(36)二度目の招待状
結局、北高地の要塞で七泊した俺は、出発から八日目の朝にダライズ邸に戻った。
王都も季節が進んでいたけど、北高地の比べればまだ余裕の暖かさだ。
暖かいと体まで軽く感じる。上機嫌で馬車から降りて……お屋敷に入ってすぐに足をすくませてしまった。
俺はうっかりしていた。
出発した時はきれいなドレスを着ていたのに、戻ってきた時は男装だったんだ。
……しまった。
メイド長さんの視線が怖い。とても品のいい微笑みを浮かべているのに、今すぐごめんなさいって言いたい衝動に駆られてきたっ!
「……おかえりなさいませ。お嬢様」
「た、ただいま!」
「ずいぶんと血行がよろしくなりましたのね。高熱を出したと聞いて心配しましたが、お元気そうなお姿にほっといたしました」
……う、うわぁっ!
ごめんなさい!
熱はすぐに下がったから、いっぱい日焼けしました! 要塞を走り回りました!
翼竜たちの騎乗用のベルトとかを俺もつけさせてもらったりしたから、手にマメが出来ていますっ!
俺が青ざめて手を後ろに隠していると、欠伸をしながらおっさんがやってきた。
「悪いが、しばらく休む。夕食時に起こしてくれ。こいつも休ませねぇとセアラがうるさいから、もう連れて行くぞ」
「お待ちください、キルバインお坊っちゃま!」
おっさんは俺の背中を押して、定宿としている部屋に戻ろうとしたんだけど、メイド長さんが立ちふさがった。
「お嬢様の体調を第一に考えなければいけないことは理解しております。昼まではごゆっくりお休みくださいませ。ただし、昼まででございます。……これを」
メイド長さんはキッとおっさんを見据えて、何かを差し出してきた。
封筒だ。
それを見たおっさんは表情を変え、ひったくるように手に取った。
……あれ、こんな光景、前も見たなぁ……。
前はハリューズ様がこう言う封筒を持ってきていた。
今度はメイド長さんからだけど、おっさんの表情は前と似ているというか、よりイラついているというか……。
「……えっと、おっさん?」
「招待状だ。舞踏会があるらしい。馬車の迎えも来るそうだ」
「へー……舞踏会かぁ……お迎え付きって便利でいいね」
「普通は自力で行く。つまり、今回は絶対に来いってことだ。……何を考えているんだ、あいつはっ!」
おっさんは招待状をぐしゃりと握りつぶした。
でも多分、そういうことをしたらやばいものらしくて、メイド長さんと執事さんが息を飲んで青ざめていた。
なのに、おっさんはさらにぐしゃりぐしゃりと丸めている。
破らないだけ、自制しているようだ。
……だ、大丈夫なのか?
「……あのー、まさかと思うけど、舞踏会って俺も行くの?」
「当たり前だ。お前も招待されている」
「へ、へー、俺もなんだ……それで、いつあるんだよ?」
「今日の夜だ」
「……えっ? そんなに急なのかよ! ドレスはどうするんだよ!」
「ご安心くださいませ。いつご招待をいただいてもいいように、衣装の準備は完璧にできてございます」
メイド長さんは、にっこりと笑った。
そうなのか。
そこは全く問題はないのか。逃げ道がないな。
「……先に話をしておく必要があるな。部屋に飲み物を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
メイド長さんに見送られ、おっさんと俺は久しぶりの自室に戻った。
まあ、自室って言ってもダライズの領主様のお屋敷で間借りしているだけなんだけどね。
気分は、俺の部屋だ。
でもふかふかすべすべのベッドに倒れこむことは、まだ許されないらしい。
「なあ、おっさん。ベッドが俺を呼んでいるんだけど」
「幻聴だ。……それより、今言っておくことがあるんだよ。とりあえず……まあ、その不味そうな茶は飲み干しておけよ」
「……先に話を聞きたい気分」
メイドさんが持ってきてくれたお茶を前に、俺はほんのり青ざめる。
たぶん、お肌にいいとか、リラックスできるとか、そういう効能があるとは思うんだ。でも、こういう薬草茶って匂いがすごいんだ。
持ってきてくれたメイドさんは、退室する前に「いい香りですね」とにっこり笑っていたから、女の子にとってはいい香りらしい。
でも、俺には匂いも味もかなりつらいんだ。かと言って、冷えた薬草茶の不味さも耐えがたい。
覚悟を決めた俺は、ぐっと一気に飲み干した。
「……で、話ってなんだよ」
「こっちも飲むから、少し待て」
なぜかおっさん用のお茶もあって、それがまたどろっとして強烈な匂いで、色も緑色で、とりあえず不味そうだ。
……いや、そもそもの問題として、あれはお茶なのか?
メイドさんは「疲れが取れます」と言っていた。
おっさんは特に聞き返すことはしなかったから、時々、あの強烈そうなものを飲まされていたんだろう。
おっさんも大変だな。
「……相変わらず、ひでぇ味だ。さて、話なんだが……」
おっさんは水を追加で飲んでから、俺の向かいに座った。
でも何か変な感じだ。
俺の方を見ているんだけど、微妙に視線が合っていないのは気のせいかな。
実は最近、おっさんってこう言う感じが多いんだよなぁ。……俺、おっさんを怒らせるようなことをしたのかな。
もしかして、俺用のお菓子を勝手に一個食ったこと、実は気にしているのか?
