(29)出発
俺がドレスを着ると、無敵の美少女になる。
上目遣いでおねだりなんてしたら、マジでなんでももらえそうなくらいに魅力的なんだ。
この魅力的がどこから来るのかと真面目に考えてみたんだけど、美少女すぎる顔だけではないんだろうなという結論に達した。
だって、俺の今の顔は母さんそっくりなんだよ。
母さんはものすごい美人だった。父親不明の子をはらんで帰郷した時は、生まれてくる子の父親になりたいという男が行列を成したらしい。
でも、どこか不幸を漂わせた美人だった母さんは、誰の人生も狂わせていない。
人々を惹きつけ、周囲からはただの隣人以上の親愛を集めていたけど、普通のくたびれた女として生を終えた。
だから、母さんは普通の美人で終わった。
でも俺は違うらしい。
薄く白粉をはたき、淡い口紅を塗るだけで、ふるいつきたくなるような美少女になってしまう。
なんだんだ、このあり得ない美少女は。
薄化粧をして、細やかな刺繍を凝らしたドレスを着ただけなのに、絶望してしまうほど絶世の美少女になっているじゃないか!
「……俺、ヤバいよ、こんな美少女は不幸にしかならねぇだろっ!」
思わずうめいた俺は、鏡の前で頭を抱えた。
その合間にちらっと鏡を見ると、鏡の向こうの美少女も頭を抱えている。
なのに、楚々として儚げで、身をよじって悲しんでいるようにも見えなくもない。
これで涙の一粒でも流したら……世の男どもは、間違いなく堕ちる。
……俺は平凡な男なんだよ。
愚かな男どもをかしずかせて、悪の限りを尽くせるほど器が大きくねぇんだよ。
今俺が思い描ける最高の野望と言ったら、幻と言われた翼竜ちゃんたちに囲まれてウハウハする程度なんだよっ!
「……翼竜ちゃんに会いたいなぁ」
翼竜ちゃんとは、あの日以来会っていない。
可愛かったんだけどなぁ。
このお屋敷の中庭って結構広いから、数日くらい置いてもらいたかったなぁ。
まあ、仕方がないとはわかっている。
俺には従順だった翼竜ちゃんだけど、おっさんとか警備兵さんたちとかに対しては、なんか目付きが変わってたし。
デカかったし。
王都上空をあんなのが頻繁に飛んでいたら、普通にパニックが起きるだろうなってのは予測できる。
この間も、王都防衛魔法をハリューズ様が担当していて、ハリューズ様が事後に限りなく近い状態だけど、一応申請を出してたから、誰も慌てずにいただけらしいし。
……まあ、たぶんどこかで胃痛で苦しんだ人がいたと思うけどね。
そう言うことだから、また機会があったら、ということでハリューズ様と翼竜ちゃんはダライズ邸から去ってしまった。
ちょっと傷心な俺は、でもゆっくりあのつぶらな瞳を恋しがる余裕はなかったな。
なんせ俺、お食事会のための準備で異常に忙しかったからな!
はぁ……っとまたため息をついた時、部屋の扉が開いた。
「まだそこにいたのですか? もう出かける時間よ。マイラグラン」
「……あ、領主様!」
入ってきたのは、背が高くて姿勢のいい美老女だった。相変わらず迫力たっぷりだ。
そう言えば、俺のお食事会までに王都に来るって話だったな。でもいつ到着したんだろう? 昨日の夜はまだいなかったよな?
