(32)豪華な部屋
突然現れたちょっと変態なオジサマは、容姿だけを見ればイケメンだった。
背が高いし、金髪は鮮やかな色だし、深い色合いの青い目は長いまつ毛に縁取れていて、顔立ちはくっきりと端整だ。
おっさんと並べて見ると、おっさんがまだ若い!と主張していた意味を理解した。
日焼けして肌は荒れているけど、おっさんはオジサマと比べるとやっぱり若い。単純に、額の広さの差だけじゃないと思うんだ。
ま、さっきのイケメン二人組の騎士様に比べると年寄りだけどな。
でもオジサマって、誰かに似ている気がする。
絶対にどこかで見た顔なんだよ。
誰だったかな。
さっきのイケメン騎士様たちのどっちかか? 目の色は、さわやかイケメンさんと共通しているかもしれない。
俺が二人をチラチラ見ていたら、ちょっと頭が冷えたらしいおっさんがため息をついた。
「……この変態が、お前を招待した人物だ。……気が向いたら、あの呼び方をしてやってくれ」
おっさんは半分投げやりな言い方になっていた。
頭に血が上ったように見えても、瞬時に冷静さが戻ってくるのは、さすが熟練の傭兵だ。
でも、どうしても「ビザーたん」とは口にしたくないらしい。
それなのに俺には言えっていうのか。
まあ、いいけどね。心を無にすれば、そのくらいなんとかなる気がするし。
うっかり目を見つめてしまっても普通に話せるのは、気が楽、かな。
「さて、お互いに名乗りあえたし、そろそろ部屋を移動しようか。まだ早いけど、面白いものを見せてあげられるよ。キルぽんもいいよね?」
……うん、まあ、悪い人じゃないと思う。
ただ、おっさんへの呼び方だけは勘弁してほしい。
かなり慣れてきたけど、今でも腹筋が震える。飯食ってる時に聞いたら、最悪噴き出すぞ。
そんな微妙な心情を押し殺し、俺はビザーたん……様に案内される形で控えの間を出た。
メイド長さんが言っていた通り、この招待主様はおしゃべりな人で、俺が笑いの発作から逃れるために無口になっていても気にせずに一人でしゃべり続けた。
建物の造りについても、いろいろ説明してくれた。
だいたいヴァライズさんに聞いた通りの話なんだけど、そこの窓の下が逢引の名所になっているとか、由緒ある古いカーテンで隠れんぼをしていて破ってしまった子供がいるとか、そういう話をぺらぺらと続けた。
おかげでそこそこ楽しかったけど、カーテンを破った子供は幼い頃のおっさん、という暴露はいらなかった。
頼むから、不意打ちでキルぽんとか言わないでくれ!
精神的にぐったりした頃、やっと食事の部屋についたらしい。
重厚な扉を前にして、忘れていたワクワク感が蘇った。
この二週間は、この瞬間のためだったもんな!
でも、大きく開いた扉の内側へぐいぐい押し込まれた俺は、背後でバタンと閉まった音を聞きながらまず豪華さに圧倒された。
部屋は大きかった。
でかいテーブルが中央にあったから、かろうじて食事用の部屋なんだなとは思ったけど、壁も天井も床も、全てがびっくりするほど高級だった。
床は組み木で緻密な模様が描かれていて、きれいだけどどんだけ手間がかかったのか想像もできない。
壁は色の違う大理石が絵の具で塗り分けたように配置されていて、それぞれに繊細な浮き彫りが施されている。
天井には金色で彩色された木枠が格子になっていて、その中の一つ一つに美しい風景画があった。
ダライズの街の特徴的な風景があったり、俺が生まれ育った辺りの草地っぽい風景もあった。ほぼ中央に王都の風景画があるから、たぶん王国全土が描かれているんだろう。
食事をしながら地理の勉強ができそうだな。
あ、食事中は上を向かないか。
でも豪華さに圧倒されながら、俺は気が付いた。
この部屋には大きなテーブルがある。
立派な燭台もある。
でも……食事の準備は全然できていない。
お貴族様のお食事会って、客が席についてからお皿とかを並べるんだっけ? 俺が習ったお作法では、あらかじめお皿とか酒杯が準備されているはずだった。
ただ、一般的な夕食の時間にはまだ早い。
ここはただ見学するだけのために来たのかもしれない。
そう言えば、ビザーたん様は面白いものを見せてくれるって言った。この部屋は一見の価値があるし、天井だけでも半日は余裕で楽しめそうだもんな。
ただ、メイドさんが一人もいない光景はなんだか仰々しい気がした。
俺が知っている貴族のお屋敷って、女領主様のお屋敷だったからか、従僕さんも多かったけどメイドさんがどこにでもいた。
でも、この部屋にはメイドさんはいない。従僕さんもいない。
室内に控えているのは、玄関で迎えてくれた若いイケメン騎士さんたちと同じ制服の騎士様だった。直立不動の姿勢で壁際にずらりと並んでいる。
たぶん平均年齢は二十代後半以上。そのせいか落ち着いていて、でもめちゃくちゃ強そうな感じだ。
