(25)新たな招待状
俺が見た時はまだかなり遠くにいたけど、言葉を失って立ちすくんでいる間に一気に近づいて来た。頭上に巨大な皮膜が広がり、のどかな太陽の光が遮られた。
翼がデカい。
真下から見ると、豪華な建物に囲まれた中庭全部を覆い隠すんじゃないかって思うくらいに大きかった。
でも地面に降り立ったソレが翼をたたむと、意外にすっきりして木を数本倒しただけだった。
胴体は馬より圧倒的に大きい。ただし、ドラゴンの巨大さを間近で見た俺にとっては何回りも小型に思える。
地面を踏みしめている脚は二本。巨体を支えるに相応しく、がっしりと太い。
コンパクトに折りたたんだ翼は皮膜で、よく見ると鉤爪があるから前脚が変形したものらしい。その鉤爪のあるあたりは軽く地面についていた。まるでコウモリだ。
でもコウモリより首は長く、二本に分かれた尾もすらりと長い。
かぱっと開く大きな口からは鋭い牙が何本も見えた。
普通の動物ではない。
ただし、それほど怖いとは思わない。
さっきの魔獣よりずっと大きいのに、怖いとかより目をひきつけられた。相手も俺をじって見ていて、俺が思わず前に踏み出すと長い首をちょっと傾げた。
ドラゴンに少し似ているけど、全く別の生物だ。
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「……おっさん、翼竜の騎乗って、いつから実用化されたんだ?」
「さぁ、実用化は聞いたことねぇな」
「だよなぁ。翼竜を乗りこなすとか、昔話とかお伽話の世界限定だったよな! というか、翼竜って初めて見たよっ! カッコイイなっ! カッコイイしなんか可愛いよっ!」
「喜んでもらえたようで光栄だ。本物のドラゴンには劣るし、捕らえるのにも苦労したが、従順で可愛い生き物だ」
俺が興奮していると、翼竜の背中から地面に降り立った人はにっこりと笑った。
黒い髪に金色の額飾りがよく映えている。
分厚い外套を翻しながら近く姿は、背後の翼竜のせいで神話の世界が現出したように見えた。
ハリューズ様だ。
ちらりと翼竜を振り返った時、金色の目が一瞬強く光っていた。その光がハリューズ様の首飾りと翼竜を繋ぐように包み込み、翼竜はパチリと一回瞬きをした。
あれは……何かの魔法だろうな。
伝説化するほど滅多に姿を現さない生き物を呼び出し、捕らえ、従えているのは、このまぶしいくらい強力な魔法なのかもしれない。魔法の中心は、金色の魔力が渦巻いていた首飾りの大きな石、なんだろうな。
そんな事を考えていたら、ハリューズ様がいつに間にか真ん前に立っていて、まじまじと俺の顔を覗き込んでいた。
ち、近いよ!
我に返った俺は、思わず一歩二歩と退いた。
でもハリューズ様も一歩近寄っていて、ちっとも距離が離れない。至近から俺の目を見ているようだ。
焦っていると、ハリューズ様は俺の髪に触れた。
「今日はずいぶん美しく装っているが、この髪型は気に入らないな」
「えっ、そんなにぐしゃぐしゃになってる?」
「それもあるが、こういう髪型は普通の女がするものだ。非凡な恩寵持ちには相応しくない」
真顔でそう言い切り、ハリューズ様はおもむろに微笑んだ。
至近距離で美しすぎる微笑みの直撃を受けてしまった俺は、頭が猛烈にくらっときた。
またもや座り込みそうになった俺だけど、おっさんの手が背中を支えてくれた。
おう、おっさん、いつもありがとう!
……と言いたいけど、今のおっさんは臭いが耐え難くて……くっ、吐くよりハリューズ様の方がましだ!
俺はおっさんの手を押しのけ、勇気をかき集めてハリューズ様を見上げた。
「ハリューズ様、俺、お願いがありますっ!」
「ああ、向こうのアレの事か? 派手にやったな」
「は、はい……その派手な、アレのことなんですが……その、処分を……」
「処分か。よかろう。他ならぬお前の頼みだから引き受けてあげよう。だが……全部を処分でいいのか? 情報を取りたいのなら、他にいいのがいるぞ」
「……情報を、とる?」
「そう、例えば、生きたままむさぼり食われせるとか、皮膚の下でゆっくり巣作りをさせるとかだな。脳を吸って思考を読むものもいるが、これは特別に捕まえなければいけないから手間がかかる」
ハリューズ様はわりと詳しく教えてくれた。
……いや、俺、そんなこと聞きたいなんて言ってないんだけど。聞きなれない言葉を聞いたから復唱しちゃっただけなんだけどな。
リアルに想像してしまって怖い。また吐き気がしてきた!
