(34)大空への飛翔
騎乗用の道具をつけるのは、それほど時間はかからなかった。
少なくとも、俺たちに気付いて要塞から出てきたセアラお姉さんが、俺に暖かい外套を着せてくれる間に取り付けは完了した。
あらかじめ俺が翼竜ちゃんにお願いしたから、おっさんが触れても翼竜ちゃんは噛み付いたりはしなかった。
ちょっとにらんでいただけだ。
……俺だったら絶対に逃げてるくらいの敵意だったけど、他の騎士様が近付こうとしたらそんなもんじゃなかったから、まあマシかも。
「ねぇ、マイラちゃん。やっぱり危ないわよ。この辺りは日が沈むのは遅いけど、もう冷え込み始めているわ。今日は見るだけじゃダメなの?」
「心配してくれてありがとう。……でも俺、絶対に乗りたいんだよ!」
「……ああ、でもやっぱり心配だわっ! キルバインは丈夫だから落ちても平気だけど、こんな細くて小さくて可愛い女の子が、飛び上がった翼竜から落ちたりしたら……!」
セアラお姉さんは、いきなり俺をぎゅっと抱きしめてきた。
わぁお。
この密着っぷり、分厚い外套越しなのが残念だ!
……じゃなくて。
「もしかして……おっさんって落ちたの?」
「乗る段階で何度も振り落とされていたわよ。上手く乗れても、飛び上がるところで落ちそうになったり。紐で縛っていたからよかったけど、ハリューズ様が魔法で受け止めなかったら、命が危なかったでしょうね」
「……もしかして、ここ一週間くらいの話?」
「そうよ」
「あー……それで、あんなに怪我だらけだったのか」
昨日の夜に見た痣だらけの背中が脳裏をよぎり、俺は思わず顔をしかめてしまった。
あんなに怪我だらけになるくらいに振り落とされて、本当に死にそうになっただろうに、なんであんな平気な顔で翼竜に近づいていけるんだ?
おっさんって、マゾなのか?
それとも、傭兵やってる人間はみんなあんな風に命知らずなの?
呆れればいいのか、さすがおっさん!と感心すればいいのか。
本気で悩んでいたら、俺を抱きしめていたセアラお姉さんが、そろりと腕を緩めて俺の顔をジィッと見つめた。
あ、そんなに目を見たら……女性には効かないんだっけ?
「……ねぇ、マイラちゃん。怒らないから、正直に答えてくれる?」
急に優しい声になったけど、俺を見つめる顔は、なんとなく怖いような……。
あれ、俺、怒られるようなこと、した?
「あのね、マイラちゃんは……あいつの背中を見たの? 背中、すごーく怪我だらけだったでしょ?」
「うん、傷跡もいっぱいあったけど、痣がすごかった」
「……つまり、見たのね?」
「見たよ」
「…………いつ、どんな状況だったのかなー?」
「いつって、昨日の夜だよ。おっさん、素っ裸だったから、背中の痣もよく見えて……」
「……素っ裸……」
……あ、あれ?
水浴びは素っ裸でするもんだよな?
セアラお姉さん、なんでそんな怖い顔でおっさんをにらんでいるの?
「……え、えーっと、もうそろそろ準備できたみたいだ! 外套を持ってきてくれてありがとう!」
俺は笑顔で逃亡した。
でも、おっさんの準備が終わったのは本当だよ!
