(27)特訓と飴
ドレス用の布が決まったら、あとは一気に仕立てていくだけだ。もう細かいところはお任せらしい。時間が足りないもんな。
靴についても、足の形を念入りに調べて、装飾の種類を選んで、こっちも詳細はお任せってことですでに仕立て始めているらしい。
これに、首飾りやら髪飾りやら、石の名前を聞いたら足が震えそうな高価な宝石がついた装飾品の準備も進んでいる。
これは元からあるものを利用したり、石のままだったのに枠をつけたりしているだけのようだけど、まあこれも職人技だから時間はかかると思われる。
全ての準備が同時進行で、俺は完成まで暇になる……と思ったら甘かった。
「……お作法まで必要なんて、俺、本当に聞いてねぇよっ!」
「お嬢様。せめて、丁寧な言葉を心がけてください」
「あ、はい。ごめんなさい」
俺は今日もメイド長さんから指導を受けている。
……マジで聞いてねぇよ……。
庶民育ちの俺は、最低限より少し上のレベルまでの学問は身につけた。
それはちょっといい暮らしのためのものであり、牧場の仕事にも必要だった。だから勉強はそれほど苦にはならなかった。
でも、あくまでちょっと上級の一般教養だけだ。
お偉い客様が来る牧場だったから、挨拶の仕方とか食事の仕方くらいは習ってたけど、どれも庶民として必要な範囲だけだったし、そもそも男だったからな。
だから歩幅とか姿勢とかは、ダライズの女領主様によってかなり矯正されたけど、さすがにお上品な食事の正しい作法までは知らなかった。
まあ、上流階級の女の子はナイフなんて持って回らないから、食卓に色々並んだものを使うよなぁ。
ドレスを着ていたら、スープもお椀を手に持って飲めないだろう。
労働の合間に食べる庶民の料理は、簡素な料理方法だから手づかみの方が楽だ。でもお貴族様の料理人たちが作る料理は、煮込んだり焼いたり蒸したり包んだりしていて柔らかいから、小さく切ることは簡単だし、そうなると少しずつ口に運んで食べる方がすっきりする。
要するに……周りに合わせて食えばいいんだろ、たぶん。
それ以上の理解は、俺には無理。せめて二年くれ。
俺の特訓は食事作法だけじゃない。
ドレスを着た時の歩き方。これも重要だよな。何かあったら自力で逃げられるくらいには動けないといけないし。
だから俺は、毎日毎日ドレスを着て、長い裾を踏まないように歩く練習をした。
お辞儀の練習も頑張った。
なぜかダンスなんかもちょっとやったけど、これはお食事会には関係ない、よなぁ……。まあ、ドレスで動き回る練習にはなったけど。
膝がプルプルと震えるくらいに頑張って練習したから、裾を踏まずに歩けるようにはなった。
俺、頑張った。すごいすごい。自分で自分を褒めてやる。
多分、歩きやすいように加工されたドレスなら、全力疾走の一歩手前くらいをやっても裾を踏まないと思う。
普通はそんなことはしないけど。
……走ったりしないですめばいいなぁ……。
まあ、ここまではいいんだ。
恥はできればかきたくないものだよ。
それに何と言っても、俺はおっさんの愛人か婚約者になる予定だ。見栄えのいい女を連れて回るのは男のロマンだって理解しているぜ!
でもお作法と同時に、どんな話題にもついていけるようにって、いろいろな分野の勉強もすることになったのにはびっくりした。
なんと、アイシスさんが俺の臨時家庭教師なんだぜ!
魔導院のエリート様だなんて、超贅沢だよな!
外出禁止で引きこもるしかないなら、その時間を有意義に使うべきだし!
家庭教師なんて言うけど、実質は護衛としているんだろ、なんてことも気にしない!
有効利用は大好きだ!
初心者にも全く容赦しないアイシスさん、かっこいい!