一気に背筋が伸びたよ。
「あの、いつここに……?」
「今朝です」
「……えっと、もしかして馬っぽい魔獣とか、翼竜とかに乗って来たんですか?」
「まさか。魔馬など、人間の乗るものではありません」
「でも、おっさんは……」
「あの子は例外中の例外です。翼竜に至っては……ハリューズ殿は何をお考えなのやら。呼び寄せるまではできると聞いていましたが、騎乗などあの強大な魔力がなければ不可能ですよ」
「あ、そうなんですか……。とすると」
「普通に魔法転移です」
魔法転移を自由に使えるって、普通じゃないけどな。
まあ、王国第三の大都市の領主様なら普通か。下手すれば国王様にだってガチの喧嘩を売れる権力者らしいし。
目の前の美老女様の凄さをしみじみ思い知っていると、美老女様は俺の前まで来て、爪先から頭のてっぺんまで確認するようにじろりと見た。
思わず背筋を伸ばしてしまったけど、今日の俺は美老女様のお眼鏡にかなったようだ。珍しく優しい微笑みを向けられてしまった。
「よろしいでしょう。とても美しいですよ」
「あ、ありがとうございます!」
「マイラグラン。そなたはもっと自信を持ちなさい。今のあなた立派な淑女に見えます。……口を開かなければ、ですが」
「……えっと、その、俺は……わたしはまだ心は男ですから」
「そうですね。しかしそれがそなたの美点でもあります。少なくとも、わたくしは嫌いではありませんよ。ああ、それに動物には好かれやすいようですけれど」
美老女様はそう言って、ふと何かを思い出したように小さく笑った。
優しい言葉をもらって動揺していた俺は、ますます珍しいものを見て硬直する。そんな俺に手を伸ばし、美老女様は俺の頬に触れた。
少しシワっぽいけど、すごく柔らかくて優しい手だ。
思わずドキドキしていると、ダライズの女領主様はまた笑った。
「鏡を見ていたのに、今日はあまり楽しそうではありませんね?」
「……はい」
「緊張しているの?」
「……緊張、しています。でもそれより……俺……わたしが美少女過ぎるというか」
「まあ」
やばい。呆れられた。
焦りながら身体を縮める。
でも冷ややかな視線は感じない。むしろ楽しそうな笑い声が聞こえ、俺はびっくりして顔を上げてしまった。
「そうです。うつむくことなく、しっかり前を向いていなさい。わたくしと我が軍は、いかなる時もそなたの味方です」
美老女様はそう言って、俺の額にチュッとキスをした。
……キ、キスされたよっ!
おデコだけど、キスされたのなんて何年ぶりだろう!
たぶん……十年ぶりくらいかな。母さんが死んで以来だ。
思わずドキドキしながら額を触っていたら、美老女様はにっこり笑って俺の背中を押して一緒に歩き始めた。向かう先は部屋の出口だ。
「今日の夕食はきっと有意義な時間となるでしょう。しっかり楽しんでいらっしゃい」
「は、はい! ……え、もしかして、領主様は一緒に行ってくれないんですか!」
「ダライズ領主のわたくしが同席すると、気軽な食事会という名目が消えてしまいますからね。面倒なことです。……代わりに、護衛をつけていますから安心しなさい」
美老女様はドアを上げ、俺を廊下へと押し出した。
「あとは任せましたよ」
「御心のままに」
廊下の少し先に、恭しく首を垂れている男がいた。
背が高くて、顔を上げると俺を見てちょっと眉を動かしたようだった。
でもその表情はすぐに消え、見慣れた笑みを浮かべた。
「鏡に見惚れ過ぎじゃねぇのか? もう出発するぞ」
「おっさん!」
昨夜、素っ裸で冷水を浴びていたのに元気そうだな!
毛布は掛けてやったけど、風邪をひいていないのなら何よりだ。けど……。
「護衛って、おっさん?」
「そうだ。ほら、正装もしているだろ」
俺に近づいてきながら、おっさんはニヤリと笑った。
正装っていうだけあって、今日のおっさんは無精髭はないし、髪も丁寧に撫でつけられている。
でも、超絶イケメンじゃない。
イケメンはイケメンだけど、舞踏会の時のように女性がキャーキャー騒ぐような貴公子じゃない。
恐ろしく物騒で強面なイケメン武人だ。
腰の剣は実用一点張りで、他にも短剣やナイフがズラッとベルトに取り付けられている。肩と腕は頑丈そうな金属の防具で覆われていて、他の箇所は服そのものが革で強化されているようだ。
ぱっと見は騎士っぽいけど、所持した武器とか防具は機動性を重視した乱戦対応の傭兵そのものだった。
ただし、俺が知っている傭兵の装備より格段に金がかかっていそうな装備だ。それに全体的に新品のようにピカピカで、装飾っぽい金塗装もある。
そういう点で、傭兵より騎士っぽい。ついでによく見たら、おっさんは頭部防御のための兜まで手に抱えていた。
ああ、確かに正装だな。戦場の。
「おっさん……俺の護衛って実はついでで、その後に本命の仕事でもするの? 俺と一緒に行ってくれるのかと思ったのに」
「一緒に行くから武装しているんじゃねぇか」
「でも、その装備って……もしかして、俺がこれから向かうのは戦場だったの?」
「いつ戦場になってもいいように、念のためだ。まあ、招待された屋敷にたどり着いてしまえばどこよりも安全だから、気楽にしていればいいぞ」
……それはつまり、道中はヤバイってことじゃないの?
お貴族様のお食事会がそんなに危険だなんて……あ、そうか、俺が狙われているのか。
あー、また恐いお客さんが来ちゃうのかな。
この間はおっさんに振り回されている間に終わったけど、剣を持った人に襲われるってマジで怖いから。
それと、血の臭い。あれは吐く。
「……うっ……イヤなこと思い出しちまった。気持ち悪い」
「顔色が悪いな。水を飲むか?」
「……水より酒がいい。超高級なのをキュッと飲んだら元気が出るかも」
「そんなことを言えるのなら、元気そうだな」
呆れ顔のおっさんは、くいと顎を動かす。
早く行くぞってことだよな。うん、わかったからそんなに背中を押すなよ!