思わず口元を押さえたら、いきなり両耳を大きな手でふさがれた。
「えっ? おっさん?」
「こいつをからかわないでください。向こうの単純な片付けだけで十分です」
「生きている連中はどうする?」
「……こちらで処理します」
耳を手で塞がれているのに、おっさんたちの声はなぜかよく聞こえた。
だから、おっさんの言葉は全部はっきり聞こえたよ。一言一句の聴き漏らしもない。
……もしかして俺、耳も良くなっていたのか。手でふさがれた程度なら、余裕で聞こえるみたいだ。
それをおっさんに訴えたいけど、この場にはハリューズ様がいる。
たぶん知られているけど、それでも直接伝えてしまうのはちょっと……なぁ。
どうしたものかと、俺はそっとおっさんを見上げた。
目があったおっさんは、青ざめた俺が言いたいことを悟ってくれたようだ。わずかに眉を動かして舌打ちした。
ごめん。せっかく気を使ってくれたのに、俺の耳が凄すぎた。
でも、おっさんが処理って……何をするんだ?
想像して一人で怖くなっていたら、俺の耳をふさいでいたおっさんの手にさらにぎゅっと力が入った。
それと同時に、おっさんが小声で何か言った。
その声も一応聞こえたんだけど、おっさんの馬鹿力でふさがれてさすがによく聞こえない。その上、どうやら俺の知らない言語だったようだ。
えっ?と思っている間に、ハリューズ様がとても面白そうに眉を動かして、よく似た言葉で何か言った。
それに対するようにまたおっさんが何か言って、ハリューズ様が少し何か考えて一言か二言答えていた。
二人の会話はしばらく続いていったけど……うん、何を言っているのか、さっぱりわからん。
表情から内容を読み取ろうとしても、ハリューズ様はいくら見たってイケメンなだけだし、おっさんの顔にもヒントになるような表情はない。
ちっ。俺はのけ者なのか? この距離で同席しているのに俺は存在すら無視なのか? まあ、俺は全然気にしてないけどな!
おっさんの手が水で拭いたように湿っていて、返り血が付いていた上着も脱いでシャツ姿になっていると気づいたけど、やっぱり俺は不貞腐れていた。
やがて頭上のやり取りは終わったようで、おっさんの分厚い手が離れた。
あー、耳とその周りが痛い。耳の聞こえもちょっとおかしい。
おっさん、美少女様に対してやることじゃねぇよ。
「ハリューズ様との密談、やっと終わったのかよ?」
「ああ、悪かったな。ボウズには向かない内容だったんだよ」
「いいよ。どうせ俺はただの絶世の美少女だし?」
「すねるな。今度は王都の飯屋に連れて行ってやるから」
「……おっさん、俺の事、食わせておけばごまかせると思ってねぇかっ!」
「何か間違ってるか?」
……ちっ。
おっさんは昔の俺を知りすぎている。
いや、待てよ。
俺のドレスっておっさんの好みだったな。……ここで涙目で上目遣いをやったら、またおっさんの馬鹿面が見られるかも?
でもおっさんはものすごく嫌そう顔をして、俺の頭に拳骨をグリグリしやがった。
「ガキのくせに、男に色目を使うな!」
「拳骨がイテェよ! ちょっと実験をしただけなのに!」
「お前の実験はタチが悪いんだよっ!」
「おっさんこそ、ガキの冗談に本気になるなよ!」
「……ああ、そうだ。忘れるところだった」
俺とおっさんが言い合っていると、ハリューズ様が突然割り込んできた。
そう言えばこの人もいたんだった。慌てて姿勢を正すと、一通の封書を押し付けられた。
「……あの、これは?」
「食事のお誘いだそうだ。昨日、君たちがさっさと帰ってしまったから会えなかった、とひどく嘆いている人がいてね。どうしてもと泣きつかれて、食事会の招待状を預かってきた」
「へぇー、食事会かぁ。なあ、おっさん、この人の家って料理は美味いの?」
「……まあ、最高に美味いだろうな」
グリグリしていた手で招待状を奪ったおっさんは、勝手に封を切って手紙に目を通していた。
しばらくにらむように見ていたけど、はぁーっとため息をついて俺に返してくれた。
「飯は美味いだろうが、楽しいだけのタダ飯にはならねぇぞ。お前はまたドレスを着る必要があるからな」
「ええっ、そんなに高級でお上品な飯屋なのかよ!」
「間違いなく王国でも指折りの飯屋だな。……まあ、頑張って着飾れよ。この招待主と親しくなっておくのは、決して悪いことじゃねぇからな」
「……もしかして、おっさんの知ってる人?」
「多少はな。……かなり面倒な連中だが、お前なら大丈夫だろう」
半分独り言のようにつぶやきながら、おっさんがなぜかまたため息を吐いた。でも俺はそれを気にしている余裕はなかった。
……だって、翼竜ちゃんが首を伸ばして俺を覗き込んできたんだよ。
何だ、この可愛らしい生き物は!
