(31)恐ろしい呪い
俺は腕組みをして二人を睨みつけた。
片膝ついたさわやかイケメンは、俺の手を握っていた時のままの格好で呆然と見上げている。美麗イケメンも、友人さんの肩を掴んだまま、やっぱり俺を呆然と見ていた。
イケメンたちは言葉も出ないようだ。
ふん、もうドン引きされても気にしねぇよ!
お貴族様なら、きっとお上品なお嬢様しか見たことないだろうし。
俺のような庶民育ちの元男の素顔を見てしまったら、美しいとか麗しいとか、そんなバカなことはもう言わないだろう。
「……美しい……」
「ふん、当たり前だろ! ……えっ?」
「神代の女神とはあなたのような存在だったのかと、心が震えました」
「はぁっ? 何でそうなるんだよ!」
「微笑むあなたも麗しかったが、炎のようなその眼差しに見据えられては、あなたの前でかしずかずにはいられません! あなたがお望みなら、友とも和解をいたしましょう!」
「ああ、そうだな。我らは等しくマイラグラン嬢を崇拝する身だ!」
「だが譲る気もないぞ!」
「気が合うな。私もそう思っている!」
……あの、何でそうなるの?
お友達同士で、がっちり熱い握手してもいいけどさ。
何で二人ともひざまずいているの?
俺のドレスの裾に口付けって、どういうことっ?
ひぃっ! 妙に潤んで血走った目で見上げないでくれぇぇっ!
俺が思わず後ろに数歩下がった時、突然頭に何かが当たって視界が遮られた。
頭から肩までをすっぽり覆ったのは、どうやら少し厚手の布らしい。肌触りからかなり上質な布だとは思うけど、少し土埃臭かった。
「お前ら、そのくらいでやめておけよ。怯えているだろうが」
ため息混じりの声が、足音とともに聞こえた。
途端に、部屋に満ちていた意味不明な熱気が消え、ドレスの裾に触れていた手も離れたようだ。
ほっとする間も無く、肩を後ろに引っ張られて少しよろけたけど、俺は何とかバランスを取った。下手なダンスを続けた特訓の成果だな!
こっそり自己満足に浸りながら布を引っ張り下ろす。見覚えのあるマントだ。
振り返ると、苦笑いを浮かべたおっさんが立っていた。兜をとった顔は額から汗が一筋流れ落ちてたけど、表情と顔色はいつも通りだ。
ピカピカだった防具は土埃でくすんでいる。でも全身をぱっと見た感じでは、特に怪我はないようだ。
「おっさん! 遅かったじゃないか! 怪我はない?」
「見ての通りだ。久しぶりに全力疾走を繰り返したけどな。……片付けも終わらせてきたから遅くなった」
「片付け……あ、うん。お疲れさま」
何をどうしたら片付け終了なのか、考えてはいけない。
ぶるりと震えた俺を黙って見ていたおっさんは、少し離れた場所から俺たちを食い入るように見ているイケメン二人にちらりと目をやった。
「だいたいの状況はわかるが……お前、また何かやったな?」
「何もしてねぇよ!」
「冗談でも色目は使うなって言っただろ!」
「男に色目なんて使うわけねぇだろ! そんな気持ち悪いことするかよ!」
「それもそうだな。とすると……あいつらの目を見つめたな?」
おっさんがじろりと俺を見下ろしてきた。
た、高いところから見下ろされても、俺は怖くねぇからな!
「挨拶をしただけだよ!」
「つまり、あいつらの目を見つめたんだな?」
「それは……うん、ちょっとだけ。青い目がきれいだなって思って……」
「やっぱりか。いくら最精鋭の連中でも、若造にお前の誘惑は酷なんだよ。だから、男の目を間近から見るな」
「……なんでだよ?」
俺が首をかしげると、おっさんははぁっとため息をついた。
それから拳骨を俺の頭にごつんと乗せて、早口で低くつぶやいた。
「……いつも自分で言ってるだろ。お前は絶世の美少女だ。おまけにその青い髪のせいで無駄に魅力的だ。以前のお前を知らない連中には、対応に気を使え。男の目を過度に見つめるな!」
「……でもおっさんは……」
「俺の精神力をなめるな! ……俺はお前のガキの頃も、男だった頃も知ってるんだぞ!」
最後はそう吐き捨てて、おっさんは拳をぐりっと一回押し付けた。
俺が痛いと騒いでいたら、何となく持ったままだったマントを受け取り、少し離れた。
相変わらず、イケメン二人は俺をじって見ているけど、おっさんのことも気にしているようだ。
そんな二人に目を向け、おっさんはマントを羽織りながら口を開いた。
「こいつの護衛は俺が務める。二人にはお下がりいただきたい」
「しかし、我らも警護を任されていて……!」
「二度は言わん。下がれ」
おっさんの声は静かだった。
でも、おっさんの正面に立っていたイケメンたちは息を飲んで黙り込んだ。
……おいおい、身分の高そうな騎士様たちに、そんな命令口調ってありなのか?
