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紆余曲折がありまして。  作者: 青い雲雀
第四章
29/49

(28)深夜の水浴び

 

 

 王都の夜は急激に冬の様相を呈してきた。

 涼しいなんてレベルはとっくに過ぎて、冷え込むという言葉すら生やさしい。

 俺の感覚では、寒い。


 俺が生まれ育った村でも、秋が深まるとそれなりに涼しくなっていったけど、王都はそれより段違いに寒くなるのが早いようだ。葡萄を美味しく食べてから、まだ二週間しか経ってないのに、日が落ちると途端に冬になる。

 おかげで、毛布と羽毛布団の組み合わせが最高に気持ちがいい。


 そんな温かい布団に入ると、次に目がさめるのは朝だ。

 特に最近の特訓のおかげで、ふかふかベッドに倒れこんだら、すべすべのシーツを堪能する間もなく意識を失っている。

 ちなみに、今も寝間着はおっさんからもらったシャツだ。

 いろいろ試したけど、やっぱり高級なシャツの肌触りが一番好みだったんだよな。でも、そろそろ丈の長いのに変えたいかも。


 そんな熟睡な俺が、夜中に目を覚ましてしまった。

 おかしい。

 寝る前に水を飲みすぎたわけでもないのに。

 もしかして、翌日に迫ったお食事会のことで緊張しているからかな。

 ……俺も結構可愛いじゃないか。美少女な今なら、どんなことでも全て可愛いで済むから便利だな!


 そんなアホなことを考えながら、シーツと毛布の中をゴロゴロ動いていたら、遠くから何かの音がした。

 特別に異様な音ってわけじゃない。

 そんな異常事態なら、警備の人たちがすっ飛んでくるもんな。それに、このお屋敷にはアイシスさんが泊まり込んでいる。敢えて隙を作っていた前とは比較にならないくらいに堅固な守りに守られているんだ。



 だから、危険ではないと思う。

 けど……夜中に聞こえるはずのない音だ。

 少なくとも、このお屋敷では一度も聞いたことがない音だと思う。だから俺が無意識のうちに聞きとがめてしまって、目が覚めてしまったんだろう。


 俺はむくりと起き上がった。途端に、ひんやりした空気にぶるっと震えてしまう。

 とりあえず寒さ対策にズボンを履いて、上着も一枚きた。

 本当は毛布をかぶっていきたいけど、歩きにくそうだからな。

 音がしないようにこっそりと扉を開け、俺は音が聞こえた方へと足を向けた。


 廊下を進むと、その音ははっきりと聞こえ始めた。

 俺は階段を降りて中庭に出た。

 昼間もよく晴れていたけど、今も空には雲がほとんどない。細い月がひっそりと輝いている横で、星がまぶしいくらいに瞬いている。

 冷え込みはもう冬のようで、俺は毛布を持ってこなかったことをひそかに後悔した。



 音を頼りに中庭の一画にたどり着いた。

 そこで俺は……目をむいて立ちすくんでしまった。


 そこは小さな噴水のある池だった。

 池と言っても石組みで囲まれたでかい湯船みたいな場所だ。

 昼間は噴水が細かい飛沫を散らしながら虹を作っているんだけど、夜中だからさすがに水は吹き上がっていない。

 でも、水音は続いていた。

 正確には、桶で汲んだ水を頭からぶっかける音だな。


 そこにいたのは、おっさんだった。会うのは一週間ぶりくらいだね!