真ん前まで近付いて手を伸ばして触ってみると、皮膚は見た目通りに硬くてゴツゴツしていた。でも俺をじっと見つめる目はキラキラしていて、デカい口からピーピー鳴き声を上げられると、もう、俺……胸がドキドキして、キュンキュンするっ!
「……カワイイ……背中に乗りたい……!」
「乗ってもいいぞ。ただし、髪型を改めてからだ。お前の美しい髪は、そのまま垂らしている方がいい」
ハリューズ様はそんなことを言いながら、俺の髪からピンやら紐やらを取っては投げ捨てていく。
おっさんに振り回されて半分崩れかけていた髪型が、あっという間に背中から腰までふわっと垂れて寝起きみたいな頭になっていた。
かなりしっかりと型がついていたところもあったけど、ハリューズ様が指先で解すと本来のサラサラストレートに戻っていった。
こ、これはハリューズ様の魔法なの? それとも俺のサラッサラ髪が無敵なの?
思わず真剣に悩んでいる間に、俺の体がふわりと浮かんでいた。
「えっ? えええっ?」
「暴れるな。せっかくの髪が絡まってしまう」
妙にご機嫌なハリューズ様の目は、魔力の発動のせいかまぶしいほどの金色の光を帯びていた。
誰の手も借りていないのにふわふわ宙に浮いた俺は、金色の雲みたいな光に包まれて翼竜ちゃんの背中にぽすんと落ちた。
翼竜の背中は硬くて広くて、でも分厚い絨毯が敷いてあるから意外に座り心地がいい。
それに、騎乗用の手綱もあった。
うはっ! これはいいな! 吟遊詩人の歌に出てきた伝説の翼竜騎士みたいだ!
手綱を握って感動していると、翼竜ちゃんが長い首を曲げて俺を振り返った。敵意のない視線っていいもんだな。
「いいな! マジで最高! このまま空を飛んでみてぇ!」
「一応言っておくが、お前の腕の力では飛行はたぶん無理だからな」
「そ、そんなのわかってるよ、おっさん。ただのごっこ遊びだよ! あー、でも今の自分の姿が見たかったな。かっこいいだろうな!」
「……ハリューズ様、鏡を出してやってくれますか?」
俺が浮かれていたら、おっさんがため息をつきながら頼んでくれた。
おっさん、気がきくな!
魔法ででっかい鏡を作ってくれたハリューズ様も最高のイケメンですね!
翼竜ちゃんも超カワイイ!
でもそんな翼竜ちゃんの背中に載ってる、完璧にドレスアップした俺も最高! 超絶美少女で、マジで女神様っぽいよ! 青い髪を下ろしっぱなしもいいよな!
一人で幸せに浸っていたら、重苦しいため息が聞こえた。
振り返ると、そっぽを向いたおっさんが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
一体どうしたんだろうと見ていたら、おっさんはしゃがみこんで何かを拾い始めた。落ちているものはかなりの数があるようで、手のひらに小山ができていく。
細長いそれは、摘み上げられるたびにキラリと光っていた。
……あ。
たぶんアレは、ハリューズ様がポイポイ投げ捨てていた俺の髪のピンだ。すっかり忘れていたな。確かあのピン、小さな宝石がついていたんだった。
う、うわぁっ、宝石がついてたんだったよっ。
あんな高価な物のことを忘れていた自分が怖くなってきた。おっさん、気付いてくれてありがとう! 気がきくおっさんも、まあまあカッコいいぜ!