(38)王国の権力者たち
ここで、俺の常識が復活した。
国王様と言う存在は、その国で一番偉い人だ。偉いってことは強いってことで、その人のご機嫌を損ねたら平穏な人生とお別れってことにもなりかねない。
庶民と貴族も身分の差は大きいけど、国王様と庶民なんて、同じ場所にいることすらとんでもないんだよ。
繰り返すけど、俺は庶民だ。
国王様が近付いてきたら、最低でもお辞儀をしなければならないのが普通だ。
のんびり椅子に座ったままなんて、あり得ない。まして、人の膝に座っているなんて論外だ。
だから、大広間にいる他のお貴族様たちが、「お前らなんで座ってんだコラ!」って感じで見ているのは当たり前なんだよ!
でも俺が一人で焦っているのに、おっさんは俺の頭に手を置いて座ったままだった。
しかも、相変わらずの不機嫌な顔だ。
これはヤバイ。
ほら、国王様の後ろに立っている怖そうなおじいさまがにらんでいるよ!
若い頃は武人で鳴らした人なんだろうなって簡単に想像できるたくましいおじいさまが、おっさんと俺を見ながら口を開いた。
「キルバイン殿。陛下の御前でその態度とは、いかに貴方であろうと不敬が過ぎますな」
「これは心外だな。私は今、陛下から与えられた任務を実行中なのですよ。私はただの傭兵ですから、任務は絶対です」
おっさんは生真面目な顔だ。
言葉がお貴族様仕様の発音になっている。
でも、だらしないほど深く座って、俺を足に座らせている時点で全てがぶち壊しだ。
おじいさまはにっこりと笑った。
ただし、目は笑っていない。これは普通の武人じゃないな。眼力だけで軍隊を動かす人だ。怖い。
「ほう、若い愛人を膝に座らせていることが任務と? 老いぼれには理解できませんな」
「老いぼれなど、閣下も心にもないことを。……これはとても可愛いでしょう? 陛下にもお気に召していただいている」
おっさんは唐突に俺をぐいっと引き寄せた。
おっさんの真っ赤な服の胸元に、俺の頰が押し付けられて苦しい。
でも、ここで文句を言ってはいけないだろうと思って、俺は大人しく黙っていた。
ちらっとビザーたん様……国王様を見たら、ものすごく楽しそうな顔をしていたから、慌てて目をそらした。
ニヤニヤしている暇があったら、何とかしてくれよ!
俺が心の中で悲鳴をあげているのに、武闘派おじいさまとおっさんはまだにらみ合っていた。
大広間には軽やかな音楽が流れている。
でも、音楽に合わせて踊っている人たちも含めて、大広間内に集った人たちの意識はこちらに集中していた。
ジロジロ見られているわけじゃないのに、さり気なく視線を感じさせるって、さすがお貴族様だな!
……俺だけを見ている人もいるんだけど、これは普通なのかどうか。
なんかイヤな感じもする。それを確かめようと、おっさんの腕の中でもぞもぞと動いてこっそり周りと見てみた。
……あれ?
あれは、確か以前見かけた本物の……。
「自分の愛人を、陛下の側室にとでもお考えか?」
「まさか、ただのお話し相手ですよ。閣下も話してみれば、きっとお気に召すでしょう。可愛い姿をしているが、中身は少年ですから」
武闘派な二人の会話はまだ続いていた。
しかも、おっさんは声を上げて笑ったりしている。
……笑っているけど、おっさんもやっぱり目が笑っていない。こ、怖い……!
でも、勇気を振り絞って俺はおっさんの服を引っ張った。
おっさんはすぐに気づいてくれて、俺の頭から手を退けてくれた。
「どうした?」
「あの人……向こうの柱の前で踊っている人、本物を持ってるよ」
「……何の話をしている?」
おじいさまが初めて俺の目を見据えた。
俺はびくりと背筋を伸ばした。
すごい目力だ。
俺の目を真正面から見ているのに、少しも揺らいだ感じはない。
怖いけど、この安定感は安心できる。この人、俺は嫌いじゃないな!