 ……ただし全裸だ。


「……おっさん、何やってんの?」

「ああ、ボウズか。悪いが、そこの小屋から着替えを持ってきてくれないか」


 素っ裸で水をかぶっているおっさんは、ちらっと振り返ったけどすぐに背を向けて小屋を指差した。

 蔦の葉と木の枝で囲まれた可愛らしい小屋だ。

 見た目よりしっかりした扉を開けると、壁にきれいな棚があって、そこに乾いた布とガウン、それにサンダルが並んでいた。

 真新しい石鹸と洗面器もある。

 よく見たら鏡もあるようだ。櫛とカミソリもある。下の棚には、包帯と薬の瓶も見えた。


 明るかったら、もっと色々見えただろう。

 俺は首を傾げたけど、おっさんが水をかぶる音に我に返って布と着替えとサンダルを持って池に戻った。


「そこに置いてくれ」


 髪を洗いながら、おっさんは池の縁石を指す。

 言われた通りにそこに置いて、俺はすぐ近くのベンチに座った。



 このベンチは池の横にあるんだけど、髪を洗い終えて体を拭くおっさんは俺に背中を向けている。

 だから座っていたら、自然におっさんの背中がよく見えるんだ。


 ……相変わらず、すごい筋肉だよな。

 木こりのおじさんたちの背中に似ているけど、ひたすら分厚かったおじさんたちとも違う。

 重い武器を振り回すための筋肉とは別に、腰から下は敏捷性を支える筋肉のつき方をしている。ケツから太ももの筋肉がすごいんだよ。

 こうしてじっくり見るのは久しぶりだけど、本当に体を鍛えているよな。


 でも、おっさんの体には傷跡がたくさんある。

 たぶん強い治癒薬をあまり使ってこなかったからだろうな、と推測できた。


 きつい治癒薬を使うと、ドラゴンと遭遇した時みたいに、傷跡がほとんど残らないくらいにすぐに治る。

 でも副作用も強烈で、傷が癒える過程で一時的に、あるいは数日間、体力をガリガリ削られる。だから危険と隣り合わせの人は、敢えて強い薬は使わないと聞いたことがあった。

 おっさんも基本はそうしていたようだ。

 なのにあの時はバズーナ姐さんが強引に……まあ、親方の治癒水は強烈な痛みだけで済んだみたいだけどな。


 背中にあるのは、古い傷跡だけじゃない。まだ新しい痣もたくさんある。

 いったい何をやったんだろうな。見ているこっちが痛くなるよ……。


「……おい、じろじろ見るな」

「気にするなよ。初めて見るもんでもないし」


 俺がそう言うと、肩に布をかけたおっさんは顔をそらしてため息をついた。

 何だよ、別に筋肉くらい見てもいいだろ?

 おっさんは昔からずっと人前で平気で脱いでたじゃないか。


「……頼む、今の姿を思い出してくれ。……俺が露出魔になった気がしてくるんだよ!」

「はぁ? 馬鹿なこと言うなよ! おっさんが勝手に露出しているだけだろ!」

「水浴びは脱がねぇとできねぇよ!」

「当たり前だ! ……いや、そうじゃなくて。……寒くないの?」

「まあ、ちょっと冷えるかな」

「……ちょっと……じゃねぇだろ! 風呂に入りたいなら、お湯を用意してもらえよ!」

「夜中だから、こっちの方が早い」


 うん、まあ、そうだけど。

 真夜中だから、下働きさんも従僕さんも寝ているだろうけど。

 俺もね、牧場時代は年中水浴びをしてたよ。

 でも、向こうはかなり暖かかったし、俺はただの住み込み従業員だったから、お湯なんて贅沢は滅多にできなかっただけだ。


 いやそれ以前に、冬の水浴びは天気のいい昼間にしかしなかったぞ。

 おっさんは貴族だろ! もっと贅沢しろよ! 庶民的過ぎて涙がにじみそうだぞ!


「体を洗うなら湯船に浸かれよ! 俺なんて、毎日暖かいお湯でぬくぬくだぜ!」

「そりゃよかったな。……俺も明日の朝には風呂に入りたい」

「うん、それがいいよ。始めからそうしていれば、真夜中に水浴びなんてしなくてすむのに」

「無理だな。仕事中でもないのに、汚れたままベッドに入りたくはねぇんだよ」


 ……あ、なるほど。

 おっさんって、時々ものすごく神経質なところがあるもんな。

 それなら仕方がない。


 こういうところはお貴族様っぽいと言えなくもない。

 という事は、あの小屋はおっさんの水浴び用品を置いているんだな。

 最低限度の身支度がここで整えられるように、執事さんとかが準備をしてくれてるんだろう。

 でも……髭剃りまでできるって……まあ、いろいろな心遣いの結果だな!



 おっさんはガウンに太いベルトを巻きつけ、足元は木底のサンダルという格好で振り返り、脱ぎ捨ててあったブーツと衣服を拾って大きな欠伸をした。


「俺はもう寝る。お前も明日に備えてベッドに戻れ」

「明日?」

「美味いタダ飯を食いに行くんだろ?」

「あ、うん。覚えていたんだ。……っておっさん! マントが落ちてるよっ! あ、こっちには手袋も……おい、待てよおっさん!」


 俺は急いでマントを拾い、ペタンペタンとサンダルを引きずって歩くおっさんの後を追う。

 相変わらずおっさんの一歩はデカイ。

 マント以外にも、乗馬用の手袋とか、用途不明の革製の帯状のものとかも落ちていていたからそれも拾いながら追いかける。武器類だけは落とさないのはさすがだな!