六人の護衛に囲まれた馬車に俺が乗り込むと、おっさんは兜を頭に被りながら周囲をちらっと見た。
言動はいつものおっさんだけど、よく見たら目付きがぞっとするほど鋭い。今からすでに警戒しているようだ。
俺もつい緊張してきちんと座り直してしまった。
「よし、いい子だ。俺は馬で併走するから、何かあったらすぐに言えよ」
おっさんは俺の頭をぐりぐりと撫でると、外から馬車の扉を閉めた。
そっと窓から外を見ると、おっさんが馬にひらりとまたがるところだった。
おっさんが乗った馬のことは知ってる。
ちょっと前におっさん経由で買われていった親方の馬だ。牧場にいた頃から頑丈な馬だったけど、またひときわたくましくなったな。
ちょっと懐かしくなったけど、その軍馬様の鞍に小型の斧がずらっと取り付けてあるのを見て、俺はそっと窓から離れた。
あの武器って、馬上から振り下ろしたり、投げたりするんだよな。
あれを振り下ろすと、ちょうど人間の頭に当たるんだよ。敵が多い乱戦の時には、剣より効果的だって牧場のベテラン牧童さんが教えてくれた。
おっさんは剣を使う人だと思ってたけど、いろんな武器を使いこなせるんだな。
さすが傭兵歴二十年のベテラン!
……あ、まだ十七年くらいだったかな?
おっさんが細かい数字にまでうるさいから、頭の中で考えるだけでも気を使うようになってしまったよ。あー面倒くせ。
動き始めた馬車の中で、俺はぶるぶると頭を振った。
今はもっと楽しいことを考えよう。
そう、例えば……この後に待っている王国で有数の美味い飯とか!
牧場時代、異国のお土産というか、保存食の残りをおっさんにもらっていた。
何でも食べる方だけど、口に合わないものはどうしようもないと悟ったな。お金持ちの間では有名な珍味をもらった時には、庶民の敵だと思った。お値段のわりに、美味さがまったく理解できないという意味で。
でも、今回は美味い飯が確約されている。
どんだけ美味いんだろう。楽しみだな!
ただ、やっぱりおっさんには猛烈に抗議してもいいと思うんだ。
ドレスを着るとは聞いてたけど、お作法までやらなければいけないなんて一言も聞いてなかったし。
この二週間のことは、思い出しただけで疲れてくる。
まあ、その苦労の成果は、今の俺の美少女っぷりが示しているけどな。
……おっさんは何も言ってくれなかったけど。
お仕事モードに入ったら、余計なことは言わなくなるのかもしれないけどさ。
女が頑張ってお洒落したんだぜ?
おっさんが選んだ布で仕立てたドレスだぜ?
お世辞でも何か言うべきだろ!
裾の長いドレス姿なのに、俺はおっさんと同じ速さくらいに歩いてたことも……気付いていなかったら凹むだろ!
本当に、俺、めちゃくちゃ頑張ったんだよ。
一言くらい褒めろよなっ!
……これ以上ないってくらいに頑張ったのに、目的地に到着するまで安全は保障されてないってことも、やっぱり知らなかったよ。
外をぼんやりと眺めながら、俺は美少女にしてはだらしない姿勢でため息をついた。
急に、背筋がぞくりとした。
嫌な感じがした。
何かがいる。……それもすぐそばに!
俺は慌ててカーテンを開けて馬車の外を見た。
馬車の横で馬をゆったりと歩かせていたおっさんは、すぐに気づいて馬を寄せてくれた。
「どうした?」
「なんか、急にイヤな感じがするんだよ!」
「……人間か? それとも魔獣か?」
「たぶん人間。でも、やばそうな感じがするんだ!」
「わかった。お前は奥に引っ込んでろ」
おっさんは俺の言葉に何の疑いも持たないようだ。
馬の向きを変えて同行する護衛たちに指示をだし、御者の横に並走して何かを叫んだ。
警戒!とか抜剣!とか速度を上げろ!って言ったんだと思う。
でも、俺はそれをしっかり聞き取るより、もっと気になるものを見つけて息を飲んた。
「おっさん、後ろ!」
「……奥へ戻れ!」
俺が向こうの建物の上の人影を指差して叫ぶと、すでに剣を抜いていたおっさんは手綱を鞍にひっかけた。そのまま、振り向きざまに飛んできた矢を叩き落とした。