そりゃあ、おっさんはダライズ領主直属の護衛ってことになっているのかもしれないけど……大丈夫、なのか?
俺がドキドキしていたら、二人の騎士様たちは一瞬ためらったようだけど、俺に向けてビシッと礼をして、何度も振り返りながら退室してしまった。
「やっと、静かになったな」
「お、おっさん! あんな追い出し方をして、大丈夫なのかよ!」
「大丈夫に決まってるだろ。あいつらは職権を利用して居座っていただけだ。よっぽどお前のそばにいたかったらしいな」
「知らねぇよ! いきなり真っ赤になったり、手を握ってきたり、二人で決闘とか言い始めるし、もう逃げようかと思ったよ!」
「……まあ、気持ちはわかるがな。今のお前の姿なら、あれが普通の反応だと知っておけ」
「…………普通、なの?」
「多分、頻発するぞ。覚悟しろよ。……だが、その髪型はまずいな」
「え?」
おっさんがため息をつくから、俺は慌てて壁にある鏡を振り返った。
本当は全体的にすっきりと結い上げていたんだけど、こっちに来るまでのアレコレで乱れてしまったから、編んでいた耳のあたりの一筋はそのまま垂らしている。
これのどこがまずいのか。
普通に、超絶美少女なだけだと思うんだけど。
俺がさらに鏡を見ていたら、おっさんがそのまま垂らしている一筋の髪をひょいと持ち上げた。
「マズイのはこれだ。お前の青い髪は男を煽る特性があるらしい」
「……もしかして、これって呪いのせいなの……?」
「ある意味では呪いだな。いいか、もう絶対に男と目を合わせるなよ」
「……お、おう。頑張る」
俺が何とかそう答えると、おっさんははぁっとため息をついて離れていった。
目を合わせるだけでヤバいなんて、恐ろしすぎる。
思わず俺が震えていると、おっさんは窓辺にテーブルの水指しを持ち上げながら、またため息をついた。
何だよ、美少女な俺が怯えているのに、慰めの言葉もなしかよ!
……いや、やっぱり慰めの言葉はいらないな。
できれば触れずにいて欲しい。メシがまずくなるから。
でも、男と目を合わせるなってことは、女の子とは目を合わせていいのか? それとも、それもダメなのか?
さっきおっさんは、俺の髪が男を煽るとかなんとか言っていたから、女の子には効かないのかもな。セアラさんとはがっつり目を合わせていたけど、問題なかったし。
……女の子相手でも試してみるか? お、思い切ってやったらお友達になれるかな?
俺が一人でドキドキしていたら、扉を叩く音がした。
おっさんは呑気に水を飲んでいる。振り返ることもしない。
今日のお仕事は俺の護衛だって言ったのに、いいのか?
とりあえず、俺が扉を開けてみた。
扉の向こうにいたのは、若くて超かわいいメイドさんで、俺と一瞬目があうとちょっとだけ笑ってくれた。
でも、すぐに表情を消して、丁寧に礼をした。
「食事の前に、お嬢様との面会をご希望の方がいらっしゃいます」
「今?」
「はい。……どうぞ、こちらへ」
後ろの方に声をかけたメイドさんは、しずしずと下がった。
かわりに、やけに背の高い人がぬぅっと出てきた。
「下がりなさい」
メイドさんへの言葉はゆったりとしていて、穏やかな声だった。
でも俺に向き直った途端、ニカッ!としか言いようのない全開の笑顔になった。
「マイラグランちゃんだね? 入っていいかな?」
「えっと……」
俺は室内を振り返った。
おっさんに意見を聞こうと思ったんだ。
でも、おっさんは俺に背を向けたまま水を飲み続けている。
聞こえていないわけがないから、この人に入ってもらっていい、ってことなのかな?