……まあね、正直に言って毎日心がボキボキに折れまくっている。
本当にすごいよ。
目つきだけで、胃が死にそうになるから。
たぶん、軽蔑されているわけじゃないと思う。俺の無知が新鮮なだけなんだろう、と一応理解はしている。表情のわりに、悪意はほとんどない優しい人っぽいし。
読み方がわからずに首を傾げたり、変な読み方をしたりすると、眉をひそめてしげしげと俺と該当箇所の文字を見るのなんて、たいした意味はないんだよ。
読み方はきちんと教えてくれるし、意味がわかっていないなら丁寧に説明してくれるし。
表情さえ気にしなければ、最高の教師なんだよ。
まあ、そう分かっていてもメンタルにぐっさりくるんだけどね。
でも俺は、そんな時間をもう二週間近く生き抜いている。自分の強さに脱帽だ。一回りまた強くなった気がする。
とは言っても、アイシスさんはフォローしてくれるんだよ。授業の終わりに、必ず飴玉を一個くれるんだ。
疲れた心に、飴玉の甘さがじんわりと染みる。
ほのかな酸味がまた美味くて、大きな一個を舐め終わる頃にはちょっと生き返るんだ。
飴と鞭のこのテクニック、誰に教わったんだろうな。
で、毎日飴玉をもらっていて、ふと気づいたんだ。
アイシスさんがいつもくれる飴玉は、わりと下町で売られているものじゃないかなって。
飴玉は俺の親指の先くらいの大粒なんだけど、お屋敷の厨房では作らないだろうなってチープさがある。お屋敷の料理人なら、もっと芸術的な色とか形になると思うし。
くすんだ黄色で、味もわりとシンプルで、最後まで舐め終わるより途中で割れてしまうような飴は、出入りの商人さんが持ってくる王都で流行している鮮やかな色の飴ともちょっと違う。
味が珍しくて、一個食べるだけでものすごく元気になれる優れもの。これでお値段がお手頃なら、俺も買ってメイドさんにも分けてあげたいなぁ。
べ、別に下心とかはないぞ。
女の子たちと仲良くなってみたいなんて、そんな大それたことも考えていないから!
……どこで売ってるんだろ。
昨日もベコベコに凹んで、アイシスさんに飴玉をもらった。
相変わらず、美味かった。
あの飴を売っているお店、アイシスさんに直接聞くべきか? でも勉強時間にそんな隙は微塵もないんだよな……。
そんなことを考えながら、俺はぼんやりと窓の外を見ていた。
秋咲きの薔薇がきれいだなぁ、と考えていたら、昨日書物で読んだばかりの知識が浮かんだ。
庭園の秋咲きの薔薇のように鮮やかな、真紅の魔法石があるらしい。
ほんのり紫の色を含んだ鮮やかな赤い石は、上流階級の女性の憧れの石の一つなんだ。
ただ美しいだけでなく、お守りとして非常に有効だ、とその書物には明言されていた。たぶん、実際に持ち主の危機を救ってくれるのだろう。
魔法が使えない人にも有効、という夢のような魔法石だ。
ただし、その正体がエグい。
蛇型魔獣の、生きたまま、もしくは死んですぐにえぐり取った心臓なんだよ。
それも、しっかり成熟した個体の心臓限定。成熟色と言われる体の色が心臓まで達した場合だけ、美しい薔薇色の石になる。
……一番最初に心臓をえぐった奴、何を考えてたんだろうな。
成熟するとかなり巨大になる蛇らしいんだよ? それを倒して、さらに心臓をえぐり取るとかどんだけサドなんだ。
でも、そんなおぞましい魔法石を、薔薇蛇石と呼んで珍重するお貴族様が怖い。
孔雀火蜥蜴とかもそうだけど、どんだけ血生臭いんだろうな。
お貴族様って、お上品なだけの人たちじゃないんだな、と俺はしみじみしてしまう。
……うん、しばらくしみじみしていてもいいよな?
