(2)遠出の理由
バズーナ姐さんのハイテンションとは対照的に、俺はどんどん疲れていった。
もうどうでもよくなってきて、はぁっとため息をついてしまう。
そんな風に騒がしい中、賢い馬たちは平然と歩き続けていた。
俺たちが連れている馬は、二頭だ。
どちらもよくいる農耕馬じゃない。騎士様が乗るための立派な軍馬だ。いや、あえて言うなら軍馬様だな。
重装備の成人男性を乗せても走り続けられる丈夫さ。乗り手への忠誠心。近くで大きな音が起こっても動揺しない度胸。それに、走り始めたら人間を踏みつけても進み続ける気の荒さ。
親方が育てる馬は、軍馬に求められる要素の全てを備えている。
まあ、たまに外見の美しさに偏った馬も育てるけど、そういう馬も剣戟が間近で聞こえても全く動揺しないだけの度胸がある。
だから、女性というより勇者のような風格の姐さんはともかく、いかにも庶民的でひょろりと痩せた俺が軍馬様たちを連れている光景は滑稽だろうと思うよ。
でもいつも軍馬様のお世話をしているから、馬たちは俺を嫌ってはいないようだ。お願いしたら乗ることを許してくれるくらいには信頼関係がある。……滅多に乗らないけどね。
こういう軍馬を買い求める場合、普通は親方の牧場に足を運んでじっくり見定めるものだ。で、買った後は買主が自分で連れて帰ることが多い。
若い馬の場合は「もう少し調教してから連れてきてくれ」みたいな別途注文を受けて、何ヶ月か後に配達しに行くことはある。
でも今回の注文は、見定めに来ることもないまま配達を頼まれたらしい。
こういう事は普通は断るんだけど、注文してきたのは常連だったから魔法通信での注文だったけど応じることになった。腰を痛める前の親方は、そう話していた。
その例外中の例外をやってのけた注文者が、親方も信頼している傭兵のおっさんだった。
おっさんのことは、俺は「コガネムシのおっさん」と呼んでいる。
本名は知らない。
最初は違う名前を名乗っていた気がするから、きっと別の通り名もあるはずだ。でも気がついたら魔法通信でも「コガネムシだ」と名乗るようになっていた。
だから俺は「コガネムシのおっさん」としか知らない。おっさんも「コガネムシのおっさん」と呼んだら返事をするから、それでいいんだろう。
で、このコガネムシのおっさん、親方の牧場によく来ていて、時々軍馬を買っていた。
軍馬というものは、普通は金持ちの騎士とかお貴族様とかしか買わない。しかも戦闘時の相棒だから、一回買ったら長い付き合いになるもんだ。
そういう究極の贅沢品ともいえる軍馬様を何度も買いに来るおっさんだから、どんな大金持ちかと思ったんだ。
でも話を聞いてみると、おっさんは目利きとして雇われているだけらしい。
それでも、俺はおっさんを尊敬していた。
ふらっと牧場にやってきて、馬たちを軽く見て回っただけで、毎日お世話をしている俺と同じくらいに軍馬様たちの性格を見抜いてしまうんだもんな。
どんな気の荒い馬でも、おっさんのことは認めて従う。何度も髪の毛を引っ張られてきた俺には輝いて見えた。
ガキの憧れから無邪気におっさんに声をかけて、ずうずうしくお菓子をもらって、そうやって何度も顔を合わせていくうちに俺たちは年齢が全然違うわりに仲良くなっていた。
最近はおっさんの顔を見ないなと思っていたけど、三日前の夜に魔法通信で軍馬の注文をして来たらしいんだ。
魔法通信での注文というだけでも異例なのに、すぐに配達してくれってくらいに急ぎだったらしい。翌日には出発することになって、俺は軍馬様の世話役として指名された。
まあ、いろいろ事情はあるっぽいけど、同行係に選ばれた俺はけっこう楽しみだったんだよね。おっさんと久しぶりに会えるし、こんな遠出は初めてだし。
普通に往復すれば二週間以上かかる旅程だけど、今回は特急扱いで魔法移動で最寄りの街まで行って、そこから歩く片道三日の旅だ。
こんな特急旅は、庶民は一生縁がないくらいのすごい高額オプションだ。
おっさんは酒は分けてくれないけど、基本的には親方と同様の太っ腹系だ。だからお世話係の俺にも特別にお駄賃が出るかも?、なんて淡い期待にドキドキしたりもした。
……それが、出発して二日目から姐さんと二人っきりになって、親方ラブなエンドレストークを拝聴することになるなんて。
人生、先のことは全くわからないもんだよなぁ……。
いやいや、人生を諦めるのはまだ早い!
なけなしの気力をかき集めた俺は、ずっと気になっていたことを進言した。
「あの……姐さん、提案なんですけど、今から引き返しませんか?」
「馬鹿もの。配達の途中で何を言っている? 何から逃げ帰れというんだ。それより、さっきの話の続きを聞いてくれ」
一大決心の末の進言だったのに、一瞬で却下されてしまった。
バズーナ姐さん、反応早すぎ!