「あの……本物の孔雀火蜥蜴の鱗を持っている人がいるんです」
「……まさか。どれだ?」
「えっと、ちょうどあの柱の前で女の人と話している人です」
俺が言うと、おじいさまはそちらを一瞬だけ見て、また俺に目を戻した。
そこでようやく、俺はまだおっさんの足を椅子にしていることを思い出して、慌てて立ち上がった。
今度はあっさり立てた。
おっさんは俺が指摘した人を見ているようだった。俺が立ち上がった事に気付くと眉を動かしたけど、少しマシな格好に座り直してビザーたん様……じゃなくて国王様を見上げた。
「例の連中か?」
「たぶんそうだろうね。ハリューズ殿に教えてもらわなかったら、気付かなかったけれど、いつも本物を身につけていたのだろうね。……我が王宮で好き勝手に振舞っていたのかと思うと、少々腹が立つな」
ビザーたん様は表情を消してつぶやいた。
その顔は容赦のない為政者っぽくて、この人は国王様なんだなって思い出させる。
でも、くるっと俺を見た瞬間、冷酷な雰囲気が霧散した。
すぐそばに立っている俺ににっこり笑いかけると、控えていた給仕さんからワインを受け取って俺にくれた。
「実は、ハリューズ殿はしばらく留守なんだよ。ドラゴンの目撃証言を聞いた途端に追っかけするんだから、あの人も困るよね! と言うことで、今はマイりんだけが頼りなんだ。他に、本物を身につけている人はいるかな?」
「……本物……と言うと、何とかの骨とか、何とかの心臓とか、何とかの鱗とか、そう言うものですか?」
「うん、そうだよ! あと……魔法を持ち込んでいるルール違反の連中も教えてくれると嬉しい」
……俺の目のこと、この人にもバレているじゃないか。
それとも、おっさんがしゃべったのか?
俺はおっさんをじろっとにらんだ。でもおっさんは俺と目を合わそうとはしない。それどころか、俺からワインを奪い取って飲みやがった。
人の飲み物を取るなって言っておいて、おっさんはやってるじゃないか!
「この人が魔石を持ち込んでます!」
「あ、キルぽんはいいんだよ。他には?」
ちっ、おっさんはいいのかよ。
ついでに言えば、おっさんは絶対、剣以外の武器を持ち込んでるぞ。
「他には……あの人とあの人と……」
俺が指定していくと、武闘派なおじいさまがちらちらと見ていく。
でも、いつも見るのは一瞬だけだ。
その一瞬で全てを見ているのか? なんか、ちょっとおっさんみたいだな。
俺が尊敬の眼差しを向けていたら、おじいさまはまだ座っているおっさんをジロリと見た。
「少々ご協力を願いたいが、よろしいか?」
「……俺はこいつのそばを離れるわけにはいきません」
「それなら、うちの子を番犬にしてあげよう」
ビザーたん様は気楽にそう言って、俺たちから少し離れた場所に立っていたヴァライズさんを手招いた。
うちの子とか番犬とか言われてるけど、ヴァライズさんは背の高いイケメンで、しかも近衛騎士様だ。
……そんな人を番犬とか、騎士様の無駄遣いだな!
それを言うなら、翼竜まで乗りこなしちゃう有能な熟練傭兵が、俺の椅子になっていた時点で盛大な無駄遣いだったけど。
「ところで、おっさん、あの怖いおじいさまはどちら様?」
「……将軍閣下だ」
「将軍閣下……って、えっ、まさか……」
俺がはっとしておっさんを見たけど、おっさんは目を合わせずに立ち上がった。
だらしなく座っている時も目立っていたけど、立ち上がったおっさんは異常に目立つ。
俺の周辺は局地的に長身の人が揃っているけど、その中でも一番背が高くて、体が分厚い。その上、真っ赤な衣装がめちゃくちゃ派手だ。
しかも、その派手な衣装を着こなしているという、腹が立つ無敵っぷり。
国王様や将軍様を差し置いて目立つとか、マジでバッカじゃねぇの。
「こいつから離れるなよ」
「言われるまでもありません」
「……いや、そうじゃなくて、こいつは目を離した隙に脱走した前科があるんだよ。普通の女とは違うってことを忘れるなよ」
「もちろんです。現世に蘇った麗しき女神を、普通の女性と同等とは思っていません!」
……いや、ヴァライズさん。
それもちょっと違うと思いますよ?
俺が黙り込んでいたら、おっさんが俺の手招きした。
そばに行ってみると、いきなりがしっと腕が俺の頭に回って固定された。下手に動くと首の骨が折れそうだ。いや、動くことなんてできねぇし!
「おっさん、何するんだよ!」
「……いいか、あの若造に対してもそうだが、寄ってくる男どもに上目遣いはするなよ」
「でも、俺は背が低いからどうしても……」
「それから、気軽に体に触れるな。安易に笑いかけるな。人の酒を取るな!」
「え、ええー……」
おっさん、細かいよ。父親じゃねぇんだから。
娘にうるさいのは「お父さん嫌い!」で済むけど、愛人に口うるさくしていたら、表向きは笑ってもらえても、裏で罵倒されるパターンになると思う。
つい半笑いの冷たい目で見ていたら、おっさんは拳骨で頭をぐりっとした。
「追加だ。男を煽るな。絶対に気を許すな。個室に連れ込まれるぞ」
そんな怖い言葉を残し、おっさんはビザーたん様と将軍閣下と一緒に、どこかへ行ってしまった。
俺を残していくなんて、おっさん、ひどいな。
お貴族様だらけのこんな華やかな場所で、俺一人でどうしろと? ダライズ夫人もどこかに行って全然見かけないよ!