俺、ちょっと疲れたんだよ。
午前中にダンスなんてさせられて、半分心が死んだんだ。
だって、相手役がメイドさんだったんだぜ!
俺よりずっと背が高いんだぜ!
いつも見慣れていたメイドさんが、男装しただけで昔の俺よりイケメンになって、ダンスのステップも男前で、軽やかに俺を持ち上げたりしたら、心が死ぬよ。
しかも、最終的には、男役をやったのはそのメイドさんだけじゃなかったし。
いろんなメイドさんが、スカート姿のまま、俺の手を取ったり、腕組んだり、振り回したり、持ち上げたりした。キャッキャ言いながら、すげー楽しそうだったから、まあ俺もいいけどな。
時々おっぱいが腕に当たって、わりとドキドキしたし。
巨乳じゃなくても、柔らかいおっぱいっていいな。
……俺は貧乳だけどな。いきなり巨乳になっていたら確実にメンタルやられていたと思うけど、ぴょんぴょん飛び回っても揺れない胸は……。
「……うーん……」
俺はため息をついて、服の襟元を引っ張って自分の胸部を覗き込んだ。
胸元が広めにあいていても、この無丘状態では意味ないよなぁ。
もう一度ため息をついた時、襟元を引っ張っていた手に何かがちょこんと触った。
葉っぱでも落ちてきたのかと目をやると、ど派手な赤と紫が見えた。
派手な色は俺の手のひらくらいの羽のようで、ピョコリピョコリと動いていた。その羽をたどると、俺の手首に触れている鳥のようなモノの頭から生えていた。
「……え、えええっ?」
思わず見つめると、その派手な色の羽がまたピョコリと動いて、鳥のようなものはミョーと鳴いてしゅるりと俺の手首を一周した。
声はかわいいのに、口がデカい。
牙は二重三重に生えていて、うっかり噛まれたら逃げられそうもない。鳥のように見えたのは翼があったからだけど、胴体は俺の手首を二周できそうなくらいに長かった。
……鳥というより、蛇なのか?
羽のある蛇? 目も三個はあるよな。
真っ赤な二個の目と紫色の一個の目に見つめられ、俺もつい見つめ返してしまった。
相手が魔獣だと思い出した時には、もう俺は間近から目を見ていた。
人外の存在の目を見てはいけない。
そんなことを話してくれたのは誰だったかな。
……ああ、母さんだ。なかなか眠れない俺のために、昔話をしてくれた時にそんなことを言っていた。
なぜだったかな。なぜ目を見てはいけないんだったかな。
魅入られるから? 動けなくなるから?
いや、それだけじゃなかった。
人外の目を見てはいけない理由は、確か別にあるんだよ。
あの時、母さんは……。
「うちの子を魅了しないでください」
背後からの声は突然で、俺はハッと我に返って振り返った。
すぐ近くにアイシスさんがいた。
いつの間にこんな近くに来ていたんだろう。
全然気付いていなかった。
一瞬アイシスさんに気を取られたら、手首に巻きついていたモノがしゅるっと離れた。一対の翼を動かした途端に姿が消え、アイシスさんの肩にとまっていた。
「あの、それは……」
指差しながら言いかけて、俺はハッとして口を閉じた。
その蛇鳥……鳥蛇の体がぼんやりと光っていることに気づいたんだ。
あの光は魔力だ。俺が馴染んできたこの世界の光じゃない。ドラゴンに八つ当たりされる前までは知らなかった光だ。
つまり……見えない存在。常人には見えない姿を消した魔物。
そういう話を、ちょうど一昨日あたりに読んだぞ。魔導師の中には魔物を使い魔として連れ回っている存在もいるらしい、って。敢えて姿を見せる場合もあるけど、だいたいは姿を消していることが多いらしい。
……俺の目のこと、アイシスさんにバレてよかったんだっけ?