最終点検の途中ってだけだ。
「お、おっさん、できた?」
「ああ、絨毯の固定を確認できたら完了だ。……おい、なんでセアラは俺をにらんでいるんだ?」
「さ、さあ、どうしたんだろうね? それより、早く乗りたいよ!」
「……そうだな」
首を傾げたけど、おっさんは今は気にしないことにしたらしい。
絨毯を何度か引っ張って確認を終えると、手綱を持ったまま俺を手招きして、翼竜ちゃんの背中に押し上げてくれた。
しっかりと固定された絨毯の上に座ると、おっさんは俺の後ろに飛び乗って俺のお腹に固定ベルトを巻きつけた。
似たものを自分の腹部にも取り付け、おっさんは手綱を持ってしっかりと立った。
「おっさんは立ったままなの?」
「ああ、これが一番操りやすいんだ。お前はしっかりつかまっていろよ」
「わかった」
「では……行くぞ」
おっさんは、トン、と翼竜ちゃんの背中を踵で蹴った。
いや、蹴ったというより軽い足踏みくらいだったけど、それだけで翼竜ちゃんはばさりと翼を広げた。
一旦しゃがみこんだのか、翼竜の背中が下がった。
その直後に、ぐんっと急激に上昇した。
足で地面を蹴ったのだと気付いた時には、俺たちを乗せた翼竜ちゃんは要塞の屋根くらいの高さになっていた。
上昇が止まって落下が始まる直前に、今度は皮膜の翼が大きく動いた。
一回羽ばたいただけで、また高度が上がる。
羽ばたきの数だけ真っ直ぐに上がって、あっという間に周囲の風景が小さくなっていた。
やがて十分な高さになったのか、おっさんは今度はかかとをつけたまま、トントンと爪先を動かす。
これも大きな動きじゃなかったけど、翼竜ちゃんは上昇をやめて、水平方向に円を描く飛び方に変わった。
はるか下に見える風景も回って行く。
川が網の目状に広がる低地も、岩だらけの山地も、そのはるか後方に見える針葉樹の森も、ゆっくりゆっくりと回っていった。
全てが美しい。でも、目がくらみそうだ。
「見ろ。他の翼竜も来たぞ」
「……えっ?」
想像したこともなかった風景に言葉を失っていた俺は、おっさんに言われて初めて、空を飛んでいるのが俺たちの乗っている翼竜ちゃんだけじゃないと気付いた。
俺たちの後を追うように、他の翼竜たちも空の上でゆっくりと円を描いて行く。
下から見れば、お互いの尾を追いかけているように見えただろう。
「……すごい……」
「すごいな。俺もこの高度は初めてだし、こんな団体飛行も初めてだぞ!」
おっさんは楽しそうだ。
死にかけたはずなのに、恐怖は感じていないらしい。
「……なあ、おっさん、何度も落ちたんだって?」
「セアラがしゃべったのか?」
「うん。ハリューズ様の魔法がなかったら死んでたかもって言ってた。……さすがに危なすぎねぇ?」
「危ないのは覚悟の上だ。俺は傭兵で、これは正式な仕事として依頼されたからな」
立ったままのおっさんは、何でもないように笑う。
こういう騎乗方法、伝説とか古い絵に似たものがあったと思う。でも、伝承は絶えて久しく、実質的に手探りだったはずだ。
それをやり遂げてしまうおっさんって……マジでかっこよすぎるだろ。
「少し動くぞ。しっかりつかまってろよ」
おっさんは左足をトントンと動かす。
翼竜ちゃんは、それに応じるように、今度は反対周りの円を描き始めた。
他の翼竜たちも、俺たちを先頭に同じ円を描く。
さらに、おっさんは緩やかな上昇や下降、ジグザグの飛行や急旋回も試していた。その動きを覚えようとするように、他の翼竜たちも同じ動きをしていった。
「もう日没だな。今日は終わりだ。満足したか?」
「……うん」
いつの間にか、赤い太陽が地平に触れそうになっていた。
空も暗くなっている。
幼い頃から憧れてきた、翼竜による飛行が終わる。
満足感と寂しさを覚えながら、爪先でトンと蹴って下降を命じるおっさんを、ただぼんやりと見つめていた。
夕食は美味かった。
本当に魔法転移で運んできたらしい。