そのくらいなら、別に怒ってないんだけどな。
連日翼竜に乗っているおっさんが疲れていることくらい、俺も理解している。
そう言う意思を込めてじっと見つめていたら、おっさんはちらっと俺を見てから顔をしかめて目をそらした。
「じろじろ見るな。それよりお前は……自分の価値は理解しているか?」
「価値?」
俺は腕組みをして考えた。
まず、生まれや育ちには価値はない。庶民だもんな。
ドラゴンの八つ当たり……呪いを受けた希少性は、これは確実にある。
二百年に一人の確率で出現した女体化例で、しかも超絶健康体。
外見だけで言っても、珍しい青い髪の美少女だ。これだけでマニアだけじゃなくても垂涎ものだろう。
でも、たぶんおっさんが言っているのはそれだけじゃない。
魔法をほぼ全て見てしまう目については、秘密にしているからここでは除外しておこう。
となると、たぶん俺の一番の価値は……。
「……やっぱり、翼竜、だよな?」
「そうだ。お前は目撃例すら伝説化していた翼竜を呼び寄せ、手なづけ、騎乗をも可能にした。……ドラゴン崇拝の狂信者だけでも面倒だったのに、翼竜が絡んでさらに面倒なことになってしまっているんだ」
おっさんはため息をついた。
列挙されてしまった俺も、ため息をつきたい気分だ。
誰だよ、俺にあんな素敵なことをさせたのはっ! 最高だったけどな!
でも俺は翼竜たちのために、敢えて反抗を試みた。
「翼竜たちは、基本的に俺たち人間には関わらないよ」
「あいつらは関わらないだろう。だが、お前が命じたらどうだ? あいつらが上空を飛び回るだけで、人間も馬も、半分は使い物にならなくなる」
「……うん、そうだな」
「何より、翼竜には人が乗ることができる。魔法転移を用いずに長距離、短時間での移動が可能のなるだけでなく、上空から偵察ができる。まだ乗り手は限定されているが、俺なら軍馬の代わりにすることが可能だ」
軍馬の代わりかよ。おっさん、すごい自信だな! でも、決して根拠のない豪語ではないのがおっさんのすごいところだ。
今後おっさんと同等以上に乗りこなす人が出てくれば、それは伝説の翼竜騎士の復活を意味するかもしれない。
一瞬ワクワクしてしまったけど、おっさんは苦笑して首を振った。
「翼竜を常用する翼竜騎士なんてものは無理だぞ。だが、一時的なら戦場にも使えるだろう。翼竜なら一騎でも戦況を変えられる。……翼竜は最強の兵器だ」
おっさんは淡々と言葉を並べた。事実だけを口にしていて、誇張は一つもない。
それがわかるから、最強の兵器という言葉に俺は背筋がぞっとした。
きっと顔色も悪くなっているだろう。
俺の顔を見つめたおっさんは少し言い淀んだけど、それでもゆっくりと言葉を続けた。
「翼竜は目立つから、北高地でのことは国内外に知れ渡っているはずだ。……お前という存在は、王国だけでなく、近隣諸国の均衡を揺るがしかねない存在になった。しかも見かけは極上の女だ。狂信者も、野心家も、お前を狙ってくるぞ」
……狙われるのか。
どうしよう、ちっとも嬉しくない。
俺が青ざめながら黙り込んでいると、おっさんは無残に握りつぶした招待状をテーブルに投げ捨てた。
「こういうタイミングで、舞踏会だからな。悪意と殺意と野心を向けられることは覚悟しておけよ。それから、男と目は合わせるな」
「う、うん。それは絶対に守るよ」
「……とは言っても、目を合わせなくてもお前の容姿は人目をひくから、気休めでしかないがな」
おっさんは俺をちらっと見たけど、またすぐに目をそらした。
気休めって、目を合わせなくてもダメなのか?
「……今日の舞踏会、欠席という選択肢はないの……?」
「迎えの馬車が来るから無理だ。おそらく、お前を連れ出すために近衛騎士団が来るぞ」
「……は? 近衛騎士団って……なんで?」
「お前の護衛に決まっているだろ。貴族同士の争いはある程度は黙殺されるが、王家に弓引いたら容赦しないからな。その上で舞踏会に連れ出して、国王がお前の庇護者だと見せつけるんだよ」
……なるほどね。
と言うか、なんか既視感があるよ!
ハリューズ様にされたね!
