(35)翼竜と学者
北高地の要塞は、寒いけど居心地は悪くない。
俺の部屋は暖かいし、翼竜たちは毎日来てくれるし、何より飯が美味い!
さすがに、王都から魔法転移で運び込まれることはないけど、料理人が素晴らしい腕前で、お上品ではないけど肉料理は大胆でいながら繊細な味付けだ。
俺には、特別にデザートもつけてくれる。
他の兵士さんや騎士様に申し訳ない気がしたけど、俺の体調が崩れる方が困るから、と説得された。
それに、女物の服を着なくていいのも、最高!
ドレスを作る時に選んだ布の半分くらいは、男物の服に仕立てられていたらしい。
温かくて、動きやすくて、肌触りが良くて、俺の体にぴったり合わせて仕立てた服は、もちろんズボンだ。
メイド長さんがいないから、俺もおっさんもやりたい放題だな!
……でも、この動きやすさがイマイチ活かしきれていない現状が辛い。
初日に翼竜ちゃんに乗って発熱した俺は、二日目は見学だけで終わった。
翼竜ちゃんは、何とかおっさん一人でも乗る事を許してくれた。
でも他の翼竜たちは、俺が乗らないと悟るとさっさと帰って行ってしまった。悲しい。
三日目は、俺とおっさんが全く初めての翼竜に乗ってみた。
集まった翼竜たちは、俺が一緒ならおっさんに道具をとりつける事を許してくれるようで、飛行中もおっさんの指示に従ってくれた。
空、最高! でも飛行時間はとても短かかった。がっかりだ。
四日目。おっさん一人で前日に乗せてくれた翼竜に挑戦。
まあ、個体によっては断られたけど、だいたい乗る事を許してくれた。
俺は地面で見学だけだった。虚しい。
五日目からは、今度はおっさん以外の人と俺が翼竜ちゃんに乗ろうとしたけど、これは難航したんだよな。
まず、翼竜に乗れるほどの技量を持つ可能性がある人が少ないんだ。
一番近いのが、魔馬の乗馬術らしい。
魔馬に騎乗できる人が急遽集められたけど、俺がそばに行っても平常心でいられる人ってのがまた難しいようで。
五人のうち、三人が脱落。
その代わりに、残る二人は翼竜ちゃんに受け入れてもらえた。
どうやら、俺にふらつかない人間は翼竜に受けがいいらしい。
ただし、俺なしで乗りこなせるかって言うのは別問題のようで、七日目の今日になっても時々落ちそうになっている。
まあ、それでも近いうちにそれなりに乗りこなせるようになるだろう。
……でも、つまり、俺はここで一週間ほど過ごしているのに、ほとんど翼竜に乗せてもらっていない。
俺一人では翼竜には乗りこなせないから、仕方がないんだけど。
仕方がないとわかっているけど、でも、でも……。
「……俺も乗りたいなぁ……」
見ているだけの俺にとって、苦労する姿もうらやましい。
俺の仕事は、集まってくる翼竜たちに挨拶することと、乗り手に髪の一部を切って渡すこと。
毛先をちょっと切って魔石の穴にいれた腕環があるんだけど、それを持って翼竜たちに挨拶する。そうすると、その腕環を身につけた人を受け入れてくれることがわかった。
ちなみに、おっさんは、手首にぐるりと一周回るくらいの髪の毛を常時つけてもらっている。初日に切った髪を編んで腕輪にしたんだ。
翼竜たちも見慣れたのか、俺が挨拶する前におっさんの前に降り立つこともある。
これもすごくうらやましい。
結局のところ、おっさんは強い生き物に好かれるんだよ。
「おや、今日も乗っていないのかい?」
要塞の前に用意してもらった椅子とテーブルでダラダラしていたら、穏やかな声がかけられた。
「……あ、こんにちは!」
「はい、こんにちは」
慌てて姿勢を正したけど、声をかけた人はにっこりと笑ってもう一つの椅子に座る。そして、テーブルに紙の束を置いて、ペラペラとめくっていった。
この人と会うのは三度目くらいだ。
一昨日から、短時間だけふらっと見にくる。どうやら学者さんらしい。
最初の時は、翼竜の細かい絵を描いていた。
でも、俺ほど目はよくないから、詳細が明確じゃなかったんだ。だから俺が、ここはこうなっているとか、あの皮膚の模様はこっちの絵の個体だとか、いろいろ教えていたら仲良くなった。
もともとは古い伝承なんかの研究者らしいけど、翼竜の乗り方とかを調べておっさんに教えた人なんだろうな。
とにかく穏やかな人で、眼鏡越しの目はとても知的だ。
うっかり俺が見つめてしまっても、穏やかに笑みを返してくれる。
たぶん、もう六十歳が近いくらいの年配者で、金髪はほとんどが白髪になっている。でも翼竜を見る目はとても若々しくて貪欲だ。
今も、おっさんたちが騎乗している翼竜を見ては、それがどの個体かを確かめている。
俺も見落としていた外見的特徴や性格を的確に見抜き、絵と文章で細かく書きとめているんだけど、その絵は何度見てもすごいんだ。
感心しながら学者様の手元を見ていたら、学者様は首を傾げた。
「珍しいね。一号はいないのか」
一号と言うのは、俺が初めて乗った翼竜ちゃんの事。
以下、単純に俺が騎乗した順番で番号を振って便宜的に一号、二号と言うように呼んでいる。
つまり、この人は俺以外で瞬時に翼竜たちを見分けてしまう貴重な人なんだよ。
「一号ちゃんは、俺が……わたしが乗らないとわかると帰って行きました」
「なるほど。あの子は君が大好きだからね」
「好かれているのは嬉しいですけど、もっと会っていたかったです。一号ちゃんって男の子なのかなー」
「……いや、たぶんメスだと思うよ。今、キルバインが乗っている子もメスだろうな。本当はキルバインとはオスの四号あたりが相性がいいと思うが、四号は気まぐれだからなかなか来ないようだね」
俺はぽかんと学者様を見つめた。
学者様は、俺の視線に気づくと不思議そうな顔をした。
「マイリンちゃん、どうかしたのかな?」
「いや、その……というかですね、まず俺の名前はマイリンじゃなくて、マイラグランです」
「おっと、それは失礼。ビザーがマイリンと呼んでいた気がしたから、ついうっかり口にしてしまった」
……ビザーって、あのビザーたん様……だよな?