さすがに一括で転移させたようで、少し冷めていたものもあるけど、そんなことは些細な問題だ。
飯が美味いのは素晴らしい。
ただ、いつもより食が進まない。
量が食べられなくなって、量より味を楽しむのはドラゴンに八つ当たりされてからだけど、それにしても食えない。
翼竜で飛んだりしたから、まだ興奮しているからかなぁ……なんて思っていたら、隣に座っていたおっさんが額を触れて眉をひそめた。
「……おい、お前はもう寝ろ。熱が出ているぞ」
「え?」
「セアラを呼んできてくれ。……申し訳ないが、俺たちはもう失礼する」
俺をひょいと抱き上げながら、おっさんはビザーたん様に礼をする。
ちょうど肉を頬張っていたビザーたん様が言葉を発する前に、おっさんは食堂を後にした。
……おっさん、声をかけるタイミングを計ってたんじゃないだろうな。
そんなことを考えていた俺は、セアラお姉さんが走ってきたのは見たけど、その後は意識を失っていた。
「ねぇ、あなたってバカなの? 変態な上にバカなんて、あなたって救いようがないわよ!」
セアラお姉さんの声が聞こえた。
誰かをものすごい勢いで罵っている。
でも、俺が目を開けたことに気付くと、振り返った途端にものすごく優しそうな笑顔になって、俺の額に優しく触れた。
「うーん、お熱がまた上がったみたいねぇ。どこか痛いところはある?」
「……頭が、痛い、です」
別に喉が痛いわけでもないのに、声がうまく出ない。
セアラお姉さんは心配そうに眉をひそめ、それから優しく優しく頭を撫でてくれた。
……セアラお姉さんって、母さんみたいだ。
ついでに言えば、ベッドで寝ている俺に被さるように腰を屈めているから、胸の谷間がとってもステキです。
「特に危険な病気ではなさそうだけど、油断はしてはいけないわ。今日は暖かくしてゆっくり寝るのよ。このバカがきちんと徹夜で看病してくれるからね」
「……俺は寝れねぇのか……」
「当たり前でしょ! こんなに可愛い女の子を連れ回して、あんなに翼竜に乗りっぱなしだったら、普通の女の子は寝込むに決まっているでしょ! あなたは丈夫な筋肉男だけど、マイラちゃんは女の子なのよ! 少しぐらい配慮してあげなさいよ!」
「……お姉さん、おっさんは悪くないよ。俺は……」
「いいのよ、マイラちゃん! こいつの丈夫さが異常なんだから! 私は少し仮眠を取るから、しっかり看病するのよ!」
セアラお姉さんは言いたいだけ言って、ベッドで横になっている俺を心配そうに振り返りながら部屋を出ていった。
……あー、思い出したよ。
俺、いきなり熱を出したんだった。
それで、またおっさんがセアラお姉さんに罵られてしまった。
「……ごめん、おっさん。また、おっさんが罵られた」
「いや、確かに俺も配慮が足りていなかった。俺も浮かれ過ぎたようだ。今のお前が小さくて細くなっていたのを忘れていた。……飛ぶ前までは、お前が女だってことを覚えていたんだが」
おっさんは顔をしかめながらベッドに横に椅子を置いて、どっかりと座った。
防具や革製で強化された服はもう脱いでいる。
温かそうな上着を着ているけど、その下はいつも通りの気楽なシャツ姿だ。それに武器満載の太いベルトを締めたおっさんは、ため息をつきながら髪をかき乱す。
部屋の向こうにあるテーブルには、空になったお皿があった。
「おっさん、飯は食えたの?」
「ああ、たっぷり食ったぞ。と言うか、残りを全部食わされた。まあ、腹が減っていたからちょうどよかったけどな。……お前も何か食うか?」
「うーん、今はいらねぇかな……あ、水は欲しい」
俺はおっさんに起こしてもらって、水を飲んだ。
起き上がると、ぐるぐると目が回る。
高熱の時の症状だ。
でも、ただの高熱じゃないと思う。だって、視界がずっと青いんだ。
シーツも壁も、暖炉の炎もおっさんも、全部が青い。
そのことをおっさんにいうと、枕に頭を戻してくれながら眉を動かした。
「それは……力が暴走したのかもしれないな」
暴走? なんだそれ?