……まあ、正確に言えば一人じゃないんだけどね。
一人じゃないからこそ、頭が痛くなるというか。
俺はそろりと目を上げた。
とりあえず椅子に座った俺の前に、爽やかな騎士様が立っていて、俺が顔を上げたと察するととても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「やっと私を見てくださいましたね」
「あの、俺……じゃなくてわたしはこの場から逃げたいんですけど……」
「キルバイン殿と約束しましたから、それだけはできません。そうだ、せっかくですから踊りませんか? 気が晴れますよ!」
ヴァライズさんは姿勢を正し、恭しく手を差し出した。
端正な顔は期待に満ちている。
でも、決して控えめではなくて、俺が硬直しているのも気にせずに笑顔のまま待っていた。
もちろん、周囲の視線は俺たちに集まっていて、成り行きを興味丸出しで見ているようだ。
……断りたい、けど、ここで断る度胸はない。
だって、向こうのお姉様方が恐ろしい目つきでにらんでいるんだ。
まさか断って恥をかかせたりしないでしょうね?って声まで聞こえる気がする。……いっそ、幻聴だったらいいのに。俺の地獄耳、最悪だ。
「あの……俺……ほとんど踊れないんだけど……」
「私に任せていただければ大丈夫ですよ!」
そう言い切ったヴァライズさんは、さっと俺の手を取って引っ張った。
思わず立ち上がったら、ちらっと音楽団の方に顔を向けて手で合図のようなものを送り、そのままごく自然に踊りの中につれていかれていた。
ちょうど踊りの位置まで来た瞬間、音楽がぴったりのタイミングで始まった。
幸い、音楽はゆったりした曲で、俺のたどたどしい動きでもそんなに目立たない。
しかもヴァライズさんが常に手を取っているような踊りで、難しいステップとか右へ左への移動もない。
下手なダンスが目立たなくて助かった。
でも……俺の手を握っている人の目が……だんだん熱を帯びて来ている気がするんですがっ!
「……戸惑いながら踊るあなたが、とても可愛らしい……と言ったら怒りますか?」
「怒らないけど、怯えます!」
「キルバイン殿がいない事が、そんなに不安ですか?」
「不安ですよ! だっておっさんはそんなに顔をくっつけてこないしっ!」
「あなたを愛しています。こうしておそばにいるだけで、無上の喜びに身も心も震えます」
「いや、ちょっと、喉が渇いたから休みましょう!」
「それはいけない。向こうに静かな部屋がありますから、そこで休みましょうか」
もう、この人、礼儀正しいくせに無駄にぐいぐい来る肉食系過ぎて、勘弁してほしいよ!
その静かな部屋とやらに引っ張られていかれそうで俺が青ざめていると、ヴァライズさんの肩をがっしとつかむ手があった。
「マイラグラン嬢をどこへ連れて行くつもりだ?」
「また、君か」
ヴァライズさんは苦笑をしながら、足を止めてくれた。
よ、よかった。救世主様はどちら様?
俺がそっと振り返ると、見覚えのある美麗な騎士様と目が合った。
……はっ、目を見てしまったけど、大丈夫、だよな?
「……あの、ミハリスさん、こんばんは」
「私の名を覚えていただいていたとは、光栄です」
ミハリス様は美麗なお顔に優しげな微笑みを浮かべた。
でも、なぜか俺の手をにぎりしめている。
おかしい。ついさっきまでヴァライズさんが握っていたはずの手が、いつの間にそっちに奪われていたんだ?
俺がほのかに青ざめた時、ミハリスさんが一人ではないことに気付いた。
「……私の家族です。兄と……父です」
俺の視線で我に返ってくれたようで、ミハリスさんはいやいや背後の二人を紹介した。
お兄様は、ミハリスさんによく似た美麗な人で、長い金髪が華やかだ。髪は古風に編んでいるけど、表情が豊かだからとても人目をひく。
体格は、ミハリスさんの方ががっしりしているな。さすが騎士様。
ということは、お兄様は武人じゃないらしい。
年齢はミハリスさんたちより少し上、たぶん二十代半ばくらいだろう。決して女性的ではないのに、目付きがなんとも艶っぽいのが羨ましい。
そんなことを考えかけて、ふとお兄様の耳元に目が止まった。
きれいな耳飾りが輝いている。
銀の土台の上で輝いているのは、小さいけれど鮮やかな色の宝石、に見えるけど、……あれは孔雀火蜥蜴の鱗だ。もちろん本物でしかあり得ない。
貴重なんてレベルじゃない孔雀火蜥蜴の鱗を、一番美しいところだけをくりぬいて磨き上げて装飾品にしている。
ものすごい贅沢だ。
でも俺は、さらに進み出て来た人を見て、今度こそ立ちすくんでしまった。
ハゲ……じゃなくて特徴的な頭部と、派手な衣装、それに高い地位を示す装飾品。
俺、この人を知っているよ。
以前、この人は肉食系蛟の骨を使ったベルトをしていたはずだ。
おそるおそる目を動かすと、でっぷりと突き出た腹部にぞわぞわ来るような魔力を帯びたベルトがあった。