あの人は日帰りしたようで、あれから会っていないけど、そうか、向こうでも「マイりん」を連発していたのか。ははは……。
いや、それより!
「あの、学者様は、翼竜の性別がわかるんですかっ!」
「まだ確証はないけれど、たぶん間違いないと思う。オスはより高く飛びたがるし、翼の裏側が鮮やかな赤色をしているんだよ」
「……ああ、そういえば……」
「メスにも赤色はあるけれど、より赤くて広い範囲なのがオスだと思う。求愛行動では、高く飛んで赤い翼を見せつけたりするのではないかと思っている」
「あっ! じゃあ逆に色のない面を見せるのは、敵意のない現れってことですよね。そう言えば最初に、一号ちゃんが地面で翼を広げてくれたんですよ。皮膜は弱いから、首を差し出したりお腹を見せたりする行動と同じだろうとは思ってたんですけど」
「……ふむ、なるほど。それは実に興味深い」
学者様は一号ちゃんの絵に、何かを書き込んだ。
でも、ふと手を止めて、立ち上がっていた俺を見上げてにっこりと笑った。
「これもうっかりしていたが、私はまだ君に名乗っていなかったね?」
「えっ、いえ、そんなことは気にしないでくださいっ!」
俺は焦った。
だって、この学者様って、発音が独特だから絶対お貴族様だよ?
ビザーたん様がマイりんなんて言っているのを聞いてしまえるくらいだから、かなり高位のお貴族様だろ?
お貴族様のお名前なんて、そう簡単に教えてもらうものじゃない。
ダライズの女領主様のお名前は未だに知らないけど、それは高い地位を持った人なら普通の事なんだよ。
いきなり通称を名乗ってきたビザーたん様が異質なんだ。
……いきなり求愛してきたイケメン騎士様たちも論外だけど。
でも、学者様はわざわざ立ち上がり、それどころかテーブルを回って俺の正面までやってきて、恭しい仕草で俺の手を取った。
「え、ええっ?」
「スヴィエインと申します。以後、お見知り置きを、マイラグラン嬢」
「……ス……え、ええっと!」
「スヴィーでいいよ、マイラちゃん。……君のことはマイラちゃんと呼んでも大丈夫かな?」
頭髪のほとんどが白髪になった上品で知的なおじさまに、こんな丁寧な態度を取られたら、ど、ど、ど、どうすればいいんだっけ?
俺のことは、マイラちゃんでもマイりんでも、好きに呼んでもらって構わないんだけど!
たぶん高位のお貴族様で、ずっと年上のおじさまのこと、いきなりスヴィー様、なんて呼称で呼んでいいの? 馴れ馴れしすぎねぇ?
どうすればいいか、お願い、誰か、教えてっ!
俺が焦っていたら、突然ごうっと風が吹いた。
あまりにも突然だったから、ここでは毎日被っている帽子が飛んでしまった。
俺の青い髪がむき出しになってしまったけど、それに構う余裕はない。
だって目の前に、翼竜が降り立っていたんだ!
誰だよ、危ねぇだろ!
ぎっとにらんだけど、翼竜の背中から降りてきたのはおっさんだった。
「大変申し訳ないが、こいつにそんな態度を取らないでやってください。混乱しています」
「キルバインか。でもね、私はマイラグラン嬢に名乗っていないままだったんだよ」
「……名乗ったんですか」
「スヴィエインとね。でも呼びにくいだろうから、スヴィーと呼んでもらおうかと思って」
「…………最初から、そちらの呼称のみで良かったと思いますよ」
「ああ、そうか。ごめんね、マイラちゃん。前のは忘れて、スヴィーと呼んでください」
……そう簡単に忘れられるものじゃねぇよなぁ……。
まあ、この人に他意はないとは思う。
と言うか、おっさん、スヴィー様とお知り合い?