俺は首を傾げていたら、コップをテーブルに戻したおっさんが話してくれた。
どうやら、俺の青い髪には一種の魔力が宿っているらしい。
ごく稀に見かける程度だった翼竜たちがあんなに集まったのは、青い髪を持った俺がいたから。
青い髪と俺の目は、ドラゴンと親和性の高い生物を良くも悪くも引き寄せて、魅了もすると推測されているようだ。
ちなみに、ハリューズ様が翼竜ちゃんに騎乗できたのは、検査の時に切っていた髪の毛を封入した魔石を利用したから、らしい。
「それで……つまり?」
「今日のお前は、無自覚にその力を全開にしすぎたんじゃねぇのか? 魔力持ちの子供は、時々似たようなことで発熱すると聞いたことがある」
……俺は子供かよ。
まあ、こうなって二ヶ月しか経ってないから、赤ちゃん並だけど。
「……だったら、おっさんは全然悪くないよな」
「いや、俺の責任なのは間違いない。明日はお前は休んでろよ。……安心しろ。俺はもっと先に試す予定だったことをやるから。お前から翼竜に言い含めてもらうが、お前の髪を身につけて乗れるかどうかを確かめたい」
「えっ、それってまた落ちるんじゃねぇの?」
「あいつら、お前のお願いには弱いようだから、前ほどひどいことにはならんさ」
「じゃあ、髪をいっぱい切っていいよ! これ全部使ってよ!」
俺は髪の毛をつかんで、ぐいっと差し出した。
ちょっと腕を上げただけなのに、ぷるぷる震えているよ。うーん、高熱やばいな。
俺の必死の形相がおかしかったのか、おっさんは笑いをこらえながらナイフを取り出した。
「では、ちょっともらうぞ。いや、そんなにいらねぇよ。手は離せ。……切るぞ」
さくり、と一筋分だけ切り取る。
おっさんはそれを丁寧に糸で縛り、布に包んでベルトの袋に入れた。
「翼竜たちの前に行けるくらいには回復してもらわなければいけないから、もう寝ろ。俺は向こうのテーブルで、武器の手入れでもしているから」
「うん。お休み、おっさん」
「お休み」
おっさんは薄く笑って立ち上がる。
それから、ちょっと迷ってからベッドに座り、俺の額に触れた。
寝乱れた髪をくしゃりと撫でて、俺の額に触れる。
どうやら、かなり熱いらしい。
おっさんの顔から笑みが消え、手のひらでもう一度額をなでた。
額から髪へと動く手が冷たく感じる。それが気持ちよくて、俺は目を閉じた。
大きくて硬い手が、何度もゆっくりと動く。
ふんわりと睡魔が訪れかけた時、急に暗くなった気がして目を開けた。
部屋の中はロウソクの光でぼんやりと明るかったはずなのに、目の前が暗い。
瞬きをして、目の前にあるのがおっさんの顔だと気付いた。
妙に強張った顔だ。
……どうしたんだろう?
もう一度瞬きをした時、がばりとおっさんが離れた
「……あ、危ねぇ……っ! 俺は何をしようとしてたんだっ!」
「おっさん? どうかしたの?」
「な、なんでもねぇよ! やっぱり俺も疲れているようだ。セアラを叩き起こして交代する! ……おい、誰かこいつを見ていてくれ! 一人はダメだ! 五人くらいで見張れ! 直視はせずに容態を観察しろ!」
無茶苦茶な指示をしたおっさんは、大股で部屋を出て行く。
その後に、立派な騎士様たちが本当に五人も入ってきて、遠くで騒がしい声がした。
何が何だか、よくわからない。
けど……こういう騒がしいのって悪くないな。
静かすぎるより、ずっといいや。