おっさんはそう判断したのなら危険はないんだろう。俺は扉口から一歩下がって中に入ってもらった。
でも扉を閉めた瞬間に、背の高い訪問者は俺の手をぎゅっと握りしめた。
驚いて思わず見上げると、間近に顔があった。いつの間にか身を屈めて俺の顔を覗き込んでいたらしい。
不意打ちの連続で、俺はついうっかり、間近のある大きな目を見つめていた。
「……あっ!」
「ん? どうかしたのかい?」
訪問者さんは、笑顔のまま首を傾げている。
その様子に、動悸息切れ上気その他の不審な症状はないようだ。俺が目を見つめてしまったのに、何ともないらしい。
よかった。
若いイケメンに赤面されるのもきつかったけど、どう見ても四十代なオジサマに潤んだ目で見られたら、俺の神経がもたないもんな!
おっさんは相変わらず俺に背を向けて、小さな窓から外を見ている。
「君のこと、マイりんって呼んでいいかい?」
「……えっ? マイリン?」
「おっと、まだ名乗っていなかったな。私のことは、ビザーたん、と呼んでほしい!」
ぶっ、と水を吐き出す音がした。
振り返ったけど、おっさんはやっぱり背中を向けたままだ。黙然と手や服を布で拭いている。
どうやら、飲んでいた水を噴いたらしい。……何やってんだよ。
「えっと、ビザータン、様?」
「違う違う。ビザーたん」
俺は真剣に考えた。
つまり、ビザーというのが名前で、たんというのが敬称……とは言わないけど、それか。……まさかと思うけど、さっきのマイリンというのも、マイ、りん、ってことなのか?
俺は汗が流れ落ちるのを感じた。
「……ビザー様」
「ダメだよ、マイりん。きちんと『ビザーたん』って呼んでよ」
「で、でも……」
相手は四十代ほどの上品なオジサマだ。着ている服も装飾品も、どう見積もっても一流品だと思う。
そんな高位のお貴族様相手に、ビザーたん!なんてふざけた呼称が許されるの?
いや、例え世間が許しても、俺の美意識と十六年分の常識が、それだけはやめておけと叫んでいる。
でも、上品なくせに妙に迫力のあるオジサマは、期待に満ちた目で俺を見つめていた。
また汗がたらりと流れ落ちるのを感じながら、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……ビ、ビザーたん」
「いいね! 可愛い女の子に恥じらいながら名前を呼ばれると、最高にゾクゾクするなぁ! もっと言ってよ!」
「……変態め」
硬直する俺の背後から、ぼそりと低い声が聞こえた。
……おい、おっさん。俺が必死で我慢した言葉を簡単に口に出すなよ!
しかも、身分も年齢も高そうな人だぞ!
でもビザーたん……様は、とても楽しそうに笑って、おっさんに向き直った。
「私は恥じらう女の子を眺めて愛でるだけだが、君は幼いほど若い女の子を愛人にしているって、もっぱらの噂だよ。世間一般的には君も変態だ。同類だね、キルぽん!」
「……その呼び方はやめろ!」
おっさんがやっと振り返った。
どうやら、おっさんとこの変なオジサマは知り合いらしい。
それを証明するように、オジサマはじわじわと後退していた俺にくるりと目を戻して、うっとりと語り始めた。
「相変わらず、キルぽんはかわいいな。ねえ、知ってる? マイりん。昔のキルぽんはね、私が『キルぽん!』って呼んであげると、とても嬉しそうに頬を染めていたんだよ。あの頃は本当にきれいな男の子だったなぁ」
「いい加減なことを言うな! 俺は喜んでねぇよ! 何を言っているのか理解できなくて混乱しただけだ!」
「それにね、小さい頃のキルぽんは年齢のわりに舌ったらずで、ビザーと発音できなかったんだ。だから私のことは『ビーにいたま』って呼んでいたんだよ。かわいかったなぁ。今でも昨日のように思い出すなぁ! 今はこんなに大きくなってしまったけど、私にとっては、キルぽんはあの頃のかわいい男の子のままだよ。ああ、そうだ、今ならきれいに発音できるよね。私のことは、今日から『ビザー兄たま』って呼んでもいいんだよ!」
「死んでも言うかっ!」
……おっさん、落ち着け。
キルぽん、と呼ばれる衝撃はよく理解できる。
横で聞いている俺も頭が真っ白になった。真っ白になりすぎて、一周回って落ち着いてしまったくらいだ。
だからイラつく気持ちはものすごくわかるけど、その反応が面白がられているんだと思うよ。で、おっさんを怒らせてうっとりしている。
このオジサマ、本気でちょっと……変態だな。