俺が頭を抱えていると、おっさんは立ち上がった。
腰に帯びた剣が、ガチャリと硬い音を立てた。
何事かと手を退けた俺の真ん前まで歩いて来ると、俺の頭をガシガシと撫でた。
「お前を巻き込んだのは俺だ。だから、お前の面倒はきっちり見てやる」
「……おっさんのせいじゃないだろ。悪いのはドラゴンだよ」
「そうだな。ドラゴンが悪いな。……だが、俺は翼竜に乗ることができて楽しいぞ」
「…………うん、俺もそれは否定しない」
俺が正直にそう言うと、おっさんは薄く笑ってもう一度頭を撫でた。
おっさんは、よく俺の頭をなでる。
反抗期の頃に俺は犬でも猫でもない!って抗議したら、頭の形が気持ちいいんだとか言っていたなぁ。
そんな事を思い出してたら、おっさんの手が額に触れた。
どうしたんだろうと目を上げたら、腰を屈めたおっさんが俺の顔を覗き込むように近づいていた。
「熱は……やっぱりないか。顔色も悪くない。これでは欠席できねぇな」
そんなことをブツブツ言いながら、舌打ちをしている。
なあ、おっさん、俺が熱を出していればいいのにって思ってねぇか? 絶対に思ったよな? ……俺も思っているよ!
俺は共感を込めておっさんを見上げた。
真正面にあるおっさんの目は青い。
お父様だという学者様と同じ色の、とても深い青色だ。
俺の目も青くなっているけど、おっさんの目に比べると緑色に近い。
平凡な薄茶色の目だった昔の俺は、おっさんの目を見るのが好きだった。髪を黒く染めたら俺もおっさんに近付けるんじゃないかと、本気で染め粉が欲しかったこともある。
……誰にも言えない、俺の黒歴史だ。
でも俺は、おっさんのような強い男になりたかったんだ。
大人になったら可愛いお嫁さんをもらって、子供をたくさん持ちたかった。
お嫁さんと子供が、やせたり病気になったりしないくらいの生活ができるように、強い男になりたかった。
それが、今では「男と目を合わせない」を目標にしているんだもんな。
何というか……ずいぶん遠くに来てしまった。でも、悪いことばっかりじゃないんだよな。
「……なあ、おっさん」
「なんだ?」
「俺、話したかなぁ? この間……キ、キス、されたんだけどさ……」
「……お、俺はしてねぇぞ!」
がばり、とおっさんが離れた。
何を焦ってるんだ? いきなりで変な話題だと自覚しているけど、そんなに離れていかなくてもいいだろ!
「何でおっさんの話になるんだよ。ダライズの領主様に、おデコにチュッてしてもらったんだよ!」
「……そうなのか?」
「この年になると、おデコにキスとか気恥ずかしいよな! すぐそばに他人の顔があって、体温を感じるんだもんな。と言うか、キス自体が十年ぶりだよ! でも……優しい気持ちも伝わってきて、なんか嬉しかったなぁ」
俺はそっと額に手を当てた。
少し前までおっさんが触れていた場所は、一週間ちょっと前に美老女様にキスしてもらった場所だ。
あの時の優しい手と、柔らかな唇を思い出して、俺はちょっとだらしなく笑った。
「今の俺は母さんそっくりだから、最近は昔のことをよく思い出すんだけど。それが、笑顔の母さんばっかりなんだよ。領主様にキスされた時も、母さんにキスしてもらってたのを思い出したんだ。……やつれた姿ばっかり頭に残ってたけど、もしかしたら母さんも幸せだったのかなぁ、って思えたんだ」
「……そうか」
一人でにやけていた俺は、低いおっさんの声でハッと我に返った。
なんか俺、ものすごく恥ずかしいことを語っているぞ?
母さん母さんって連呼して、俺はマザコンか! しかも十年間誰にもキスをされていないって自分から告白するなんて、バカだろ!
「……ご、ごめん、変なこと言ってるよな! やっぱり疲れてるのかな! 少し寝て来るよ!」
俺は急いで立ち上がった。
自分で言った言葉が恐ろしく恥ずかしくなってきた。
おっさんと顔を合わせられなくて、俺は顔を伏せて自分の寝室へと向かおうとした。
でも、肩に大きな手がかかり、引き止められた。
恐る恐る振り返ると、おっさんが顔をしかめながら天井を見ていた。
「……おっさん?」
「ガキの頃に甘え足りてねぇからか、お前は甘え下手だな。ガキはガキらしく甘えろよ。……無駄に焦ったじゃねぇか」
「いや、ゴメン! もう忘れてくれよ!」
「うるさい。少し黙ってろ」
おっさんは俺の両肩をぐいっと押さえた。
身動きすらできずに硬直した俺の頭のてっぺんに、無造作に顔を寄せる。
髪に、何かが触れたようだ。
もしかして……頭にキスされた?
俺は無意識のうちに息を止めていたらしい。おっさんの手が肩から外れて、俺ははぁーっと息を吐いた。
でも、その気を抜いた瞬間を狙ったように、唐突に髪をかきあげられて額に柔らかいものが触れた。
長々と押し付けられたそれは、軽く吸い付いてから離れた。
「……お休み。ガキはさっさと寝ろ」
くしゃっと髪を撫でられた。
おっさんはそのまま振り返りもせずに、自分の寝室へ歩き去ってしまった。
……おい、おっさん。
今のは、いったい何なんだ?
別にキスをねだった訳では……まあ、嫌じゃなかった。
残された俺は、しばらく頭のてっぺんと額を触っていたけど、ふらふらとベッドに倒れに行った。