 結局、俺が息を切らせて追いついた時には、おっさんは定宿と称する自室についていて、寝室に入るところだった。

 おっさんの落し物を抱えているから、俺もおっさんの寝室まで踏み込んだ。

 広い寝室の床には、もうブーツとか服とかが落ちていた。


「おいおい、おっさんにしてはだらしないな。マントとかはこっちに置いておくよ」


 肩越しに声をかけ、俺はマントを椅子の背にかけた。手袋と謎の革帯はテーブルに並べる。

 床に転がっていた泥だらけの服とブーツは、壁際に投げておいた。

 お手入れはおっさんが自分でするだろ。


 それにしても、ずいぶん派手に汚れてるなぁ。

 ……なんて感心しながらベッドを見たら、おっさんがバッタリとうつ伏せに倒れていた。


「お、おい、おっさん! どっか怪我でもしてんのか?」

「……寝る」


 返事のつもりなのか、おっさんは短くつぶやいた。

 俺が一瞬反応に迷っている間に、うつ伏したままベルトを外し始めた。

 すでに剣がどっしりと場所を占領している横に、ナイフを固定したベルトを置き、手首に巻きつけていた革を投げ捨て、そこに取り付けていた短刀もゴソゴソと並べていく。

 デカくて豪華なベッドは、うつ伏したおっさんと、剣やナイフや短剣と言った武器で埋め尽くされてしまった。


 どうやら、眠いだけらしいけど……おっさんの持ち物、相変わらず武器だらけだな。

 しみじみと見ていたら、おっさんがまたもぞもぞと動いた。

 どうやらサンダルも脱ぎたいらしい。

 でも、絶妙の角度で固定されてしまったようで、芋虫のようなおっさんの動きだけでは外れなかった。


「……あの、手伝おうか?」

「おう、頼む」


 そう言うけど、おっさんの顔は枕に埋もれたままだ。

 息が苦しくならないのかなぁ? 明日の朝、このままの格好で冷たくなっていたら洒落にならないんだけど。

 そんなことを考えながら、おっさんのデカい足からサンダルを外してやった。

 ついでに、まだ濡れたままの髪も拭いてやったし、床に落ちていた毛布もかけてやったよ。

 いやー、俺って献身的だよな!

 お望みならブラッシングも任せてくれ! 軍馬様のお世話に慣れているから結構うまいぜ!

 ……まあ、おっさんの髪は短いけどな。



「あ、そうだ。おっさん、聞いてくれよ! 俺、最近マジで大変だったんだけど!」

「……ああ?」

「アイシスさんが家庭教師になるし、お作法を覚えさせられたし、毎日クタクタだよ! それより、俺にお高い宝石って似合わないというか、あんな高価そうな物、怖くて足がすくむんだけど!」

「家庭教師……? ……ああ、宝石って首飾りの話か?」

「そうだよ! 俺、全身にあんなに金かかった格好するなんて、似合わないよ!」

「……あー、あまり気にするな。メイド長はもっとつぎ込めってうるせぇし。まあ、迷惑料と思え」

「えっ、もっとつぎ込めって……」


 メイド長さんの感覚がおかしい、とは思わない。ということは、おっさんのまわりはそんなに金のかかる女ばっかりだったんだ。

 まあ、お貴族様なら当然か。

 それに傭兵に群がるお姉さん方って、わりと派手というか、金の匂いが大好きそうだもんな! モテたことのない俺がいうと僻みっぽくなるけど!

 俺がしみじみと考えていたら、おっさんがちょっとだけ顔を上げた。


「話はまだ続くのか?」

「あ、いや……うん」

「急ぎでないのなら、続きは明日にしてくれ。……もう無理だ」


 おっさん は欠伸をしながらそう言って、またぼすっと枕に顔を埋めてしまった。

 俺が何か言う暇もない。あっという間に寝息が始まった。



 ……驚いた。

 普段なら、俺の前でこんな無防備に眠ったりする人じゃないんだけど。

 まあ、俺も今は大人になった。熟睡中の人の顔に落書きして喜ぶほどガキじゃない。

 疲れきって寝落ちした年寄りをいじめる趣味もない。

 だから、ベッドから滑り落ちた革ベルトを拾ってテーブルに並べてやったよ!



 いろいろお世話をしていたら、俺も眠くなってきた。

 欠伸をしながら自分の寝室に戻ろうとしていて、ふと足を止めた。


 テーブルの上にはおれが拾ってやった乗馬用の手袋がある。

 その手袋に……薄っすらと魔法の痕跡があった。

 ごく薄くてぼんやりしているから今まで気にしていなかったけど、あの輝きは間違いないと思うんだ。

 おっさんは魔法を使えない。手袋そのものも魔法道具じゃないのは明らかだ。とすると……長時間魔法に接していたのかな。



 俺はおっさんのベッドへと戻った。

 もしかしたら、おっさんの剣とかが魔力を帯びているかもって思ったんだ。

 確かに、おっさんの剣の柄にはいわくありげな石が埋め込まれていた。

 でも、魔力を秘めているかと言われるとそうでもない気がする。

 俺はもっとよく見ようと剣に手を伸ばし……た途端に、デカい手でぐりっと手首をつかまれていた。


「いてっ。お、おっさん?」

「……ボウズか。剣に勝手に触るなよ」

「あ、うん、ごめん」


 びっくりしながら素直に謝ったら、手首をつかんでいた手はあっさりと外れ、おっさんはまた寝息をたてて寝てしまった。

 うーん、やっぱり傭兵は怖いな。

 あからさまに危険な感じなので、俺は無謀なチャレンジはやめた。

 一度きりの人生だ。

 無茶な冒険なんて、素人がするものじゃない。



 明日は、たぶん大変な一日になる。

 とりあえず俺も寝るか。お休み、おっさん。

 

 

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