筋肉系武闘派なおっさんと、超知的な学者様って、どう考えても接点が……あ、翼竜関係で知り合いになったのかもしれないな。
でも、おっさんは手袋をつけたままの手でがしがし髪をかき乱して、ちらっと俺を見た。
「……あー、つまりだな、この人は……俺の父親だ」
「おっさんのお父さん」
へー、なるほど。
そう言われてみれば、年齢がそのくらいだし、顔の輪郭も似ているような……。
……えっ、おっさんのお父さん?
ああ、そう言えばお父さんは学者だって言ってた気がするよ!
背の高さとか骨格は、確かにちょっと似ている。
だけど、髪の色はもちろん、顔立ちも雰囲気も性格も、いやそれより頭の中身が全然……。
「……頭の中身が、全然似てねぇのな……」
「おい、声に出てるぞ、クソガキが!」
「拳骨すんなよ、痛いだろ! おっさんにスヴィー様の知性があるのかよ!」
「おう、どうせ俺は学問が苦手だよっ! だからと言って、口に出すなって言ってるんだ!」
「俺は根が正直な庶民なんだから、仕方ねぇだろ!」
言い合っていたら、すぐそばで上品な咳払いが聞こえた。
……おっと、そうだった。
俺たち、おっさんのお父様の前だった。
「キルバインは、学問は苦手なのか」
「……はい……いえ、その、得意ではないと言うか……」
「ダライズ夫人から聞いていたが、こればかりは仕方がないね。しかし、美しいお嬢さんに対して、そんな態度はどうかと思うよ?」
「し、しかし、こいつは元々は男で……!」
「今はとても美しいお嬢さんだ。それに、とてもいい子だ。私はとても好きだよ」
「それは……あの……しかし!」
「それからマイラちゃんも、もう少し言葉遣いは気をつけてもらいたいな。せっかく娘ができるのなら、可愛らしく甘えてもらいたいと思うのが男親だよ」
「……は、はい」
何を言っているのかよく分からないけど、俺は思わずうなづいていた。
隣のおっさんを見上げると、なんだか青ざめていた。
いったいどうしたんだよ。そんなに父親って怖いものなのか?
「さて、マイラちゃんとも会えたし、翼竜の生態についても面白いヒントをもらった。古い文献で近いことを書いていたはずだから、調べてみたくなったよ。私はもう王都に戻るよ」
「えっ、もう戻ってしまうんですか!」
「私は学者だから、気になることを放置しておけないんだよ。でも、またマイラちゃんには会いたいな。王都に戻ったら、キルバインと一緒に遊びにおいで」
「はいっ!」
学者様……スヴィー様は笑顔で要塞の中に戻っていった。
たぶん、すぐに魔法転移で王都に戻るんだろうな。
すり寄ってきた翼竜を撫でていたら、おっさんが顔に手を当ててため息をついた。
なんだよ、そのため息。
陰気すぎて、翼竜が嫌がってるぞ。
「……ボウズ、俺の父親と何を話していたのか、聞いていいか?」
「翼竜のことだよ。性別がわかるって言ってた。おっさんには四号が一番相性がいいだろうって言ってたけど、四号ってオスらしいよ」
「……オスなのか」
「で、一号ちゃんはメスなんだってさ。あ、この子もメスらしいよ。それから翼の裏側の赤色は……」
俺が最新情報を説明しているのに、それを止めるように、おっさんは無言で手を動かした。
言葉の腰を折られ、俺はムッとして口を閉じる。
でもそんな事を気にする様子もなく、おっさんは無精髭でざらつく顎に触れながらため息をついた。
「……さっきの言葉の意味、お前はわかってねぇんだろうな」
「はぁ? さっきのって、何だよ」
「娘ができるってヤツだよ!」
「あー、うん、わからない。でも、お父様ってあんな感じなのかって思うとドキドキしたよ!」
「…………妻に先立たれた男に、娘ができる状況ってわかるか?」
「子連れ再婚とか、養女とか?」
「俺の嫁ってことだよ! ……学問以外に興味を向けないあの人の耳に、その手の噂が入るとは思わなかった」
なるほど。
そういうことか。
まあ、俺は何となく真相がわかる気がするなぁ……。
「……えっと、その、さっきちらっと聞いて、そうなのかなって思ったんだけど」
「何だ?」
「スヴィー様は……最近ビザーたん様と会っていたみたいだよ。俺のこと、マイりんって呼んでた」
「……また、あいつか! また、ビザーが余計なことをやりやがったのかっ……!」
……おっさん、落ち着け。
まだ確定したわけじゃないし。
まあ、ほぼ確実に、ビザーたん様がべらべらとしゃべったんだろうな。