「これは私のペットです」
「……ペット?」
「卵からかえしたので、私にだけ懐いています。ハリューズ様にも懐かなかったのに、あなたには違うなんて。妬みます」
「えっ、妬むの?」
ペットなのか?
いや、妬むとかそういうレベルなのか?
アイシスさんは派手に舌打ちをした。かわいい顔なのに、表情はやっぱりジジイっぽい。
「この子はわたくしに害意を持つ存在を近付けません。ゆえに、誰にも懐いてはいけないのですが……あの男、わたくしまで謀りやがりましたか」
「あ、あの……」
「まあ、意図がわからないことはありませんが。知ったからには確認しますよ。この子は見えますね?」
アイシスさんの言葉と同時に、蛇鳥さんだか鳥蛇さんだかが肩の上でクルリと一回転した。
どうだ?って感じで俺を見ながら首を傾げるなよ……かわいすぎるだろっ!
俺はググッと奥歯をかんで、目をそらした。
「……見えます」
「では、これは見えますか?」
手のひらを上にすると、そこにゆらりと光が見えた。
その光はふわりと浮かんで突然三つに分裂した。それぞれが花の形になり、さらに分裂し、色を変えながら十二個の輪となった。
「今、いくつありますか?」
「……十二個、です。蛇っぽい鳥……鳥っぽい蛇がその輪をくぐってます」
「なるほど」
アイシスさんはしかめ面で頷いた。
同時に光の輪は消えて、かわいい奴はアイシスさんの肩に戻った。
かわいい。アイシスさんの髪にスリスリしている。
「あなたの重要性がよくわかりました。……こんなのを黙っていたなんて、あの男は何を考えているのやら」
「ご、ごめんなさい! 知られたら何かあった時に逃げられなくなるかもしれないって思ってさ!」
「あの男がそう言ったのね?」
「……はい」
「ふん、ヒゲを燃やしてやればよかった。まあ、いいでしょう。薔薇蛇石と百合蛇石で手を打ってあげましょう。あなたもねだっておくといいわよ?」
赤い蛇石が薔薇蛇石。
とすると、百合蛇石って……希少種の心臓? アルビノ種はなぜか体がデカくて気も荒いって書いていた気が……いや、さすがにそれは無茶だろ?
……俺、魔法石にはあんまり興味ないんです。
「あ、あのさ! 俺は蛇石より、アイシスさんがくれる飴玉の方が好きだよ!」
「……気に入ったの?」
「うん、美味いよ! 疲れた時にすごく効くし! あれはどこで売ってるの?」
憤怒のアイシスさんから、冷ややかなアイシスさんに表情が戻ってくれた。
だから俺は、前々から思い切ってお店を聞いてみた。
すると……アイシスさんが、微笑んだ。
俺は何を見ているんだろう?って本気で思うくらいに、優しい微笑みだった。
でも、その微笑みは俺が瞬きをしている間に消えていた。……白昼夢だったのか? いや、違うよな。肩の蛇鳥さんがなんかはしゃいでいたし。
「あの飴は、特別に作ってもらったものです。だから普通は手に入りません」
「そうなんだ。……じゃあ、俺はそんな貴重品を……」
「気に入ったのなら、また作ってもらいましょう」
アイシスさんはそれだけを言って、くるりと背を向けた。
まるで照れているようだ。
……照れているんだよな? 微笑みなんてしちゃったから照れたんだよな?
蛇石より飴玉が好きなんて言った俺への侮蔑で顔も見る気が失せたとか、そういう理由じゃないよな!
もしかしたら、その飴玉職人は身内なのかもしれない。
ふとそんなことを思ったけど、アイシスさんがおっさんへの伝言を紙に書きつけているのを見てそれどころじゃなくなった。
採れたての薔薇蛇石と百合蛇石をよこせば許してやるって、マジで書いてるし!
でも……採れたて……。
……おっさん、強く生きてくれ。