超絶美少女な俺がぽかんと見ていても、全く目を向けない。
制服が華やかだし、騎士様たちもなかなかにイケメン揃いなんだけど、何だか雰囲気が怖い。
そんなちょっとピリピリした室内に、なぜかハリューズ様がいる。
……招待状を持って来てくれたハリューズ様だし、お食事会に招待されていてもおかしくはないか。
いや、それより美味い飯の行方は……。
「マイりん、君はハリューズ殿とは仲が良かったよね?」
「……えっ? いや、そんな、仲がいいなんて……怖い……じゃなくて恐れ多いですっ!」
いきなりビザーたん……様に話を振られ、俺はかなり焦った。
その一方で、ハリューズ様のことをハリっちとかハルにゃんとか呼ばなかったことに胸をなでおろしてしまった。
でも、そんな俺の背後で重苦しいため息が聞こえた。
「ビザ……ビザー、これからの事はきちんと話しておけよ」
「おっと、そうだった。さすが、マイりんにとても気を使ってあげるんだね。ビザー兄たまはちょっと嫉妬しちゃうなぁ! でもこんなに可愛い愛人ちゃんなら、仕方がないか。もうせっかくだから、君から言ってあげてよ。……ああ、そうだ。ハリューズ殿も、私のことはビザーたんと呼ぶように!」
「つまらない名前だな」
ハリューズ様はそれだけ言って、くるりと背を向けて部屋の奥の一画へと向かった。その後を、笑顔のビザーたん……様も追っていく。
そこで二人で何か話し始めたけど、あの変な呼称に全く動じないハリューズ様ってすごいな。
ひっそりと感動した俺は、ふと疑問を思い出して振り返った。
俺のすぐ背後には完全武装のままのおっさんがいて、目が合うと、なんだ?と言うように眉を動かす。
周りを見た感じではまだ時間がありそうだから、俺は少し伸び上がってそっとささやいた。
「なあ、ビザーたん様って、おっさんの知り合い?」
「……俺の母親は早く亡くなったが、その前から病弱でな。あいつの母親にはいろいろ世話になったんだ。だが、どうにもあいつは苦手でな……」
あー、まあ気持ちはわかるな。
俺も何というか、こう……嫌いじゃないんだけど。うん。
それからもう一つ、俺は疑問を思い出した。
「そう言えば、さっき噂が何とかって言ってただろ。……俺って、婚約者じゃなくて愛人ってことになってるの?」
俺がそう聞いた途端、おっさんはものすごくイヤそうな顔をした。
離れたところにいるビザーたん様を殺気を込めてにらんでから、汗で少し湿った髪をぐしゃりとかき乱した。
「暇な貴族たちが好き勝手に言っているだけだ。ただ、現状として俺が連れ帰って、ダライズ邸に引き取っているのは間違いない。だから……こんな言い方は好きじゃねぇが……お前は庶民で身分が違うから、連中は当然のように愛人とみなすんだ」
なるほどね。
おっさん、これでもお貴族様で、ダライズの領主様の親戚らしいもんな。
独身の男が独身の女と一緒に住んだら、普通は彼女とか恋人って言われるだろ? 少なくとも庶民なら、届け出とか披露とかしていなくても、二人で暮らせば夫婦扱いされるんだ。
なのに、相手が庶民だからってだけで、正式な相手じゃないって意味を持つ「愛人」って表現になるのは……。
まあ、お貴族様らしいか。
でも現実って、こんなものかもしれない。
おっさんはいつも普通に接してくれる。ダライズの領主様は厳しいけど、それは誰に対しても平等に厳しいだけだ。
だから俺は、庶民と貴族の差がどれほど大きいかなんて、本当のところは理解していなかったのかもしれない。
俺とおっさんは、本当の身分は全然違うんだ。
……何だか、胸がもやもやする。
それを振り払おうと、俺は何となく部屋を見回して……この華やかな室内で、庶民の孤児なんて低い身分なのは俺だけなんだと気が付いた。
騎士様たちはたぶん貴族階級だろう。
もしかしたらハリューズ様は貴族じゃないかもしれないけど、王国が引き止めるくらいの地位のある人だ。
俺は、偶然に呪いを受けてしまっただけの、父親不詳の孤児。親方が引き取ってくれなかったら、大人になる前にのたれ死んでいた。
別に生まれを卑下するつもりはないし、高望みをするわけでもない。場違いなのはいつものことで、それが何だって話だ。
でもなぜか急に気になった。……本当に、ちょっとだけ。
たぶん、俺は変な顔をしていたんだろう。
おっさんは少し慌てたようだった。
「イヤな言い方をして悪かった。気を悪くしたか?」
「いや、全然」
「……怒ってるじゃねぇか。あー、こういう時に悪いが、ビザーの代わりにお前に話しておくことがある」
「何?」
「今日の夕食のことなんだが。……ここでは食えねぇんだ」
「………………なんだってぇっ!」
おっさんの言葉をゆっくりと理解した途端に、俺は叫んでいた。
心の中の不確かなもやもやは、瞬時に飛び散っていた。
ハリューズ様が振り返ってしまったけど、気にしていられるかっ!