念のために言うと、俺が姐さんに引き返そうなんて言い出したのは、親方ラブトークが苦痛になったとか、意外にもてている親方への嫉妬で荒んでいるとか、そういう理由じゃないんだ。
……いや、うん、少しばかりうんざりしてきたのは否定しないけど、なんと言うか……少し前から嫌な感じがしているんだ。
森の中に入ったばかりの頃は何も感じなかったんだよ。だから普通に旧道を進んでいたのに、今はどんどん嫌な感じが強くなっている。
だから俺は、気力を振り絞って姐さんに進言を続けた。
「さっきの話って親方の話でしょ? 俺も親方のことは好きだし、話ならいつでも聞きますよ。それより姐さん、ほら、向こうの空を見てくれよ。なんか嵐になりそうな雲だよ!」
「ふむ……確かに尋常ではない空模様だな。だがそれならこの先に山小屋があるから、雨宿りにもいいはずだ」
「その前に雨に降られるかもしれないよ! 軍馬様の体調にも良くないと思う! 雨の日の森は魔物と出会いやすいって、親方も言ってましたし!」
姑息だけど、俺は「親方」という単語をいつもより強調しながら話す。
そのおかげか、姐さんは一瞬黙り込んで空を見上げてくれた。でもすぐに首を横に振ってしまった。
「うちの馬は、雨に降られたくらいで体調を崩すような奴らじゃない。……まあ、確かに森の中だから用心は欠かせないが、魔物対策の護符は揃っているぞ」
「いや、そうなんですけど、俺は雨に当たると風邪ひきます!」
「お前も馬と同じくらいに頑丈だとは思うが、若いお前を危険に晒すのはよくないな。お前はフォンズの町まで引き返してもいいぞ。先に戻って、親方、の看病をしてくれると助かる」
「……看病なら、姐さんがすればいいと思う」
親方効果もあっただろうけど、姐さんは思っていた以上に真剣に考えてくれた。もしかしたら、俺みたいに何か気になることがあったのかもしれない。
でも、姐さん。「親方」と口に出す時にほのかに頬を染めるのはやめてほしいな。
うっかり口にしてしまった俺のつぶやきを、本気で悩むのもやめてください。
もう、心が折れそう。
……じゃなくて!
何がって言われると困るんだけど、とにかく本当にヤバイ予感が強くなっているんだよ!
俺って、昔から勘が鋭いんだよ。特にこういうイヤな予感は本当によく当たる。
どんよりと曇っている天気のせいだったらいいんだけど。この森のどこかに、魔物でも潜んでいるのかもしれない。
今のところ馬たちが怯えた様子はないから、姐さんが配達を優先しているのも理解できるんだよ。その辺は姐さんは正しい。
でもこれは……絶対にヤバいと思うんだ。
軍馬に跨る姐さんの後ろを歩きながら、俺はもう一頭の手綱を引きながらぐるっと周りに目をやった。
湿り気を帯びた重い風で、木の枝が揺れている。
かなり遠くの方からカラスの鳴き声は聞こえたけど、なんだか静かすぎる気がした。
こう言う森って、小鳥が騒がしいくらいに鳴いているもんじゃないのか?
それに、虫もブンブン飛んでいたりするもんだろ? チョウとかハチとか、森の入り口の辺りではトンボも飛んでいたのに、どうして今は何もいないんだ?
「……この辺は安全地区になっていたと思うんだけどなぁ。軍馬様。魔物相手でも逃げ切ってくれる?」
急に心細くなって、俺は馬に話しかけてみた。
馬は耳を動かしたけど、もちろん答えてはくれない。それどころか、バカにしたように鼻を鳴らしたような気がした。
……うん、微妙に凹んだ。
でも俺は重要な配達のお仕事中だ。少し気を取り直して、ポケットから魔物除けの札を出してみた。
高価な軍馬様だから、配達中に事件や事故がないようにいろいろ準備してもらっているんだ。
俺が護符を見ながらうなっていたら、バズーナ姐さんも眉をひそめながら同じ護符を取り出して馬の首に貼り始めた。
さすが、姐さん。
全く確信がなくても、備えは万全にしておくタイプだったんだな。さすが一途な恋する乙女。もう乙女と言われるお年頃じゃないけど。
口に出すのはちょっと危険そうなことを考えながら、俺は護符を馬のたてがみに結びつけた。
他にも何枚か護符を取り付け、俺はやっとほっとする。
これなら、軍馬様は大丈夫だろう。……そう考えた時、突然森が揺れた。
旧道は森の中を真っ直ぐに続く。
その地平近くの両脇の木々が、大きく揺れたように見えた。
直立しているはずの幹が、道を狭めるほどぐにゃりと曲がった。ほとんど折れそうなほどの大きな揺れは、森の奥からあっという間に俺たちの方へと近付いてくる。
「……な、何だ?」
水面を走り迫る波のような動きに思わず見入っていると、すぐ近くの木がぐいっと揺れた。
木々の揺れが真横まで来ていると気付いた瞬間、俺の体は突風を受けたような力を受けていた。
分厚い手で胸を突き飛ばされたような圧力だ。
俺は一瞬、息ができなくなった。