なるほど、そう言うことか。

 お二人とも、庶民な俺のために詳しく教えてくれているんだよな。けっこう親切じゃないか。

 ……まあ、薬を使って拉致している時点でダメだけどな!

 

 

 

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