美味いタダ飯のために、俺はこの二週間頑張ってきたんだぜ!
ここに来るときだって、あんな怖い目にあったんだぜっ! ……なのに、いきなりメシなしってマジかよっ!
冗談だと言えよ、おっさん! 今ならタチの悪い冗談も許してやるぜ!
でも、やっぱり冗談ではないらしい。
訂正しようともしないおっさんに腹が立ち、俺はおっさんの胸倉をつか……もうとしたけど、背が足りないから鳩尾の辺りをつかんだ。
その拍子に拳が鳩尾に入ってしまった気がするけど、おっさんはほんの少し眉を動かしただけだった。それはそれで腹が立つ!
「落ち着け。まだ話は続くんだ」
「どうやっても落ち着けねぇよ! 最高のタダ飯を食わせてもらえないんなら、何のために俺は苦労して怖い目にあったんだよ! なあ、おっさん!」
「……この一週間で状況が変わったんだよ」
おっさんは目も合わさない。それどころか、必死ですがりつく俺の頭をぐいっと押しのけやがった。
ひでぇよ、おっさん!
「……あのね、マイりん、キルぽんが困っているからちょっと離れようか。君の上目遣いは危険だから」
「あんたもひどいじゃねぇか、ビザーたん! 俺、美味いメシだけを楽しみに頑張ってきたんだぜ!」
「わぁ、マイりんっていい子だね。激怒しながら名前を呼ばれるのも、とてもいいよ! でも悪いのは私だから、キルぽんは許してあげなさい。夕食なら向こうに用意してあげるから!」
「……向こう?」
困っているのか喜んでいるのかよくわからない変態オジサマになだめられて、俺はちょっと落ち着いた。
でも、おっさんの腕から離れてやらねぇよ。
納得する弁明があるまで拘束してやる!
そんなムキになっている俺とおっさんを交互に見やり、ビザーたん様は笑いを堪えるような顔をしながら目をそらした。
「えっと、実はね、マイりんの青い髪に面白い特性があるってわかったんだよ」
「……男を煽るとかなら、おっさんに聞いたけど」
「うーん、キルぽんってそんな言い方をしたのか。身もふたもない! 適切すぎて笑えないな。でも、もう一つ、非常に驚くようなことがわかったんだよ。それはね……」
「時間の無駄だ。ドラゴンの恩寵がいかなるものか、直接見れば納得するだろう」
いつの間にかそばまで来ていたハリューズ様が、微笑みながら俺に手を差し出した。
金色の目が恐ろしいほど光っている。
俺の目のこと、絶対知っているからこんなに魔力むき出しにしているんだろうな……。
「マイラグラン。きっとお前は喜ぶぞ。おいで」
「……飯はあるの?」
「正式な晩餐会のようにはいかないが、少なくとも不味くはない」
「……わかった」
どうせ俺には拒否権なんてない。
俺はハリューズ様の手に手を重ねようとしたけど、その前におっさんがぐいっと俺の肩をつかんだ。
びっくりして手を引っ込めてしまったら、おっさんは俺の背中をぐいぐい押して歩き始めた。
「お、おっさん! そんなに押すなよ!」
「移動は魔法転移となる。向かう先はここよりも北の高地だ」
俺の抗議を無視して話しながら、おっさんは大股で歩く。押された俺は、ほとんど小走りだ。
そりゃ、このドレスと靴なら余裕だけど。一応俺は女の子なのに、ちょっとこれはないだろ!
おかげで、あっという間にさっきハリューズ様がいた一画に着いた。
離れているときは全く気づかなかったけど、そこは普通の部屋の中なのに、恐ろしいほどの魔力が渦巻いていた。
一目みて背筋が寒くなった。それくらいにとんでもない魔力だ。
でも、少し離れたら気づかなくなるのだから、制御が恐ろしいほど行き届いている。
こういう魔法を、俺は一度見たことがあった。
ダライズから王都まで拉致された時だ。
「……あの、まさか、ここから魔法転移するの?」
「いろいろ事情があるからな。ただ……まだ日は沈む時間ではないが、今から向かう先は間違いなく寒いぞ」
「……寒いのか」
「外套は向こうに用意してあるから安心しろ。夕食はひと仕事した後になるが、ここの厨房で用意したものが出るはずだ」
……えっ?
まさかと思うけど……魔法転移で料理を送るって話なの?
何だよ、それ。
そんな意味不明な贅沢、初めて聞いたよ……!